◆悪役霊嬢は深夜十二時、推しの上で愛を囁く◆

ナユタ

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*1* 悪役令嬢、改め悪役霊嬢になりました。

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 神様なんてものの存在はこれまで信じたこともなかった。勿論、今も。

 夜会の途中で会場を抜け出して外の空気を吸ったあと、再び会場に戻ろうとしたところを階段の最上段から誰かに突き落とされてから、早いものでもう二日目。

 残念ながら最近巷で流行りの物語のように、事故にあって目を覚ましたら転生していたり、逆行して過去から失敗をやり直せたり、記憶喪失になって別人のようになったら、それまで仲が悪かった婚約者と愛を育めるようになったりはしていない。けれど――。

『うふふふふ、やっぱり良いわ~。この眉間の皺』

 この二日、深夜十二時になると私は金縛り中で不機嫌な想い人の上に腹這いになり、ほっそりとした指を眉間にあてがって悦に入る。その下ではこちらを面倒そうに見上げて「また君か……」と溜息をつく琥珀色の双眸。

 形の良い額からスッと通る鼻筋としっかりとした顎。ダークブラウンの固い短髪に、意思の強そうな太い眉の下には、これもまた意思の強そうなつり気味の奥二重。全体的に猛禽類を思わせる見た目はご令嬢達から恐れられていた。

『ええ、私よ。貴男が大嫌いな元・婚約者のアメリア・バートン子爵令嬢』

「まだ婚約者だ」

『現状ベッドの上で呼吸してるだけじゃない。もう死んだも同然よ』

「それはそうかもしれないが、君はまだ生きている。婚約関係は継続中だ。婚前の令嬢が男の上に腹這いになるなど……はしたない真似は止めろ」

『流石は頭のお堅いことで有名な武官様ね。生真面目で優しくて残酷。はしたないことを褒められたことはあっても、怒られたことなんて初めてよ。やっぱり貴男って面白い人ね』

 呆れた様子で睨み付けられたところで高鳴る心臓はここにはないけれど、嬉しくなった私は声を立てて笑う。どうせ彼にしか聞こえていないのだ。それならこの喜びを隠す必要もない。

 社交場のように扇で口許を覆わずに口を開けて笑える自由は、この姿になってから手に入った。まだ二日目だけれど私はこの状況に概ね満足している。

「……そう言う君の方はその姿になってから随分言動が砕けたな、社交界の黒真珠」

『貴男にまでそう呼ばれて光栄だわ。私がこうなる前は、興味どころか視線も合わせてくれなかったのに。婚約してからの期間よりも、昨夜からの方がずっと視線が合っているくらいだもの』

 とはいえ、それも私がよそ見をできないように金縛りをかけているからなのだけど。強制的な見つめ合い。潔癖な彼にとってそれがどれほど苦痛なのか分かっているものの、止めてあげるつもりはなかった。

 どうせすぐにこの夢も覚める。眠っている肉体が衰えてしまえば終わる一方的な逢瀬だから。けれど彼はこちらの言葉遊びに無言になってしまった。からかいすぎたのかもしれない。

 焦った私は内心を悟らせないように余裕ぶって彼の胸の上に肘をつき、あざとく小首を傾げて口を開く。

『あら、別に責めているわけじゃないのよ? 正直こうなる前の私って、最悪だったでしょう。今まで色んな男性とその場限りの遊びに浮き名を流して。恨まれてた自覚はあるもの。それが急に貴男にべったりで、挨拶を交わす女性にすら嫉妬して嫌味を言ったり』

「自覚があったのなら、どうしてあの様な振る舞いを続けたんだ」

『初めて好きになった相手が誰にでも公平で、私みたいな女を毛嫌いする気高い人だったからよ。単純に貴男の気を引きたかったの。自分から相手の気を引こうとしたことがなかったから、あんな風になったけれど』

 ああ、良かった。生真面目でお人好しな彼は、まだ大嫌いな私の会話に付き合ってくれるつもりのようだ。嬉しくてペタリと彼の広い胸の上に頬を預けると、思わずまた笑みが零れた。

 この人は他の男達のように私に欲情しない。当然だ。とんでもなく嫌われているのだから。

『うふふふふ、こんな風に話せるようになるなら、もっと早くこうなっていても良かったわね。人目を気にせず堂々とくっつきたい放題だし、流石の貴男も霊体だと振り払えないもの』

 彼の方から優しい言葉なんてかけてくれなくてもいい。こんな女がそれを望んでは欲張りすぎる。

『はぁ……幸せ。こんなに幸せなんだもの、心配しないでもきっとすぐに召されるわ。たぶん逝き先は地獄だけれど。今が幸せだからお釣りが出るわね』

 だから微睡むようにその胸の上に頬をすり寄せる。体温も心音も感じられない今だからこそ、振り払われる心配もせずこんなにも大胆に触れられる現状を享受しなければ。土の下は、きっと寒いものね。

「……君は何故そこまで俺のことを気に入っていたんだ。こんな面白味もない男を相手にしなくとも、君なら引く手あまただっただろう」

『子爵家の愛人の娘であるわたしを欲しがる奴なんてどうせ身体目当てよ。せいぜい大貴族様の愛人か、歳の離れたお爺様の後妻ね。ろくなもんじゃないわ。貴男みたいな綺麗な手に触れられたかったのよ』

「それでいくと俺はただの傾きかけの男爵家令息だが」

 思わず咄嗟に“そんなことはないわ”と言いかけて、口をつぐむ。あの日の出逢いが【特別】だと思っているのは私だけ。

 この人にしてみれば社交界で遊び女と噂をされている女が、ただで遊べるお手軽な相手として空き部屋に連れ込まれそうになっていたところを、職務の一貫で助けただけでしかなかったのだから。

 そこでこんな女に一目惚れされるだなんて、完全に被害者だ。どうせすぐに別れることになるのなら敢えて教える必要などないでしょうし。

 私は社交界で嫌われものの遊び女。たとえ私がこの出自を選んだ訳でなくとも、父の火遊び癖と同じ。そんなに事実と違わないのならそれでいい。

『あら、貴男はそのままで良いのよ。でも、このまま消えたら貴男が幸せになれる姿が見られないわね。気難しい表情じゃないところも見てみたいわ。愛した女性に微笑みかける貴男……きっと凄く素敵よ。想像しただけでときめいちゃうわ』

 思い付きから飛び出したその提案は、自分で言ってみたくせにとてもいいことのように思えた。この人に取り憑いて、彼の理想の女性との恋愛を端から眺め、お相手の女性と自分を重ねて疑似恋愛を楽しむ。

 それはきっとさぞかし甘美な遊びだろう。こうなっていなければ、きっと結婚したところで、汚い私に指一本触れない白い結婚になることは分かりきっていた。

 でも今はそんな心配はない。一生見られなかった彼のあんな表情やそんな表情を特等席で見られる好機なのだ。

『明日から早速貴男と気が合いそうな令嬢を見繕ってくるから、楽しみにしててね。私の元・婚約者様』

 まだ何か言いたげだった彼の金縛りを解いて、明日からの恋愛遊戯に(本体の)胸を高鳴らせながら、その準備のために大急ぎで彼の上から空気に溶けた。
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