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◆一年生◆

*24* 天恵祭の観戦、強制終了!!

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 会場の方角からコールされる勝者の名前を聞きながら、視界が滲むのが分かる。そうして視界を滲ませた元凶が頬を濡らして顎まで伝うのを拭いもせずに、私は次の対戦者の名前が呼ばれるまでずっと樹上で拍手を続けた。

 端から見たらシンバルを叩く猿の玩具状態だろうけれど、そんなことは気にしていられるか。ここからでは遠すぎて、双眼鏡を覗いても観客席に混じっているであろうヒロインちゃんを見つけることは出来ない。

 だけどこの勝利で、推しメンである彼にも運が向いてくるに違いないのだ。上手くすれば今まさに舞台を食い入るように見つめているはずのヒロインちゃんの記憶を刺激して、錆び付いた過去の記憶の鍵を破壊してはくれないものだろうか?

 そして運良く記憶を取り戻してくれたりすれば、ここで私が学園で遂行する任務も完了して、晴れて学生の本分の勉学に精を出せるようになる。私を送り出してくれた両親と領地の皆の為に、ここで得られるだけの知識と、精度を高めた星詠みの能力を持ち帰ることが出来るはずだ。

 ゆくゆくはそれで台風の周期を知れたら便利なんだけど……この学園では神話の授業に重きを置きすぎて、星詠みの本来の概念から離れている気がするんだよねぇ。

 その点で言えば、夏休みの間に勉強を見てくれたホーンスさんの授業は面白かった。説明する時に神話を引用はするけれど、押し付けがましく頭ごなしでない感じは学園の授業より憶えやすかったのだ。

 元来がそう信心深い方でもないので、全てを神話になぞらえられたところですんなり頭に入ったりしないしね。自分の努力には自分の能力に見合った結果しかついて来ない。いきなり加護の力で云々とはならないのが人間だ。

 期待して潰してくるのは他者だが、所詮何をしても駄目だと見切って諦めるのは自分。前世の私は諦めた。しかし今世の私はしつこく食らいついて行くスタイルに変更したのだから、今度こそ天寿を全うするのだ。

 ――と、あれ……ちょっと意識が違うところに出かけている間に、何か舞台の雰囲気が派手になってる気が……? 取り敢えず枝から落ちないようにズルズリと後退して背中を幹にくっつけ、安全を確保した後に確認の為に小冊子をめくる。

「お、あったあった……これだな」

 この天恵祭の発祥の由来やら理念やらがダラダラと書かれた部分をスッパリ読み飛ばし、それらしい記載に視線が止まる。しかしこういう催しものの前置きの長さは前世の校長の話や、会社の概要説明の企業パンフレットに似通うのは不思議だよなぁ。

 けれどそんな暢気なことを考えられていたのはほんの一瞬で。なぞった小冊子に記載されているトーナメント戦の名前に、果てしなく胸を騒がす新たなイベントの予感を感じ取った背筋が震えた。

 トーナメント戦はこの天恵祭の花形であると小冊子には記載されているが、私には“余計な真似を”と言わざるを得ない。

 簡単に内容を把握すると、トーナメント戦は個人同士で行われる個人戦と違い、複数の相手と勝負をして勝ち上がって行くもので、このトーナメントには学年の規定がない。腕に自信があれば中等部の子達が高等部の先輩方に挑んでも良いらしく、その場合に負った傷などは力量を過信した自己責任ということになる。

 これはその通りだと思うので無視。確かに謎の全能感持った新人が“データ入力なんてこんなの簡単ですよ! 任せて下さい!”と言い出した時は“一度痛い目を見れば憶えるのでは?”と思って放置しかけたことがあった。もっとも……あの時は結局後始末が怖くて出来なかったけど。

「よりにもよってここでこのカードを切るとか……誰か知らないけどやってくれる」

 思わず悪態を吐いて眺めた対戦者の名簿に、ラシードと赤色アーロンの名前が載ってる。

 他の出場者の実力がどの程度のものか、はっきりと分からないのが歯痒いけれど、少なくともラシードと赤色アーロンの両者はこのトーナメント戦に出場する自信があるということだ。

 もしも両者が決勝にまで勝ち上がって対戦すれば、また余計なルートが開いてしまう可能性がある。乙女ゲームのルート分岐は様々な場所で現れがちで、そのせいでゲームに不慣れなうちは、攻略対象キャラクターを絞りづらいという話をネットで見たことがあった。

 確かにお目当てのキャラクターを決めかねて目移りすると、最初のうちに攻略対象同士の好感度を一律に上げてしまうというミスをおかしがちだ。後から“このキャラクターにしよう”と思っても、すでにその攻略対象キャラクターの特殊イベントを過ぎていると、友達マルチエンドになってしまう。

 現時点でヒロインちゃんの水色カイン赤色アーロンへの評価は正しくその路線をひた走っている気がしてならない。これは彼女にとってどちらもが“友人”として以上の魅力を感じていないということだ。

 だからだ……要は何が言いたいかと言うと、この後に待ち受けていそうな乙女ゲームならではの展開というのか。

「頼むから熱血系の赤色アーロンとの試合終了後に、お色気系のラシードに一目惚れとかいうベタな展開になるのだけは止めて欲しいなぁ」

 只今ヒロインちゃんの周辺にいるのは熱血系と弟系。そこに頼りがいのあるお色気系が現れたとしたら――? 考えたくはないけれど、充分に考えられる展開だ。この場所からだとこれからの試合を観戦するヒロインちゃんの目を塞ぎに行くことも難しい。

「いや、でもまだラシードと赤色アーロンが決勝まで残ってぶつかるかも分からないんだし……だったらここは友人を応援してしかるべきだよねぇ」

 誰からの答えも期待出来ない自問自答に溜息を吐きつつも、今日の件ですっかり武術観戦にハマってしまったのもまた事実。

「まぁ、要はどっちかがそこそこに勝ち上がって、片方が途中脱落してくれたら問題ないわけだし。後は怪我をしなかったら良いよね」

 そう結論付けて、首にかけた双眼鏡を会場の方へ向けて構える。もう頬の涙も乾いて、もうその名残を感じさせるのは肌の突っ張った感覚とひりつき、それに少々つまった鼻だけだ。

 本戦の幕開けを報せる管楽器の音に胸を躍らせて、私は再び樹上からの天恵祭観戦に夢中になる。


          ――――――二時間半後――――――。


 実に良い疲労感が身体を包み、滅多に上げない大声を出したせいで喉が涸れて痛むけれど、初めての天恵祭観戦はそれはそれは価値のある時間だった。

 もう二時間半に及んだトーナメント戦の最終戦にたどり着くまでにも、涙あり、笑いあり、新たな強敵ともとの出会いあり、と……終始とても見応えのある最高の娯楽だったし、退屈する場面は全くなかったほどだ。

 本職の騎士などが出場していない学生だけの催しものだとはいえ、これで入場料無料なのは勿体ないと思う。学園の生徒かその家族、一部のお偉いさん方しか呼ばないのは実に惜しい。お金を取って学園の図書館の蔵書でも増やしてくれれば良いのに。

 けれど、そんな大満足な天恵祭にたった一つ。本当にたった一つだけ不満というか、不安があるとすれば、それは間違いなく最終戦の一戦だ。何故起こって欲しくない事態というものは、こうも狙ったように限定的な場所に起こるのか。

 最終戦の対戦は、学園でも騎士候補生として有名な二年生が二人勝ち残った。故にお祭りの熱気は最高潮。かくいう私も、それが出会ってはならない二人の対戦であったとしても、ギリギリまで事態がどうなるのか分からないから楽しめた。

 ――しかし、しかしである。

 何もそれが予想していた天秤の最悪のシナリオの方に傾かなくても良いと思うんだよねぇ。

 あと、もう一つそれとは別に困ったことがあるとすれば――ハシゴ、どこに行ったんだろう? 観戦に熱中している間に風で倒れたのかと思って樹上から身を乗り出して地上を見下ろして見たものの、そこにお目当てのハシゴの姿はなく……。まさかハシゴが一人でに歩いて消えるわけはないし、だとすれば考えつくことは一つだけ。

「これはもしかすると観客席にいたお姉様方か、後輩ちゃんの仕業か……」

 観客席でラシードがいくら愛想良くウインクや投げキッスを大盤振る舞いしてくれたところで、納得しない子は納得しないし、何より納得出来ないのだろう。それは当然だ。

 いきなり出てきた新参者が憧れの人物を放課後だけとはいえ一人占め、もしくは二人占めしていたら面白くはないもんね。ラシードっぽく言えばおブスな対処の仕方ではあると思うけれど、彼女達の間で守られている法度を破った私が全面的に悪い。

 だからこそ、このままここで助けを待つか、さもなくば助けを待たずに自力で降りるかの二択になるのだけれど……。

「都会のお嬢様達め……あんまり田舎の神童を舐めるなよ」

 周囲に助けが呼べそうな人がいないことを確認した私は、両手で頬を一度大きな音が出るように叩いて活を入れ、スカートの裾をたくし上げる。

「下は見ちゃ駄目、下は見ちゃ駄目、下は見ちゃ駄目――」

 呪詛のようにそう呟きながら少しずつ、しっかりした枝や幹の瘤や虚に爪先を引っ掛けて徐々に地上に向かって降りていく。途中から手汗で枝を掴む手が何度も滑り、そのたびに心臓が大きくドクリと鳴る。

 けれど何とか地面まであと一メートルと少しの場所まで降りて来られて、心底ホッとしたけれど――……その一瞬の気の緩みがいけなかった。掴んでいた枝が折れたわけでもなく、制服が引っかかったわけでもない。

 なのに――、

「あっ?」

 ずっと踏ん張っていた膝がカクンと抜けて、私は驚くほど呆気なく地上までの残り数メートルを自由落下した。地面に叩き付けられる瞬間に思い出したのは、前世と同じ“死”の形。

 あぁ……情けないな。

(あの時の私は本当は――――…………)

 冷たく沈む暗闇と叩き付けられた痛みの前に、私の意識はプツリと閉じた。
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