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第三章

カパローニ侯爵家の朝

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 カパローニ侯爵家当主フェルディナンド・ロッシ・ルイジ・カパローニ。
『神々の最高傑作』と呼ばれる美丈夫は、かつて王国の騎士団を纏め上げた豪傑であったが、前カパローニ侯爵が隠遁し、家督を継ぐため引退。現在は『樹海の番人』とも呼ばれている。

 そもそも、なぜカパローニ侯爵家が王族の後ろ盾と成り得る大貴族と言われるのか。
 それはアーヴィリエバレイ王国の地理が大きく関係している。

 アーヴィリエバレイ王国は樹海と渓谷を挟んで魔境と隣接しているが、もちろん完全に周りを囲われている訳ではない。他国と隣接している土地もきちんとある。
 他国に行く為には、先人たちが樹海を切り拓いて通した街道があり、いくつかの宿場町や他国との貿易で栄える街がある。
 そしてその交通と貿易の要所とも言えるこの街道が通るのが、国内にいくつかあるカパローニ侯爵領の一つ『ラットフォレスタ』だ。ちなみに渓谷の先には魔境がただただ広がっているばかりで人の住める土地は無く、他にいくつかある樹海のルートは魔獣や猛獣が出ることもある為、とても安全とは言えない。

 第二王子イヴァンがアレッシア誘拐に加担した際に、側近のディーノが慌てて謝罪し、惜しみない協力を申し出たのはこれが理由だ。
 きちんと学がある貴族ならばカパローニ侯爵家を敵に回すことはまずない。
 ましてや現当主が溺愛する二人の娘に手を出すなど、正気の沙汰とは思えない。
 普段こそ昔の騎士団での豪傑ぶりはなりを潜め、穏やかな領主として領地運営に精を出しているが、愛してやまない二人の娘の為ならばラットフォレスタを閉鎖して家族と立て籠もることくらいはやってのける。フェルディナンド・ロッシ・ルイジ・カパローニという男はそういう人物なのだ。

 レオナルドも二人の妹を愛してやまないが、フェルディナンドのそれとは比較にならない。

「シア、今日は体調はどうだい?」

 カパローニ家では朝食は必ず全員揃って取ることとなっている。
 かつては父フェルディナンドが、そして今は長男レオナルドが王城での仕事に従事しているため、その他の時間では家族が揃い辛いためだ。

「もうすっかり良くなりましたわ。ご心配おかけいたしました。お父様」
「何か少しでもおかしいと思ったらすぐに言いなさい。いいね?本当にすぐに言うんだよ?」
「はい。ありがとうございます。」

 しばらく邸に籠もっていたアレッシアだったが、信頼のおける家が開く小規模なお茶会から社交を再開することになった。
 対外的には病に臥せていたことになっているアレッシアの元には毎日の様に見舞いの品や手紙が届き、騙しているようで心苦しいとアレッシア自身が望んだためだ。

「ああ、心配だなぁ。まだ早いんじゃないかな?あ!なんならお父様が一緒に行こうか?」
「大丈夫ですわ。今日は護衛の数も増やして行きますから」
「そうかい?」

 アレッシアに素気なく断られ、ややシュンとしたフェルディナンドは、今度はミリアムに目を向けた。

「ミリィは?今日は何をするんだい?最近刺繍をよく刺している様だけど、お父様のところにまだ何も届いていないようなんだが?」
「あまり納得のいくものが出来ておりませんの。ですからどなたにも差し上げておりませんわ」
「そうなのかい?何やら最近ミリィにはがつきそうだと言う報告があったんだが、そうか、誰にも上げていないんだね」

(悪い虫?確かに最近、夏も深まってきて虫が多くなってきましたけれど…、お父様は何をおっしゃっているのかしら?)

 ミリアムは“”の意味が分からず、首を傾げる。その様子を見たフェルディナンドは『我が娘は天使』と心の中で強く思った。

「虫の事はよくわかりませんが、今日はエレオノーラ様に刺繍を教わる予定ですの」

 最近、救国の魔女たちは王城内のベアトリーチェ邸にいる事が多く、ミリアムがベアトリーチェの邸に招かれると、ほぼ確実に第一王子のエミリオが馬車に同乗して送り届けてくる。
 その事はフェルディナンドも把握していて、出来たら止めさせたいのだが、ミリアムが『お父様、お疲れのご様子のエミリオ殿下が執務の間の息抜きにぜひ送りたいとおっしゃっていらっしゃるのです。わたくしでお役に立てるのなら、ぜひお力になって差し上げたいのです』などと、天使の様な事を言うものだから、絶対に下心があると分かっているのだが無下にできない。

「あー、それは今日もベアトリーチェ様の邸なのかな?」
「いえ、今日は渓谷にあるエレオノーラ様のお邸ですわ。約束の時間になりましたら、エレオノーラ様が空間転移で召喚して下さるそうです」

 渓谷のエレオノーラの邸のに行くと聞き、フェルディナンドは破顔する。

「そうか!たまには違う場所に行くのもいいな!」
「はい。ベアトリーチェ様たちも一緒なので楽しみですわ」
「…レオ、ベアトリーチェ様の中に殿下は…」

 突然話を振られたレオナルドは咀嚼していたものを呑み込み、ナプキンで口元を拭うと冷静に答えた。

「もちろん含まれます。もともとの予定は渓谷の調査ですから」
「…クッ!なんてことだ…はっ!私も同行…」
「はいはい、あなたは人と会うお約束があるではありませんか。お約束のお時間に遅れますから、早くお召し上がり下さいな」

 なんとか娘の予定に喰い込もうとするフェルディナンドをタチアナが制止すると、フェルディナンドは再びシュンと肩を落とした。

(お父様、そんなに渓谷に行ってみたかったのかしら?渓谷の中にはエレオノーラ様がいないと行けませんから、今度渓谷の近くへピクニックにでも誘おうかしら)

 シュンとする父を見ながら首を傾げて何かを考え込むミリアムを見て、残りの三人は『きっと全然見当違いの事を考えているミリィは本当に可愛い』と目で会話し、頷き合った。
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