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◆一年生◆

*9* 夏休み前と言えばこの苦行だったね。

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「おい、寝るな」

 そう低い声が降ってきたかと思えば、ついでに旋毛にノートの角が降ってきた。確かに実際ウトウトしていた自覚はあるけれど、そのあまりにも唐突で無慈悲な一撃を食らった私は、声もなく机に突っ伏した。

「夏休み前のテストまであと一週間という時に、夏休み明けまで図書館を出入り禁止になった馬鹿の勉強に付き合っているんだ。君が寝る気なら俺は帰るぞ」

「は、スティルマン先生、仰る通りでは御座いますが……、せめてもう少しだけ優しく起こして頂けると嬉しいです」

「そうは言うがな、テストまであと三日しかないのに勉強を教えろと言ってきたのは君だろう。飲み込みが悪い生徒相手に、多少手荒になるのは覚悟してくれないと教えようがない」

 呆れたように眇められたダークブラウンの鋭い目と、歳の割に妙に落ち着いた物言いが彼を彼たらしめている。何より悲しいかな、彼の言い分は全くもって正しいので、これ以上言葉を重ねて推しメンの機嫌を損なうのは得策ではない。

 ――今日は“七月十七日”。

 テスト期間は“七月二十日”から一週間ある。

 前回私がうっかり起こしてしまった“七月十一日の図書館イベント”のせいで、テストまで一週間しかないというのに集中して勉強出来る場所を失ってしまったのだ。何をモブの分際で生意気にイベント起こしてるんだ私は。

 けれど自己弁護の為に言わせてもらうとするなら、私も遊んでいた訳ではない。

 というのも、この一週間はあんなことがあった後だったから、何となく気まずくて推しメンに自分から声をかけたりはせず、ひたすらアリシアが他の攻略対象キャラクターとイベントを発生させないように条件を潰して回っていた。自分で言うのもなんだけれどかなり悪魔的だと思う。

 そしてその仕事に熱中するあまり、ロード機能もないのにテスト期間までの時間を計算せずに今日までやってきてしまったのだ。結果、ハタと気付いた時にはもう勉強する時間がなかった。

 その現実に直面した私は、あんなみっともないところを見せた後だというのに、背に腹は代えられないとスティルマン君に勉強を見てほしいと駄目もとで泣きついたのだ。

 ちなみにそうまでして潰した一連のイベントはこの通り。

◆◆◆

 “七月十二日”赤色アーロンルート【仕方ねぇな。オレがやってやるよ】

 これはアリシアが木に登って降りられなくなった子猫を助けようとする実に王道なヒロインちゃんイベントで、木の下で何とか登ろうとしているところを、通りかかった赤色アーロンが見かねて助けてくれる。スチルは子猫をアリシアに差し出す赤色アーロンだ。


 次に“七月十三日”これまた赤色アーロンルート【こんなとこで何してるんだ?】

 まぁ、うん……この乙女ゲームを制作したチームはベタな作品が好きなんだろうね。昨日子猫を助けてくれたお礼にと、剣の稽古をしている赤色アーロンに蜂蜜レモンの差し入れをするというイベントだ。もらえるスチルは、凄く良い笑顔で蜂蜜レモンを頬張る赤色アーロンの上半身裸絵。いらない。


 そして“七月十五日”水色カインルート【ねぇ、これ知ってる?】

 同学年の弟キャラで甘い物と可愛い物が好きな水色カインが、新発売のお菓子をアリシアに“アーン”とさせて食べさせるという……知ってる、こういうの好きな人好きだよね。え、私? 自分で食べられるから結構ですが?


 続いて“七月十五日”水色カインルート【今から行かない?】

 まさかの“アーン”させたその日に誘うとは……この弟キャラは意外と肉食系なのではないだろうか。もしも“良いよ!”を選択した場合、このイベントでもらえるスチルは抱えきれないお菓子を買ってはしゃぐ水色カインを窘めるヒロインちゃんのツーショット。

 水色カインは確かどこかの大きい商家のお坊ちゃんだから、お菓子ごときに無駄遣いが出来るんだよね。せめて肥ればいいのに。

 あとね、水色カイン赤色アーロンの両者とヒロインちゃんに言いたい。お前らテストまで数日もないのに勉強しろよ? 制作者サイドもここへきて急にイベント放出するな。夏休み前の布石が雑だよ。

◆◆◆

 ――と、これら全てをテスト勉強を片手間に、連日イベント阻止の為に走り回った私が言えた義理ではないけれどな? そもそもこの一連のイベント祭りを思い出せたのも、木の上で子猫が鳴いてくれたから。お礼に助けてあげたところ、教師に見つかって物凄ーく怒られた。

 でもそうでもしないと今あげたイベントは実際に起こり、ヒロインちゃんの好感度メーターはどちらかの攻略対象キャラに傾いていたかもしれない。考えただけで恐ろしいな。

 しかし、それら全てのイベントをぶち壊す悪魔のような私も、この世界にいるからには人の子なので……私の我儘をきいて王都の学園に送り出してくれた両親には、それなりに良いところを見せたいのだ。

 というか王都に出て来る前の晩、まだ私の学園入学に反対したそうだった父様相手に『王都の学園を卒業しただなんて、こんな田舎だとお見合いの時に最高の釣書になるでしょう?』と言ってしまったからな。

 我ながら“後のことを考えずに余計なことを言ったな~”と今なら思うんだけど、あの時は何としても早く王都に出てきたかったのだ。目の前で難しい表情をしながら、飲み込みの悪い生徒相手にどう教えたものかと悩んでいる推しメンに、一刻も早く会いたくて。

 取り敢えず目下の目標に“三年で卒業”がかかっているからね?

 しかし“いくら何でも図々しい”と断られると思っていたのに、まさかまさか、スティルマン君は奇跡的に引き受けてくれた。自分のテスト勉強もあるだろうに……本当に良い奴だよ。

 まぁ、そんなこんなで――……現在私達は誰もいなくなった放課後の教室で、一台の机を挟んで向かい合って勉強している。

 自習室に行けば良いとは思うのだけれど、あそこは他のクラスの生徒達も使用するから、私とスティルマン君が仲良くお勉強をしているところなんて見られたら、どんな尾ひれの付いた噂が流されるか分かったものではない。

 それにテスト期間は全学年同じなので、自習室には二年生もいる。二年生と言えば、スティルマン君と全く気の合わない赤色アーロンもいるかもしれない。あの男は一番多くスティルマン君を血みどろスチルに放り込んでくれた野郎だから、出来るだけ同じ空間に居合わせたくないのだ。

 それとは別になるが、幸いなことに攻略対象キャラクターの内、ヨシュア・キャデラックの【子猫ちゃんにならない?】イベントは期間中に遭遇しなかったから無事消失した。今のヨシュアはアリシア争奪戦から弾き出された、いわば攻略されることのないその他大勢の生徒に過ぎない。

 ヨシュア・キャデラックには可哀想だが、これからは普通に学園生活を楽しんで、普通じゃない自分にお似合いの彼女を見つけて欲しいものだと思う。チャラ男の彼ならどんな問題行動のある女の子でも、自分の日頃の行いと比較すれば丸っと許せて尚かつ、お相手もそれを許してくれる子だろうな。

 ……話が逸れた。今はテストのことに集中しないと。

 以上のことから、責任感の強い完璧主義者なスティルマン君が、多少手荒に勉強を教えてくれるのは仕方がないことなのだ。田舎の神童が毎日予習復習した程度では、都会の勉強に追い付くのがようやくだしね。

 それにいくら私とて、タダで勉強を教えてもらおうなどと都合の良すぎることは考えていない。さぁ推しメンよ、私が情けないばかりの人間ではないことをご覧に入れましょう。

「あの……リンクスさんから勉強会をすると聞いたのだけれど、お邪魔させて頂いてもよろしいかしら?」

 おっと、待ち人がやっと来たか――。

 教室の入口からおずおずと中を覗き込んだアリシアが、私を見つけてその麗しい顔をパッと輝かせた。いやいや、私は良いんだよ。ヒロインちゃんが見なくちゃいけないのは……こっちを凄い睨んでくる彼だから。

 何でそんなに睨むんだスティルマン君。好きな子とお勉強会ってイベント的に美味しいでしょう? 乙女ゲームだとお約束だぞ?

「いらっしゃい、ティンバースさん。いやぁ、星座を教えてくれる先生がスティルマン君一人だと不安だったんだ~。主に私の旋毛が」

 サラッとさっきの暴力行為をバラすと「どうやらお上品過ぎたか……」と不穏な発言をするスティルマン君。慌てて旋毛を押さえて距離を取れば、推しメンはクッと口角を上げただけの笑みをこちらに向ける。

 お……前、それは反則だろう……。せっかく憶えた星座の何割か、今ので圧縮されて読み取れなくなっちゃった気がするじゃないか。てっきりまた旋毛にノートの角が落ちてくると思って、少しだけ椅子を下げてまで避難した私が馬鹿みたいだ。

 するとまだ入口に立っていたアリシアが、口許に手を当ててクスクスと可愛らしく笑っている。よしよし、良い感じだと思っていたら――。

「君もそんなところにいつまでもいないで、勉強会に参加するつもりなら早く席に座ったらどうだ?」

 アリシアがいる緊張感からか、私といた時の気安い感じがすっかり失せて表情を堅くしてしまった推しメンの愛想の欠片もない一言に、今度はアリシアが身を堅くする。元々スティルマン君は顔の彫りがやや深い顔立ちだからか、眉間に力が入ると厳しさが増すんだよ。

 要するに海外映画でよく見る、悪役銀行家みたいな顔。意地の悪いインテリジェント。私は嫌いじゃないよ、気難しそうな眉間の皺。ただあんまり一般のお嬢さんには受け入れてもらえないと思う。

 特に好きな子の前でその顔はいけない。なので……。

「わぁ、スティルマン君てば感じ悪~い。私はティンバースさんがなかなかこっちに来られないのも分かるよ。他のクラスって何となくだけど、放課後に入り辛いよねぇ?」

 こんな時のために、頭のネジを数本飛ばした喋り方を毎夜研究している私を、誰か褒めてくれても良いんじゃないかな? 

 私の渾身の腹芸の前にスティルマン君は「な、そんなつもりはなかったんだが……」とバツ悪そうな顔をして、アリシアはその言葉に「そ、そうなの。何だかちょっと緊張してしまって」と返す。言葉にすることで誤解が解けたせいか、その表情は柔らかい。

 ほら、テスト勉強の合間に良く憶えておいてね推しメン。女の子はこういう風に笑わせるんだぞ? 声には出さないでチラっと横目でスティルマン君の方を見れば、こちらもホッとしたように微笑んでいる。

 視線を合わせて微笑みあう両者のスチルを目の前に、ほんの少しだけ何とも言えない気持ちになるけれど、そこには目を瞑って。

 二つだけ向かい合わせに並んでいた椅子に、新たに一つ。

「先生役はそっちに二人並んでおいてくれた方が質問しやすいな~」

 その一言で強引に推しメンの隣に並べた椅子に彼女を座らせて、慣れない距離感に椅子の上で困ったように笑い合う二人を一枚のスチルに収める。

 そんな初々しい二人を見ながらふと、何かイベントを一つ飛ばしている気がしたけれど、今すぐに思い出せないから良いや。

 これでヒロインちゃんの好感度メーターの一番は間違いなく推しメンに違いない。私の学園での仕事は今日も順調である。

 ちなみに――夜眠る前に気付いたけれど“七月十七日”の今日、放課後のお勉強会イベントを発生させるのは水色カインだったみたい。ん、ゴメンな!
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