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023 荻野睦月という男(その2)
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彩未が睦月と出会った、というよりも彼らの元に押し掛けたのはある美術品の運送依頼の真っ最中だった。後で本人から聞いたところによると、自分が手を出さなくとも、とことんついてない日だと思っていたらしい。
運送前に新人がポカをやらかしたからとその上司が急遽同乗する羽目になったり、新入りの裏社会の住人が高価というだけで売れもしない美術品を強奪しようとしてきたり、挙句の果てには手持ちのスマホの調子がおかしかったりと、その日の睦月は不運としか言いようがなかったとか。
……そして半分以上が彩未のせいだと思い直し、睦月達からの当たりがさらに強くなる結果となってしまったのはご愛嬌である。
その日の依頼に限って何故か、襲撃者の数が多すぎた。しかも、ちょっとした誤報にも引っ掛かりそうな、素人に毛の生えたような連中が、だ。
だから睦月は保険を掛け、その日の依頼を遂行した。そして同乗した依頼人と別れた後、深夜帯で人気のない公園へと来ていた。
工場地帯と海岸線に挟まれた場所にある公園なので、ただでさえ人気がない。だから密談や、人に言えないことをするには適していた。しかも周辺にしか監視カメラの類もなく、おまけに隠れ家のある地方都市のすぐ傍なので都合のいいことこの上なかった。
『……で、俺はそいつにつけられていたと?』
他に利用者のいない駐車場に車を停めてから、睦月は公園の中へと向かい、そこのベンチに腰掛けている姫香に問い掛けた。普段は家にいる彼女だが、今回のような不測の事態には、伏兵として動いて貰うこともある。
その為、そのベンチにいたのは姫香だけではない。女子大生位の若い女が上着の袖を肘まで捲られ、後ろ手で近くの街灯に手錠を掛けられた状態で座り込んでいた。
ちなみに袖を捲っているのは仕込みがないか確認し、解錠される可能性を減らす為である。
『……で、誰なんだよ? この女』
姫香は一度拘束した女性を指差すと、左手の拳を握って睦月の前に突き出し、その甲の上で右手の人差し指を横に切った。
『【素人】』
『素人……?』
睦月は訝し気に、その女性を見つめる。
女子大生位の成人したかどうかも微妙な女性で、いっそ少女と呼んでも差し支えないのではと思える程に若い。もしかしたら、睦月や姫香と同年代かもしれなかった。
『……そんな奴が、どうやって俺を尾行したって言うんだよ』
便宜上、睦月は『尾行した』と口にしたものの、実際は情報漏洩に近い。
何せ美術品の移送中ずっと、三流以下の雑魚に追い回されていたのだ。どんな裏道を行こうとも、途中人気のない場所で車のナンバープレートを替えようとも、その人海戦術は一向に止むことがなかった。幸い睦月達の行いは犯罪行為ではなかったので警察は動かなかったものの、犯罪者に襲われているのに介入してこない時点で、そちらにも手を回していた可能性も考えられた。
その睦月の疑問に、姫香は手に持っていたスマホを掲げて見せてきた。
『ん? …………あれ?』
てっきり、彼女を捕まえたことや公園にいることと同様、睦月のスマホに情報を送ってきたのかと思ったが、駐車後の車内で見た内容に追加はない。しかし画面を向けているわけではなかったので、姫香が何を伝えたいのかはすぐに理解できた。
『そうか、スマホのGPSか……』
たしかに条件さえ揃えば、素人でもスマホに攻撃的なハッキングをすることはできる。専用のセキュリティソフトが流通する程の脆弱性がある上に、その気になれば本体も証拠隠滅ができる位だ。PCでもできるのであれば、その技術を用いればより簡単に乗っ取れると、睦月も昔馴染みの一人から聞いたことがあった。
だがそれを素人が、それも睦月に対して行ったというのが信じられない。ただの愉快犯で誰でも良かった、という偶然にしては、あまりにも攻撃的過ぎたのだ。
それこそ、特定の個人を目標にしていると言った方がしっくりくる程に。
『……で、俺を狙った目的は?』
とりあえず相手の傍にしゃがみ込んだ睦月は、視線を彼女に合わせてから、そう問い掛けた。
そして彼女、下平彩未が素性や襲撃した理由を話し終えた途端、睦月は思わず笑い出してしまう。
『おまっ、月偉の奴も大概だが……お前も結構馬鹿だろう?』
『うるさいっ!』
簡潔に纏めると、こうだった。
大学生活初めての合コンで出会った月偉と恋人になったものの、相手が結婚詐欺師であることに気付かずに詐欺の標的にされ、処女と学費を取られた後に逃げられたらしい。
本来ならば逃亡した詐欺師とその被害者、という構図で済む話なのだが……彩未の場合は違った。
休学を挟んででも働きながら学費を貯めつつ、学ぶ予定だったネットワーク関係を大学でできた友人やネット上の人脈、さらには復讐心からくるやる気を糧に、独学で技術を培ったらしい。そしてその力を用いて相手が卯都木月偉という本名であることや、廃村寸前の地元に最後まで残っていた睦月という、同郷の昔馴染みの存在を突き止めるまでに至ったのだ。
彩未が復讐する理由を理解した睦月ではあったが、それでも相手が馬鹿だと思わざるを得なかった。
たとえ技術力を磨き抜いたにしても……他がおろそかになっていては意味がない。
『将来の可能性を考えない月偉もそうだが……お前も相手位、ちゃんと選べよな』
『……ちゃんと選、』
『選んでないからこうなったんだろうが』
睦月は、彩未の反論をあっさりと切り捨てた。
『人間関係を形成するなら幻想でも構わないけどな……継続したいなら、ちゃんと現実も見ろ』
人間関係を構築する上で、きっかけ自体は特に問題ではない。実際、偶々出会った相手と結婚することになったとしても、その瞬間は気付かないというのが世の常だ。
もし結婚ないしは付き合うことを考慮するのであれば、相手の見かけや表向きの態度を知るだけでは不十分だ。欠点も含めて、相手がどういう人物なのかを見極めなければ、十中八九破滅が待っている。
公私を問わず、その場限りの付き合いでないのならば、現実を受け入れることこそが人間関係を続けていく秘訣でもある。特に恋人等は、下手をすれば一生続くのだ。
かつての詩人が語ったような意味ではないが、『結婚は人生の墓場』とはよくできた言葉だと言える。
生半可な相手を選べば良くて離婚、最悪一生を無駄にする恐れがあるのだ。
付き合いの浅深度合いはともかく、一生を添い遂げられるかどうかはきちんと見極めなければ、待っているのは文字通り『墓場』だろう。おまけに本来の意味である性病に掛かってしまえば、もう目も当てられない。
睦月は自身の考えを彩未にぶつけてから、もうどうでもよくなったとばかりに姫香のいるベンチへと移動して腰掛けた。
『さて、どうするか……』
睦月は運び屋ではあるが、殺し屋ではない。
無論、必要となれば殺人の手段を辞さない覚悟もあるし、『見捨てる』という選択肢も含めれば、すでに何人も殺している。
だからといって、いやだからこそ、睦月は『殺す相手』を選ぶようにしている。
でなければ……精神が持たないからだ。
『まあさっきの落とし前も兼ねて、口止め代わりに強姦して写真を撮るのは確定にしても……問題はその後だよな…………』
いっそ殺した方が楽なのかもしれない。だが可能であれば人殺しを避けたい睦月にとってはもう少し確実に、彩未を口止めする手段が欲しかった。
同じ考えに至っているかまでは分からないが、考え込んでいる睦月に対して、彩未が問い掛けてくる。
『……殺さないの?』
『殺せないんだよ。そこまで切羽詰まっているわけでもないしな』
半端な敵程、扱いに困るものはない。
適当にあしらえる程弱い手合いであれば、そのまま放置できる。逆に強ければ殺すべきだと覚悟することもできた。
しかし目の前の彩未は、そのどちらでもない。殺さなければ将来の禍根になりかねないが、逆に息の根を止めても睦月の心情に影響を及ぼす。それに万が一、彼女が事前に何かを仕込み、死と同時に何かが作動する可能性も否定できない。
果たして、何が正解なのだろうか……
『お前はどう思う?』
無論、それは彩未に対しての問い掛けじゃない。ベンチの隣に腰掛け、今はスマホに夢中になっている姫香に向かって言ったのだ。名前がばれているのは睦月だけみたいなので今はまだ、伏せておいて損はないだろう。
彩未が姫香に捕まった、つまり睦月にだけ人を送っていた、ということは存在を知らなかったとも言える。たしかに長い付き合いではないものの、すでに何人かの知り合いには面通しを済ませていた。
そこから情報が漏れていてもおかしくはないと思うのだが、それでも姫香を知らないということはたしかに彩未は素人で、裏社会とは今まで何のつながりもなく生きていたということに他ならない。
それでも、独力で睦月の存在まで突き止めたのだから、将来性はかなり高いとみて間違いないだろう。
『…………おい』
スマホの画面に夢中になっているのか、返事をしない姫香の後頭部を軽く叩き、強引に視線を奪う睦月。
しかし姫香は若干涙目になりつつも、空いた手で頭を摩りながら、スマホの画面を睦月の眼前に突き付けた。
『……ホームベーカリー?』
睦月の呟きに、姫香は慌ててスマホを戻すと、通販サイトを表示していた画面の内容を替えだした。どうやら伏兵として彩未を捕らえた報酬で、何を買おうか検討していたらしい。
そしておそらくは事前に打っていたのだろう、メモの画面を今度こそ、睦月に見せてきた。
『昔馴染みの方は売らないの?』
『売る、売らない以前の問題だからな……』
そもそも月偉の居場所どころか、今の顔すら睦月には分からなかった。
かつての母校に行っても本来の顔しか分からないどころか、卒業後に図書室で会った際にはすでに整形済みで、その時に残されていた写真の類を回収していたことは容易に想像がつく。
和音に頼るという手もなくはないが、腐っても同郷の人間だ。やすやすと足を掴ませてはくれないだろう。
すると姫香の指がスマホに伸び、画面に表示していたメモの内容を切り替えてきた。
『『依頼が来るかも』って、メリットを匂わせるのは?』
『なるほど……たしかに、その手もあるな』
要するに姫香は、『囮になる』と提案しろと言ってきているのだ。というかそこまで事前に考えていたのかと、睦月は思わず感心してしまった。
すでに袂を分かったとはいえ、いざという時に頼るのはおそらく旧知である可能性は高い。だから睦月の元に月偉から依頼が来る可能性も、十分に考えられる。
今回はそれを餌に、彩未を大人しくさせられるかもしれない。でなければ今後も、仕事の邪魔をされる恐れがある。
しかも今は地元が廃村になる話が固まりつつあり、新居をどうするかと検討している段階。余計な諍いは今の内になくしておくべきだった。
『よし……今回はそれでいくか』
姫香の頭部を軽く撫でてから、睦月はベンチから立ち上がり、再度彩未の眼前でしゃがみ込んだ。
『今回は強姦と裸の写真だけで勘弁してやるが……裏社会の住人に手を出したんだ。今後の命は保証しない。次は殺される覚悟で来るんだな』
『……随分優しいじゃん』
嫌味ったらしく吐き捨ててくる彩未だが、睦月は気にすることなく肩を竦めて、話を続けた。
『いちいち仕事の邪魔をされたくないだけだ。それで提案なんだが……俺を囮にする気はないか?』
『どういうこと……?』
睦月は彩未に、月偉の所在どころか今の顔すら知らないこと、そして場合によっては、向こうから依頼が来る可能性について話した。
『まあ、そこまで高くない可能性だが……自分で月偉の情報を探しつつなら、少しは確実性も増すだろう。それに能力の将来性については、折り紙付きみたいだしな』
『…………』
じっと、睦月を見つめながら、彩未は唇をギュッ、と固めだした。どうやら睦月からの提案を、脳内で吟味しているらしい。
(まあ……簡単には信じられないか)
相手は裏社会の住人で、自分を騙した元凶とは同郷の昔馴染み、ということだけじゃない。
人間、辛い過去があればその分、他者を信じられなくなってくる生き物なのだ。大方、睦月の話に裏がないかと考えているのだろう。
『……そっちのメリットは?』
相手のことを考え出した時点で、話半分には信じたみたいだ。後は睦月から、自身のメリットを伝えればいい。
『最低でも仕事の邪魔をされなくなる。運が良ければお得意様が増えるし、いざとなれば写真を理由に脅して仕事なり身体なり要求できる。後は、そうだな……』
ざっと思い付く限りのメリットを挙げた睦月だったが、最後に出てきたものには彩未も思わず、顔を顰めてしまった。
『……少なくとも今は、女を殺さなくて済む、かな?』
『何それ、フェミニストのつもり?』
『言っておくが、フェミニズムってのは『性別による格差をなくす思想』であって、『女性尊重の習慣』みたいに女性を優遇する考え方とは微妙に違うからな? まあ……俺個人の主義には違いないか』
そろそろ手錠を掛け直しても問題ないだろうと立ち上がった睦月は、ベンチにいる姫香から鍵を受け取ると、彩未の拘束を一度外してから再度掛け、街灯から離れられるようにした。
そして掛け直した手錠の鎖を握りながら、睦月は彩未を連れて駐車場へと向かい出した。その後を、同じく立ち上がった姫香が追い掛けてくる。
『可能な範囲でだが、女は殺さずに生かす主義なんだよ。自分の為に』
『……性処理の道具にする為?』
『それもある。まあ俺の場合、道具を抱く趣味がないってのもあるが……』
深夜の公園に、睦月の主張が響き渡った。
『格の上下や敵味方問わず、男にとって女ってのは……やる気を出す理由にするには、色々と都合がいいんだよ』
その言葉の意味を、彩未は今でも理解していない。
ただ……これから自分を犯そうとしている相手と普通に友人付き合いをするどころか、人間関係的に依存することになるとは、当時の彩未には思いもよらなかったのであった。
『ところで……昔馴染みをさっさと売るとかは考えてくれないの?』
『勘弁してくれ……ただの一般人から、国際指名手配くらってあちこち逃げ回っている奴までより取り見取りなんだぞ? 昔馴染み以前に、関わっただけで面倒になりそうな連中相手に、こっちから喧嘩売る方がどうかしてるわ』
ただでさえ、少し前に昔馴染みの一人が面倒なことになったというのに……と、当時の睦月は車に乗りながら、そうぼやいていた。
運送前に新人がポカをやらかしたからとその上司が急遽同乗する羽目になったり、新入りの裏社会の住人が高価というだけで売れもしない美術品を強奪しようとしてきたり、挙句の果てには手持ちのスマホの調子がおかしかったりと、その日の睦月は不運としか言いようがなかったとか。
……そして半分以上が彩未のせいだと思い直し、睦月達からの当たりがさらに強くなる結果となってしまったのはご愛嬌である。
その日の依頼に限って何故か、襲撃者の数が多すぎた。しかも、ちょっとした誤報にも引っ掛かりそうな、素人に毛の生えたような連中が、だ。
だから睦月は保険を掛け、その日の依頼を遂行した。そして同乗した依頼人と別れた後、深夜帯で人気のない公園へと来ていた。
工場地帯と海岸線に挟まれた場所にある公園なので、ただでさえ人気がない。だから密談や、人に言えないことをするには適していた。しかも周辺にしか監視カメラの類もなく、おまけに隠れ家のある地方都市のすぐ傍なので都合のいいことこの上なかった。
『……で、俺はそいつにつけられていたと?』
他に利用者のいない駐車場に車を停めてから、睦月は公園の中へと向かい、そこのベンチに腰掛けている姫香に問い掛けた。普段は家にいる彼女だが、今回のような不測の事態には、伏兵として動いて貰うこともある。
その為、そのベンチにいたのは姫香だけではない。女子大生位の若い女が上着の袖を肘まで捲られ、後ろ手で近くの街灯に手錠を掛けられた状態で座り込んでいた。
ちなみに袖を捲っているのは仕込みがないか確認し、解錠される可能性を減らす為である。
『……で、誰なんだよ? この女』
姫香は一度拘束した女性を指差すと、左手の拳を握って睦月の前に突き出し、その甲の上で右手の人差し指を横に切った。
『【素人】』
『素人……?』
睦月は訝し気に、その女性を見つめる。
女子大生位の成人したかどうかも微妙な女性で、いっそ少女と呼んでも差し支えないのではと思える程に若い。もしかしたら、睦月や姫香と同年代かもしれなかった。
『……そんな奴が、どうやって俺を尾行したって言うんだよ』
便宜上、睦月は『尾行した』と口にしたものの、実際は情報漏洩に近い。
何せ美術品の移送中ずっと、三流以下の雑魚に追い回されていたのだ。どんな裏道を行こうとも、途中人気のない場所で車のナンバープレートを替えようとも、その人海戦術は一向に止むことがなかった。幸い睦月達の行いは犯罪行為ではなかったので警察は動かなかったものの、犯罪者に襲われているのに介入してこない時点で、そちらにも手を回していた可能性も考えられた。
その睦月の疑問に、姫香は手に持っていたスマホを掲げて見せてきた。
『ん? …………あれ?』
てっきり、彼女を捕まえたことや公園にいることと同様、睦月のスマホに情報を送ってきたのかと思ったが、駐車後の車内で見た内容に追加はない。しかし画面を向けているわけではなかったので、姫香が何を伝えたいのかはすぐに理解できた。
『そうか、スマホのGPSか……』
たしかに条件さえ揃えば、素人でもスマホに攻撃的なハッキングをすることはできる。専用のセキュリティソフトが流通する程の脆弱性がある上に、その気になれば本体も証拠隠滅ができる位だ。PCでもできるのであれば、その技術を用いればより簡単に乗っ取れると、睦月も昔馴染みの一人から聞いたことがあった。
だがそれを素人が、それも睦月に対して行ったというのが信じられない。ただの愉快犯で誰でも良かった、という偶然にしては、あまりにも攻撃的過ぎたのだ。
それこそ、特定の個人を目標にしていると言った方がしっくりくる程に。
『……で、俺を狙った目的は?』
とりあえず相手の傍にしゃがみ込んだ睦月は、視線を彼女に合わせてから、そう問い掛けた。
そして彼女、下平彩未が素性や襲撃した理由を話し終えた途端、睦月は思わず笑い出してしまう。
『おまっ、月偉の奴も大概だが……お前も結構馬鹿だろう?』
『うるさいっ!』
簡潔に纏めると、こうだった。
大学生活初めての合コンで出会った月偉と恋人になったものの、相手が結婚詐欺師であることに気付かずに詐欺の標的にされ、処女と学費を取られた後に逃げられたらしい。
本来ならば逃亡した詐欺師とその被害者、という構図で済む話なのだが……彩未の場合は違った。
休学を挟んででも働きながら学費を貯めつつ、学ぶ予定だったネットワーク関係を大学でできた友人やネット上の人脈、さらには復讐心からくるやる気を糧に、独学で技術を培ったらしい。そしてその力を用いて相手が卯都木月偉という本名であることや、廃村寸前の地元に最後まで残っていた睦月という、同郷の昔馴染みの存在を突き止めるまでに至ったのだ。
彩未が復讐する理由を理解した睦月ではあったが、それでも相手が馬鹿だと思わざるを得なかった。
たとえ技術力を磨き抜いたにしても……他がおろそかになっていては意味がない。
『将来の可能性を考えない月偉もそうだが……お前も相手位、ちゃんと選べよな』
『……ちゃんと選、』
『選んでないからこうなったんだろうが』
睦月は、彩未の反論をあっさりと切り捨てた。
『人間関係を形成するなら幻想でも構わないけどな……継続したいなら、ちゃんと現実も見ろ』
人間関係を構築する上で、きっかけ自体は特に問題ではない。実際、偶々出会った相手と結婚することになったとしても、その瞬間は気付かないというのが世の常だ。
もし結婚ないしは付き合うことを考慮するのであれば、相手の見かけや表向きの態度を知るだけでは不十分だ。欠点も含めて、相手がどういう人物なのかを見極めなければ、十中八九破滅が待っている。
公私を問わず、その場限りの付き合いでないのならば、現実を受け入れることこそが人間関係を続けていく秘訣でもある。特に恋人等は、下手をすれば一生続くのだ。
かつての詩人が語ったような意味ではないが、『結婚は人生の墓場』とはよくできた言葉だと言える。
生半可な相手を選べば良くて離婚、最悪一生を無駄にする恐れがあるのだ。
付き合いの浅深度合いはともかく、一生を添い遂げられるかどうかはきちんと見極めなければ、待っているのは文字通り『墓場』だろう。おまけに本来の意味である性病に掛かってしまえば、もう目も当てられない。
睦月は自身の考えを彩未にぶつけてから、もうどうでもよくなったとばかりに姫香のいるベンチへと移動して腰掛けた。
『さて、どうするか……』
睦月は運び屋ではあるが、殺し屋ではない。
無論、必要となれば殺人の手段を辞さない覚悟もあるし、『見捨てる』という選択肢も含めれば、すでに何人も殺している。
だからといって、いやだからこそ、睦月は『殺す相手』を選ぶようにしている。
でなければ……精神が持たないからだ。
『まあさっきの落とし前も兼ねて、口止め代わりに強姦して写真を撮るのは確定にしても……問題はその後だよな…………』
いっそ殺した方が楽なのかもしれない。だが可能であれば人殺しを避けたい睦月にとってはもう少し確実に、彩未を口止めする手段が欲しかった。
同じ考えに至っているかまでは分からないが、考え込んでいる睦月に対して、彩未が問い掛けてくる。
『……殺さないの?』
『殺せないんだよ。そこまで切羽詰まっているわけでもないしな』
半端な敵程、扱いに困るものはない。
適当にあしらえる程弱い手合いであれば、そのまま放置できる。逆に強ければ殺すべきだと覚悟することもできた。
しかし目の前の彩未は、そのどちらでもない。殺さなければ将来の禍根になりかねないが、逆に息の根を止めても睦月の心情に影響を及ぼす。それに万が一、彼女が事前に何かを仕込み、死と同時に何かが作動する可能性も否定できない。
果たして、何が正解なのだろうか……
『お前はどう思う?』
無論、それは彩未に対しての問い掛けじゃない。ベンチの隣に腰掛け、今はスマホに夢中になっている姫香に向かって言ったのだ。名前がばれているのは睦月だけみたいなので今はまだ、伏せておいて損はないだろう。
彩未が姫香に捕まった、つまり睦月にだけ人を送っていた、ということは存在を知らなかったとも言える。たしかに長い付き合いではないものの、すでに何人かの知り合いには面通しを済ませていた。
そこから情報が漏れていてもおかしくはないと思うのだが、それでも姫香を知らないということはたしかに彩未は素人で、裏社会とは今まで何のつながりもなく生きていたということに他ならない。
それでも、独力で睦月の存在まで突き止めたのだから、将来性はかなり高いとみて間違いないだろう。
『…………おい』
スマホの画面に夢中になっているのか、返事をしない姫香の後頭部を軽く叩き、強引に視線を奪う睦月。
しかし姫香は若干涙目になりつつも、空いた手で頭を摩りながら、スマホの画面を睦月の眼前に突き付けた。
『……ホームベーカリー?』
睦月の呟きに、姫香は慌ててスマホを戻すと、通販サイトを表示していた画面の内容を替えだした。どうやら伏兵として彩未を捕らえた報酬で、何を買おうか検討していたらしい。
そしておそらくは事前に打っていたのだろう、メモの画面を今度こそ、睦月に見せてきた。
『昔馴染みの方は売らないの?』
『売る、売らない以前の問題だからな……』
そもそも月偉の居場所どころか、今の顔すら睦月には分からなかった。
かつての母校に行っても本来の顔しか分からないどころか、卒業後に図書室で会った際にはすでに整形済みで、その時に残されていた写真の類を回収していたことは容易に想像がつく。
和音に頼るという手もなくはないが、腐っても同郷の人間だ。やすやすと足を掴ませてはくれないだろう。
すると姫香の指がスマホに伸び、画面に表示していたメモの内容を切り替えてきた。
『『依頼が来るかも』って、メリットを匂わせるのは?』
『なるほど……たしかに、その手もあるな』
要するに姫香は、『囮になる』と提案しろと言ってきているのだ。というかそこまで事前に考えていたのかと、睦月は思わず感心してしまった。
すでに袂を分かったとはいえ、いざという時に頼るのはおそらく旧知である可能性は高い。だから睦月の元に月偉から依頼が来る可能性も、十分に考えられる。
今回はそれを餌に、彩未を大人しくさせられるかもしれない。でなければ今後も、仕事の邪魔をされる恐れがある。
しかも今は地元が廃村になる話が固まりつつあり、新居をどうするかと検討している段階。余計な諍いは今の内になくしておくべきだった。
『よし……今回はそれでいくか』
姫香の頭部を軽く撫でてから、睦月はベンチから立ち上がり、再度彩未の眼前でしゃがみ込んだ。
『今回は強姦と裸の写真だけで勘弁してやるが……裏社会の住人に手を出したんだ。今後の命は保証しない。次は殺される覚悟で来るんだな』
『……随分優しいじゃん』
嫌味ったらしく吐き捨ててくる彩未だが、睦月は気にすることなく肩を竦めて、話を続けた。
『いちいち仕事の邪魔をされたくないだけだ。それで提案なんだが……俺を囮にする気はないか?』
『どういうこと……?』
睦月は彩未に、月偉の所在どころか今の顔すら知らないこと、そして場合によっては、向こうから依頼が来る可能性について話した。
『まあ、そこまで高くない可能性だが……自分で月偉の情報を探しつつなら、少しは確実性も増すだろう。それに能力の将来性については、折り紙付きみたいだしな』
『…………』
じっと、睦月を見つめながら、彩未は唇をギュッ、と固めだした。どうやら睦月からの提案を、脳内で吟味しているらしい。
(まあ……簡単には信じられないか)
相手は裏社会の住人で、自分を騙した元凶とは同郷の昔馴染み、ということだけじゃない。
人間、辛い過去があればその分、他者を信じられなくなってくる生き物なのだ。大方、睦月の話に裏がないかと考えているのだろう。
『……そっちのメリットは?』
相手のことを考え出した時点で、話半分には信じたみたいだ。後は睦月から、自身のメリットを伝えればいい。
『最低でも仕事の邪魔をされなくなる。運が良ければお得意様が増えるし、いざとなれば写真を理由に脅して仕事なり身体なり要求できる。後は、そうだな……』
ざっと思い付く限りのメリットを挙げた睦月だったが、最後に出てきたものには彩未も思わず、顔を顰めてしまった。
『……少なくとも今は、女を殺さなくて済む、かな?』
『何それ、フェミニストのつもり?』
『言っておくが、フェミニズムってのは『性別による格差をなくす思想』であって、『女性尊重の習慣』みたいに女性を優遇する考え方とは微妙に違うからな? まあ……俺個人の主義には違いないか』
そろそろ手錠を掛け直しても問題ないだろうと立ち上がった睦月は、ベンチにいる姫香から鍵を受け取ると、彩未の拘束を一度外してから再度掛け、街灯から離れられるようにした。
そして掛け直した手錠の鎖を握りながら、睦月は彩未を連れて駐車場へと向かい出した。その後を、同じく立ち上がった姫香が追い掛けてくる。
『可能な範囲でだが、女は殺さずに生かす主義なんだよ。自分の為に』
『……性処理の道具にする為?』
『それもある。まあ俺の場合、道具を抱く趣味がないってのもあるが……』
深夜の公園に、睦月の主張が響き渡った。
『格の上下や敵味方問わず、男にとって女ってのは……やる気を出す理由にするには、色々と都合がいいんだよ』
その言葉の意味を、彩未は今でも理解していない。
ただ……これから自分を犯そうとしている相手と普通に友人付き合いをするどころか、人間関係的に依存することになるとは、当時の彩未には思いもよらなかったのであった。
『ところで……昔馴染みをさっさと売るとかは考えてくれないの?』
『勘弁してくれ……ただの一般人から、国際指名手配くらってあちこち逃げ回っている奴までより取り見取りなんだぞ? 昔馴染み以前に、関わっただけで面倒になりそうな連中相手に、こっちから喧嘩売る方がどうかしてるわ』
ただでさえ、少し前に昔馴染みの一人が面倒なことになったというのに……と、当時の睦月は車に乗りながら、そうぼやいていた。
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