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◆一年生◆

★22★ あの夜の疑問を解いたのは。

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 十月も二十日を過ぎると日が暮れる時間がすっかり早くなった。しかし本番が近い鍛錬場にはまだ残って鍛錬を積む生徒も多く、もう少しすれば星火石の中でも特に上質な物で作られたランプが、観客席をグルリと取り囲むように周囲を照らし出すだろう。

 鍛錬中の生徒達を横目にすり抜け目的の場所に到着すると、そこには素振りというよりは剣舞を思わせる動きを取る褐色の肌をした男子生徒が一人いた。素早く動くよりゆっくりとした動きを取る方が難しいのは当然のことだが、全く上下にブレない動きは見事なものだ。

「――相変わらず体幹が良いな」

 そうその背中に声をかけて荷物をベンチに置き、所在なさげに立てかけられていた模擬剣を手に取る。するとピタリと動きを止めた相手は、こちらを振り向いて人好きのする顔で笑った。

「あら、褒めてくれてアリガト。って、本番も近いのにアンタ一人でお出ましってことは……あの子ったらまた居残り課題なのね?」

 放課後一人で鍛錬場に到着した俺の後ろを確認したラシードは、そう言うとさっきまでの笑みを苦笑に代えて溜息をついた。

「ああ。他の科目はそう悪くもないんだが……未だに星座に関する神話の内容が憶えきれないらしくてな」

「確かにあれを憶えるのって百人一首を憶えるような感覚だものねぇ。興味がないと頭に入りっこないわ」

「ヒャクニン……何だそれは?」

「ん~、そうねぇ、異国の言語で綴られた詩集よ。こっちでは知らない人の方が多いから気にしないで頂戴」

 すでにここへ到着する前に横切った鍛錬場の観客席前は、二日後に迫った天恵祭さながらのトーナメント形式の模擬試合をやっていた。だがこの観客席の裏側に回った壁一枚を挟んだ場所は、今日も静かなものだ。

 しかし――こうして話していると、この男の底の知れなさに時折ふとした不安を覚える。リンクスに見せる表情と、俺に見せる表情、そしてそれ以外の他者に見せる表情は、どれも似ているようでありながらどれも違う。“得体が知れない”初めて会った日からその印象は変わらない。

 考えてみれば、そんな胡散臭い人物と交流を持つ気になったのは、ここにいない友人のせいだったか――。


◆◆◆


「アナタ剣を振るのが上手ね~。だけどそんな綺麗な教本通りの振り方じゃあ、誰にも勝てやしないわよ?」

 カイン・アップルトンから天恵祭での対戦を申し込まれた数日後、一人で鍛錬中だった俺の目の前に突然現れた男は、出会い頭に無礼な発言を投げかけてきた。

「それにしてもアナタ嫌われ者なのねぇ。通常の鍛錬ならいざ知らず、天恵祭前の鍛錬で独りぼっちだなんて」

 その異国情緒のある風貌と変わった口調には聞き覚えがある。確か一学年上の隣国からの留学生で、珍しい時期の編入だった為にその見た目と相まって、一時下級生の間でも話題になった。

 しかし噂では誰にでも人当たりの良い人物だと聞いていたのだが、実際はそうでもないらしいな……。だが自分でも似たようなことをして相手を怒らせることのままある俺は、そんな相手に一瞥をくれて再び無言で型をなぞることに集中する。

 先日も放課後に図書館に向かおうとする途中でアリシア・ティンバースに捕まり、共にカイン・アップルトンの鍛錬を見に行った時も、余計な一言でこの面倒な事態を招いてしまったのだ。

 そもそもあの提案に乗らずに図書館に向かっていれば、こんな面倒事は起こらなかった。しかし、最近あの場所に姿を現さない人物を待つともなしにぼんやり過ごすのも飽きていたのだ。

 だから気分転換がてらこうして、久々に鍛錬場に顔を出したのだが――……その結果またもこうして面倒な人物に絡まれ、心得はあるが足のせいで得意ではなくなってしまった剣術の鍛錬をする羽目になった。これでは剣術の鍛錬も“敬遠”から“嫌悪”になりそうだな。

 痛めた方の足の踏ん張りをなるべく減らし、無駄を削ぐことに意識を集中させる。本来の型通りに動くなら、一歩を大きく踏み出す方がリーチの点でも、威力の点でも必要になってくるが、俺の足ではあまり長い時間試合をしていたのでは保たない。

 打ち合うことなども出来るだけ避けなければ、踏ん張りの利かない足から崩れる。そんな無様な負け方を……彼女の前ではしたくない。

 勝てればそれに越したことはないが、ひとまずは負けないことだ。欲張らず、焦らず、一定の場所を自分の領地と定めて型をなぞる。

 ――――しかし。

「……ルシア・リンクス、知ってるわよね?」

 近頃すっかり呼び慣れた名前を耳にした俺は、無意識のうちに顔を上げて男を視界に入れていた。知っているも何もそれはこちらの台詞だ。何故学年の異なるこの男がリンクスを知っている――?

「……リンクスの知り合いなのか?」

 模擬剣を振るう手を止めて訝しみながらもそう訊ねれば、相手は底意地悪そうにニヤリと笑って頷いた。

「あら、ようやくこっち向いたわね。えぇ、そうよ? アンタ、あの子の髪型にケチ付けたんですってね? あれでも一応女の子なのに。すっかり落ち込んじゃって可哀想だったわね~」

 急にそう言い当てられたことにも、やはりあの夜の発言をおかしな風に受け取られていたことにも焦ったが、これで確実にリンクスとこの男が知己であることは分かった。

「因みにアンタがケチ付けたあの子の髪型はアタシが整えてあげてたの。結構自信作だったのに失礼しちゃうわね~」

「あれは別に、ケチを付けた訳では――……それよりも、あの髪型にしていたのは貴男だったのか」

「髪型が変わったのに気付いたのに、異性から何の感想もなかったら、褒められ慣れていない子なら“似合わない”って言われたんだと思っても仕方ないんじゃないかしら? しかもその話題を誤魔化すにしたって“それよりも”は頂けないわよ」

 男女間で髪を触らせる仲というのがどういう仲なのかは理解し難いものの、会話の内容からは確かにと頷ける点がいくつもあった。今夜にでも顔を合わせたら謝ろうと心に決め、それが分かればもう充分だと男を追い払いにかかることにする。

「リンクスの件については次に会った時にでも謝っておこう。用件はそれだけか? それだけならばお引き取り願いたい。見ての通りこちらは取り込み中だ」

 すると相手は垂れ気味の目をほんの少し細めて「あの子ったら、また何でこんな気難しいのに――」などとブツブツ言っていたが、やがて何かを切り換えたのか、再び掴み所のない笑みを口許に浮かべ、こう言った。

「ホントはあの子には内緒にしてって言われてたんだけど……。内緒にしてたら人の言うこと何てこれっぽっちも聞かなさそうだから言うわよ? アタシは二年のラシード・ガラハット。アンタの鍛錬に付き合うようにあの子から頼まれてここに来てやったんだから、アンタはつべこべ言わないで頷けば良いのよ」

 一方的にそう名乗った男はツカツカと近付いて来ると、有無を言わさず長身に見合った大きな手で空いている方の俺の手を握り「はい、これでもうアンタとアタシは共通の友人を持った者同士。つまり“友人其の二”ね」と大きく上下に振った。


◆◆◆


「ねぇ、ちょっと。聞いてるの?」

 いつの間にかいきなり間近に迫っていた、泣きぼくろのある異国風の顔立ちに驚いて思わず後ろにたたらを踏む。

「なによ大袈裟なんだから。ただでさえ天恵祭まで日がないのよ? ぼさっとしてたら鍛錬の時間が勿体ないんだから。さっさと準備なさいな」

「あ、ああ、すまん。少しお前と会った日のことを思い出していただけだ」

 咄嗟のことだったのでつい素直に答えた俺に向かってラシードは「天恵祭前に弱気になって熱でも出したの?」と曰った。無論そんなことはないので頭を振って否定を示す。

 あの日以来、この穴だらけの策を立てたリンクスだけが“偶然居合わせた学年の違う友人が、クラスメイトの友人に絡んで一緒に鍛錬をする仲になった”と未だに思い込んでいるのだ。先に騙そうとしたのはあちらだが、ここまで気付かずにいられるものかと多少哀れになる。

「ま、馬鹿な子ほどってところね」

 まるで俺の内心を読んだように肩をすくめるラシードに、頷き返そうか悩む。

 最近では当のリンクスよりも、ラシードと過ごす時間の方が多くなってきた気がする。ひとまず、天恵祭が終わったらあいつの勉強を見てやろうとは思っている。このままだと一般入試者ではないから“星詠み特待生制度”から外れて進級が危うそうだ。

 そもそも引き合わせておきながら、引き合わせた本人が補習で数時間遅れて到着するものなので、自然と互いの共通の話題となると、ここにいない人物の話になる。お陰でこの短期間にラシード・ガラハットという、同性の中では珍しく俺の言動に腹を立てない“友人”を得られた。そこに感謝しないではないのだが――。

「ん……ああ、来たみたいよ。呼ぶより謗れとはよく言ったものよねぇ」

 俺の背後に向かって手を振るラシードにつられて後ろを振り向けば、肩を落としてフラフラと近付いてくる人影が見える。

「今日はまだ早い方だな」

「そうね、あの子にしたら上出来だわ」

 当の本人が聞いたら怒るかもしれないが、それが俺達の共通見解だ。二人分の視線に気付いたのか、不意に頭を上げた人物が、差し入れの入った紙袋を掲げてこちらに手を振り返す。

 普段は食べなくても空腹を感じることのない腹が、その姿を見た途端、ほんの小さく“グウ”と鳴った。
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