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第三章

うわの空

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「痛っ!」
「大丈夫ですか?お嬢様!」
「ええ、ありがとう。だめね、ボーッとしてしまいましたわ」

 ミリアムはここ数日ひたすら刺繍を刺していた。
 何かに打ち込んでいなければ、あの日の事をずっと思い出してしまうからだ。
 とは言え、打ち込んでいたとしても気付くとボーッとエミリオの事を考えてしまう始末なのだが、やらないよりは幾分マシであった。
 針を刺してしまった指先を侍女に手当してもらうと、ミリアムは性懲りも無くまたぼんやりし始める。

(この手巾の刺繍が終わったら次は何に刺そうかしら、あっ、この碧い刺繍糸はエミリオ様の瞳の色のようね…これで何かエミリオ様に刺そうかしら。ああ、エミリオ様は今何をしておいでかしら…ってわたくしったらまたエミリオ様の事を考えているわ…)

 ふるふると顔を左右に振ると、ミリアムはフーッと長めに息を吐く。

「それにしても、随分たくさん刺してしまったわね」

 手を広げて目の前に翳す。右利きのミリアムの左手は何ヶ所も針を刺した後があった。

「ああ、ぼんやり刺しているから…だめね…。このあたりのステッチは歪になってしまっているわ」

 手巾に刺している刺繍を見返してみる。若葉が芽吹く枝に小鳥が止まっている図案なのだが、ところどころステッチが乱れ、歪な形になっている。

「とても人には差し上げられませんわね…」

 はぁ。と溜め息をつくと、ミリアムを暁色の魔法陣が包み込み、辺りを光が照らすとミリアムは姿を消した。ベアトリーチェの空間転移魔法だ。


 ◇


「あらぁ、落ち込んでるみたいだけどどうしたのぉ?」

 刺しかけの刺繍を手に俯くミリアムにベアトリーチェが声をかける。
 ヴァレリアが手元を覗き込むと、一緒にいたロビンも興味津々で刺繍を眺める。

「随分出来映えにムラがあんのね」
「こっちの鳥はかわいいのに、こっちの鳥は目がヘンだね!羽も右と左で模様がちがうね!」

 子供は正直だ。真正面から失敗した箇所を指摘され、ミリアムは思わず「うぅ」と唸った。

「ふむ。基本はしっかり身についているようだな。しかし、ここの部分はなんだかうわの空で刺した感じがするな」
「ご指摘の通りですわ」

 エレオノーラが刺しかけの刺繍を手に取り、細かく確認する。

「ねぇ、リアお姉さん。うわの空ってなに?」
「んー?何か他のことが気になってて、今やってることに集中できてないってことよ」
「ふーん。ミリィお姉さんは何が気になってたの?」
「どうせエミルのことでしょ」
「な、なななっ!ち、ちがいますわ!」

 突然エミリオの事を指摘され、ミリアムは頬を染めながらわかりやすく動揺する。
 その様子に魔女たちは目を輝かせ、ミリアムに詰め寄った。

「あらぁ、なぁにぃ!その反応!」
「ちょっと!何かあったんなら洗いざらい話しなさい!」
「さては何か進展があったのかな?」

 魔女たちに詰め寄られたミリアムは、数日前の湖畔での出来事を思い出して、顔を真っ赤にする。

「なな、なんにもございませんわ!」
「嘘つくんじゃないわよ!エミルも様子がおかしいし、なんかあったことはわかってんだからね!」
「そぉよぅ!エミルなんて、なぁんかソワソワ、ソワソワしちゃって、急に考え込んだと思ったら次の瞬間には両手で顔を押さえて天を仰いだり、神妙な顔をしていると思ったらソファに転げたり…その度にカパローニ卿が冷たい視線を送ってるんだものぉ。ぜーったいミリィと何かあったと思ってたのよぅ!」
「まあ、見ていて飽きないがな」

 魔女たちに取り囲まれ、ミリアムは逃げようとしたが、いつものテラスの円卓へと強制連行され、洗いざらい喋らされた。


「あーん!甘酸っぱいわぁ!やっぱり恋のお話って最高ねぇ!」
「エミルもなかなかやんじゃない。せこせこちっちゃいアピールしかしてないから、とんだヘタレ王子かと思ってたら!」
「それで?ミリィの気持ちはどうなんだ?まだ返事はしてないのだろう?」

 盛り上がる魔女たちをよそに、ミリアムは考え込む。

「それが、わたくし恋なんてしたこともなくて、その、正直よくわからないのです。エミリオ様は、てっきりお姉様をお想いになっていらっしゃるのかと思っておりましたし…でも、ここ数日気が付くとエミリオ様のことばかり考えてしまって、ついうわの空になってしまうのです」
「え?それって、ねぇ?」
「うふふ。あらぁ自分の気持ちにも鈍感ちゃんなのかしらぁ?」


 ◇


 エミリオは今日も大量の書類仕事に追われていた。ミリアムに告白をした翌日、宣言通りに議会から国王の分の書類を少々回してもらったレオナルドは、次々とそれをエミリオの執務机に積み上げ書類の塔を創り上げたのだ。

「なぁ、レオ」
「なんだ?」

 エミリオの執務机の傍らにはレオナルドの執務机があり、レオナルドもそこで書類や書簡の分類や、自分の裁量で処理できるものをこなしている。

「ミリアム嬢の事なんだが…」

 溺愛する妹の名前に手を止め、レオナルドは親友に視線を向ける。

「本気で婚約を申し込みたいと思っている」

 いつになく真剣な態度に、レオナルドも態度を改める。

「正直、どこの馬の骨ともわからん奴に嫁ぐよりは、お前の方が何万倍もマシなのは事実だ。何だかんだ言っても、お前は真面目で誠実な男だし、ミリィを大切にしてくれることは分かりきっている。だが、しかし…お前は第一王子だ」
「ああ」
「そしてカパローニ家は後ろ盾には申し分ない一族だ」
「…そうだな」
「お前とミリィが婚約するということは、ミリィは王太子妃、つまりゆくゆくは王妃になると言うことだ。普通の人生とは違う道を歩ませる上で、お前は最後までミリィを守り抜く覚悟はあるのか?」

 レオナルドの言葉にエミリオは立ち上がると、傍らの美貌の側近の前に立ち、真剣な眼差しで向かい合った。

「もちろんだ。私は生涯ミリアム嬢を愛し、いかなる危険からも悪意からも守り抜く事を誓う!」

 エミリオの熱意にレオナルドは溜め息を一つこぼし、肩をすくめる。

「お前の気持ちはわかった。たが、ミリィの気持ちが最優先だ。ミリィもお前の事を受け入れるのであれば、俺は二人を応援しよう」

 レオナルドの言葉にエミリオは破顔するが、次の言葉で一瞬にして表情を曇らせた。

「だがしかし、父上は一筋縄ではいかないぞ。せいぜい頑張るがいい」
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