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新しいヒエラルキー
しおりを挟む去年はやたらと長く感じた入学式は、どうやら私たちがホームルームをしている間に終わったらしい。
我が校の体育館は広いとはいえ、やたらと若々しく見える新入生と、その晴れ姿を見に来た父母の皆様、あとは吹奏楽部の生徒で満員のようだった。
その吹奏楽部も、どうやら全員ではないようで、私のクラスにも吹奏楽部員はいたが、誰一人欠けることなく、ホームルームは至ってスムーズに進む。
騒ぎ立てるような話し声も、この時期はまだしない。新学期の最初というのは、誰もが大人しいものだ。
中途半端に大人になった私たちは、無意識のうちにこの小さな社会にヒエラルキーを形成していく。
自分でも気付かないような探り合いが日々繰り返されていて、積み重なった塵のように、些細な言葉や態度で、夏が来る前にはどこのクラスもその山を完成させるのだ。
自慢ではない、だけど傲慢でもない。私はそのヒエラルキーの、上位に位置している自信があった。
昔から人懐っこくて、不正を嫌う明るい強さを持つ性格は、大抵の女の子に受け入れられる。そして容姿も、絶世の美女とは言わないまでも、たぶん悪くはないはずだ。大抵の男子には、多少きつい言葉を刺しても、許された。もっともそれは、言われた本人も正当性を認めざるを得ない、そんな言葉ばかりだが。
だけど、決して自惚れてはいけない。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし、だ。かの故人がこう歌ったと習ったのは、いつだったか。
定期的に拍手をしながら聞いていた自己紹介は、気付けばもう廊下側まで達していて、渡辺なんとかさんが座ったことで、あの妙な緊張感は教室から完全に消え去った。
さて、と教卓に両手をついた担任の先生は意気込む。
この先生は昨年、私たちの入学とともに赴任してきた、数学担当の教師だ。
新学期最初の担任の言葉とのこともあって、熱を持っているのか。私より少し低い大人の女性の声は、よく通った。
「二年生になって、慣れてきたことも多いでしょう。だけど新しく後輩も入ってきて――」
大人の話とはまぁ長いもので、要約すると、二年生は気が緩みがちなので、遊びすぎに注意、勉強も抜かるなというような内容だった。
どこのクラスでも、たぶん担任の言葉というものは、あんまり変わらない。なんて当たり障りのない、とも思うが、本当にそうあることを、きっと推しているのだ。
だけど私は本当にそうあるべきだと心から思えるほど、まだ大人ではなかった。頭では、賢くあれと分かっているが、人生で一度の高校二年生、遊びたいに決まっている。
だって一年生の時は、突然増えた教科数だったり、知りもしない三百人近くの生徒の中に突然放り込まれたというだけで、それはもうあっという間に、目まぐるしく過ぎて行ってしまったのだ。
その上三年生になれば、何ならもっと言えば二年生の冬あたりから、激烈な受験戦争に身を投じることになる予定だ。
いくら少子化といえど、日本の大学受験は、年々その過酷さを増していると今年もニュースは報じている。
私にとっては、今この高校二年生こそが、いわゆる華の女子高生、大学生という大人になるまでの小休止だった。
その時間を最大限快適に過ごすためには、これから形成されるクラスの中でどの位置を獲得できるか、それが如何に大事かというのを私は理解していた。
そしてたぶん、他のみんなも本能的に理解していて、だからこそ、中世ヨーロッパの魔女狩りとまでは行かないが、異端者は端に隅に、そして深く暗い最下層に追いやられる。中学生の頃はくだらない、あからさまないじめなどもあったが、悲しいかな、私たちは少しだけ大人になったのだろうか。誰かを虐げて得られるのであろう優越感など必要なかったし、存在自体を自分の世界からないものとして、あるいは一定の境界線を常に引く方が、もっとずっと自分のためになることを、学習してしまっていた。
だけど私には、私の隣に座る彼女が、自ら境界線を引いているように思えた。
引いているのか、それとも私たちに引かせるようにしているのかまでは分からなかったが。
クラスという社会に、たぶんそもそも溶け込む気など、ないように感じた。
さっき彼女は自己紹介で、なんて言っていただろうか。正直よく覚えていない。帰宅部です、と小さめの声を聞いた気もする。
斜め下から覗き込むように見た彼女の顔は、醸し出す暗めの大人しい雰囲気よりも綺麗だな、と思った気がするが、如何せんあの白い手袋にばかり、目が行ってしまっていたのだ。
だけどそうだ、自己紹介を終えた彼女と、目があったように思う。微かに笑っていたような気もする。少し横を向けば確かめられるのに、思い出そうとすればするほど、やっぱり手袋ばかりが瞼の裏をちらつく。
ああ、なんでこんなに、彼女のことが気になるのだろう。もしかして恋だろうか、と思うような展開もあったかもしれないが、これは生憎そんなときめくような感情ではない。
私と彼女、クラスというヒエラルキーの中で、あまりにも遠く位置する私たちは、興味を持ち合っていたのだ。知りたいという欲、純粋なる好奇心。
そういえば、好奇心は猫をも殺す、と最初に言ったのは誰だったんだろう。かの人はどんな体験を経て、それを説いたのだろうか。
周りの音が遠くなるほど思考に没頭していた私は、スピーカーから突然流れたチャイムに、現実に引き戻された。
今日は半日しか学校がないので、もう終わりだ。帰宅部の私はもう用はない。帰る時間だ。
私は、きっと同じように帰ろうと立ち上がった隣の彼女を、待って、と引き留めた。
衝動的な行動だった。なぜ私がそうしたのか、私も彼女も、よく分かっていない。ただ、彼女はペンケースを落とした時のように、黙ったまま瞬きを繰り返す。しまった、その先を考えていない。えっと、と私は、歯切れ悪く、聞いた。
「…筆箱、あのとき、拾ってもよかったの?」
彼女はまた、ただただ瞬きを繰り返す。まつげ長いな、という変な思考の中、私も釣られて瞬きをする。
そして彼女はこくりと一つ、頷くと、小首を傾げるようにして笑った。
「あなたはとても、綺麗だから」
そういうと、彼女は小さくまたね、と言い、何もなかったかのように教室を出て行った。
彼女と入れ違いに入ってきた友達が、あの子喋れるんだ、などと言って近付いてくる。私は上の空で、そうだね、と呟いていたが、しばらく彼女の消えた廊下をじっと見ていた。
どういう意味だろう。
彼女が私を綺麗だという意味は分からなかったが、私は確かに彼女を、綺麗だと思った。
潔癖症とは、不正や不潔を嫌い、どんなものにも妥協しない完全なものを求める性格をいう。またに不潔恐怖症の意味でも用いられる。(wikipediaより)
私はその夜、自室のベッドの上に寝転がって、スマホで潔癖症について調べていた。
強迫神経症とも言われるそれは、どうやら恐怖だったり、精神的に追いやられて、行動に支障を来たすケースのある人をいうらしかった。
あの手袋は、直接手で触れていないという意味での、心の防御壁みたいなものなのだろうか。
吊り革が掴めないとなると、彼女はどうやって朝の満員電車をやり過ごしているのだろうと、疑問に思ったが、これは少し的外れな疑問だという自覚はあった。
「ちょっとー、見たがってたドラマ、もう始まるわよー」
階下から、母親が私を呼ぶ声がする。
一度呼び出すと、私の母親はずっと私を急かすくせがあった。
私は聞こえるように、はーい、と大きめに返事をすると、スマホを持ったままベッドから起き上がる。
女子高生は忙しい。快速電車さながらのスピードで移り行く話題についていくのに、流行りのドラマの鑑賞は必須だ。
私が毎クール、ドラマを見る理由の半分は、そこにあった。
もう半分は、単純に内容もおもしろいからというだけだった。
昨今流行りの医療もののドラマ。手術室でオペが始まったとき、何となく、隣の席の彼女は見ていないんだろうな、と思った。
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