◆魔法使いは唱えない◆

ナユタ

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先生の場合。

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 職業者欄に《冒険者》と書くのはいつまで経っても慣れないものだ。

 それは私がパーティーを組んでの規模の冒険を好まないせいでもあれば、冒険者と言うにはいささか業種が特殊なせいでもある。というのも肩書きこそ《冒険者》ではあるが、私の仕事の主な内容は古代魔術の調査と、発見した呪文スクロールの欠けた部分の修復だ。

 以上のことから立場的には《学者》兼《冒険者》というのが正しい立ち位置ではないかと思っている。

 風の噂でそういった物の存在を耳にすれば、ダンジョンや森の中の遺跡などに出向いて発掘調査を行う。無論モンスターや夜盗も現れるので最低限の自己防衛手段は持っている。

 毎度発掘した魔術をそんな有象無象に放つ時の快感は、なかなか言葉にはし難いものだ。威力はどの程度のものか、どんな効果が現れるのか。実地試験も兼ねての旅は資金繰りこそ厳しいが、研究所に所属して魔導書と向き合うよりはずっと自分に合っていると思う。

 調査中に換金出来そうなアイテムを少しと、古代魔術の文字が書かれた石版の欠片を持てるだけ。そんな冒険を終えて装備を整え直してもまだ少しお金に余裕がある時は、決まって宿場の端っこにある半地下のバーに寄ることにしている。

 玉石造りの階段はいつも僅かに湿った香りをさせ、まるでこれからダンジョンに潜って行くような錯覚に陥るほどだ。

 しかし降りきった先にある、魔法灯の青白い明かりに照らし出された黒光りする木製の扉には【魔法使いの酒瓶】という捻りのない店名。その扉を押し開けると、中にはカウンター席が七席と、ボックス席が一席だけの小さな店内が広がる。

 魔法をかけられたドアベルが【シャン】と一度鳴れば客は一名。このドアベルが二度鳴れば二名という案配になる。

 店内にはまだ時間が早いせいもあるのか、客は私だけのようだった。唯一ドアベルの音で振り返った人物は、大輪の華のような美しさを持つこのバーの店主であるドロテア嬢だ。こちらを振り向いた彼女は、カウンターの中から「あら、まだ早いのに誰かと思ったら……お久しぶりね先生?」と妖艶な微笑みを向けてくる。

 薄明るい店内でも一際目立つ波打つプラチナブロンドに、深い湖を思わせる青い瞳。風の精霊シルフィードもかくやというたおやかな姿と、ちょっとした仕草に出る育ちの良さが、彼女が本来冒険者家業などをする人種ではないことを窺わせた。

 多くの男を虜にする彼女の魔性の笑みは、しかし、パーティーを組むにはあまりよろしくなかったらしい。私も二度ほど二人でパーティーを組んだが、間違いなく魔法使いとしての彼女の腕は一級品だ。

 呪文の詠唱の解釈も独特ではあるものの、使役される精霊達がはしゃいでいるのが隣にいても分かるほどに的確で、下手をすれば教本に載っているものよりも優雅だった。

 彼女は魔導馬鹿な私の呪文講義にも熱心に耳を傾けてくれる。いつだったか彼女は『いつかまだ発見されていないような、美しい魔術詠唱の羅列を目の当たりにしてみたいわ』と声を弾ませていた。この店がなければ採取に誘うのだが、それは余計なお世話というものだろう。

 そんな魔法に対して熱意を持つ彼女が今こうして一人でバーを経営しているのは、彼女が入ったパーティーは必ず恋愛絡みのイザコザが起こるからだった。

 以前酒を呑むついでに訊いたところによれば、恋愛それに彼女が関わっていることはなく、相手パーティーの戦士や魔導師やシーフ達が勝手に熱を上げ、そんな彼等のことを内心想っていたパーティーメンバーの女戦士や、魔法使いやヒーラー達に追い出されるのだという。

 腕の良い冒険者を一人入れればパーティーの生存率はグッと上がる。そんなことを知らないわけでもないだろうに、恋とは何と人を盲目にさせるものだろうか。

 そんなことを考えながらカウンター席の端に腰を下ろすと、ドロテア嬢は注文も聞かずに愛用のシェイカーを振りだした。恐らく常連が最初に頼む酒を全て憶えているのであろう記憶力に勿体ないという思いが過ぎる。

 彼女が冒険が出来なくともここに店を構えたのは、きっと少しでも冒険の香りがする場所の近くにいたかったからなのだろう。

 シャカシャカと小気味の良い音を立てるそれに耳を傾けながら、先に出されたつまみのナッツをポリポリと噛み砕く。

 ――シャカシャカ、

 ――ポリポリ、

 如何にもバーらしい音の共演に知らず口角が持ち上がっていたのか、グラスにカクテルを注ぐ彼女がその手を止めて「先生は、いつもそんな表情をしていたら良いのに」と笑う。

 《そんな表情》と言われても、今の自分が浮かべている表情など分かりようがない。そう返すと彼女は「あ、残念。もう元に戻っちゃったわ」とまた笑った。そう言う彼女の《そんな表情》の方が、研究馬鹿の自分などよりも余程人の心を動かす力がありそうだ。

 人とあまり時間を共有することがないせいで独り言が多い弊害なのか、こうして誰かと会話をすると、内心で思ったことがすぐに口から出てしまう。ドロテア嬢は唐突に“いつもの君の笑顔も良いが、今のように気を抜いた笑顔も魅力的だ”と言った私の言葉に、一瞬だけ視線を彷徨わせ――……。

「先生は、女性に対してサラッとそういうことを言うのね?」

 と、いつもの妖艶な表情で微笑んだ。その変わり身に“せっかく隙のある表情を見られたのに残念だ”と半分社交で、もう半分本気を含んだ言葉を返してグラスの中の琥珀色のカクテルを一口飲む。

 すると華やかな香りが口内に広がり、滑り落ちた胃の中から気力が全身に満ちるのが分かる。この店で口にするカクテルは酔うためというよりも、魔力の消費による気力の回復に用いるポーションのような役割だ。

 普通に販売されているポーションよりも速効性があるのは、彼女がカクテルに注ぎ込む魔力のせいだろう。波長の合う魔力はその分吸収も早く、疲れた肉体にも馴染みやすい。

 あっという間に一杯目を飲み干してしまった私の前には、すでに次のカクテルの準備をするドロテア嬢の後ろ姿がある。

 背中を向けたままの彼女が「今回の発掘調査では、どんな呪文の欠片を見つけたのかしら?」と声をかけてきたのを皮切りに、新しく見つけた石版の欠片をカウンターの上に並べ、足りない部分の詠唱についてお互いの意見を出し合う。

 そんな背後で“カタン”と小さな物音がしたのを聞きつけて入口を振り向くも、目の前で石版の謎解きに夢中になっていたドロテア嬢から「先生ったら、よそ見しないで」と怒られてしまった。

 結局その日の晩は私以外の客が訪れることはなく、いつの間にか閉店の時間になっていた。帰ろうと席を立つ私に彼女が「今回も楽しかったわ先生。でも次回はもっと早く訪ねて来てくれると嬉しいわ」と笑う。

 二通りの受け取り方がある言葉だったので、確認の意味合いも込めて“今日は開店時間の直後に来店したと思うんだが……”と訊ねると、ドロテア嬢は苦笑しながら「前回の来店からは半年ぶりなのよ?」と教えてくれた。

 ということは、どうやら訪ねる期間のことであったらしいと理解する。そこで“次回は三ヶ月後に訪ねられるようにしよう”と答え、彼女に見送られて店の外に出た。

 けれど背後に立つ彼女を振り返った時、今夜の客が自分だけであったことに納得する。苦笑しつつ“今夜が貸し切り状態だった理由が分かったよ”と声をかけ、こちらに小首を傾げてみせる彼女の肩越しに裏返って【準備中】になっていたプレートをトン、とつつく。

 するとドロテア嬢は「あら、本当ね。風かしら?」と答えてから、不意に無邪気な笑みを浮かべて「だけど、そのお陰で先生と長くお話出来たから良いわ」と言ってくれる。

 そんな表情を見せる相手が自分のように冴えない男なのは惜しいと思う一方で、ほんの僅かに。彼女にこの笑みを向けられる相手が現れる未来が少しでも先であることを願う自分がいるのだった。
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