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第五十二章 この世界を守るべし

記憶という輪廻の流れ

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 鏡界を破壊されたとしても、幽子は無尽蔵にある……
 『与え、受ける』二つの種族、三千世界を保つには新しき者が登場し、古きものは退場しなければならない。

 二つの種族は一つになれば無に戻る、エネルギー循環が停止する、だから我らの大神様はエネルギー循環の方便、『輪廻』を定められたのだ……

 アスラどもが問題視する『利己特性』とは、その『輪廻』を回すエネルギー増幅装置、限界がくれば、おのずと機能する。
 新しきもののために退場させるのだ、さらには退場させるために、限界に種族を導く……

 三千世界、つまり『有』の世界は、『無』という巨大な空間を漂う、ちっぽけな塵(ちり)、しかし『有』はこの三千世界唯一つなのだ。

 その貴重な世界の存立を脅かす者は、排除するしかない、それが我にゆだねられた使命なのだ。
 転輪の大神クロノス様は常に正しい。

 我が『天之御中主(あめのみなかぬし)』神に見捨てられたとき、クロノス様は我を引き上げ諭された。
 我は間違ってはいなかったが、慢心していたのだ、自らを神と称したが、世界を守らなかった……

 大神クロノス様は常に神隠れておられる。
 『天之御中主(あめのみなかぬし)』神のように存在を表さない。
 しかし我の記憶にささやかれた、三千世界の存続のための方便、『輪廻』を守れと……

 デーヴァは常に一人、梵天ブラフマーとして、記憶を引き継いで存在してきた。
 物質世界を維持存続させるために、大神クロノス様がお定めになった、初禅三天を預かる者である。
 『天之御中主(あめのみなかぬし)』神は、自らが作った階層がすべてと、認識しているのかも知れないが、真の初禅三天は転輪の中を漂うのだ。

 そして転輪の中にも記憶がある。
 それは膨大な転輪の中で、うごめいている。
 輪廻とは、記憶の流れなのである。

 そしてその記憶の流れの中には、神の姿形とは相容れぬ記憶もある……鏡界は単なる予備……物質世界を正す一つの装置、『天之御中主(あめのみなかぬし)』神を鎮めるためのもの、それは正しく動いている。

 いま我は膨大なエネルギーを手にした、この穢れきった三千世界を、もとの有るべき姿に正すときだ。
 デーブァとは『与える者』である。

 輪廻を整え、世界を秩序正しく保つために、運命を与える者なのである。

 そしてデーヴィーは『受ける者』、運命を受け入れ従い、声大きく嘆き悲しむ者なのである。
 そしてこのデーヴィーの嘆きが輪廻を回し、『有』を飲み込まんとする、『無』をはじいているのである。

 アスラの女どもは、『天之御中主(あめのみなかぬし)』神の本質を理解していない。
 確かに世界を創りたもうた神、しかしその神の本質は『ゆらぎ』なのである。

 『ゆらぎ』は『虚』を嫌った、『嫌った』ということがどこから来たのかは、我もクロノス様も分からぬこと、しかし『無』を嫌ったわけではない。
 創造の神は『無』の彼方に行きたいのだ。

 この『有』を捨てて……二つの種族が一つになることはエネルギーの再生産を停止させる……そして邪魔な『有』は消える、残るのは『無』、元に戻るのだ……
 
 我は戦うのみ、正義は我にある、この限りなく弱い世界は我が守る……
 そのためには、一度世界は滅亡せねばならぬ。

 三千世界に蔓延る滅亡の神話は、繰り返される現実、死者の骸を苗床に生者は生まれる。
 世界の様相は、全てこれより成り立っている。
 世界の存続のため、邪魔者はこの手で排除する……

 虫の種族よ……
 嘆き悲しむエネルギーを生み出すほど、進化出来なかったが、欲望のエネルギーは大したものがある。
 この者どもなら、うってつけ、幾度も世界を破滅に導いた我の下僕たち……

「さて、人を喰らう者どもよ、しばしの眠りより甦るが良い、時よ!出でよ!」 

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