ゼラニウム

ぴぽ子

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 大野さんと飲む約束をした土曜日を迎えた。大野さんが先にお店で席をとってると言うので、ヒールの音をカツカツと立てながら、その店に向かった。気合は充分。

 中に入ると、店内の少し暗めな落ち着いた雰囲気が私を包む。そして、奥のテーブル席には大野さんがいた。こちらに気づき笑顔を向けるその顔も今日はなんだか憎く感じる。
 私が席につくと、「お疲れ様です。何飲みますか?僕が奢りますよ。」と言い、おしぼりとメニューを私に渡した。グラスに水を注ぐその手つきも綺麗。
 見惚れてる場合ではない、しっかりしろ自分!でも、どのタイミングでこんな話をすればいいのかわからない…


 2人でビールを飲みながら、つまみをつつき会話をする。会話をするというより、私の頭はひとつの話題でパンパンで、大野さんの話に相槌を打つことしかできなくなっている。

 「そういえば、空町さんのクリニックの先生は…空町さん?」

 大野さんが話をやめて、私の顔を見つめる。心配してそうな目で私をじっと見て、箸を置いた。

 「どうかされたんですか?今日は元気がないように見えます。熱でもあるのでは…」

 私のおでこに手を当てようとする大野さんの手を払いのけた。そして、大野さんの言葉を遮るように大きな声で私は聞いた。

 「先日、一緒にいた女性は彼女さんですか?」

 大野さんはびっくりしたように目を少し大きくしたかと思えば、すっと目線を下に落とし姿勢を正した。

 「木曜日のことでしょうか。だとしたら、そうです、あの人は僕の彼女…婚約者です。」

 「どうして彼女がいると教えてくれなかったんですか?しかも婚約者だなんて…」

 私は眉を顰めながら聞く。感情を出さないように抑えてるつもりが、つい顔には出てしまう。

 「どうして彼女がいるのに私と連絡先を交換したんですか?どうして彼女がいるのに私を誘ったんですか?どうしてですか?」

 私はただひたすら感情に任せて大野さんに問い詰めてしまっている。もう感情を抑えることは出来なさそうだ。

 「長くなると思いますが、僕の話をしていいですか?」

 「いいですよ。聞かせてください。」

 大野さんは嫌なことを思い出すかのような顔をして、空気を大きく吸ってゆっくり吐いた。

 「最近、彼女のことが好きなのかどうかわからなくなってきているんです。

 3年前に彼女から告白をされ付き合いました。そして、1年で同棲を始め、付き合って1年半ほど経つと、彼女は結婚の話をよくするようになりました。僕にはまだ実感が湧きませんでした。
 僕が乗り気ではないとわかると、ブライダル系の雑誌を僕の机に並べて置いたり、夜の営みを強要してきたりしました。彼女の母からも僕のスマホに電話がかかってきて、結婚の話を永遠とされることもあります。
 そんな日々に僕は疲れてしまい、頭の中が結婚を嫌なものと連想するようになってしまいました。そして、僕の頭の中を察した彼女は家を出ていき、実家に帰りました。
 しばらくは外で会ったり、電話をしたりしていたのですが、毎回喧嘩します。一度、電話で彼女を泣かせてしまったことがあり、彼女の実家に行きました。そこで彼女のご両親とお話をして、流されるように僕は口約束ですが婚約をしました。
 彼女の夫としてやっていけるのか、僕は彼女を養えるのかという不安は増える一方だし、しまいには本当にこの人でいいのだろうかという疑問まで抱くようになりました。
 僕はストレスで一度倒れました。それからは、この話題を彼女が出すことは減りました。
 月に1度デートをするんです。でも、もう昔のように笑って過ごすことはできなくなりました。彼女の方も昔のように振る舞ってはいるものの、苛立ちを隠してるのがわかります。そして、ただ淡々と会話し同じ時間を過ごすだけになりました。

 あの日、空町さんと居酒屋で出会った日。本当は彼女と会うはずだったんです。別れ話をしようと思っていました。ガチガチに緊張していたので、彼女の仕事が終わるまで居酒屋で気を晴らそうと思っていました。結局、会えなくなってしまいましたが…。
 そんな時に空町さんに声をかけられたんです。本当なら断らないといけないはずが、つい受け入れてしまいました。本当にすみませんでした。
 たった一夜限りの出来事でしたが、僕はあの日から空町さんのことがなぜか気になってしまい忘れることができません。それで、先週もつい空町さんと同じ店に入ってしまいました。
 …以上です。」

 私は唖然としてしまい、少しの間沈黙の時間ができた。そして、大野さんの話を聞いて私が思ったことはひとつ。

 「大野さんそれってマリッジブルーなのでは…」

 「マリッジブルー?なんですかそれは。」

 「結婚前後に顕れる精神的症状です。大野さんの話を聞く限りだと私はそう思いました。マリッジブルーが起こる男性は少なくないです。乗り越える方法もあります。私とはもう縁を切って、彼女さんと相談し一緒に乗り越えましょう。」

 「ちょ、ちょっと待ってください!僕はもう彼女のことは…!い、今は空町さんのことが…」

 大野さんが慌てた声を出し、私の話を止めた。少し取り乱した様子の大野さんのことなんておかまいなしに私は続けた。

 「性的欲求を恋愛的好きだと勘違いしているんですよ。3年間付き合った彼女をそんな簡単に捨てないでください。大野さん、貴方がしたことはただの浮気です。私が言うのもなんですが、最低です。それでは、さようなら。」

 私は財布からテキトーにお札を出し、テーブルに置いた。席を立ち、出口へ足を向ける。私を止めようと大野さんも立ち上がる音が聞こえたが、私は振り返らず歩き、店を出て行った。


 マリッジブルーと言ったのはテキトーだ。可能性は0ではないが、マリッジブルーになるには時期が早い気がする。ただ、もうそれっぽい何かを言って早くあの場を抜け出したかった。

 情けなく、どうしようもない男だったなと、私は大野さんに少しでも気持ちがいってしまったことを後悔した。
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