15 / 25
*14* 夢の狭間で囁かせて。
しおりを挟む十七日目の深夜十二時。
今夜は趣向を変えて添い寝をしてみる。肉体がないから同じ寝具に潜り込んで甘い時間を過ごした朝っぽさの演出はできないけれど、気分だけでも味わってみたいのよ。結論から言えばこれ以上ないくらい虚しいけど最高の気分。
同衾気分を味わうだけでもこんなに幸せなら、実際にこうなることがあったらその場で即死してたわね。清い身体とは程遠いけど初夜翌日のお葬式か……。たぶん至上最速での“死が二人を別つまで”。
悪くないわね。むしろ後腐れがなくて良い。え、私ってば天才すぎない?
毎回のことではあるのだけれど、難しい寝顔の彼を前に尊い以外の言葉は不要だと思うのよ。いままで散々貢がれてきた宝石の総額より上。圧倒的勝利……!!
昨夜は思わずブチキレかけたけど、その後に甘い言葉をもらって一夜明けたいま、傷のある推しの寝顔はこのまま蝋人形に仕立てたいくらい素敵。
……もう元の険しい顔立ちから滲み出る悪い男感が堪らないのよ悪い男と悪い女ならどこからどう見ても問題ないんじゃないのかしらあらそれだったら肉体があるうちにちょっぴりくらい傷を付けて私の所有物の証にしてしまえば良か――……。
――ないわね。うん、ないないない。それはただの頭のヤバい女の傷害事件よ。こういう深夜の気分って怖いわ。悪霊に思考が傾いても誰も止めてくれる相手がいないんだもの。私ったらうっかり正気をなくしかけて困ったさんね。
『早く起きないと襲っちゃうわよー、なんて……って……んん?』
浮かれた気分のままどさくさに紛れて額に口付けようとしたところで、不意に彼の異変に気付いた。
形の良い額にうっすらと細かい汗が浮き、蜂蜜を塗っているはずの唇も荒れて皮のささくれが目立つ。よくよく見れば若干肩で息をしているようにも見えるし、固く閉ざされた目蓋の下では、私がこの姿になってから目立ち始めた隈が一層存在感を増していた。
実体がないから掌で熱をはかることはできないけれど、気難しそうに寄せられた眉が寝苦しさによるものだとしたら――。
『ね、ねぇ、ちょっとアラン、大丈夫? 貴男熱があるのではなくて?』
揺さぶって起こすことが叶わないので、彼にしか届かない声をいつもより心持ち大きくかければ、微かに目蓋が持ち上がって。焦点のあやふやな瞳でこちらを見ると、無言のままゆるゆると首を横に振った。
――いやいや、無理があるでしょう。どう見ても苦しそうじゃない。
目蓋を持ち上げるまで分からなかったけど、熱で潤んだ瞳って通常の倍くらい色気が増すのって何なの? 魅了なんてしなくても、こっちはすでに魂ごと首ったけよ。この世の誰より貴男にズブッズブにはまりこんでいるから安心して。
『あ、分かった。私みたいな女の前で弱味を見せたくないのね? だったら今夜はもう帰るから、無理をせずに今すぐ誰か呼んだ方がいいわ』
一番あり得そうな理由に思い当たってそう告げれば、何と……彼が追い縋るように腕を伸ばしてくるではありませんか。え、待ってこれってあれよね、本で読んで存知上げておりますことよ。
確か熱で寝込んだヒーローが不安になって、ヒロインに甘えちゃう的なやつよね? えー……待って素敵、待って可愛い、待って尊い、待って待って待って、何これぇ……本当にこんなご褒美って実在するの? 縋る相手が私で良いの?
『も、もう……ぐずったりして困った坊やね。でも駄目よ。本当に辛そうだもの貴男。それに今夜はまだ金縛りをかけていないから、動けているでしょう? 声が出ないなら何か落としてみれば誰か来てくれるわ』
何より私も辛い。本体の心拍数と顔面が心配だわ。涙やら鼻血やら涎やらで大変なことになっていそうだもの。それなのに――。
「行かないで、くれ」
『…………っ!』
刺さった。
掠れた声での懇願が性癖的なものに。
グサッッッと。
きっと熱が口走らせる生存本能の譫言だと分かっているのに食い込んだわ。この世の中に愛して止まない相手にそんな風に言われて、断れる人間なんていないのよ。私の心が特別欲望に忠実なわけでは断じてない。
『……貴男が眠るまでなら良いわ。甘えん坊さん』
そう強がるのが精一杯の私に彼が頷いて再び腕を伸ばしてくる。触れられないと分かっているのに、その手が私の手を掴むように重ねられた。半透明な私の手を彼の手が貫く。
その光景がおかしくて、悲しくて、嬉しくて……何だかとても愛おしかった。二人で無言のまま向かい合うベッドの上。このシーツに残る温もりは、貴男のものだけなのね。
うつらうつらとし始めた彼の表情に魅入りながら、ふと本で読んだお約束の設定の続きを思い出した。あれが本当だとしたら、試さない手はないだろう。
『ねぇ、知っている? こういうときに聞いた言葉も、口走った言葉も、翌朝になれば忘れてしまっているのですって』
そんな私の言葉に頷いたのか、単に睡魔に頬を撫でられたのか分からないけど、彼の頭がこくりと頷いたように見えたから。
『愛してるわ』
女の愛の言葉は純金だと、いつか相手をしたお客が面白がって言ったことがあった。あれが本当なのだとしたら、娼婦の愛の言葉なんて、安物の鍍金のような価値しかないけれど。
『愛してる』
たとえ地金が毒にしかならない鉛でも、鍍金の剥がれないうちは金色なのよ。私の一世一代の告白に彼の目蓋は閉じたまま。苦しそうだった呼吸もいつの間にか安定しているようだった。
『……おやすみなさい、アラン。元気になったらまた来るわ』
朝になったら忘れてね。
世界で一番愛おしい、私のものに、ならない貴男。
0
お気に入りに追加
53
あなたにおすすめの小説

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

【完結】悪役令嬢の反撃の日々
くも
恋愛
「ロゼリア、お茶会の準備はできていますか?」侍女のクラリスが部屋に入ってくる。
「ええ、ありがとう。今日も大勢の方々がいらっしゃるわね。」ロゼリアは微笑みながら答える。その微笑みは氷のように冷たく見えたが、心の中では別の計画を巡らせていた。
お茶会の席で、ロゼリアはいつものように優雅に振る舞い、貴族たちの陰口に耳を傾けた。その時、一人の男性が現れた。彼は王国の第一王子であり、ロゼリアの婚約者でもあるレオンハルトだった。
「ロゼリア、君の美しさは今日も輝いているね。」レオンハルトは優雅に頭を下げる。

あなたの妻にはなりません
風見ゆうみ
恋愛
幼い頃から大好きだった婚約者のレイズ。
彼が伯爵位を継いだと同時に、わたしと彼は結婚した。
幸せな日々が始まるのだと思っていたのに、夫は仕事で戦場近くの街に行くことになった。
彼が旅立った数日後、わたしの元に届いたのは夫の訃報だった。
悲しみに暮れているわたしに近づいてきたのは、夫の親友のディール様。
彼は夫から自分の身に何かあった時にはわたしのことを頼むと言われていたのだと言う。
あっという間に日にちが過ぎ、ディール様から求婚される。
悩みに悩んだ末に、ディール様と婚約したわたしに、友人と街に出た時にすれ違った男が言った。
「あの男と結婚するのはやめなさい。彼は君の夫の殺害を依頼した男だ」

【完結】彼の瞳に映るのは
たろ
恋愛
今夜も彼はわたしをエスコートして夜会へと参加する。
優しく見つめる彼の瞳にはわたしが映っているのに、何故かわたしの心は何も感じない。
そしてファーストダンスを踊ると彼はそっとわたしのそばからいなくなる。
わたしはまた一人で佇む。彼は守るべき存在の元へと行ってしまう。
★ 短編から長編へ変更しました。

最愛の婚約者に婚約破棄されたある侯爵令嬢はその想いを大切にするために自主的に修道院へ入ります。
ひよこ麺
恋愛
ある国で、あるひとりの侯爵令嬢ヨハンナが婚約破棄された。
ヨハンナは他の誰よりも婚約者のパーシヴァルを愛していた。だから彼女はその想いを抱えたまま修道院へ入ってしまうが、元婚約者を誑かした女は悲惨な末路を辿り、元婚約者も……
※この作品には残酷な表現とホラーっぽい遠回しなヤンデレが多分に含まれます。苦手な方はご注意ください。
また、一応転生者も出ます。

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。
ヒロイン不在だから悪役令嬢からお飾りの王妃になるのを決めたのに、誓いの場で登場とか聞いてないのですが!?
あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
ヒロインがいない。
もう一度言おう。ヒロインがいない!!
乙女ゲーム《夢見と夜明け前の乙女》のヒロインのキャロル・ガードナーがいないのだ。その結果、王太子ブルーノ・フロレンス・フォード・ゴルウィンとの婚約は継続され、今日私は彼の婚約者から妻になるはずが……。まさかの式の最中に突撃。
※ざまぁ展開あり

悪役令嬢カテリーナでございます。
くみたろう
恋愛
………………まあ、私、悪役令嬢だわ……
気付いたのはワインを頭からかけられた時だった。
どうやら私、ゲームの中の悪役令嬢に生まれ変わったらしい。
40歳未婚の喪女だった私は今や立派な公爵令嬢。ただ、痩せすぎて骨ばっている体がチャームポイントなだけ。
ぶつかるだけでアタックをかます強靭な骨の持ち主、それが私。
40歳喪女を舐めてくれては困りますよ? 私は没落などしませんからね。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる