9 / 24
第一の語り
08
しおりを挟む
「そんなに急いで帰らなくても良いじゃないか。折角来たのだからゆっくりしておいき」
老女、厭、”黒い塊”が言葉を発する。少年が老女だと思っていたのは、あの”影”だったのだ。
「さあ、ケーキもまだ残っている」
そう言い、老女が手を伸ばしてくる。
このままでは捕まる。
「あの、このお茶、冷めてるので、温めてもらっても良いですか」
少年は咄嗟に、お茶、厭、黒い塊が蠢くティーカップを指さした。
「おお、そうかい。すまないね」
そう言うと、黒い影はカップを手に、台所へと向かった。
少年はそれを確認すると、一目散に居間を飛び出した。
食堂の前を通ると、明かりも点いており、中から何やら話し声が聞こえる。
まさか、誰かが食事をしているのか。
ともかく、早く逃げないと。自分はどうかしていたんだ。こんな洋館に入るだなんて。
背後で、ぱたんという音がする。
追って来ている。
こんなところ、早く出よう。
もうこの洋館に関わるのは御免だ。
少年は勢いよく玄関を出た。
すると直ぐに、あの”ぬかるみ”に足を取られる。
待ちなさい。坊や。
背後から声が聞こえる。
気を取られてはいけない。
振り返ってはいかない。
ざぶん
泥を撥ねるような音。
近づいている。
待ちなさい。
声と共に、何かが肩に触れたような気がした。
「ぎゃあああああ!」
少年は必死に肩の”何か”を振り解き、門の外に転がり出た。
気配が止む。
どうやら、助かったらしい。
お前はきっと、ここへ戻ってくるさ。
という声が聞こえた。
少年は足早に、自宅へと戻った。
本当にどうかしてしまっていたのだ。あんな家に入るだなんて。
ジャックが死に、気が動転していたに違いない。きっとそうだ。
いつまでもこんな体たらくではいかない。
少年は家に戻ると、ジャックを埋めた庭に手を合わせた。
死を受け入れ、静かに祈る。そうあるべきなのだ。
少年は祈り続けた。
「おい、そこで何やってるんだ?」
今帰って来たらしい父親が、少年に呼び掛ける。
少年は別に、と答える。
「そうか。とにかく、もうこんな時間だし、中に入れよ」
少年は頷いた。
「今日も遅くまで散歩に行っていたんだな。ジャックは?」
「先に僕の部屋で寝てるよ」
少年は何も言う気はなかった。ジャックを世話していたのは、少年一人なのだ。母親や父親は、何もジャックにしてこなかった。だから、知る権利もない、少年はそう思ったのだった。
「そうか。ん?また服を汚したのか」
少年の服についた泥を見て、父親が言う。
「なあ。昨日今日とさ。いつもよりも遅くに帰ってきたり、服が泥まみれだったり。何より、顔色が良くないぞ?最近、何かあったんじゃないのか?」
父親が心配そうに少年の顔を覗き込む。
少年は大丈夫、と答える。
本当は、全く大丈夫ではないけれど。
暫くの間、姿も見ていなかったような相手に、こんな普通じゃ考えられないような話をしても、意味がない、と少年は思うのだった。
「そうか。なら良いんだけどな。あんまり一人で抱え込みすぎるんじゃないぞ。辛くなったら、俺にいつでも相談してくれよ」
少年は無言で頷くだけだった。
ー今更そんなこと言っても、遅いんだよー
少年は唇を嚙み締めた。
少年と父親の距離は、既に離れすぎてしまっていたのだ。
だが、そこには父親を少しだけ見直す少年の姿もあった。
寝床に入っても、少年は全く眠ることが出来なかった。
あの洋館への畏怖。ジャックの受け入れ難い死。父親や母親へ向けた感情。
様々なものが入り混じって、少年の心を掻き回すのだった。
少年は孤独なのだった。
唯一の親友であるジャックを失い、少年に残されたのは孤独しかなかった。
少年の孤独は、今頃になって救いの手を差し伸べる父親では、どう足掻いても埋められないのだ。
なぜお互いに姿を見ることのない家族になってしまったのか。
なぜ少年だけがジャックの世話をしていたのか。
なぜ少年はジャックが一番の話相手だったのか。
なぜ少年は孤独になのか。
少年があの洋館を初めて見た時、そこにあったのは”憧れ”だった。
少年は思ったのだった。
ーこんな家に住む人は、きっと家族も優しくて、みんなで笑いあって暮らしているんだろうなー
少年は気が付けば、窓からあの洋館の屋根を見ていた。
老女、厭、”黒い塊”が言葉を発する。少年が老女だと思っていたのは、あの”影”だったのだ。
「さあ、ケーキもまだ残っている」
そう言い、老女が手を伸ばしてくる。
このままでは捕まる。
「あの、このお茶、冷めてるので、温めてもらっても良いですか」
少年は咄嗟に、お茶、厭、黒い塊が蠢くティーカップを指さした。
「おお、そうかい。すまないね」
そう言うと、黒い影はカップを手に、台所へと向かった。
少年はそれを確認すると、一目散に居間を飛び出した。
食堂の前を通ると、明かりも点いており、中から何やら話し声が聞こえる。
まさか、誰かが食事をしているのか。
ともかく、早く逃げないと。自分はどうかしていたんだ。こんな洋館に入るだなんて。
背後で、ぱたんという音がする。
追って来ている。
こんなところ、早く出よう。
もうこの洋館に関わるのは御免だ。
少年は勢いよく玄関を出た。
すると直ぐに、あの”ぬかるみ”に足を取られる。
待ちなさい。坊や。
背後から声が聞こえる。
気を取られてはいけない。
振り返ってはいかない。
ざぶん
泥を撥ねるような音。
近づいている。
待ちなさい。
声と共に、何かが肩に触れたような気がした。
「ぎゃあああああ!」
少年は必死に肩の”何か”を振り解き、門の外に転がり出た。
気配が止む。
どうやら、助かったらしい。
お前はきっと、ここへ戻ってくるさ。
という声が聞こえた。
少年は足早に、自宅へと戻った。
本当にどうかしてしまっていたのだ。あんな家に入るだなんて。
ジャックが死に、気が動転していたに違いない。きっとそうだ。
いつまでもこんな体たらくではいかない。
少年は家に戻ると、ジャックを埋めた庭に手を合わせた。
死を受け入れ、静かに祈る。そうあるべきなのだ。
少年は祈り続けた。
「おい、そこで何やってるんだ?」
今帰って来たらしい父親が、少年に呼び掛ける。
少年は別に、と答える。
「そうか。とにかく、もうこんな時間だし、中に入れよ」
少年は頷いた。
「今日も遅くまで散歩に行っていたんだな。ジャックは?」
「先に僕の部屋で寝てるよ」
少年は何も言う気はなかった。ジャックを世話していたのは、少年一人なのだ。母親や父親は、何もジャックにしてこなかった。だから、知る権利もない、少年はそう思ったのだった。
「そうか。ん?また服を汚したのか」
少年の服についた泥を見て、父親が言う。
「なあ。昨日今日とさ。いつもよりも遅くに帰ってきたり、服が泥まみれだったり。何より、顔色が良くないぞ?最近、何かあったんじゃないのか?」
父親が心配そうに少年の顔を覗き込む。
少年は大丈夫、と答える。
本当は、全く大丈夫ではないけれど。
暫くの間、姿も見ていなかったような相手に、こんな普通じゃ考えられないような話をしても、意味がない、と少年は思うのだった。
「そうか。なら良いんだけどな。あんまり一人で抱え込みすぎるんじゃないぞ。辛くなったら、俺にいつでも相談してくれよ」
少年は無言で頷くだけだった。
ー今更そんなこと言っても、遅いんだよー
少年は唇を嚙み締めた。
少年と父親の距離は、既に離れすぎてしまっていたのだ。
だが、そこには父親を少しだけ見直す少年の姿もあった。
寝床に入っても、少年は全く眠ることが出来なかった。
あの洋館への畏怖。ジャックの受け入れ難い死。父親や母親へ向けた感情。
様々なものが入り混じって、少年の心を掻き回すのだった。
少年は孤独なのだった。
唯一の親友であるジャックを失い、少年に残されたのは孤独しかなかった。
少年の孤独は、今頃になって救いの手を差し伸べる父親では、どう足掻いても埋められないのだ。
なぜお互いに姿を見ることのない家族になってしまったのか。
なぜ少年だけがジャックの世話をしていたのか。
なぜ少年はジャックが一番の話相手だったのか。
なぜ少年は孤独になのか。
少年があの洋館を初めて見た時、そこにあったのは”憧れ”だった。
少年は思ったのだった。
ーこんな家に住む人は、きっと家族も優しくて、みんなで笑いあって暮らしているんだろうなー
少年は気が付けば、窓からあの洋館の屋根を見ていた。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
婚約者の姉から誰も守ってくれないなら、自分の身は自分で守るまでですが……
もるだ
恋愛
婚約者の姉から酷い暴言暴力を受けたのに「大目に見てやってよ」と笑って流されたので、自分の身は自分で守ることにします。公爵家の名に傷がついても知りません。
平民の方が好きと言われた私は、あなたを愛することをやめました
天宮有
恋愛
公爵令嬢の私ルーナは、婚約者ラドン王子に「お前より平民の方が好きだ」と言われてしまう。
平民を新しい婚約者にするため、ラドン王子は私から婚約破棄を言い渡して欲しいようだ。
家族もラドン王子の酷さから納得して、言うとおり私の方から婚約を破棄した。
愛することをやめた結果、ラドン王子は後悔することとなる。
体裁のために冤罪を着せられ婚約破棄されたので復讐した結果、泣いて「許してくれ!」と懇願されていますが、許すわけないでしょう?
水垣するめ
恋愛
パーティ会場、観衆が見守る中、婚約者のクリス・メリーズ第一王子はいきなり婚約破棄を宣言した。
「アリア・バートン! お前はニア・フリートを理由もなく平民だからと虐め、あまつさえこのように傷を負わせた! そんな女は俺の婚約者に相応しくない!」
クリスの隣に立つニアという名の少女はクリスにしがみついていた。
彼女の頬には誰かに叩かれたように赤く腫れており、ついさっき誰かに叩かれたように見えた。
もちろんアリアはやっていない。
馬車で着いてからすぐに会場に入り、それからずっとこの会場にいたのでそんなことを出来るわけが無いのだ。
「待って下さい! 私はそんなことをしていません! それに私はずっとこの会場にいて──」
「黙れ! お前の話は信用しない!」
「そんな無茶苦茶な……!」
アリアの言葉はクリスに全て遮られ、釈明をすることも出来ない。
「俺はこいつを犯罪者として学園から追放する! そして新しくこのニアと婚約することにした!」
アリアは全てを悟った。
クリスは体裁のためにアリアに冤罪を被せ、合法的に婚約を破棄しようとしているのだ。
「卑怯な……!」
アリアは悔しさに唇を噛み締める。
それを見てクリスの傍らに立つニアと呼ばれた少女がニヤリと笑った。
(あなたが入れ知恵をしたのね!)
アリアは全てニアの計画通りだったことを悟る。
「この犯罪者を会場から摘み出せ!」
王子の取り巻きがアリアを力づくで会場から追い出す。
この時、アリアは誓った。
クリスとニアに絶対に復讐をすると。
そしてアリアは公爵家としての力を使い、クリスとニアへ復讐を果たす。
二人が「許してくれ!」と泣いて懇願するが、もう遅い。
「仕掛けてきたのはあなた達でしょう?」
白紙にする約束だった婚約を破棄されました
あお
恋愛
幼い頃に王族の婚約者となり、人生を捧げされていたアマーリエは、白紙にすると約束されていた婚約が、婚姻予定の半年前になっても白紙にならないことに焦りを覚えていた。
その矢先、学園の卒業パーティで婚約者である第一王子から婚約破棄を宣言される。
破棄だの解消だの白紙だのは後の話し合いでどうにでもなる。まずは婚約がなくなることが先だと婚約破棄を了承したら、王子の浮気相手を虐めた罪で捕まりそうになるところを華麗に躱すアマーリエ。
恩を仇で返した第一王子には、自分の立場をよおく分かって貰わないといけないわね。
追放されましたが、私は幸せなのでご心配なく。
cyaru
恋愛
マルスグレット王国には3人の側妃がいる。
ただし、妃と言っても世継ぎを望まれてではなく国政が滞ることがないように執務や政務をするために召し上げられた職業妃。
その側妃の1人だったウェルシェスは追放の刑に処された。
理由は隣国レブレス王国の怒りを買ってしまった事。
しかし、レブレス王国の使者を怒らせたのはカーティスの愛人ライラ。
ライラは平民でただ寵愛を受けるだけ。王妃は追い出すことが出来たけれど側妃にカーティスを取られるのでは?と疑心暗鬼になり3人の側妃を敵視していた。
ライラの失態の責任は、その場にいたウェルシェスが責任を取らされてしまった。
「あの人にも幸せになる権利はあるわ」
ライラの一言でライラに傾倒しているカーティスから王都追放を命じられてしまった。
レブレス王国とは逆にある隣国ハネース王国の伯爵家に嫁いだ叔母の元に身を寄せようと馬車に揺られていたウェルシェスだったが、辺鄙な田舎の村で馬車の車軸が折れてしまった。
直すにも技師もおらず途方に暮れていると声を掛けてくれた男性がいた。
タビュレン子爵家の当主で、丁度唯一の農産物が収穫時期で出向いて来ていたベールジアン・タビュレンだった。
馬車を修理してもらう間、領地の屋敷に招かれたウェルシェスはベールジアンから相談を受ける。
「収穫量が思ったように伸びなくて」
もしかしたら力になれるかも知れないと恩返しのつもりで領地の収穫量倍増計画を立てるのだが、気が付けばベールジアンからの熱い視線が…。
★↑例の如く恐ろしく、それはもう省略しまくってます。
★11月9日投稿開始、完結は11月11日です。
★コメントの返信は遅いです。
★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。
♡注意事項~この話を読む前に~♡
※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。
※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。
※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。
※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません
異世界二度目のおっさん、どう考えても高校生勇者より強い
八神 凪
ファンタジー
旧題:久しぶりに異世界召喚に巻き込まれたおっさんの俺は、どう考えても一緒に召喚された勇者候補よりも強い
【第二回ファンタジーカップ大賞 編集部賞受賞! 書籍化します!】
高柳 陸はどこにでもいるサラリーマン。
満員電車に揺られて上司にどやされ、取引先には愛想笑い。
彼女も居ないごく普通の男である。
そんな彼が定時で帰宅しているある日、どこかの飲み屋で一杯飲むかと考えていた。
繁華街へ繰り出す陸。
まだ時間が早いので学生が賑わっているなと懐かしさに目を細めている時、それは起きた。
陸の前を歩いていた男女の高校生の足元に紫色の魔法陣が出現した。
まずい、と思ったが少し足が入っていた陸は魔法陣に吸い込まれるように引きずられていく。
魔法陣の中心で困惑する男女の高校生と陸。そして眼鏡をかけた女子高生が中心へ近づいた瞬間、目の前が真っ白に包まれる。
次に目が覚めた時、男女の高校生と眼鏡の女子高生、そして陸の目の前には中世のお姫様のような恰好をした女性が両手を組んで声を上げる。
「異世界の勇者様、どうかこの国を助けてください」と。
困惑する高校生に自分はこの国の姫でここが剣と魔法の世界であること、魔王と呼ばれる存在が世界を闇に包もうとしていて隣国がそれに乗じて我が国に攻めてこようとしていると説明をする。
元の世界に戻る方法は魔王を倒すしかないといい、高校生二人は渋々了承。
なにがなんだか分からない眼鏡の女子高生と陸を見た姫はにこやかに口を開く。
『あなた達はなんですか? 自分が召喚したのは二人だけなのに』
そう言い放つと城から追い出そうとする姫。
そこで男女の高校生は残った女生徒は幼馴染だと言い、自分と一緒に行こうと提案。
残された陸は慣れた感じで城を出て行くことに決めた。
「さて、久しぶりの異世界だが……前と違う世界みたいだな」
陸はしがないただのサラリーマン。
しかしその実態は過去に異世界へ旅立ったことのある経歴を持つ男だった。
今度も魔王がいるのかとため息を吐きながら、陸は以前手に入れた力を駆使し異世界へと足を踏み出す――
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる