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◆第十章◆

*13* 一人と一匹、春は挑戦の季節。

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 怪しい魔力回復酒を飲用し始めてから一週間。

 今のところ寝落ちせず一度に飲める量はワイングラス二杯半。飲んだ後は少しふわふわして忠太に絡んでしまうが、二日酔いもなく体調は上々だ。

 今日は春休みが終わるレティーの見送りに来ていた。前世でも今世でも春の馬車停留所やバス停は、新生活に胸を踊らせる人達で毎日盛況だ。晴天ともなればなおさらである。

 周囲は嫁いでいく娘や、徒弟に出る息子、腕試しに都会を目指す中堅職人など、様々な事情を持つ人達の家族や仲間達でごった返していた。去年までもこの時期にマルカの町にやって来る馬車はそれなりにあったが、今年はさらに多い。それだけこの町が発展しているということだろう。

「はい、マリ。エドの店の人気商品〝母と娘の思い出クッキー〟あげる!」

「ありがとレティー。これが春休み最後のクッキーか。大事に食べるよ」

 生産者の主に父親の主張が激しすぎる商品名に苦笑しつつ受け取る。でもレティーの作るこのクッキーはあのお洒落なクッキーよりも素朴で、日々のお茶請けにするならこっちの方が良い。

 割と同じ支持層の客も多いからか、レティーがこっちにいる間は店頭に並んだこのクッキーは、連日売り切れだった。特に爺さん婆さんの支持が熱い。孫のような存在のレティーが作るクッキーは、生活の中のささやかな癒やしに一役買っているんだろう。

「じゃあ私からは代わりにこれをやろう」

「わぁ、イチゴ大福とジャムだぁ。ありがとう! でもマリがくれたこの鞄、頑丈だからいっぱいものが入ってるのに、さらにジャム!」

【そこは あいじょうの おもさだと おもてもろて】

「そうそう。大体ほとんどはエドが持たせたやつで私は無実だろ。あ、イチゴ大福は保たないから馬車の中で食べろよ。んで、エドはいつまでもメソメソしてるなって。一回送り出したことがあるくせに何で落ち込むんだ」

【おとこおや いがいと せんさい】

 二度目の旅立ちにはしゃぐ娘とは裏腹に、一度目とほぼ同じくらいに落ち込んでいる背中を呆れて眺める。個人的にまだ暑いとは言えないこの季節に、もうタンクトップを着れるおっさんが繊細とはあんまり思えないんだが。

 金太郎が〝そっちに向けようか?〟的な、エドを持ち上げるジェスチャーをしてくる。しかし見送りの場に力業はそぐわないので、気持ちだけもらっておくとジェスチャーを返した。

「もー、勉強してたらすぐ夏休みになるわ。帰って来たらまたお母さんのクッキーを焼いてあげる。いくら美味しいクッキー屋さんを見つけたって、わたしにとっての一番のレシピは、お母さんが残してくれたやつだもん」

「私も今そう思ってたとこ。毎日のお茶請けにするなら、レティーが焼いてくれるクッキーの方が好きだ。でも専門店のは自分へのご褒美とか、人への贈答品にちょうど良い。あんなのもらったらかなり嬉しいし、住み分け大事だぞ」

「えへへ、うちのお客さんもそう言ってくれるの。だから春休み中は出来るだけ焼いたし、売れ行きも結構良い勝負だったって思ってる……なんちゃって」

 そう言ってにへっと笑うレティーの頭を無言で撫で回していたら、その言葉でようやく復活したエドが、今生の別れかってほど涙でべショベショの顔を乱暴に拭いながらこちらに向き直った。 
 
 うわぁ……髭、絞れそうだな。金太郎が髭を伝って落ちてくる涙と鼻水の雫からシュバッと飛び退った。そりゃこれが身体に染み込んだら嫌だよな。

「あ、当たり前だろうが。お前のクッキーは母さんの味だぞ。そんじょそこらのクッキーに負けるわけがねぇ! だから自身持って行って来いレティー!」

「エド、大袈裟すぎるだろ。毎回レティーが帰って来るたびにこの調子だと、そのうち脳の血管切れて死ぬぞ?」

「う、うるっせぇ、娘が心配じゃない男親なんているかよぉ!」

「……いるよ。世の中にはな」

「どこのどいつだ! そんな野郎はオレがぶっ飛ばしてやる!!」

 顔を真っ赤にしていきりたつエドを見て、前世の馬鹿親父を思い出す。殴られたら即死するんじゃなかろうか。一瞬浮かんだそんな想像にモヤッとしていた胸が空いた。一方で情緒が爆発したエドを、レティーの「暑苦しいから止めて。恥ずかしいでしょ」というクールな言葉が貫く。

「あ、もう馬車が出るみたい」

「おう、行って来い。腹立して寝て風邪引くなよ」

【はみがきして ねるように】

「て、手紙書くんだぞ。一通につき便箋二枚以上だ。それとエリンに迷惑かけないようにな」

「赤ちゃんじゃないんだから分かってるってば。あとお父さん、手紙はねだるものじゃないよ。それじゃあ、行ってきまーす!」

 レティーが元気良く手を振りながら馬車に乗り込むと、他の乗客達が微笑ましそうに席を空ける。それに対し恥ずかしそうに会釈をしたレティーが私達を恨めしそうに睨んだその時、馭者が鞭を鳴らして馬車が動き出した。

 瞬間、見送られる人達と、見送る側の人達が一斉に手を振る。青空に人の手が空に伸びて、まるでそういう花みたいだ。馬車が見えなくなるまでその場で手を振り、早すぎるレティー・ロスで目に見えて落ち込むエドを励まし店に送り届け、家に帰る。

 花盛りの庭を横切り、葡萄の葉に覆われたウッドデッキを抜けて、いざ安寧の自宅件工房のドアを開ければ、そこにはテーブルの上でルーズリーフに突っ伏す叡智の蛇と、つま先立ちでその顔を覗き込むゴーレムがいた。

「お、おかえりなさい……ご友人のお見送りは、出来ましたか?」

「ただいまサイラス。見送りは無事に出来たよ。お前こそ留守中にちょっとはアンソロジー用の原稿進んだか?」

「に……いえ、三頁くらい……」

【そこで みえはるの わら まぁ かけたぶんだけ さきに ごじかくにん しましょう】

「〆切まであと三日だしな。間に合わなかった場合はコピー本だっけ? あれにするにも一冊は完成させてくれないと〝スクロール〟で増やせないからさ。頑張れ頑張れ」

 軽く励ましの言葉を口にしながら電気ケトルに水を入れ、コンセントを蓄電バッテリーに繋ぎつつ、もらったばかりのクッキーを一枚齧ってお茶の用意をする。目指すはコルテス夫人主催で開かれる第四回同人即売会。魔装飾具師大会よりも一ヶ月くらい早いんだけども――。

【さぁさいらす でっどらいん こえていきましょう】

「うぐぅ……頑張ります」 
 
 一匹と一体のやり取りの横では金太郎が完全に間に合わないと踏んで、数日前にネットで取り寄せた、あの印刷所の特殊用紙カタログを吟味している。輪太郎は分からないながらも楽しそうに覗き込んでいた。

 そんな中で一人〝こういう沼みたいな趣味に命をかけるのは、人間だけじゃないんだなぁ〟などと他人事に構えながら、ケトルが沸くまでチビチビと真っ昼間から飲む果実酒は、実に美味い。
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