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111 案件No.007_美術品運送(競合相手有)(その1)
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「ん? 君は……荻野んとこの孫か! 随分久し振りだな」
目的地に到着すると、そこには今回の依頼人でもある、顔馴染みの警備会社の管理職こと伊藤潔と共に、懐かしい顔触れが待っていた。
「えっと……もしかして、峰岸さんですか?」
秀吉から聞いた限りだが、祖父の代からの『運び屋』としての競合相手でもある、峰岸一郎が睦月に対して、親し気に手を振ってきていた。
それに応えつつ、睦月は一度、停車させた車から降りた。そして相手が峰岸であることを確認してから、改めて挨拶を返した。
「お久し振りです。もう引退されたと、父から聞いていたんですが……」
腕前は本物だが、『運び屋』となった秀吉とは違い、峰岸の息子は大手企業へと就職していた。元々継がせる気がない上に続ける理由もなかったとかで、睦月が『走り屋』を始める前にはすでに引退し、隠居したと聞いている。
けれども、何故か彼はこうして、伊藤と共に肩を並べていた。
「まあ、実際に引退したんだが……な」
その事情の説明も含めてか、伊藤は一歩前に出て睦月に話し始めた。
「今回はいくつかの手に別れて、美術品を運んで貰いたいんだ」
要するに、陽動を含めた何手にも分かれて、本物の美術品を届けることが今回の依頼内容らしい。警備会社の社員を含めたいくつかの班はすでに出立しており、残るは睦月達だけだとか。
「残りの内、一つを頼みたい。到着を確認次第、いつも通り報酬を振り込む」
「分かりました。ということは……もう一つは峰岸さんが?」
「いや、私じゃない……」
峰岸がそう話した途端、一台の車が睦月達の方へと近付いて来ていた。夜間でも目立つホワイトカラーのスポーツカーで、改造しているのか、やたらと駆動音が響いてくる。
「どうもどうも……爺ちゃん、待たせてごめん!」
「遅いぞ秀樹っ!」
会話の内容からして、峰岸の孫なのだろう。まるでホストのようなきらびやかなスーツ姿で現れたその青年は、夜にも関わらずに掛けていたサングラスを外しながら、祖父の元へと近寄って行った。
「そうは言っても時間通りじゃん……で、こっちが競合相手?」
「秀樹っ!」
車の傍に居る年の近い青年、ということで睦月に立てた親指を向けてくる秀樹に、峰岸は一喝してその手を下げさせた。
「いつも言っているだろう。『仕事は――』、」
「『――礼節を持って取り組め』、だろ? もう何度も聞いたよ、それは」
しかし、祖父からの叱責も孫には響いていないらしく、秀樹は伊藤の方を向くと、すぐさま手を伸ばしてきていた。
「じゃあ、早く本物渡してくれ。高学歴の俺が完璧に届けてやるよ」
(前にも似たようなことがあったな……)
いちいち相手にするのも面倒なので、睦月はこの状況を放置することにした。『運び屋』とは何の関係もない経歴を自慢してくる秀樹と、その背後で伊藤に頭を下げている峰岸。
睦月は彼等の動向を見守りつつ……事前にコンビニで購入していた、ミネラルウォーターのペットボトルの蓋を開けた。
「じゃあな! ちゃんと時間までに偽物運んどけよ~」
最後まで睦月を下に見る発言をしている秀樹だったが、見送った後に峰岸から謝罪を受け、その理由を聞かされた。
「すまない……今回依頼を請けたのも、実は秀樹の為なんだ」
聞くところによると、峰岸の息子が有名工科大学を卒業し、大手企業で高収入を得ていること。そして世間でよくある『学歴差別』の影響を受けながら成長した為に、孫の秀樹は『大学=手段』ではなく、『勝ち組のステータス』として認識してしまっているらしい。
「その上、あの性格でな。父親の居る会社は当然として、多くの企業から採用を見送られた結果、『世間が悪い』と勘違いしているらしく……どこで私の仕事を聞いてきたのか、『自分も『運び屋』になる!』と言い出して、聞かなかったんだ」
「またありきたりな……『進学する程アホになる』なんてこと、ありませんよね?」
そんな睦月(通信制高校在学中)に対して、峰岸(工業高校卒業)も伊藤(大学卒業)も、揃って顔を背けながら、なまじ否定できない現状に口を噤んでいた。
「まあ、実際世間が悪いと思いますよ? 『高学歴=勝ち組』なんて印象、あちこちに植え付けてるんですから……しかも、言ってる連中の大半が、『高学歴』と『高学校歴』の違いも分かってないでしょうし」
大学に入る努力自体は褒められたものだし、高偏差値等で有名になっているのであれば、そこへ入学できたことは十分に誇れる。けれども、その先も努力しなければ、せっかく手に入れた結果を溝に捨てることになりかねない。
祖父である峰岸には悪いが……あの秀樹という青年は明らかに、『大学を卒業しただけで満足してしまった』手合いだった。
「本気でやりたいことが見つからないならまだしも、探すことすら蔑ろにしているくせに……自分が知らないことでさえも見下すようになったら、その時点で人間終わりですよ」
「……実際、それで無理を言って、今回の依頼を請けさせて貰ったんだ」
世間知らずを直す強硬手段、その一番は睦月自身も経験のある方法……実体験だった。
「ただ、良いんですかね? こちらはいつも通り、仕事をこなすだけですけれど……」
伊藤が持って来た残り二つの荷物。
それが高確率で、どちらも偽物であることに気付いてしまった時点で、依頼料の出し損ではないかと他人事ながらも心配してしまう睦月。だが峰岸は、静かに首を横に振って否定してきた。
「その心配はない。秀樹には言っていないが、何かあれば私と息子夫婦が賠償する手筈になっている」
つまり、賠償前提で話を進めたことになる。つまり、睦月がここに呼ばれた理由は……
「『学歴の前に、自ら学んだことを活かせるように』と思い、中卒の同業者のことを話したんだが……すまない、完全に教育を間違えてしまったようだ」
「大丈夫ですよ。大半は聞き流してましたし」
気にならない、といえば嘘になる。
いくら自分のやりたいことがはっきりしていたとはいえ、学歴に関しては世間一般の範疇を外れてしまっている。大学進学が『正しい』とまでは言わなくとも、『当たり前』だと考えたこと自体は何度もあった。その為に、『学歴を得ない』ことに対して罵倒されると、多少なりとも不安で、感情的になりやすくなってしまう。
(本当、どこも似たような話ばかりだな……)
けれども、どれだけ揺らごうとも傷付こうとも、結局は慣れなければならない。自身で選んだからこそ、周囲に惑わされてはいけないと、その為に聞き流す術を身に付けてきたのだ。
「それに……あのままほっとけば、勝手に失敗するでしょうし」
「ああ、うん。多分……同じことを考えてる」
夜間に白く目立つ車、しかも無意味な駆動音を鳴らし立てているのだ。この後どうなるのか等、夜間走行を経験している者なら考えるまでもない。
「峰岸さん……教えてないんですか?」
「あそこまで『自分はできる!』と言い切っているんだ。どうせ聞く耳を持たんよ」
「まあ、たしかに……」
とはいえ、やることは変わらないと、睦月は伊藤から荷物を受け取り、車に仕舞い込んだ。
「というわけで、こちらも出発します。また合流地点で」
「うん。よろしく頼むよ」
まだ微かとはいえ、秀樹に渡した依頼品が偽物で、睦月の方が本物の可能性もあるのだ。
……いや、真贋は関係ない。
ただ依頼された物を運び届ける。それが『運び屋』だと自分に言い聞かせながら、睦月は車を発進させた。
――Prrr…………
「……おう、そっちはどうだ?」
『交渉成立っ! 結構緊張したが、軽いもんだったぜ』
「当然だろ? 高学歴の俺達にかかりゃ、楽勝じゃねえか」
片手でハンドルを握りつつ、道路交通法違反で運転を続けながら、秀樹は電話口の相手にそう話した。
「結局『殺し屋』なんて、金積みゃどうとでもなるんだよ」
その資金も、新聞紙で作った札束や、塩を加工して麻薬に見せかけた何かだ。どうせ殺しにしか興味のない連中だから、それで十分だろうと秀樹は考えていた。おまけに匿名で依頼したので、報復される心配もない。
そして結果、荻野睦月を殺す依頼を出すことに成功したのだ。
「まあ……正直に言うと、『爆弾魔』に連絡が付けば一番だったんだけどな。結果出してない奴でも、邪魔位はできんだろう」
『……『ペスト』がベスト、ってか?』
「笑うなよ。俺も自分で言ってて、口がにやけちまってるんだぞ?」
仲間内に、裏格闘技の大会関係者との伝手が有る奴が居たのは幸運だった。
その仲間を通して、大会優勝者の『殺し屋』に依頼できたのだ。『男子格闘技』で優勝した『喧嘩屋』でも良かったのだが、接触する前に消えたので、すでに諦めている。他には、ネットで偶々見つけた『爆弾魔』の連絡先だけだが、繋がらない以上仕方がない。
「後はお前等、しっかり邪魔しとけよな。俺の後に集合場所から出て来た、黒いスポーツカーだ。人気のない所でやっちまえ!」
『任せとけって。頃合いを見て『殺し屋』に押し付けとくからさ』
「頼んだぞ!」
その言葉を最後に、手に持っていたスマホをスマホスタンドに差した秀樹は、車の運転に集中し始めた。
「さぁて、楽しいお仕事の時間だ……」
就職活動ではなかなか合う企業が見つからず、苦労したものだが……まさか祖父が、『運び屋』を生業としていたことには正直驚いた。特に、父親が大手企業で働いていただけに、社会的立ち位置のギャップに戸惑っていたものの……隔世で家業を継げばいいだけの話だと気付いた時には、これは運命だとすら思っていた。
(どうせ裏稼業なんだから、礼節も何も、あったもんじゃないだろうによ……)
礼節が必要なのは、誰かに傅かなければならない連中だけだ。仲間内ならそんな忖度も要らないし、実力主義で稼げれば何の問題もない。
(何で親父の奴、爺ちゃんの仕事継がなかったんだろうな……こんな楽勝なのに)
そんなことを考えながら、秀樹はハンドルを切り、高速道路へと入って行く。
(夜にかっ飛ばせば、時間に余裕ができるな……そうだ。ついでにサービスエリアで何か食っていくか)
依頼遂行中にも関わらず、秀樹は腹ごしらえをしようと高速道路に入って早々に、サービスエリアへと向かって行った。
「フン、フン、フフ~ン、フ~ン……」
楽し気に口遊みながら、廣田佳奈は自らのサイドテールの端を、指で弄んでいた。
少し離れたところでは、依頼人が仲間へだろう、スマホで楽し気に電話をしていた。
(新聞紙に塩か~……養父もよく騙されかけた、って言ってたっけ?)
相手はどうやら、こちらの耳の良さや読唇術を習得している可能性を、一切考慮していないらしい。離れただけで隠れもせずに話している時点で、危機感が皆無だった。
(……ま、こっちは情報だけでも、値千金なんだけどね)
けれども、それを相手に伝える義務はない。
『本当に欲しいものは、言葉にする前に手に入れろ』
と、口酸っぱく言われて育ってきたのだ。おかげで今、佳奈は欲しい情報だけでなく、そこまでの移動手段すら、手に入れることができた。後は連れて行って貰うだけで、お釣りを出してもいいとすら思っている。
もっとも……自分から何かを差し出す気は、一切ないが。
おまけに、佳奈は仕事の成否を問わず、実績として残す気もなかった。
(騙し騙されの裏社会……相手も気の毒に)
実績がないということは、積み上げてきた功績を傷付ける心配がない。
つまり……自分の思い通りに引っ掻き回しても、気にする必要がないのだ。
「おい、そろそろ行くぞ……『槍騎兵』」
「はいは~い」
安直だが、今後の活動を考えれば、適当な通り名をでっち上げておいた方が良い。槍兵は『スピアマン』だから男の印象が強く、槍騎兵と言われても馬術どころか免許すら持っていないのだ。それに、後者を選んだのだって、単に響きが気に入ったからに他ならない。
だから女の斧槍使いが、今後別の通り名を持ったとしても、今回は関わっていないとしらを切れるのだ。噂が立ったとしても、それ以上の成果で上書きしてしまえば、簡単に黙らせられる。
「今行くよ~」
槍袋と刃物部品が納められたアタッシュケースを両手でそれぞれ持ち、佳奈は依頼人の運転する車の、後部座席に乗り込んだ。
運転手と助手席に一人ずつで、後部座席に腰掛けるのは佳奈だけ。槍袋の長さもあるが、大きな要因は動かせる車の台数を増やすことだろう。
「さて……行くかっ!」
依頼人でもある運転手の掛け声と同時に鳴り響くエンジン音。それに呼応し、周囲の車も次々と駆動音を奏で始めていた。
(それにしても……)
様々な色の自動車群が夜闇を染め上げる中、佳奈は外の景色を眺めている。
(ようやく会えるね…………『運び屋』君?)
しかし、彼女の意識の中には……その光景が含まれていなかった。
目的地に到着すると、そこには今回の依頼人でもある、顔馴染みの警備会社の管理職こと伊藤潔と共に、懐かしい顔触れが待っていた。
「えっと……もしかして、峰岸さんですか?」
秀吉から聞いた限りだが、祖父の代からの『運び屋』としての競合相手でもある、峰岸一郎が睦月に対して、親し気に手を振ってきていた。
それに応えつつ、睦月は一度、停車させた車から降りた。そして相手が峰岸であることを確認してから、改めて挨拶を返した。
「お久し振りです。もう引退されたと、父から聞いていたんですが……」
腕前は本物だが、『運び屋』となった秀吉とは違い、峰岸の息子は大手企業へと就職していた。元々継がせる気がない上に続ける理由もなかったとかで、睦月が『走り屋』を始める前にはすでに引退し、隠居したと聞いている。
けれども、何故か彼はこうして、伊藤と共に肩を並べていた。
「まあ、実際に引退したんだが……な」
その事情の説明も含めてか、伊藤は一歩前に出て睦月に話し始めた。
「今回はいくつかの手に別れて、美術品を運んで貰いたいんだ」
要するに、陽動を含めた何手にも分かれて、本物の美術品を届けることが今回の依頼内容らしい。警備会社の社員を含めたいくつかの班はすでに出立しており、残るは睦月達だけだとか。
「残りの内、一つを頼みたい。到着を確認次第、いつも通り報酬を振り込む」
「分かりました。ということは……もう一つは峰岸さんが?」
「いや、私じゃない……」
峰岸がそう話した途端、一台の車が睦月達の方へと近付いて来ていた。夜間でも目立つホワイトカラーのスポーツカーで、改造しているのか、やたらと駆動音が響いてくる。
「どうもどうも……爺ちゃん、待たせてごめん!」
「遅いぞ秀樹っ!」
会話の内容からして、峰岸の孫なのだろう。まるでホストのようなきらびやかなスーツ姿で現れたその青年は、夜にも関わらずに掛けていたサングラスを外しながら、祖父の元へと近寄って行った。
「そうは言っても時間通りじゃん……で、こっちが競合相手?」
「秀樹っ!」
車の傍に居る年の近い青年、ということで睦月に立てた親指を向けてくる秀樹に、峰岸は一喝してその手を下げさせた。
「いつも言っているだろう。『仕事は――』、」
「『――礼節を持って取り組め』、だろ? もう何度も聞いたよ、それは」
しかし、祖父からの叱責も孫には響いていないらしく、秀樹は伊藤の方を向くと、すぐさま手を伸ばしてきていた。
「じゃあ、早く本物渡してくれ。高学歴の俺が完璧に届けてやるよ」
(前にも似たようなことがあったな……)
いちいち相手にするのも面倒なので、睦月はこの状況を放置することにした。『運び屋』とは何の関係もない経歴を自慢してくる秀樹と、その背後で伊藤に頭を下げている峰岸。
睦月は彼等の動向を見守りつつ……事前にコンビニで購入していた、ミネラルウォーターのペットボトルの蓋を開けた。
「じゃあな! ちゃんと時間までに偽物運んどけよ~」
最後まで睦月を下に見る発言をしている秀樹だったが、見送った後に峰岸から謝罪を受け、その理由を聞かされた。
「すまない……今回依頼を請けたのも、実は秀樹の為なんだ」
聞くところによると、峰岸の息子が有名工科大学を卒業し、大手企業で高収入を得ていること。そして世間でよくある『学歴差別』の影響を受けながら成長した為に、孫の秀樹は『大学=手段』ではなく、『勝ち組のステータス』として認識してしまっているらしい。
「その上、あの性格でな。父親の居る会社は当然として、多くの企業から採用を見送られた結果、『世間が悪い』と勘違いしているらしく……どこで私の仕事を聞いてきたのか、『自分も『運び屋』になる!』と言い出して、聞かなかったんだ」
「またありきたりな……『進学する程アホになる』なんてこと、ありませんよね?」
そんな睦月(通信制高校在学中)に対して、峰岸(工業高校卒業)も伊藤(大学卒業)も、揃って顔を背けながら、なまじ否定できない現状に口を噤んでいた。
「まあ、実際世間が悪いと思いますよ? 『高学歴=勝ち組』なんて印象、あちこちに植え付けてるんですから……しかも、言ってる連中の大半が、『高学歴』と『高学校歴』の違いも分かってないでしょうし」
大学に入る努力自体は褒められたものだし、高偏差値等で有名になっているのであれば、そこへ入学できたことは十分に誇れる。けれども、その先も努力しなければ、せっかく手に入れた結果を溝に捨てることになりかねない。
祖父である峰岸には悪いが……あの秀樹という青年は明らかに、『大学を卒業しただけで満足してしまった』手合いだった。
「本気でやりたいことが見つからないならまだしも、探すことすら蔑ろにしているくせに……自分が知らないことでさえも見下すようになったら、その時点で人間終わりですよ」
「……実際、それで無理を言って、今回の依頼を請けさせて貰ったんだ」
世間知らずを直す強硬手段、その一番は睦月自身も経験のある方法……実体験だった。
「ただ、良いんですかね? こちらはいつも通り、仕事をこなすだけですけれど……」
伊藤が持って来た残り二つの荷物。
それが高確率で、どちらも偽物であることに気付いてしまった時点で、依頼料の出し損ではないかと他人事ながらも心配してしまう睦月。だが峰岸は、静かに首を横に振って否定してきた。
「その心配はない。秀樹には言っていないが、何かあれば私と息子夫婦が賠償する手筈になっている」
つまり、賠償前提で話を進めたことになる。つまり、睦月がここに呼ばれた理由は……
「『学歴の前に、自ら学んだことを活かせるように』と思い、中卒の同業者のことを話したんだが……すまない、完全に教育を間違えてしまったようだ」
「大丈夫ですよ。大半は聞き流してましたし」
気にならない、といえば嘘になる。
いくら自分のやりたいことがはっきりしていたとはいえ、学歴に関しては世間一般の範疇を外れてしまっている。大学進学が『正しい』とまでは言わなくとも、『当たり前』だと考えたこと自体は何度もあった。その為に、『学歴を得ない』ことに対して罵倒されると、多少なりとも不安で、感情的になりやすくなってしまう。
(本当、どこも似たような話ばかりだな……)
けれども、どれだけ揺らごうとも傷付こうとも、結局は慣れなければならない。自身で選んだからこそ、周囲に惑わされてはいけないと、その為に聞き流す術を身に付けてきたのだ。
「それに……あのままほっとけば、勝手に失敗するでしょうし」
「ああ、うん。多分……同じことを考えてる」
夜間に白く目立つ車、しかも無意味な駆動音を鳴らし立てているのだ。この後どうなるのか等、夜間走行を経験している者なら考えるまでもない。
「峰岸さん……教えてないんですか?」
「あそこまで『自分はできる!』と言い切っているんだ。どうせ聞く耳を持たんよ」
「まあ、たしかに……」
とはいえ、やることは変わらないと、睦月は伊藤から荷物を受け取り、車に仕舞い込んだ。
「というわけで、こちらも出発します。また合流地点で」
「うん。よろしく頼むよ」
まだ微かとはいえ、秀樹に渡した依頼品が偽物で、睦月の方が本物の可能性もあるのだ。
……いや、真贋は関係ない。
ただ依頼された物を運び届ける。それが『運び屋』だと自分に言い聞かせながら、睦月は車を発進させた。
――Prrr…………
「……おう、そっちはどうだ?」
『交渉成立っ! 結構緊張したが、軽いもんだったぜ』
「当然だろ? 高学歴の俺達にかかりゃ、楽勝じゃねえか」
片手でハンドルを握りつつ、道路交通法違反で運転を続けながら、秀樹は電話口の相手にそう話した。
「結局『殺し屋』なんて、金積みゃどうとでもなるんだよ」
その資金も、新聞紙で作った札束や、塩を加工して麻薬に見せかけた何かだ。どうせ殺しにしか興味のない連中だから、それで十分だろうと秀樹は考えていた。おまけに匿名で依頼したので、報復される心配もない。
そして結果、荻野睦月を殺す依頼を出すことに成功したのだ。
「まあ……正直に言うと、『爆弾魔』に連絡が付けば一番だったんだけどな。結果出してない奴でも、邪魔位はできんだろう」
『……『ペスト』がベスト、ってか?』
「笑うなよ。俺も自分で言ってて、口がにやけちまってるんだぞ?」
仲間内に、裏格闘技の大会関係者との伝手が有る奴が居たのは幸運だった。
その仲間を通して、大会優勝者の『殺し屋』に依頼できたのだ。『男子格闘技』で優勝した『喧嘩屋』でも良かったのだが、接触する前に消えたので、すでに諦めている。他には、ネットで偶々見つけた『爆弾魔』の連絡先だけだが、繋がらない以上仕方がない。
「後はお前等、しっかり邪魔しとけよな。俺の後に集合場所から出て来た、黒いスポーツカーだ。人気のない所でやっちまえ!」
『任せとけって。頃合いを見て『殺し屋』に押し付けとくからさ』
「頼んだぞ!」
その言葉を最後に、手に持っていたスマホをスマホスタンドに差した秀樹は、車の運転に集中し始めた。
「さぁて、楽しいお仕事の時間だ……」
就職活動ではなかなか合う企業が見つからず、苦労したものだが……まさか祖父が、『運び屋』を生業としていたことには正直驚いた。特に、父親が大手企業で働いていただけに、社会的立ち位置のギャップに戸惑っていたものの……隔世で家業を継げばいいだけの話だと気付いた時には、これは運命だとすら思っていた。
(どうせ裏稼業なんだから、礼節も何も、あったもんじゃないだろうによ……)
礼節が必要なのは、誰かに傅かなければならない連中だけだ。仲間内ならそんな忖度も要らないし、実力主義で稼げれば何の問題もない。
(何で親父の奴、爺ちゃんの仕事継がなかったんだろうな……こんな楽勝なのに)
そんなことを考えながら、秀樹はハンドルを切り、高速道路へと入って行く。
(夜にかっ飛ばせば、時間に余裕ができるな……そうだ。ついでにサービスエリアで何か食っていくか)
依頼遂行中にも関わらず、秀樹は腹ごしらえをしようと高速道路に入って早々に、サービスエリアへと向かって行った。
「フン、フン、フフ~ン、フ~ン……」
楽し気に口遊みながら、廣田佳奈は自らのサイドテールの端を、指で弄んでいた。
少し離れたところでは、依頼人が仲間へだろう、スマホで楽し気に電話をしていた。
(新聞紙に塩か~……養父もよく騙されかけた、って言ってたっけ?)
相手はどうやら、こちらの耳の良さや読唇術を習得している可能性を、一切考慮していないらしい。離れただけで隠れもせずに話している時点で、危機感が皆無だった。
(……ま、こっちは情報だけでも、値千金なんだけどね)
けれども、それを相手に伝える義務はない。
『本当に欲しいものは、言葉にする前に手に入れろ』
と、口酸っぱく言われて育ってきたのだ。おかげで今、佳奈は欲しい情報だけでなく、そこまでの移動手段すら、手に入れることができた。後は連れて行って貰うだけで、お釣りを出してもいいとすら思っている。
もっとも……自分から何かを差し出す気は、一切ないが。
おまけに、佳奈は仕事の成否を問わず、実績として残す気もなかった。
(騙し騙されの裏社会……相手も気の毒に)
実績がないということは、積み上げてきた功績を傷付ける心配がない。
つまり……自分の思い通りに引っ掻き回しても、気にする必要がないのだ。
「おい、そろそろ行くぞ……『槍騎兵』」
「はいは~い」
安直だが、今後の活動を考えれば、適当な通り名をでっち上げておいた方が良い。槍兵は『スピアマン』だから男の印象が強く、槍騎兵と言われても馬術どころか免許すら持っていないのだ。それに、後者を選んだのだって、単に響きが気に入ったからに他ならない。
だから女の斧槍使いが、今後別の通り名を持ったとしても、今回は関わっていないとしらを切れるのだ。噂が立ったとしても、それ以上の成果で上書きしてしまえば、簡単に黙らせられる。
「今行くよ~」
槍袋と刃物部品が納められたアタッシュケースを両手でそれぞれ持ち、佳奈は依頼人の運転する車の、後部座席に乗り込んだ。
運転手と助手席に一人ずつで、後部座席に腰掛けるのは佳奈だけ。槍袋の長さもあるが、大きな要因は動かせる車の台数を増やすことだろう。
「さて……行くかっ!」
依頼人でもある運転手の掛け声と同時に鳴り響くエンジン音。それに呼応し、周囲の車も次々と駆動音を奏で始めていた。
(それにしても……)
様々な色の自動車群が夜闇を染め上げる中、佳奈は外の景色を眺めている。
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