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126 嫌いではないが苦手な分野(その1)
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入学した地元の高校にサッカー部はないが、近くに有名なコーチが在籍しているクラブチームが活動していた。
遠方の学校からの推薦入学を蹴り、地元に残ってサッカーを続けるのであれば、それが最適解だと考えた。クラブに入った理由は、それだけに過ぎない。
クラブに入る人間は様々だが、目的か手段、もしくはその両方で『サッカーをやりたい』という共通の目標の下、一丸となって取り組んでいる。
役割は違えども、『サッカー』という競技で『チームで勝利する』為に、何が必要となるのか?
そう考えて真剣に、競技に取り組む。人間性に多少どころか、無駄にくせがあったとしても、それだけは決して変わらない……
――ドグシャッ!
……はずだった。
『ゴヒュッ!? ハッ、ハッ、ハッ……』
当時は目の前の光景が、どうしても信じられなかった。
競技の中であれば、どんな乱暴なプレイであったとしても、規則からは逃れることができない。だから規則を遵守して競技に取り組むか、その合間を縫って反則紛いの行為に手を染めてしまう。でなければサッカーを、スポーツを行う権利どころか、取り組む意義もない。
……しかし、目の前のチームメイトだけは違った。
『…………』
その少年は蹴り足を降ろしても、視線を下げることはしない。
ただ選手達が騒ぎ、審判やコーチ達が慌ただしく右往左往する中、彼だけは何もかもに飽きてしまったような顔付きで、控え用ベンチにある私物を回収し始めている。
『ぁ……、』
一言も、声を掛ける暇はなかった。
自分だけではない。誰もが、その少年が上着代わりのジャージを羽織り、スパイクからただの運動靴へと履き替えているのを止めるどころか、気にする余裕すらなさそうだった。
『おいっ! お前……待てこらっ!?』
……いや、誰かが客席から飛び降り、彼に詰め寄っているのが見えた。
感情的になっているところを見ると、おそらくは彼にボールをぶつけられた、敵チームの選手の関係者だろう。もしかしたら、相手の父親かもしれない。
もっとも、本当に親なのであれば……怪我をした選手よりも、わざと急所にボールをぶつけてきた相手に手を上げようとしている時点で、『親としての心配』より『子を傷付けられた怒り』が上回っているのが分かる。
それが正しいことなのかは、今でも分からないが……少なくとも、チームメイトが危ないことに変わりはない。
『よくも家の……ギュグェッ!?』
けれども、その少年は手を上げられるよりも早く、相手の股間へと蹴り足を叩き込んでいた。
サッカーの蹴りではない。どちらかといえば……それは、格闘技の蹴撃に近かった。ただ、これだけははっきりと言える。
自分の足を使った時も、ボールを飛び道具に変えた時も変わらず……その少年の眼には、冷酷な敵意が秘められていた。
相手が誰であろうと変わらず、ただ眼前の敵を薙ぎ払う姿に視線を奪われていたが……ふと、表現を間違えていると、混乱する頭の中に彼の口癖が響いてきた。
「『全部振り切ってやる』……」
「どうかしましたか? コーチ」
「あ、いえ……何でもありません」
あの時の出来事から経過した年月は、まだ二桁にも達していない。そう理解していても、それ以上に衝撃的な場面に出くわしたこともなければ、今後も巡り合うことはないとすら思ってしまっている。
だから今でも、その時の記憶が脳裏にこびり付いているのかもしれない。
「少し休まれますか? たしか昨日も、遅くまで残られてましたよね……戸塚コーチ」
「……いえ、大丈夫です」
とあるサッカークラブにて専属コーチを勤めている戸塚直人は、同僚のスタッフからの申し出を断った後、早足で立ち止まってしまった分の距離を取り戻した。
「コーチはいつも熱心だから、たまに心配になりますよ。たしかに選手達の安全の為にも、事前にグラウンドの状態を確認したい気持ちは分かりますけど……少し位、私達に任せてくれてもいいんですよ?」
「申し出はありがたいのですが……自分の目で見ないことには、どうしても納得がいかなくて……」
「まあ……だから、選手達に慕われてるんですよね。コーチは」
「……いえ」
そこで直人は、思わず言い澱んでしまう。
「自分はまだまだ……ですよ」
何となくだが、自分が選手達位の年頃に起きた出来事を思い出した理由に、何となく気付いてしまった。
今居る、サッカーグラウンドの利用を申し込みに来た総合運動公園が、あの日に訪れていた場所にどこか似ていたからだろう。
もっとも、スポーツが規則に沿って行われている以上、ある程度似通った施設を用意しなければならないので、仕方がないと言えばそれまでだが。
「それでは、私は施設利用の申請が終わりましたので、そのまま事務所に戻ります」
「はい。こちらもグラウンドを確認次第、戻りますので……」
しかし別れる前、同僚は直人に向けて、一言だけ残していった。
「せっかくですし……そのまま昼休憩も取られてはいかがですか? 練習が始まる午後までに、戻っていただければ大丈夫ですので」
「……ありがとうございます」
その言葉に従い、直人は総合運動公園に一人、残ることにした。
「それでは……お言葉に甘えさせていただきます」
同僚と別れ、直人はサッカーグラウンドへと向かっていく。
「特に、問題はなさそうだな……」
金網で囲まれただけの場合もあれば、その中に観客用の応援席が設置されているグラウンドもある。今回は練習試合用に借りる予定の為、見学希望の保護者用の観覧スペースは最小限で良い。それでも、訪れた夏が選手や自分達を追い込まないよう、熱中症対策の屋根や休憩場所は必須である。
「フィールドは競技の規定通り。ただ……少し、汚れてるな。当日は早めに来て、清掃した方が良いかもしれないか」
普段から利用しているかどうかは関係ない。その可能性があると分かっただけでも、確認しに来た甲斐がある。後は近くのトイレや自動販売機等、共用スペースで利用できるサービスを確認して終わりだ。
「さて、事務所は確認したから後は……っ!?」
そう思っていた直人だが、突如足を止めてしまう。
その理由は、視界に入ってきたある集団だった。
世間的には休日の今日、全員が動きやすい格好で敷地内にある野球場の方へと向かっている。運ばれている道具から見ても、草野球の試合かその練習が行われると見て、まず間違いないだろう。
本来であれば、すれ違うだけで終わるが……その時だけは、声を張り上げずにはいられなかった。
「――徹っ!?」
相手の集団は、足を止めた。しかし、振り向いてくれた理由は単に、直人が声を張り上げたからに過ぎない。
その証拠に……直人が呼び掛けたかった相手は周囲に合わせて、足を止めたのだから。
『……野球の試合に出てくれないか?』
終業式当日。洋一が言い放ったのは完全な私事、けれども、どこか切羽詰まっている印象を与えてきていた。
『どうしたんですか? 急に……』
代表して、先に思考が追い付いた睦月が洋一へと問い掛ける。さすがに聞かれると分かっていた為に、返答は淀みなく行われた。
『実は、俺の所属する草野球チームの試合が近々あるんだが……急に選手の数が足りなくなったんだ』
『足りない、って……控えの選手もですか?』
元陸上部だった由希奈も同様に、洋一に確認するように問い掛けてくる。
由希奈もまた、部活内でレギュラーの座を取り合ったことがあるだけに、大人数ではないかと考えていたのだろうが……草野球に関しては、どうやら知識不足だったらしい。
『元々、野球好きで始めたチームだから、人数が少なくてな。まあ何人かは余裕があったんだが……不意の事故とか急に大きな仕事が入ったりとかして、チームの大半が当日来れなくなったんだ』
お盆休みによる企業の夏季休暇に合わせて、今の時期は自然と繁忙期に近い状態になることは、よくある話だ。しかし、チームメイトの大半が休めなくなるというのも、偶然が過ぎる。
むしろ偶然は事故だけで、休んだ人達のほとんどが同じ職場な為に、全体的に立て込んでしまったと考えた方が自然だろう。
『ちなみに……何人足りないんですか?』
『俺以外全員。大会じゃなくて練習試合だったら、とっくに日程変更してるレベルだな』
『即席チームの方が危ない気がしますけど……』
野球は九人で行うスポーツだ。指名打者を考えれば十人だが、必ずしも必要とは限らない上に、大会規定によっては採用されていないケースもある。
だから最低でも、八人揃えればいいのだろうが……そう都合良く集まるだろうか?
『捕手で構わなければ、日程次第で参加できるが……』
『採用っ!』
『……いや、まず先に日程を確認しましょうよ』
意外にも、先陣を切って参加の意を示してきたのは拓雄だった。洋一の告げる日程を確認し、特に問題がないと分かるやすぐに、メンバーへと加えられた。
『それにしても……拓さんって、野球できるんですか?』
『実家に住んでた頃は運動がてら、職場の人間とよくやってたよ。頭数はともかく、時間や都合を揃えるのが難しくて、社外のチームと試合したことはないけど』
実力の程は分からないが、最低限のルールを理解している人間が居るだけでも心強いはずだ。しかし、未だに人数が足りていない。
『まあ、その日程なら……パ○プロとバッティングセンター程度の経験で良ければ、参加させて下さい』
『採用っ!』
『……もう身体動かせるなら、誰でもいいと思ってませんか?』
実際、クラス最年長の裕や担任の紅美は先に腕を上げ、無言で×印を作っている。となると残るは由希奈、だけだが……
『ちなみに……男女や年齢とかは?』
『健康体であれば基本、誰でも問題ないんだが……男子野球の大会規定だから、人によってはちょっときついかもしれない』
睦月が洋一にそう問い掛けた理由は二つ。
一つは、人員補充の選別基準がどうなっているのかを確認すること。
そしてもう一つは……
『あの……私も、いいですか?』
……もしやる気があるのなら、由希奈にも参加の意思を示しやすくする為だった。
『採用っ!』
『……さっきからそれしか言ってませんけど、大丈夫ですか?』
全員の参加可否を確認し終えた後、起立した睦月は洋一の傍へと寄っていく。
そして試合当日。
「ところで睦月さん……どうして自分から、『他のメンバーを探してくる』って、提案したんですか?」
「……俺が営業活動していた日に、由希奈もバイトしてたよな?」
周囲に聞かれないよう、睦月は少し声をひそめながら、その横をジャージ姿で歩いている由希奈に答えた。
「その時、姫香達が依頼の精査をしてただろ? 結局ほとんど京子さんに持ってかれてしまったんだが……つまり大半は、警察に流れたってことだろ」
「そう、言えば……そうですね」
そして話は、メンバーに含まれてはいるが今日は居ないある夫婦に移る。
「そしてこの前知ったんだけどな。京子さんの旦那が、実は洋一さんの相方なんだよ。で、肝心なのは京子さん達夫婦の職業が、どっちも警察官だってことだ。つまり……」
「……仕事で立て込んでいる人達は全員、警察関係者かもしれないってことですか?」
睦月は静かに、首を縦に振った。
「不慮の事故の方はともかく、仕事で来れない人達が警察官なら、人数足りない原因は多分俺だろ? そうなると無関係じゃないから……さすがにちょっと、責任を感じてな」
「それは……」
睦月の言葉に、由希奈は肯定も否定もできなかった。あまりにも間接的なので、無関係と言えばそれまでだが……少なくとも、協力できることがあるのならば手伝うべきではないか、と考えてしまっているのかもしれない。
こういう時、罪悪感を抱きやすいのはお互い、辛いものがあった。
「まあ、それに……身体を動かすのは嫌いじゃないしな」
多少おどけることで、由希奈の気持ちを緩めようとした睦月は、改めて鞄を担ぎ直した。
「野球自体は初めてだけど、規則は知ってるから足は引っ張らないと思う。それに初心者だってもう伝えてあるから、後は指示通りに動けば何とか、」
その時、睦月達に向けて、ある名前が叫ばれた。
「――徹っ!?」
この場に居た全員が振り返る中、睦月も声のした方を向き……そこで声を張り上げて来た同年代の青年を見て、思わず首を傾げる。
『徹……?』
視線は睦月達に向けられているので、この中に居るはずだが……誰もその名前を持っていない為、全員が不思議そうに、声を漏らしてしまう。
(あ…………そっか、俺だ)
やがて……自身が昔使っていた偽名だと、睦月は遅れて気付いた。
遠方の学校からの推薦入学を蹴り、地元に残ってサッカーを続けるのであれば、それが最適解だと考えた。クラブに入った理由は、それだけに過ぎない。
クラブに入る人間は様々だが、目的か手段、もしくはその両方で『サッカーをやりたい』という共通の目標の下、一丸となって取り組んでいる。
役割は違えども、『サッカー』という競技で『チームで勝利する』為に、何が必要となるのか?
そう考えて真剣に、競技に取り組む。人間性に多少どころか、無駄にくせがあったとしても、それだけは決して変わらない……
――ドグシャッ!
……はずだった。
『ゴヒュッ!? ハッ、ハッ、ハッ……』
当時は目の前の光景が、どうしても信じられなかった。
競技の中であれば、どんな乱暴なプレイであったとしても、規則からは逃れることができない。だから規則を遵守して競技に取り組むか、その合間を縫って反則紛いの行為に手を染めてしまう。でなければサッカーを、スポーツを行う権利どころか、取り組む意義もない。
……しかし、目の前のチームメイトだけは違った。
『…………』
その少年は蹴り足を降ろしても、視線を下げることはしない。
ただ選手達が騒ぎ、審判やコーチ達が慌ただしく右往左往する中、彼だけは何もかもに飽きてしまったような顔付きで、控え用ベンチにある私物を回収し始めている。
『ぁ……、』
一言も、声を掛ける暇はなかった。
自分だけではない。誰もが、その少年が上着代わりのジャージを羽織り、スパイクからただの運動靴へと履き替えているのを止めるどころか、気にする余裕すらなさそうだった。
『おいっ! お前……待てこらっ!?』
……いや、誰かが客席から飛び降り、彼に詰め寄っているのが見えた。
感情的になっているところを見ると、おそらくは彼にボールをぶつけられた、敵チームの選手の関係者だろう。もしかしたら、相手の父親かもしれない。
もっとも、本当に親なのであれば……怪我をした選手よりも、わざと急所にボールをぶつけてきた相手に手を上げようとしている時点で、『親としての心配』より『子を傷付けられた怒り』が上回っているのが分かる。
それが正しいことなのかは、今でも分からないが……少なくとも、チームメイトが危ないことに変わりはない。
『よくも家の……ギュグェッ!?』
けれども、その少年は手を上げられるよりも早く、相手の股間へと蹴り足を叩き込んでいた。
サッカーの蹴りではない。どちらかといえば……それは、格闘技の蹴撃に近かった。ただ、これだけははっきりと言える。
自分の足を使った時も、ボールを飛び道具に変えた時も変わらず……その少年の眼には、冷酷な敵意が秘められていた。
相手が誰であろうと変わらず、ただ眼前の敵を薙ぎ払う姿に視線を奪われていたが……ふと、表現を間違えていると、混乱する頭の中に彼の口癖が響いてきた。
「『全部振り切ってやる』……」
「どうかしましたか? コーチ」
「あ、いえ……何でもありません」
あの時の出来事から経過した年月は、まだ二桁にも達していない。そう理解していても、それ以上に衝撃的な場面に出くわしたこともなければ、今後も巡り合うことはないとすら思ってしまっている。
だから今でも、その時の記憶が脳裏にこびり付いているのかもしれない。
「少し休まれますか? たしか昨日も、遅くまで残られてましたよね……戸塚コーチ」
「……いえ、大丈夫です」
とあるサッカークラブにて専属コーチを勤めている戸塚直人は、同僚のスタッフからの申し出を断った後、早足で立ち止まってしまった分の距離を取り戻した。
「コーチはいつも熱心だから、たまに心配になりますよ。たしかに選手達の安全の為にも、事前にグラウンドの状態を確認したい気持ちは分かりますけど……少し位、私達に任せてくれてもいいんですよ?」
「申し出はありがたいのですが……自分の目で見ないことには、どうしても納得がいかなくて……」
「まあ……だから、選手達に慕われてるんですよね。コーチは」
「……いえ」
そこで直人は、思わず言い澱んでしまう。
「自分はまだまだ……ですよ」
何となくだが、自分が選手達位の年頃に起きた出来事を思い出した理由に、何となく気付いてしまった。
今居る、サッカーグラウンドの利用を申し込みに来た総合運動公園が、あの日に訪れていた場所にどこか似ていたからだろう。
もっとも、スポーツが規則に沿って行われている以上、ある程度似通った施設を用意しなければならないので、仕方がないと言えばそれまでだが。
「それでは、私は施設利用の申請が終わりましたので、そのまま事務所に戻ります」
「はい。こちらもグラウンドを確認次第、戻りますので……」
しかし別れる前、同僚は直人に向けて、一言だけ残していった。
「せっかくですし……そのまま昼休憩も取られてはいかがですか? 練習が始まる午後までに、戻っていただければ大丈夫ですので」
「……ありがとうございます」
その言葉に従い、直人は総合運動公園に一人、残ることにした。
「それでは……お言葉に甘えさせていただきます」
同僚と別れ、直人はサッカーグラウンドへと向かっていく。
「特に、問題はなさそうだな……」
金網で囲まれただけの場合もあれば、その中に観客用の応援席が設置されているグラウンドもある。今回は練習試合用に借りる予定の為、見学希望の保護者用の観覧スペースは最小限で良い。それでも、訪れた夏が選手や自分達を追い込まないよう、熱中症対策の屋根や休憩場所は必須である。
「フィールドは競技の規定通り。ただ……少し、汚れてるな。当日は早めに来て、清掃した方が良いかもしれないか」
普段から利用しているかどうかは関係ない。その可能性があると分かっただけでも、確認しに来た甲斐がある。後は近くのトイレや自動販売機等、共用スペースで利用できるサービスを確認して終わりだ。
「さて、事務所は確認したから後は……っ!?」
そう思っていた直人だが、突如足を止めてしまう。
その理由は、視界に入ってきたある集団だった。
世間的には休日の今日、全員が動きやすい格好で敷地内にある野球場の方へと向かっている。運ばれている道具から見ても、草野球の試合かその練習が行われると見て、まず間違いないだろう。
本来であれば、すれ違うだけで終わるが……その時だけは、声を張り上げずにはいられなかった。
「――徹っ!?」
相手の集団は、足を止めた。しかし、振り向いてくれた理由は単に、直人が声を張り上げたからに過ぎない。
その証拠に……直人が呼び掛けたかった相手は周囲に合わせて、足を止めたのだから。
『……野球の試合に出てくれないか?』
終業式当日。洋一が言い放ったのは完全な私事、けれども、どこか切羽詰まっている印象を与えてきていた。
『どうしたんですか? 急に……』
代表して、先に思考が追い付いた睦月が洋一へと問い掛ける。さすがに聞かれると分かっていた為に、返答は淀みなく行われた。
『実は、俺の所属する草野球チームの試合が近々あるんだが……急に選手の数が足りなくなったんだ』
『足りない、って……控えの選手もですか?』
元陸上部だった由希奈も同様に、洋一に確認するように問い掛けてくる。
由希奈もまた、部活内でレギュラーの座を取り合ったことがあるだけに、大人数ではないかと考えていたのだろうが……草野球に関しては、どうやら知識不足だったらしい。
『元々、野球好きで始めたチームだから、人数が少なくてな。まあ何人かは余裕があったんだが……不意の事故とか急に大きな仕事が入ったりとかして、チームの大半が当日来れなくなったんだ』
お盆休みによる企業の夏季休暇に合わせて、今の時期は自然と繁忙期に近い状態になることは、よくある話だ。しかし、チームメイトの大半が休めなくなるというのも、偶然が過ぎる。
むしろ偶然は事故だけで、休んだ人達のほとんどが同じ職場な為に、全体的に立て込んでしまったと考えた方が自然だろう。
『ちなみに……何人足りないんですか?』
『俺以外全員。大会じゃなくて練習試合だったら、とっくに日程変更してるレベルだな』
『即席チームの方が危ない気がしますけど……』
野球は九人で行うスポーツだ。指名打者を考えれば十人だが、必ずしも必要とは限らない上に、大会規定によっては採用されていないケースもある。
だから最低でも、八人揃えればいいのだろうが……そう都合良く集まるだろうか?
『捕手で構わなければ、日程次第で参加できるが……』
『採用っ!』
『……いや、まず先に日程を確認しましょうよ』
意外にも、先陣を切って参加の意を示してきたのは拓雄だった。洋一の告げる日程を確認し、特に問題がないと分かるやすぐに、メンバーへと加えられた。
『それにしても……拓さんって、野球できるんですか?』
『実家に住んでた頃は運動がてら、職場の人間とよくやってたよ。頭数はともかく、時間や都合を揃えるのが難しくて、社外のチームと試合したことはないけど』
実力の程は分からないが、最低限のルールを理解している人間が居るだけでも心強いはずだ。しかし、未だに人数が足りていない。
『まあ、その日程なら……パ○プロとバッティングセンター程度の経験で良ければ、参加させて下さい』
『採用っ!』
『……もう身体動かせるなら、誰でもいいと思ってませんか?』
実際、クラス最年長の裕や担任の紅美は先に腕を上げ、無言で×印を作っている。となると残るは由希奈、だけだが……
『ちなみに……男女や年齢とかは?』
『健康体であれば基本、誰でも問題ないんだが……男子野球の大会規定だから、人によってはちょっときついかもしれない』
睦月が洋一にそう問い掛けた理由は二つ。
一つは、人員補充の選別基準がどうなっているのかを確認すること。
そしてもう一つは……
『あの……私も、いいですか?』
……もしやる気があるのなら、由希奈にも参加の意思を示しやすくする為だった。
『採用っ!』
『……さっきからそれしか言ってませんけど、大丈夫ですか?』
全員の参加可否を確認し終えた後、起立した睦月は洋一の傍へと寄っていく。
そして試合当日。
「ところで睦月さん……どうして自分から、『他のメンバーを探してくる』って、提案したんですか?」
「……俺が営業活動していた日に、由希奈もバイトしてたよな?」
周囲に聞かれないよう、睦月は少し声をひそめながら、その横をジャージ姿で歩いている由希奈に答えた。
「その時、姫香達が依頼の精査をしてただろ? 結局ほとんど京子さんに持ってかれてしまったんだが……つまり大半は、警察に流れたってことだろ」
「そう、言えば……そうですね」
そして話は、メンバーに含まれてはいるが今日は居ないある夫婦に移る。
「そしてこの前知ったんだけどな。京子さんの旦那が、実は洋一さんの相方なんだよ。で、肝心なのは京子さん達夫婦の職業が、どっちも警察官だってことだ。つまり……」
「……仕事で立て込んでいる人達は全員、警察関係者かもしれないってことですか?」
睦月は静かに、首を縦に振った。
「不慮の事故の方はともかく、仕事で来れない人達が警察官なら、人数足りない原因は多分俺だろ? そうなると無関係じゃないから……さすがにちょっと、責任を感じてな」
「それは……」
睦月の言葉に、由希奈は肯定も否定もできなかった。あまりにも間接的なので、無関係と言えばそれまでだが……少なくとも、協力できることがあるのならば手伝うべきではないか、と考えてしまっているのかもしれない。
こういう時、罪悪感を抱きやすいのはお互い、辛いものがあった。
「まあ、それに……身体を動かすのは嫌いじゃないしな」
多少おどけることで、由希奈の気持ちを緩めようとした睦月は、改めて鞄を担ぎ直した。
「野球自体は初めてだけど、規則は知ってるから足は引っ張らないと思う。それに初心者だってもう伝えてあるから、後は指示通りに動けば何とか、」
その時、睦月達に向けて、ある名前が叫ばれた。
「――徹っ!?」
この場に居た全員が振り返る中、睦月も声のした方を向き……そこで声を張り上げて来た同年代の青年を見て、思わず首を傾げる。
『徹……?』
視線は睦月達に向けられているので、この中に居るはずだが……誰もその名前を持っていない為、全員が不思議そうに、声を漏らしてしまう。
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