上 下
61 / 92
第五十六章 天上偽神の戦い

死に場所はここではない

しおりを挟む

 圧倒的な力の差で、あがらえない女、細い手、しかも片手では男の首も締められない……
 それでもヴィーナスさんは、何としても勝ちたかった。
 その一念が、ヴィーナスさんを突き動かしているのです。

 首はまだ動かせます。
 口はまだ動かせます。
 そしてヴィーナスさんは、自分を抑えつけているブラフマーの手に、噛みついたのです。

 口の中に何か塊があります。
 ブラフマーの指を食いちぎったようです。

 次の瞬間、口の当たりを殴られ、歯が全てへし折れました、さらにはあごも骨折したようです。
 その為か、押さえつけられていた身体が、少し自由になりました。

 必死のヴィーナスさん、膝蹴りを急所に命中させますが、必殺の威力とはいかなかったようで、苦悶の表情のブラフマーに、髪をつかまれ、そのまま二三発蹴りをくらってしまいます。
 肋骨が何本か折れたようです。

 意識が薄れそうなヴィーナスさんですが、それでも自らの長い髪を、ブラフマーの首に巻きつける事に成功しました。

「おのれ!」
 ブラフマーの怒声が聞こえますが、自らの頭とブラフマーの首に巻きつけた髪の端を握った右手に、全ての力を込めます。

 ブラフマーの左手は、ヴィーナスさんの髪に絡まれていますが、両足は自由なようで、ヴィーナスさんのボディを蹴りつけて、その威力は内蔵をボロボロにしていきます。
 ヴィーナスさんの全身を、サンドバッグ状態にしているのです。

 それでもヴィーナスさん、力を緩めません。
 頭の髪の生え際は血だらけ、髪の端を握っている右手はブラフマーの左手の打撃で骨折しているのですが、自ら脳内麻薬を大量分泌、痛覚を麻痺させ、何としても離しません。

 ついにブラフマーの力が緩んできました。
 その時、もがき苦しんだブラフマーの手が動き、左の親指がヴィーナスさんの目を直撃。
 しかし顔面血だらけのヴィーナスさんの執念は、片目がつぶれても、ブラフマーの首を締めあげ続けます。

 ブラフマーは最後の力で、ヴィーナスさんの頭を左手で殴りつけます。
 頭骨が陥没したのですが、死んでもいいと思っているヴィーナスさんは、首を締めあげたままです。
 そしてとうとう、自らは生き残ったのです。

 動かなくなったブラフマーに、ヴィーナスさんは気がつかず、しばらくそのまま首を締めあげていました。
 遅延空間と呼ぶべき世界が崩れ始め、全てが分解されていきます、ブラフマーの肉体もです。

 戦いが終わった事に気がついた時、周りはかき消え始めています。
「終わったわ……私も最後のようね……戻れそうもないようね、でも構わないわ、どのみち、この身体の負傷は致命傷……ここまでね」
 
 ……まだだ、まだ早い、死ぬのは今ではない!致命傷が確実だが、死ぬのは今ではない!
 ……そうだ、まだ早い、死に場所はここではない、戻ろう、戻る努力をしよう。
 私を待つ女たちの元へ、死ぬなら彼女たちのもとで……愛するサリーさんの膝の上に……

 しかし戻る方法が……その時、閃いたのです。
 この遅延空間の世界が崩れ、全てが分解されている、質量があるのではないか?

 ならエネルギーさえ確保できれば、帰還できるのではないか、エネルギーさえあれば……
 そして、それが有る事に気がついたのです。

 ヴィーナスさんは賭けてみる事にしました。
 痛覚を押さえていた力、本当に最後に残っていた力、精神力を帰還の為に使ったのです。

 その精神力で、自らの粉砕していた左足を分解し、エネルギーとしたのです。
 さらには我慢する力をも投入し、激痛で泣き喚きながら、何とか遅延空間が消える前に、戻ってきたのです。

しおりを挟む

処理中です...