◆魔法使いは唱えない◆

ナユタ

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続・彼女の場合。

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 先生が街を離れてから今日でようやく二ヶ月が過ぎた。季節的にまだ朝晩は肌寒いけれど、日中の気温は段々と気持ちのいい気候になってきたように思う。今頃どこにいるのか分からない先生が、万が一にも体調を崩すようなことがなければ良いのだけれど。

 毎回来店してくれる期間が分からないからヤキモキするのだと思っていたのに、約束をしてもらっていても心配なことには何の代わりもないのね。だけど先生はその辺の冒険者が束になっても太刀打ち出来ない方だから、心配出来る部分なんて体調くらいだわ……と。

「お客さーん、さっきから五分くらい楽しそうにそのナッツの袋抱えてるけどさ、それ買うの? 買わないの?」

 ――こんな風に、少し気を抜けばいつも先生のことばかり考えている。

 慌てて抱きしめるように抱えていたナッツの袋を店員に渡し、軽く咳払いをしてから“重さも形も良いナッツね。二袋頂くわ”と言うと、店員は嬉しそうに「そうでしょ、そうでしょ! 最近仕入先を開拓したところなんだ。このナッツの原産地はねぇ……」と商品の説明を始めてしまった。

 私の相手をしてくれている店員はまだ十二、三歳の少年だけれど、やっぱりどんな業種の人間も自分の分野に誇りを持っている。探究心をなくしてはどんなこともそこで行き止まりになってしまう。

 けれど夢中になって説明を続けてくれていた少年の後ろから、父親らしき男性がやってきて「うちの馬鹿息子の相手をさせてしまって、申し訳ない」と頭を下げられた。

 けれど無理やり一緒に頭を下げさせられた少年の不満気な表情に、思わず“そのお陰で次からどの地方のナッツを買うか、選びやすくなりましたわ”と答える。実際に少年の説明のお陰でお店の注文の際に、お客に出すナッツの種類を変える必要がありそうだと気付けたのだから。

 そう告げると、父親は嬉しそうに笑い「コイツはこういうことだけは得意なんですよ」と少年の頭を小突いて、お会計の時にこっそりとスモークチーズを二つオマケしてくれた。

 店を出てから早速オマケのチーズを確認すると、大人の文字で原産地や調理法についてのメモが添えられていて。あの親子の探究心はそっくり遺伝しているのだと思うと、何だかとても微笑ましかった。

 いつも利用していたお店の主人が、高齢を理由に店を閉めるから代わりにと教えてもらったお店だったけれど、これならこれから良いお付き合いが出来そうね。

 その後もカクテルに使えそうな果物や、スパイスを少しずつ買い足しながら街中を彷徨く。お店を開けるまでの時間は大抵こうして食材を探したり、自宅の片付けをしたりする。とはいえ朝食と昼食は基本外食で、夕食は自分の店で簡単に済ませてしまうから、あまり生活感のない部屋だけど。

 きっとどこかでまだ、冒険者に戻りたいと思っているから物が増やせないのだとは分かっている。

 もうお店を始めて十年以上建っているのに諦めが悪い自分が時々嫌になったりはするけれど、この街でお店をやっているお陰で先生と会えて、先生に恋い焦がれているのだから悪いことばかりではない。

 本当はまた先生の採取ついて行きたいのだけれど、今はそれよりも大切な先生に告白するという一大イベントが控えている身。目先の欲に心を浮つかせている暇があったら、夜遅い仕事で疲れた肌と髪のお手入れに気を使わないと。

 魔導師として超一流魔力の先生に、格下のわたしが持つ魅了チャームは効かない。きっと先生にしてみれば、わたしもナッツの原産地を懸命に教えてくれた少年と同じような存在だもの。

 時折先生にも他の男性達のように魅了が効けば良いと思う一方で、先生だけがわたしの魔術馬鹿ほんしつを知ってくれていることが嬉しいのだから、人間は本当に我儘なものだわ。

 だから、そんなわたしの出来ることと言えば――。

 視界の端に留まったショーウィンドウに飾られている可愛い髪留めを吟味して、普通の女の子達と同じようにドキドキしながら、その髪留めが自分を少しでも引き立ててくれるように髪に飾ることだけなのよ。


***


 一日一日と確実に過ぎていくはずの時間が、誰かを待っている時ほどとてもゆっくりと進むのは何故なのだろう。そわそわと指折り毎日を過ごすのは楽しみな半面、決意をしていた心を少しずつ気弱にさせるから、いいことばかりではない気がする。

 でもそうはいっても今日はいよいよ先生との約束をした三ヶ月目。勿論採取となると時間を忘れる先生のことだから、今日すぐに訪ねてきてくれるわけはないと分かっているけれど、それでもいざ決戦が数日後に迫っているのかと思えば朝から緊張でジッとしていられなかった。

 ――……だというのに。


「自分でも柄ではないと分かっているんだが……どうしてもこれを君に贈りたかった。もしも迷惑でなければ受け取ってもらえるだろうか?」


 たった今、カウンター越しに掠れる声でそう告げて先生がわたしに差し出したのは、春を感じさせる可愛らしいピンク色のチューリップが三本。色も種類も本数も、全てがあまりにも思わせぶり過ぎる。

 小さな友人達が周辺でかなり騒いでいる気配がするけれど、今はそれよりもこの状況が理解出来ないわたしを誰か助けて。

 突然のロマンチックな贈り物にどうしてこれをと質問するより早く、先生が石版の欠片以外のものを差し出してくれたことに反応した身体が、勝手に動いてその花束を受け取っていた。自らの手から花束が取り去られたことに、先生の表情が心なしか和らぐ。

 わたしはひとまずこれが幸せな夢でないという確証を立てようと、先生が訪れる前の今日一日の出来事を順序立てて思い出してみることにした。

 ――……。

 ――――……。

 ――――――……。

 確かいつ先生が現れるのか分からず緊張し、開店時間ギリギリまで店の買い物をしてしまったわたしが大慌てで店の開店準備を整え始めていたら、まだ開店には五分ほど早い時間に入口のドアベルが【ロン】と鳴って。

 カウンターの内側でナッツの準備をしていたわたしは、条件反射でドアの方へと営業用の笑みを張り付けて顔を上げた。するとそこには「もうお店って開きます?」と訊ねる冒険者稼業の常連さんの姿が。

 女性と男性が半々という、バランスが取れたその常連パーティーに“今日は誰のキープボトルを開けるのかしら?”と訊ねると、四人は一斉に「「全員分!!」」と景気の良い答えを返してくれた。

 一年に一回あるかないかの大盤振る舞いに“良いことでもあったの?”と問えば、大口の護衛依頼を終えたばかりで懐が温かいから、この際贅沢に全員分のボトルをキープし直そうということになったのだとか。

 そんな若くて刹那的なパーティーは全員が同じ貧村の出身者の幼馴染みで、お互いに将来を誓った恋人同士だからわたしに気を取られることもない。それにある意味うちのお店としてはとても安心安全な常連さん達だ。

 そうなるともう水を差す理由もないので、彼等が好みそうなお酒のボトルを並べて新たにキープするものを選んでもらい、残っていた分のお酒を大放出することになった。

 こちらが相手をしなくても勝手に盛り上がってくれるお客だから、わたしは再びカウンター内に戻って、お酒ごとに合うナッツ、チーズ、ドライフルーツとおつまみの仕分け作業を再開し、お客のご機嫌な声を音楽代わりに時々軽くお酒を呑んで摘まみ食い。

 けれどそれから三時間ほど経てば、流石にもう今夜分の試飲も、試食も、仕分けも全て終えてしまった。若い彼等は当然のようにまだまだ元気いっぱいに呑んでいるし、さて次は何をして時間を使おうか……と。

 そう思っていたところにドアベルが【シャン】と音を立て、高速でその音に反応したわたしに気付いたのか、彼等は最後のボトルを一息にあおってお会計を頼むと、見送りに出たわたしに「今夜はマスターにも良いことあるよ!」と謎の言葉を残して去っていった。

 別に特に彼等の言葉を信じて期待したわけではないけれど、見送りを終えて店に戻ると先生が「せっかく盛り上がっていたのに、気を遣わせてしまったようだ」と言うので、わたしは“ふふ、大丈夫よ先生。あのお客さん達はうちの常連さんだけれど、もう三時間は呑んでいたもの”と答えて……。

 それから、そう、確か“それに……先生がわたしとの約束を守って、こんなに短期間で調査から戻ってきてくれたことが嬉しいわ”とか、どさくさに紛れて口走ったような気がする。

 その後は嬉しかったのと緊張のしすぎで記憶があやふやだけど、先生のカクテルの用意をしながら、この三ヶ月間にあった面白かったことを矢継ぎ早に話して。

 だけど先生はだいぶお疲れ気味で、言葉少なに「そうか」や「それは良いな」といった返事を、それでも穏やかな微笑みを浮かべてしてくれた。それがわたしを傷付けまいとしてのことだと分かったから、悲しくて。

“ごめんなさい先生。やっぱりわたしが無理を言っていつもと違う日程で採取に行ったから無理が出たんだわ。今夜はもう宿に泊まって、ここを出立する前日にでもまた来て?”

 ――……。

 ――――……。

 ――――――……。

 ここまででわたしの魂が途中で身体から抜けていなければ、確かこんな状況だった気がするわ。うん……自信はないけど。

 それに、この受け取ったピンク色のチューリップの花言葉や本数の意味を、実学派の先生が知っているとは思えない。だから女の子なら大はしゃぎするようなこの花の種類も本数も、きっと特別な意味なんて何もないわ。

 そう思い至ればいっぱいいっぱいだった心にもゆとりが生まれ、目の前でカウンター越しにわたしを見つめる先生に向かって微笑む余裕すら出来た。

“この花束……とても綺麗だわ、ありがとう。早速お店に飾らせてもらうわ。だけどね、先生ったらきっと花屋さんにからかわれたのよ? 次からはきちんと用途を説明してから購入しないと、これでは相手に誤解されてしまうわ”

 言葉の割にがっかりしている姿を見られたくなくて、少しだけ俯きながらピンク色の花弁を撫で、ひとまず綺麗目なお酒の空き瓶に生ける。深い緑色の瓶は、スラリとしたピンク色のチューリップにとても映えた。

 思いもよらなかった贈り物の嬉しいけれど残酷な悪戯に心が折れて、やっぱり今夜もこの想いを打ち明けることは無理かもしれないと思った時、不意に「もしもこの花束の意味が、君が知っているものと同じなら――」と、先生が口を開く。

 普段ならば耳に心地良い低音域の声はほんの僅かに上擦って、聞く方からしてみると心なしか緊張している風にも受け取れる。だけどそれでは自分に都合の良すぎる解釈だ。わたしは後でこれ以上がっかりしなくて済むように、良い雰囲気に飲み込まれないよう荒れ狂う心の海に錨を降ろした。

 ところが続く先生の言葉はまさかの「どうか、そのままの意味で受け取って欲しい」という夢のような台詞と、冷静な彼の初めての照れた表情。

 しかし内心動揺し過ぎたわたしはその台詞と表情に可愛らしく《はい》と答えるはずが、拗らせすぎた想いのせいで暴走した。

 その結果“もしかしたらわたしの知っている意味とは違うかもしれないから、きちんと貴男の言葉でその意味を教えて先生?”という、いつものツンとした可愛気のない物言いをしてしまう。

 直後に“今のは違うの。忘れて。わたしも好きです”とカウンターの中にしゃがみ込んだこちらに向かって、先生は「まいったな……君に先に言われてしまったのは嬉しいけれど、情けないね」と苦笑してから、カウンターの跳ね上げ板を開けて内側に入ってきてゆっくりと目の前に跪いた。

 驚きと恥ずかしさで真っ赤になった顔を隠そうとカウンター内で後ずさるわたしに、先生は少年のようにはにかんで。

 囁くように「愛しています、私の魔法使い殿」と。

 本当なら今日わたしが唱えるはずだった、この世で一番難解で破壊力がある幸せな呪文を唱えてくれたのだわ。
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