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079 案件No.005_レースドライバー(Versus_Shakah)(その2)
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「たしかに、『女の心当たりがあったら頼む』って声を掛けたのは俺だ。だからってな……」
丁度睦月達が出発しようとしていた頃、勇太は集合した女性陣を見て、思わず頭を抱えた。
いや、来る人間自体は、事前に連絡が来たので知っている。けれども、見事にそれだけな状況に頭を抱えてしまったのだ。
「はい全員集合~、本日の太客様にお礼。せ~のっ」
『今日はありがとうございま~す♪』
勇太の眼前に揃っているのは、『走り屋』時代からの付き合いとなるキャバ嬢の夏鈴と、彼女が連れて来た同僚達だった。
「何でキャバ嬢しかいないんだよっ!?」
夏鈴が掛けた小学生みたいな号令の下、彼女達から一斉に言われたお礼に対して、勇太の慟哭が山中に響き渡る。
しかし……この場にはキャバ嬢しかいない事実が、変わることはない。
「……何よ? いまさら水商売の女差別する気?」
「『金が掛かる』って意味でなっ!」
一応、服装等の見た目に気を遣っているのはまだ許せた。だが勇太の基準からみて、明らかに中の上下……ホストで言うところの役職無しに多そうな、よくある顔立ちしか見られない。
「これ絶対売り上げ足りてない連中引っ提げて来ただろ!? いくら人数揃える為だからって、そんなの有りか!?」
「いいじゃない。ちゃんと経費で落とせるように、領収書一纏めにして切ってあげてるんだから」
夏鈴の指に挟まれた領収書一枚。しかし勇太にとっては、ほぼ無価値の代物だった。
「下手したら追徴課税喰らうのにかっ!?」
仕事でキャバクラを利用した場合、実は経費として精算することが可能な場合もある。大雑把に言うと、取引先もしくは営業の相手と行き、仕事の話をしたのであれば、交際費として認められることもあるのだ。
しかし……それはあくまで、仕事で利用した場合に限る。
個人的に利用した可能性が少しでもあるならば、後日税務署から調査が入るかもしれない。ましてや、職場の接待よりもただの遊び場として見られやすいキャバクラでは、十中八九疑われてしまう。
だから税金対策として、確実を期すのであれば……勇太は彼女達に対して、身銭を切らなければならなかった。
「くっそ、睦月に『但し、金の掛かる女は除く』って条件付けとけば……」
「いまさらじゃない。そもそも睦月の場合、普通に無視するんじゃない?」
「いや……」
抱えていた頭から手を放し、勇太は夏鈴の方を向いて言う。
「睦月……先に言っとけば、本気で忘れない限り条件守るぞ? 『罪悪感抱えやすい』からって」
「あ~、たしかに……睦月なら言いそうね」
そもそもの話、睦月が個人的に、しかも誰かを連れてキャバクラに行くこと自体が珍しい。下手をすれば(姫香が後から来る等は除いて)、先日英治と入店したのが初めての可能性もあった。
「……で、その睦月は?」
「そろそろ来ると思うけど……ああ、来た来た」
睦月から『これから向かう』と連絡が来たので、勇太は全員を連れて移動することにした。
「それじゃあ行くぞ。現地合流だ」
高速道路には当たらず、人気もないとはいえ、レース場や勇太達が今居る場所は立派な公道だ。すでに何人も集まっているらしいが開始まで、まだ時間はある。
「だからと言って……ここから歩くの?」
「一応、歩ける距離にしといただろうが」
目印代わりの古い看板があるとはいえ、結局はここも公道だ。夏鈴達キャバ嬢軍団もまた、勇太が手配したバスでここまで来て貰っている。彼女達を危険に晒す可能性を減らす為でもあるが、同時に問題防止の意味も兼ねて、だ。
ないとは思うものの……無用な問題のどさくさで、車に手を出されるかもしれないからだ。
「さて……ようやく対面か」
「それはいいけど……本当に歩ける距離なの?」
「ああ、それは間違いない。なにせ……」
時間にして十分にも満たない、山肌等の障害物さえなければすぐに、視界に入る場所だった。だから斜面さえ迂回すれば……
「……『走り屋』時代に、散々ここで乗り降りしてたからな」
……目的地である、山間部の奥にある溜まり場。すでにいくつもの車と持ち込まれた装飾で彩られた、テクニカルサーキットのスタート地点が見えてきた。
「…………」
その女は、自らをツァーカブと名乗っていた。
それが本当の名前でないのは、人種的な見た目と『色欲』の意味からも察することができる。しかし、ストリートレースにおいては関係ない。
大事なのはどう呼べばいいか、そして……どれだけの運転技術を持ち合わせているか、それだけだった。
「……来たか」
ズボンのポケットに入れていた手を抜き、もたれていた愛車から起き上がる。
観衆の視線を意に介さず、そのまま数歩前へと進んだ。車を挟んだ背後には、勝者への賞品が……拘束された、有志のストリートレーサー達が居る。
そして騒がしくなる観衆の中、彼等が来た。
大柄で筋肉質なドレッドの男が、派手な女性陣を引き連れて来る。
やがて……ツァーカブとその男、勇太が向かい合い、二人だけで話せる空間が生まれた。
偶発的に、ではない。勇太が手振りで、周囲に合図をしたからだ。
「お前達の代表は?」
「じきに来る。先に条件を確認しておきたい」
「……お前が交渉人、ということでいいのか?」
無言の首肯を受けた後、ツァーカブは今回のレースの内容を告げた。
「場所はお前達の指定通り、ここで。勝てばお前達が賭け金した連中を連れて行くが、私が負けた場合は今後一切、ストリートには関わらない……その条件に、間違いはないな?」
「レースの邪魔もなしだ。入ればやり直し、それで異論はない」
「……いいだろう、交渉成立だ」
交渉は済み、後はレースを始めるだけだが……まだ、時間がある。
「ところで……お前、アクゼリュスとかいう奴を知っているか?」
特に無視する理由もなく、時間も余っているので、ツァーカブは勇太から振られた雑談に応えることにした。
「一応は、先輩に当たる。とは言っても……私と違って、『最期の世代』にこっぴどくやられた時からの一員らしいが」
正直なところ、ツァーカブ自身は当時組織にいなかったので、『最期の世代』に怨嗟の念を抱いているわけではない。偶々目的が合致し、かつ求めていた物が手に入りそうだったので組織に入り、今ここにいるだけに過ぎなかった。
「つまり……ただの仕事だと?」
「そういうことだ。『最期の世代』の一人、『掃除屋』の鵜飼勇太」
話しているにも関わらず、観衆が徐々に騒めき出している。こちらに注目しているわけではないので、どうやら待ち人が来たらしい。
「私はただ、仕事にもなるからレースをしにきただけだ……で、今回は楽しませてくれるんだろうな?」
「……その点は保証するよ」
人混みが割け、間をスポーツカーとトラックの計二台が、入り込んでくる。そのヘッドライトに晒されながら、勇太は告げた。
「あいつは伝説の『走り屋』で……最狂の『運び屋』だ」
レース開始まで、後少し。
チームを解散した後のことだ。皆を代表して、勇太は睦月にある提案をした。
『せっかくだし……お前、今日から『NO BORDER』って名乗ったらどうだ?』
『何でだよ』
チームを解散するからと、メンバーがクラブ跡地で私物を回収している時だった。そんな話が出たのは。
『そもそも『NO BORDER』だって……たしか創が、そこらのチンピラが食ってたカップ麺見て思い付いたんだろうが』
『いや……その時は本気で、ぴったりだと思ったんだよ』
元々ビルの持ち主なので、別に回収する必要がないものの……一応管理者としてか、カウンター席に創が腰掛けていた。テーブルに背中を預けながら、睦月の方を向いて勇太の話に乗ってくる。
『どんな障壁も、存在しないとばかりに迷わず突き抜ける。そんなチームにしたかったから……『NO BORDER』って名前にしたんだよ』
それがレーシングチームの名前の由来だったが、解散した今では意味がない。それに……ある一団からは何故か、睦月一人の異名として勘違いされてしまっている。
ならばついでにと、勇太は提案したのだ。
『いまさら訂正するのも手間だろ? だったら代表して、お前がその名前を持ってけよ。記念だ記念』
『何が記念だよ。下らねぇ……』
あまり興味がないのか、睦月は話に乗ってこない。細かい私物を鞄に纏め終えてから、そのままソファに腰掛けている。
『別にいいだろ? お前……異名どころかチーム名すら、どうでもいいと思ってた節あるし』
『いや、さすがに異名は格好良いのがいいよ。あまりやり過ぎると中二病っぽくなるから、下手に考えたくなかっただけで』
『そもそも異名って、自分から名乗るものじゃないしな……』
恥ずかしくない異名の付け方その1――他の誰かに付けて貰ったものを受け入れる。
綽名等と同じく、余程気に入らない限りは、特段気にならないものだ。むしろ自分から名乗る時点で、痛い人間確定である。自他共に認められる状況の方が、自然と馴染み易いのだ。
『それに……わざわざ『勘違いです』って、訂正する方が手間じゃないか?』
『…………』
『走り屋』として最後に、臨もうとしたレースは中止となってしまった。
――証人保護プログラム
偶然、アメリカから避難させられてきた証人が、被告発者から襲撃を受けて逃げ込んできたのだ。その為にレースは開始前に中断、睦月は『運び屋』として、ある人物を保護して届ける事態へと陥ってしまった。
睦月は無事依頼を完遂させたのだが……その際に、チームのユニフォームを見られてしまったのがまずかった。背中に刻まれた『NO BORDER』の文字を相手に見られ、その通り名を持つ運転手の存在が、裏社会にまで轟いてしまったのだ。
『着替えときゃ良かった……』
『まあ、あれは仕方ないって』
緊急事態での案件だったのだ。咄嗟に着替えを用意し、服を簡単に替えられるものではない。せめて上着だけならまだ誤魔化せたかもしれないが、残念なことにインナーのTシャツもまた、ロゴ入りのユニフォームだった。どう足掻いても、もう名前を隠すことは不可能だと見るべきだろう。
『さすがに『偽造屋』だけじゃ誤魔化せないし、今から『詐欺師』探して頼むには遅すぎるだろ? 元は『走り屋』の『運び屋』、『NO BORDER』の荻野睦月。もう、それでいいじゃねえか』
『…………』
ソファの上で、睦月は静かに、両手の指を重ね合わせていた。どうやら無駄な抵抗をしているようだが……こればかりは諦めるだろうと、勇太は気にせず私物の回収を続けていく。
やがて……結論が出たのか、解かれていく手と共に、睦月の口から言葉が吐き出された。
『…………俺は知らない。周囲が勝手に呼んでいるだけ。そういうことにする』
『いいんじゃね? それで』
勇太も創も、睦月の判断をあっさりと受け入れた。
『そもそも通り名なんて、基本周囲が勝手に呼んでるうちに、定着するもんだしな』
『そうそう。気にするだけ、損だって』
それに、何だかんだ受け入れるんだろうな……と、付き合いの長い二人は顔を見合わせて、共に肩を竦めるのだった。
『今日、伝説が再び復活する!』
高まる歓声の中、実況役の男の叫びが、画面越しから店内へと飛び込んでくる。
それと同時に、ツァーカブと向かい合っていた勇太の後ろに、スポーツカーとトラックが停車した。
『本来であればすでに引退し、解散したはずだった! しかぁし! 俺達の無念を聞き届け……今日、再び集結してくれたぁ!』
「結局……義兄達以外は集まらなかったんじゃなかったか?」
ジャンケンに負け、二丁一対型自動拳銃という独特な形状をした銃を片手に階段を降りながら、理沙は裏事情を吐露した。
「それで、女性陣は知り合いのキャバ嬢に頼んで集めて貰ったらしいが……あの様子を見ると、全員キャバクラ嬢だな」
理沙の言は聞こえているはずだが、姫香は気にせず、水筒の中身を口に含んでいた。元カノよりはキャバ嬢の方がましだと思っているのか、今はまだ大人しく、席に着いている。
『向かい来る敵は全て蹴散らし、数多のコースを総なめした最強の『走り屋』チーム……目ん玉かっぽじって見やがれ! チィィィム――『NO BORDER』!』
一際高くなる歓声を受け、再びユニフォームに袖を通した睦月が、仕事用のスポーツカーから降りて来る場面が映った。
「そろそろ……って、何してるの?」
今の内に、手持ちのグラスを飲み干した人間が居ないか確認しようと、見渡していたらしい抽冬。しかし、いつの間にか『NO BORDER』の応援団扇を両手に握った姫香を見つけた為か、思わず目を止めてしまっている。
「貴様……もしかして、わざわざ作ったのか?」
「…………」
理沙が懐疑的な目を向ける中、姫香は一度団扇を手放して膝上に乗せた。そして両手を開けてから、左手に載せたものを右手で掬い取るような仕草をしてくる。
「【残り物】」
「『偽造屋』達、そんなのまで作ってたんだ……」
「こんな下らないこと……義兄も関わってないだろうな?」
無言で再び握った団扇を揺らす姫香に対してか、はたまた応援グッズなんて作っていたかつての『走り屋』達に対してか。レース場の熱狂とは裏腹に、理沙達は冷め切った空気の中、溜息を吐いていた。
すでに結果が見えているレースに……応援も何も、ないのだから。
丁度睦月達が出発しようとしていた頃、勇太は集合した女性陣を見て、思わず頭を抱えた。
いや、来る人間自体は、事前に連絡が来たので知っている。けれども、見事にそれだけな状況に頭を抱えてしまったのだ。
「はい全員集合~、本日の太客様にお礼。せ~のっ」
『今日はありがとうございま~す♪』
勇太の眼前に揃っているのは、『走り屋』時代からの付き合いとなるキャバ嬢の夏鈴と、彼女が連れて来た同僚達だった。
「何でキャバ嬢しかいないんだよっ!?」
夏鈴が掛けた小学生みたいな号令の下、彼女達から一斉に言われたお礼に対して、勇太の慟哭が山中に響き渡る。
しかし……この場にはキャバ嬢しかいない事実が、変わることはない。
「……何よ? いまさら水商売の女差別する気?」
「『金が掛かる』って意味でなっ!」
一応、服装等の見た目に気を遣っているのはまだ許せた。だが勇太の基準からみて、明らかに中の上下……ホストで言うところの役職無しに多そうな、よくある顔立ちしか見られない。
「これ絶対売り上げ足りてない連中引っ提げて来ただろ!? いくら人数揃える為だからって、そんなの有りか!?」
「いいじゃない。ちゃんと経費で落とせるように、領収書一纏めにして切ってあげてるんだから」
夏鈴の指に挟まれた領収書一枚。しかし勇太にとっては、ほぼ無価値の代物だった。
「下手したら追徴課税喰らうのにかっ!?」
仕事でキャバクラを利用した場合、実は経費として精算することが可能な場合もある。大雑把に言うと、取引先もしくは営業の相手と行き、仕事の話をしたのであれば、交際費として認められることもあるのだ。
しかし……それはあくまで、仕事で利用した場合に限る。
個人的に利用した可能性が少しでもあるならば、後日税務署から調査が入るかもしれない。ましてや、職場の接待よりもただの遊び場として見られやすいキャバクラでは、十中八九疑われてしまう。
だから税金対策として、確実を期すのであれば……勇太は彼女達に対して、身銭を切らなければならなかった。
「くっそ、睦月に『但し、金の掛かる女は除く』って条件付けとけば……」
「いまさらじゃない。そもそも睦月の場合、普通に無視するんじゃない?」
「いや……」
抱えていた頭から手を放し、勇太は夏鈴の方を向いて言う。
「睦月……先に言っとけば、本気で忘れない限り条件守るぞ? 『罪悪感抱えやすい』からって」
「あ~、たしかに……睦月なら言いそうね」
そもそもの話、睦月が個人的に、しかも誰かを連れてキャバクラに行くこと自体が珍しい。下手をすれば(姫香が後から来る等は除いて)、先日英治と入店したのが初めての可能性もあった。
「……で、その睦月は?」
「そろそろ来ると思うけど……ああ、来た来た」
睦月から『これから向かう』と連絡が来たので、勇太は全員を連れて移動することにした。
「それじゃあ行くぞ。現地合流だ」
高速道路には当たらず、人気もないとはいえ、レース場や勇太達が今居る場所は立派な公道だ。すでに何人も集まっているらしいが開始まで、まだ時間はある。
「だからと言って……ここから歩くの?」
「一応、歩ける距離にしといただろうが」
目印代わりの古い看板があるとはいえ、結局はここも公道だ。夏鈴達キャバ嬢軍団もまた、勇太が手配したバスでここまで来て貰っている。彼女達を危険に晒す可能性を減らす為でもあるが、同時に問題防止の意味も兼ねて、だ。
ないとは思うものの……無用な問題のどさくさで、車に手を出されるかもしれないからだ。
「さて……ようやく対面か」
「それはいいけど……本当に歩ける距離なの?」
「ああ、それは間違いない。なにせ……」
時間にして十分にも満たない、山肌等の障害物さえなければすぐに、視界に入る場所だった。だから斜面さえ迂回すれば……
「……『走り屋』時代に、散々ここで乗り降りしてたからな」
……目的地である、山間部の奥にある溜まり場。すでにいくつもの車と持ち込まれた装飾で彩られた、テクニカルサーキットのスタート地点が見えてきた。
「…………」
その女は、自らをツァーカブと名乗っていた。
それが本当の名前でないのは、人種的な見た目と『色欲』の意味からも察することができる。しかし、ストリートレースにおいては関係ない。
大事なのはどう呼べばいいか、そして……どれだけの運転技術を持ち合わせているか、それだけだった。
「……来たか」
ズボンのポケットに入れていた手を抜き、もたれていた愛車から起き上がる。
観衆の視線を意に介さず、そのまま数歩前へと進んだ。車を挟んだ背後には、勝者への賞品が……拘束された、有志のストリートレーサー達が居る。
そして騒がしくなる観衆の中、彼等が来た。
大柄で筋肉質なドレッドの男が、派手な女性陣を引き連れて来る。
やがて……ツァーカブとその男、勇太が向かい合い、二人だけで話せる空間が生まれた。
偶発的に、ではない。勇太が手振りで、周囲に合図をしたからだ。
「お前達の代表は?」
「じきに来る。先に条件を確認しておきたい」
「……お前が交渉人、ということでいいのか?」
無言の首肯を受けた後、ツァーカブは今回のレースの内容を告げた。
「場所はお前達の指定通り、ここで。勝てばお前達が賭け金した連中を連れて行くが、私が負けた場合は今後一切、ストリートには関わらない……その条件に、間違いはないな?」
「レースの邪魔もなしだ。入ればやり直し、それで異論はない」
「……いいだろう、交渉成立だ」
交渉は済み、後はレースを始めるだけだが……まだ、時間がある。
「ところで……お前、アクゼリュスとかいう奴を知っているか?」
特に無視する理由もなく、時間も余っているので、ツァーカブは勇太から振られた雑談に応えることにした。
「一応は、先輩に当たる。とは言っても……私と違って、『最期の世代』にこっぴどくやられた時からの一員らしいが」
正直なところ、ツァーカブ自身は当時組織にいなかったので、『最期の世代』に怨嗟の念を抱いているわけではない。偶々目的が合致し、かつ求めていた物が手に入りそうだったので組織に入り、今ここにいるだけに過ぎなかった。
「つまり……ただの仕事だと?」
「そういうことだ。『最期の世代』の一人、『掃除屋』の鵜飼勇太」
話しているにも関わらず、観衆が徐々に騒めき出している。こちらに注目しているわけではないので、どうやら待ち人が来たらしい。
「私はただ、仕事にもなるからレースをしにきただけだ……で、今回は楽しませてくれるんだろうな?」
「……その点は保証するよ」
人混みが割け、間をスポーツカーとトラックの計二台が、入り込んでくる。そのヘッドライトに晒されながら、勇太は告げた。
「あいつは伝説の『走り屋』で……最狂の『運び屋』だ」
レース開始まで、後少し。
チームを解散した後のことだ。皆を代表して、勇太は睦月にある提案をした。
『せっかくだし……お前、今日から『NO BORDER』って名乗ったらどうだ?』
『何でだよ』
チームを解散するからと、メンバーがクラブ跡地で私物を回収している時だった。そんな話が出たのは。
『そもそも『NO BORDER』だって……たしか創が、そこらのチンピラが食ってたカップ麺見て思い付いたんだろうが』
『いや……その時は本気で、ぴったりだと思ったんだよ』
元々ビルの持ち主なので、別に回収する必要がないものの……一応管理者としてか、カウンター席に創が腰掛けていた。テーブルに背中を預けながら、睦月の方を向いて勇太の話に乗ってくる。
『どんな障壁も、存在しないとばかりに迷わず突き抜ける。そんなチームにしたかったから……『NO BORDER』って名前にしたんだよ』
それがレーシングチームの名前の由来だったが、解散した今では意味がない。それに……ある一団からは何故か、睦月一人の異名として勘違いされてしまっている。
ならばついでにと、勇太は提案したのだ。
『いまさら訂正するのも手間だろ? だったら代表して、お前がその名前を持ってけよ。記念だ記念』
『何が記念だよ。下らねぇ……』
あまり興味がないのか、睦月は話に乗ってこない。細かい私物を鞄に纏め終えてから、そのままソファに腰掛けている。
『別にいいだろ? お前……異名どころかチーム名すら、どうでもいいと思ってた節あるし』
『いや、さすがに異名は格好良いのがいいよ。あまりやり過ぎると中二病っぽくなるから、下手に考えたくなかっただけで』
『そもそも異名って、自分から名乗るものじゃないしな……』
恥ずかしくない異名の付け方その1――他の誰かに付けて貰ったものを受け入れる。
綽名等と同じく、余程気に入らない限りは、特段気にならないものだ。むしろ自分から名乗る時点で、痛い人間確定である。自他共に認められる状況の方が、自然と馴染み易いのだ。
『それに……わざわざ『勘違いです』って、訂正する方が手間じゃないか?』
『…………』
『走り屋』として最後に、臨もうとしたレースは中止となってしまった。
――証人保護プログラム
偶然、アメリカから避難させられてきた証人が、被告発者から襲撃を受けて逃げ込んできたのだ。その為にレースは開始前に中断、睦月は『運び屋』として、ある人物を保護して届ける事態へと陥ってしまった。
睦月は無事依頼を完遂させたのだが……その際に、チームのユニフォームを見られてしまったのがまずかった。背中に刻まれた『NO BORDER』の文字を相手に見られ、その通り名を持つ運転手の存在が、裏社会にまで轟いてしまったのだ。
『着替えときゃ良かった……』
『まあ、あれは仕方ないって』
緊急事態での案件だったのだ。咄嗟に着替えを用意し、服を簡単に替えられるものではない。せめて上着だけならまだ誤魔化せたかもしれないが、残念なことにインナーのTシャツもまた、ロゴ入りのユニフォームだった。どう足掻いても、もう名前を隠すことは不可能だと見るべきだろう。
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『…………』
ソファの上で、睦月は静かに、両手の指を重ね合わせていた。どうやら無駄な抵抗をしているようだが……こればかりは諦めるだろうと、勇太は気にせず私物の回収を続けていく。
やがて……結論が出たのか、解かれていく手と共に、睦月の口から言葉が吐き出された。
『…………俺は知らない。周囲が勝手に呼んでいるだけ。そういうことにする』
『いいんじゃね? それで』
勇太も創も、睦月の判断をあっさりと受け入れた。
『そもそも通り名なんて、基本周囲が勝手に呼んでるうちに、定着するもんだしな』
『そうそう。気にするだけ、損だって』
それに、何だかんだ受け入れるんだろうな……と、付き合いの長い二人は顔を見合わせて、共に肩を竦めるのだった。
『今日、伝説が再び復活する!』
高まる歓声の中、実況役の男の叫びが、画面越しから店内へと飛び込んでくる。
それと同時に、ツァーカブと向かい合っていた勇太の後ろに、スポーツカーとトラックが停車した。
『本来であればすでに引退し、解散したはずだった! しかぁし! 俺達の無念を聞き届け……今日、再び集結してくれたぁ!』
「結局……義兄達以外は集まらなかったんじゃなかったか?」
ジャンケンに負け、二丁一対型自動拳銃という独特な形状をした銃を片手に階段を降りながら、理沙は裏事情を吐露した。
「それで、女性陣は知り合いのキャバ嬢に頼んで集めて貰ったらしいが……あの様子を見ると、全員キャバクラ嬢だな」
理沙の言は聞こえているはずだが、姫香は気にせず、水筒の中身を口に含んでいた。元カノよりはキャバ嬢の方がましだと思っているのか、今はまだ大人しく、席に着いている。
『向かい来る敵は全て蹴散らし、数多のコースを総なめした最強の『走り屋』チーム……目ん玉かっぽじって見やがれ! チィィィム――『NO BORDER』!』
一際高くなる歓声を受け、再びユニフォームに袖を通した睦月が、仕事用のスポーツカーから降りて来る場面が映った。
「そろそろ……って、何してるの?」
今の内に、手持ちのグラスを飲み干した人間が居ないか確認しようと、見渡していたらしい抽冬。しかし、いつの間にか『NO BORDER』の応援団扇を両手に握った姫香を見つけた為か、思わず目を止めてしまっている。
「貴様……もしかして、わざわざ作ったのか?」
「…………」
理沙が懐疑的な目を向ける中、姫香は一度団扇を手放して膝上に乗せた。そして両手を開けてから、左手に載せたものを右手で掬い取るような仕草をしてくる。
「【残り物】」
「『偽造屋』達、そんなのまで作ってたんだ……」
「こんな下らないこと……義兄も関わってないだろうな?」
無言で再び握った団扇を揺らす姫香に対してか、はたまた応援グッズなんて作っていたかつての『走り屋』達に対してか。レース場の熱狂とは裏腹に、理沙達は冷め切った空気の中、溜息を吐いていた。
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