◆悪役霊嬢は深夜十二時、推しの上で愛を囁く◆

ナユタ

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*18* 私の国宝級の婚約者様。

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 初めて綺麗なものに触れた日。

 汚れた私が触れていい人ではないことも、潔癖で高潔な彼が私のような生き方をしてきた人間を受け入れることがないことも、分かっていた。

 でもどうしても手に入れたかった。
 生まれて初めて何かを欲した瞬間だった。
 だから今まで一度も逆らったことのなかった父を初めて脅した。

『“ねぇ、お父様? 彼と結婚させてくれなければ、閨でうっかり誰かの秘密を、その方と仲の悪い誰かに話してしまうかもしれませんわ”』

 十年もの間お人形・・・として生きてきた私の反逆は、権力者に擦り寄り、地位にしがみついてきた父の立場を危うくさせるに充分な力を持っていた。

 恥ずべき生き方を自ら人に話したりはしないだろうと、たかをくくってきたツケは大きい。閨の中で口の軽くなる男達の自慢話には、私でも分かるくらいに危険な話も多かった。少し感心してみせればコロッと騙されて話す男達の秘密を、私はこの身に溜め込んできたのだから。

 浪費する生活に慣れてしまったせいで、私という莫大な金を生む収入源を殺すことは出来ない。勿論傷をつけて価値を下げることも。

 それを逆手にとって――、

『“婚約を取り付けてさえくれれば、収入源として働き続けてもいいわ。どうせ彼は私に指一本触れることはないだろうから”』

 ――と持ちかけたのだ。

 たった一瞬の時間でも婚約者の肩書きを持って、彼の隣で生きたかった。きっと彼が触れてくれたらこの身体を少し位は好きになれるけれど、そんな大それた望みは抱かない。

 けれど小心者の父は私が正義感の塊のような彼に、いつか口を滑らせてしまうことを恐れたのだろう。突き落とされた日から数日経って思い出したのだ。

 顔は見えなかったけれど、混濁する意識の中で『“あの女と同じ娼婦の分際で、わたしを脅すからだ”』と聞いたのを。

 やっぱり血は争えないのだ。
 性根の腐った父に、同じくらい性根の腐った娼婦の母。
 そんな二人の間に産まれたのだから、私も同じく性根が腐っていた。

 それが、あの夜の真相。
 そんな、誰も知らなくてもいい喜劇。

***

 二十二日目の深夜十二時。

 私、悪役霊嬢。
 今、推しの部屋の前にいるの。

 ――って、昨夜の今夜でどんな顔して逢えばいいの? 流石にあの幸せな記憶が自分の捏造だったりしたら本気で泣けるんですけど……というか、死ぬ。今夜死ぬ。

 何てことを思いながら、かれこれ一時間前から漂っていたりするのだが……この屋敷内に私の姿が見える人間がいなくて本当に良かった。

 昨夜の見込みのある協力者とはすでに昼間会って今後の算段を取り決めたあとなので、上手くいけばあと九日後には私はこの世からいなくなれる・・・・・・。従ってそれまでの残り日数を一日たりとも無駄には出来ない。

 あの廊下を直角に曲がって、唇の手入れを未だに素直に続け、婚約者が死ぬまでは婚約を破棄しないと言った、あの堅物な彼に愛を囁いてもらえる本当の本当に最後の機会なのだ。

『行け、行くのよアメリア。お前は行かねばならない……そう……逝くわ!』

 独り言で気合い一発、ソイヤッと彼の真上に現れるよう念じた私の真下。いつもなら必ず眠っているはずの彼は、けれど――。

「ああ、良かった。来てくれたのか」

 そう言って透けた私を見上げたまま、ベッドの上に座っていた。一瞬空中で凍りついた私に向かい、彼は困ったような不器用な笑みを浮かべる。

「昨夜は怖がらせてしまったから、今夜はもう来ないかと思っていた」

『そん……そんなわけ、な、ない、でしょう』

「なら、降りて来てくれないか。頼む」

 大好きな彼の静かで深みのある声でお願いされたら降りないわけがない。昨夜以前なら“じゃあ膝の上にでもお邪魔しようかしら?”なんて軽口も叩けたけど、今は絶対に無理だわ!

 大人しく無言で彼の斜め向かいに降りると、彼はわざわざ私と正面に向かい合う角度で座り直した。え、ちょ……空気読んで。今まで散々跨がったりしてきたけど、こういうのは恥ずかしいのよ!

 内心ジタバタとベッドの上を転げ回りたい気持ちで一杯なのに、彼に見つめられているという事実だけで瞬き一つ出来ない。

「アメリア」

『ひゃい』

 最悪。噛んだ。
 せっかく真正面から呼んでくれたのに、噛んだ。死にたい。

「……ふ、」

 ――ん?

「ふふ、ふふふ……」

 ――え?

「名前を呼んだだけで……そんな顔をするのか、君は」

 そんな顔ってどんな顔? 涎とか鼻血でも出ているのかと慌てて口許と鼻を拭ったけど……待って待って待って、彼の方も礼儀正しく口許を隠してしまっているけれど、これってもしかしてもしかしなくても――。

『笑ったの?』

「いや、これは馬鹿にしたわけでは――、」

『貴男笑ったわ。ねぇ、今のって私に向けて笑ったのよね?』

「あ、ああ……だが君の気分を害するつもりでは――、」

 今まで社交場で会った時に時間が許す限り観察していても、声を出して笑ったところを見たことなんてなかった。笑うと眉根が下がるのね。眉間の皺もなくなるし、何だか年相応の若さに見えるわ。

 いや、そもそも霊体になってから見られるようになった微笑ですら貴重だったのに、そんな彼の声を立てて笑う場面……国宝級すぎるのでは? 真正面万歳。思わず少しにじり寄ってしまった。

『いいの、そんなことは分かってるから。貴男がそんな人だなんて思ったこともないわ。だから気にせず笑って頂戴』

「……そうか、そういうことならお言葉に甘えよう。やはり俺は君が愛しいと思う」

『あ、あら、ふーん……そう? やっと私の魅力に気付いちゃったってところかしら。堅物チェリーにも魅力が通じちゃう私ったら凄いわね』

「どうやらそうらしい」

 あっ、これ駄目なやつだわ。これ以上余計なことを言ったら予定よりも寿命が縮む。下手に軽口を叩いたら、加速をかけて打ち返されてしまう。まだ消滅したくないからここは大人しくしていよう。

「ただこの状況になってから君への評価を改めたことは、恥ずべきことだ。それに昨夜俺は君に酷なことを聞いた。突き落とされた時のことを思い出せなど……配慮に欠けた発言だった」

 “いえいえ、大丈夫よ。問題はそこじゃないですから”と、表情だけで伝えてみる。問題はちゃんと引き締まって見えているかが心配だけど……。私の推しが相変わらずのたうち回りたくなるほど生真面目で素敵すぎるのがいけないのよ。

「君の本体のことを考えると、時間がなくて焦りが出た。事件の真相はこちらで何とかする。だからアメリア、約束して欲しいことがある」

 もう何を言っても“尊い”と変換してしまいそうなせいで、頷いて応じることしか出来ない我が身がもどかしい。

「事件の真実を突き止めて俺が迎えに行くまで、一分、一秒でも長く生きて待っていてくれ」

 最高の殺し文句に思わずえづいてベッドに踞った格好のつかない女のことを、どうか貴男は見なかったことにして。
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