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★14★ 猫の女王は微笑んだ。
しおりを挟む“小鳥と猫なら大抵は会話が出来る”
クラリッサにそう教えられてから、三日で今までの回りくどいカタログでの注文は打ち切り、代わりに伝書鳩を使った速達方式の注文書を届けるようになった。
それにより得られる恩恵は多く、特に急を要する注文や、以前なら直接訪れて打ち合わせをする必要があったものが不要になったこと、鮮度の高い最新の情報を翌日には受け取れることが大きい。
それによりさらにノイマン商会の新しい土地や人材の開拓が進み、成り上がりと揶揄する声よりも、うちで手に入れられる品物の質の話をよく耳にするようになった。最先端の物から懐古的な物まで、貴族連中の欲しがるものの情報はクラリッサによってもたらされる。
一度に渡せる彼女への支払額もだいぶ大きくなり、クラリッサの話では、一部の耳敏い商人達からキルヒアイス子爵に“新しい事業をしてみてはどうか?”という申し出まで入っているらしい。
しかし元々人が良すぎる以外、領主として無能ではないキルヒアイス子爵は、怪しげな新規事業に良い顔はせず、むしろこれを期に娘のクラリッサに目を付ける輩が現れてはならないと、神経を尖らせているそうだ。
――何というか……片棒を担いでいて言えた義理ではないが、親の心子知らずとはよく言ったものである。
だが実際のところ、キルヒアイス領はやはりまだまだ経営難の没落子爵家で。ノイマン商会の方は俺の名前と手腕が評判になってはいるものの、貴族の客は増えても縁談の話はなく、むしろ同じ商家からの縁談が一層増えただけだ。
嬉しい反面当初の目的は全く完遂されていない現状に、内心溜息をつきたくなるが――……。
「にゃふにゃふ? ふにゃにゃあぅ、にゃあん?」
視界の端で膝に抱き上げた猫に向かって熱心に猫撫で声……というか、まさに猫語での会話を試みている相棒を見て、そんな気も削がれた。
一瞬だけ散っていた意識を引き締め、周囲に誰も近付いて来ないよう見張り兼壁になる。いくらそうお目にかかれない美人でも、茶会が行われる庭園内で見られたらまたおかしな噂が立つからだ。
見慣れてくるとそんな頭が心配になる光景も、可愛気を感じてくるのは面白い。隠しておきながらどこかの人品と金と位を持った貴族が、今のクラリッサを見初めてくれれば最高なんだが……と。
有力な情報を得られたらしい彼女が、スカートについた草を払って立ち上がろうとするところだった。あまり人目につかない場所とはいえ、植え込みの中からいきなり淑女が現れるのはまずい。
小声で「まだ立つなよ」と言い聞かせ、周囲に人の気配がないことを確認し、彼女の手を取って植え込みから救出する。濃くて真っ直ぐな栗毛頭の天辺についた枯れ草を摘まみ上げて「首尾はどうだ?」と訊ねると、クラリッサは「上々かしらね」と本当に微かに唇を歪ませた。
植え込みの中からは見るからに高貴な人間が好んで飼育しそうな、長毛で手入れのしがいがある真っ白な猫が、立派な尾をフリフリ出て行く。
その正体がこの屋敷内で飼われている、超高級種な猫だということは屋敷の主人かそれに近い人物の飼い猫だろう。ということで情報的にかなり期待できる。
しかし当然のことながら、今のやり取りで何を訊いたのか俺にはさっぱりだ。ひとまず最後の一文だけでも何と言ったのか訊ねれば、クラリッサは半眼のまま頷いて「“その話は確かなの? 情報元を特定できたりするものはある?”と念を押したのよ」と教えてくれた。
次いで「内容については聞かないで良いのかしら?」と呆れた風に訊ねられ、苦笑しつつ「そんなわけないだろう? 早速聞かせてくれ」とせがんだ。若干得意気に「良いわ。でもまずはついてきて頂戴」と答える彼女とは、最近伝書鳩を飛ばしてこうした茶会の席で偶然を装い、嫌われ者同士で紛れ込むのが流行りだ。
秋空の広がるやや肌寒くなってきた庭園から、人の熱で暖かい会場内へと戻ると、人目を伺いながら親しいと思われないよう、つかず離れずの距離を保って会場に集まっている人物達を輪の外側から眺める。
昼間の席とあって、呼ばれているのは結婚したばかりで顔を売っておかなければならない若い夫婦や、それとは逆に息子達に家督を譲った老夫婦だ。
クラリッサが反応したのはそんな中でも、特に格式を重んじそうな一団だった。明らかに新参者の成り上がり貴族を相手にするような面々ではない。振り返って目配せをする彼女に“どういうつもりだ?”と視線で問うと、クラリッサは“ちゃんと見て”と視線で促す。
成程……あの中に弱みを持った次の獲物がいるということか。そういうことならと、商人の特技である顔認証能力を使って、談笑している一団を頭に叩き込む。その間クラリッサは周囲の噂話に耳を傾け、人語での情報を集める。
しかし時に彼女への根も葉もない誹謗中傷を耳で拾ってしまい、そういう時は何とも言えないざらついた不快感が胸の中に澱のように溜まった。馬鹿共の腐った噂話で思考が鈍るのも癪だと、さっさと八人の老紳士と、奥方だろう四人の婦人の顔を憶え込む。
先に俺が会場から少し離れたバルコニーに出ると、彼女はそのすぐ隣にあるバルコニーへと出てきた。そうしてお互いに声が届くよう端に寄ったのを確認し――。
「貴族の女は本当におっかない。綺麗に着飾っていても中身は魔女の鍋の中だ。よくもあんな出所のはっきりしない妄言をまことしやかに話せるものだな。商人同士だったら信用毀損罪と業務妨害罪で訴えているところだぞ?」
堪えきれずに先に口火を切った。そのことに関してクラリッサは、隣のバルコニーから苛立ちを隠さない俺に意外そうな表情を向ける。とはいえ……そこにあるのはいつもの無表情だが。
この頃はアデラに向ける微妙な表情の違いも読めるようになってきた。基本的に表情には乏しいが、それでもよくよく見れば何となく笑っていたり、怒っていたりするのが分かる。
「――あら、そうは言うけれど、貴族の男性だってなかなかのものだわ。私も貴男の噂を耳にしてそう思ったもの」
「男は別にあんなものだろう。商談が絡む場で足を引っ張り合うのはおかしくないさ。俺が分からんのは既婚女性達の他の女性に対する攻撃だ。あれにどんな意味がある? 位が下の人間相手に攻撃をしかけて得られるものがあるのか?」
「さぁ……私も無駄だと感じる部類だから分からないけれど。それよりも、ヴィルヘルム。ちゃんとあの場にいた人達の顔を憶えたわよね?」
まだ言ってやりたい不満など幾つもあった。しかしクラリッサからの突然の話題転換に、これ以上この話を続けたくないのだという色が透けて見えた気がして、無言で頷く。
すると満足そうに頷いたクラリッサは「あの中にいらした眼鏡で背の高い老紳士。私は存じ上げないのだけれど、貴男はどなたか分かって?」と、バルコニー越しに訊ねてきた。
その問いかけに貴族名鑑の中身を洗い出しながら、ピタリと当てはまる人物に辿り着き「ミッテンベルク子爵だ。確かあの中にもいたが、今日の茶会の主催者であるオイラー子爵と仲が良い」と答えると、彼女は「流石ね。とはいっても、私は存じ上げないのだけれど」と心持ち口角を上げる。
「それがどうしたんだ?」
「だとしたら、さっきの猫はオイラー子爵の奥様の飼っている子だったのね。彼女が教えてくれるにはね、先日ミッテンベルグ様のお屋敷に、ライナ様と仰る若い女性がいらしたのですって」
「……それは妙だな。あの家の跡継ぎだった息子夫婦は若くして事故死したと訊く。息子夫婦が死んだのに年頃の孫が?」
「貴族の間では特に珍しい話ではないわ。それに彼女は亡くなったご子息とよく似ているのですって。ただ彼女の母親は生きていて、その母親はミッテンベルグ様のお屋敷に行くようにと仰ったらしいわ」
貴族の間でどころか、商人達の間でもその手の話には割と事欠くことはない。しかしうちの親はそういうのを殊のほか嫌う妙に潔癖なところがあったため、俺もその考え方には同調している。
大抵大きな商会が解散する時は、こういった後継者問題が持ち上がる。何にせよ家庭は一つで良い。弱点になろうが苦労しようが、仕事に疲れて帰る家庭の居心地が良ければ最高だ。ただしそれを得るのは弟であればいい。
「――……息子がどこかで不貞を働いて出来た隠し子か」
「そう考えるのが妥当ね。あの猫が言うには、ミッテンベルグ様達はすでに引き取る気持ちらしいのだけれど、オイラー子爵は渋い顔をしたそうよ。風聞が悪いし、母親の身分が低い娘を妻にと望む貴族の男は少ないから……と」
琥珀色の半眼が、常より僅かに大きく開く。すると普段からそうしていれば“人形姫”などと呼ばれなさそうな、好奇心の強い猫のような感情が揺らぐ。
「ねぇ、ヴィルヘルム。最近急に厳しくなり始めた貴男から私への婚約者情報も、楽しみに待っているわ」
そう今度ははっきりと分かるくらい笑みの形に眇められた目は、まるで夜の闇を見つめる猫のような光があった。
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