◆魔法使いは唱えない◆

ナユタ

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続々・先生の場合。

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 朴念仁であるが故に引き起こしてしまった少々情けない告白騒動で、自分の胸の奥にあったものが【恋心】と呼ばれる部類のものであったことを知り、無事に交際を始めた彼女の元へ戻ったのは――……それからまた二ヶ月ほど経った頃だった。

 つい前回きちんと調査しきれなかったあの廃城へと調査に舞い戻った結果、通常一人で出向く時よりは若干短い調査期間を心得たものの、やはりどれだけ急いでも調査期間を二ヶ月より縮めることは難しいと悟る。

 今頃彼女はこんな私に呆れて愛想を尽かせているのではないだろうかと、内心焦りながら宿場の端っこにある半地下のバーに足早に向かった。玉石造りの階段はいつも僅かに湿った香りをさせ、まるでこれからダンジョンに潜って行くような錯覚に陥る。

 降りきった先にある、魔法灯の青白い明かりに照らし出された木製の扉にかかる【魔法使いの酒瓶】という捻りのない店名。以前までは安らぎを感じて開くことが出来たはずのドアは、何故か私を緊張させる。

 しかし今回は前回と違って、彼女の喜びそうな石版の欠片とあの幻影魔術の話を持ち帰ることが出来た。その成果を支えに扉を押し開けると、中にはカウンター席が七席と、ボックス席が一席だけの小さな店内が広がる。

 魔法をかけられたドアベルが【シャン】と一度鳴れば客は……私なのだと。以前、はにかんだ彼女が教えてくれた通り。カウンターの中にいたドロテア嬢が「お帰りなさい、先生」と。大輪の華の蕾が綻ぶような微笑みを浮かべて出迎えてくれた。

 そんなたった一人の存在と一言で胸の内が明るくなるような、これが“特別”というものなのか。

「ほら、先生お疲れでしょう? すぐにカクテルを用意するから早く席にかけて。そうしたら今回の冒険のお話を聞かせて欲しいわ」

 弾む声でそう告げられたことで、どうやらまだ不興を買ってはいないことに安堵した。勧められるままカウンター席に腰を下ろし、シャカシャカと小気味の良い音を立てるシェイカーに耳を傾けながら、先に出されたつまみのナッツをポリポリと噛み砕く。

 前回仕入先を変えてみたのだと教えてくれたナッツは、微かにスモーキーな味がする。思わず“好みの味だ”と伝えれば、カウンター内で彼女が「当然ね。だってそれは先生のことを考えて選んだのだもの」と微笑んでくれた。

 ――シャカシャカ、

 ――ポリポリ、

 何となく互いに気恥ずかしくなり、視線を彼女から照明に移したものの、やはり喜んでくれる顔が見たくて。使い古した採取鞄の中から廃城で手に入れてきた戦果を一つずつ、シェイカーを振る彼女の視線の先に取り出して並べる。

 すると彼女は「素敵な気配がする欠片ね、先生?」と囁いて、私に今回の旅での話をねだった。そんな聞き上手な彼女に水を向けられる形で廃城の話をし、そこで目にした数々の古代魔術についての自分なりに立てた考察を交えて。

 その魔術の成り立ちや発案時期を割り出し、幾つかについては実際に自分で呪文スクロールとして組み立てたものを実演して見せる。それら一つ一つにドロテア嬢は目を輝かせ、けれど私の魔術構成に破綻がないかを探すように注意深く見つめる姿は、どこまでも魔術に魅入られた魔法使いそのものだった。

 心地良い緊張感が店内に満ち、彼女を取り囲む精霊達が楽しげにさざめく。私はそんな彼女が一番好みそうだと思い、最後まで残しておいた石版の欠片をカウンターの上に置いてなぞり、苦手ながらも精一杯華やかさを心がけて描いた夕陽を披露した。

 廃城の尖塔から望んだ夜の帳を引き連れてくる夕陽の名残を思い出し、魔術を展開させていく。花鳥の華やかさや細やかさをぼんやり美しいと感じはしても、それを形に起こして微細に伝えるのは難しい。

 その点、純粋な自然の色のぶつかり合いは勢いと感嘆として表現しやすいように思える。芸術的な感性に疎い私でも、あの鮮やかに過ぎる朱が濃紺に塗り潰される様は、まさに圧巻だとしか捉えようがなく、自分よりも感受性の豊かな彼女なら何を描いたのか分かると思ったのだ。

 案の定彼女は、私が作り出した抽象的な色の幻影を一目見るなり「……綺麗……これは夕焼けね、先生?」と、あっさり言い当ててしまった。彼女のその一言は、初めて自分で呪文の仮説検証が立てられた当時の喜びにも似て。

 照れくさい気持ちのまま“ありがとう”と口にすれば、ドロテア嬢は「どういたしまして」と悪戯っぽく答え、宙に溶けて消えた夕焼けの幻影から、視線をカウンターの上に並べられた石版の欠片に落とす。

 そして不意に「わたしも先生とこんな夕焼けを見られたらいいのに」と口にした。どこかぼんやりとしたその言葉は独白のようにも聞こえ、一瞬どう解釈すべきか迷う。

 これが“魔術の研究について行きたい”というものであれば、元より私と同じく魔術の魅力に傾倒しているのに、パーティーを組むことが出来ないせいで仕方なく冒険者が多く立ち寄るこの街にバーを構えたのだ。パーティーを組める相手がいれば、行ってみたいと思うのも道理だろう。

 けれど……ここで遅れてきた思春期のようなものがふと目を覚まし、あり得もしない“もう一つ”の仮説を提唱してくる。これを口にして勘違いであった時の恥ずかしさは、この歳で負うには尋常ではないものだろう。

 ただ、それでも訊いてみたいという欲求は抑えきれず。結局は空耳として聞こえるかどうかというギリギリの声音で、

 “今の話を整理すると……ドロテアさん・・は、私と一緒にどこかに出かけたい、と。そう思ってくれていると解釈すれば良いのかな?”

 ――と、視線をグラスに落として、何とも意気地のない質問の仕方をしてしまう。

 今までの人生で自分の年齢を気にしたことはなく、むしろ歳を重ねれば見識は増し、魔導師としての技術は熟成されていくものだと信じて疑わなかった。……彼女と出逢う前は。

 しかし私達の間にある十二歳の差は如何ともし難く、初めてこの身の“熟成”ではなく“老い”という言葉を意識するようになった。自分の中での物事の捉えようが変化したことに戸惑いつつ、なかなか彼女からの返答がないことにヒヤリとして恐る恐る視線を上げる。

 するとその先には薄明るい店内照明の下でも、それと分かるほど頬を染めて狼狽した彼女が、手にしたシェイカーをクルクルと意味もなく弄っている姿に釘付けになった。

「その、先生が研究でお忙しいのは分かっているのよ? でも、それは……い、一緒にどこかに行けたら良いなとは、思っていて……子供みたいよね、ごめんなさい」

 そう言いながらこちらと視線を合わせようとしない彼女の姿に、どうやらお互いに身構えたり遠慮していたところがあったのだと思うと、面映ゆくて。

 思わず“ああ、いや――……そうではなくて、こんなオジサンの私と出かけたいと思ってくれるとは、と。少し年甲斐もなく嬉しくなってしまってね”と素直に口にしてしまった。

 その直後にシェイカーをカウンターに置いた彼女が、前回のようにカウンター内に姿を消す。席を立って中を覗き込めば、うずくまったドロテア嬢が「んんん――!」と呻く姿があって。

 急に貧血でも起こしたのかと慌て、カウンターの跳ね上げ板を開けて内側に入り混み“大丈夫かい?”と、顔色を確認しようと顔を覆っていた彼女の手を退けようと試みたのだが――……。

 彼女はそんな私の手から身を捩って逃れると「せ、先生はまだそんな歳ではないでしょう? それに先生のその言い分だと、わたしだってもうそんなに若くないわ」と、ポソポソ囁く。

 そう言われると確かに自分を引き合いに出して、彼女の年齢まで天秤にかけたように思われたのかと考え至り“まさか、そんなはずはない。君はまだまだ可愛らしい娘さんだよ”と即座に否定した。

 けれどそれも望む返答ではなかったらしく、顔を隠していた手を退けてくれた彼女に「あら、それはそれで複雑だわ。子供扱いしないで?」と睨まれてしまう。

 そこでやはりそれもそうだと思い直して“これは申し訳ない。そういうつもりで言ったのではないんだが……そうだね。可愛らしいではなくて、綺麗なお嬢さんだ”と訂正したものの、今度はまたも顔を覆い隠してしまった彼女に「もう、だから先生のそういうところが……!」と詰られる。

 いよいよ難しい局面になってしまったと感じて口を噤むと、そんなこちらの気配を察したのか、ドロテア嬢の方から「先生は、もしもわたしがどこかに一緒に行きたいと言ったら……連れて行ってくれるの?」と提案してくれた。

 ここで初めて自分の狡さに気付いた私が、彼女の与えてくれたヒントを頼りにようやく“では、どこか行きたいところはあるだろうか? 私は朴念仁だから若い女性が楽しめる場所は知らないんだ。だから出来ることなら、君の楽しめる場所を教えてくれるとありがたい”と訊ねれば。

 そうっと顔を覆っていた手をずらした彼女は、逡巡しつつも「それなら……どこだって大丈夫だわ。だって先生の好きな場所が、きっとわたしの好きな場所だもの」と言ってはにかむものだから。

 ――これは成程、困ったものだ。狡い私と、無自覚な君か。
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