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第二巻

012 理系女子の初観劇(その3)

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「煙草か……」
 吸い始めたのは、まともに家に帰らなくなってからだ。
 治安が微妙に悪かったからか、適当な得物を持ってぶらつけば、カツアゲやオヤジ狩りなんて軽犯罪は腐るほど転がっている。適当に加害者その手の奴をぶちのめし、そいつらから奪った財布で夜遅くまで出歩いて、学校の空き教室や二十四時間営業の飲食店で夜を過ごす。
 煙草を吸い始めたのは、財布と一緒に奪ってきたものを、興味本位で手を出したに過ぎない。後も先もなく、義理の家族とどう向き合えばいいかも分からず、祖父母だという人達も居なくなってしまった時だった。
 煙草を止めるきっかけになった……あの人に出会ったのは。



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 そして夜。
「ああ、うまかった」
「夜風が涼しぃ~」
「平和だな……と」
 ビングの家の庭先に、三人は芝生の上に大の字になって寝転がった。先程までビングの母親が用意した食事を食べきり、各々夜空の下でくつろいでいる。
「もうすぐ終わりだな、この生活も」
「終わりって、まだそうと決まったわけじゃ……」
「……分かってんだろ、そんなのは無理だって」
 ヤンジは煙草をくわえたまま、夜空を見上げ続けた。火を点けることなく、ただじっと星を見つめている。
「俺達の親父は皆、その『血』に抗えずに争った。例え戦を望まなくても、例え平和を望んでいても、例えどれだけ交流があったとしても、だ」
 ビングは仰向けのまま話に耳をかたむけ、フェイはうつぶせに寝転がって見つめ出した。
「『王』と『勇者』と『魔王』。この三つの役割が、そうさせる『血』がある限り、俺達は必ず争うことになる。ガキの頃のごっこ遊びや、今やってるじゃれ合いとも違う、本当の殺し合いを」
 先代達はあらがった。武器を破壊し、力を幾重にも封じ、挙句の果てには大陸の果てへと離れていったことがある。先々代も、その前の代からの伝承を参考に、あらゆる対抗手段を模索して、実行に移していった。とある代など、完全に交流を絶っていたほどだ。
 しかし、それでも結果は惨敗ざんぱいで、『魔王』を殺した『勇者』は正気に戻った途端に自らの命を絶ち、残された『王』も精神を病んで隠居してしまう。平和だった時代を、その当時のことを知る人間は懐かしそうに、けれどもどこか悔しそうに語ってくれたものだ。
「あの婆さんだって、親父に家族を奪われたからこそ、俺のことをいまだに目の敵にしている。……正直な、俺が婆さんに殺されれば全て解決するんじゃないかと本気で考えたことがあるんだ」
「ちょっ、何言って……」
「結果は惨敗ざんぱいだったよ」
 思わず起き上がるフェイを、ヤンジは言葉で制する。
「実際に一度、殺されようとしたんだ……けど無理だった。俺に流れる『魔王』の血が暴れかけて、必要以上に反撃しようとしだした。その時は慌てて逃げたから良かったけど、向こうにとってはさらに恨みを重ねるような悪行をかましてきた、と思っても不思議じゃないさ」
「……だから、殺せるのは『勇者』である俺だけ、か」
 今まで黙っていたビングが、上半身だけ起き上がらせてから、ヤンジの方を向いた。煙草に火が点いていないので、普段よりも冷静に話せている。
「別にいいさ。お前を殺すのが俺の役割なら、な」
「何言って……」
 同じく起き上がってきたフェイを、今度はビングが制した。
「だがお前は『魔王』じゃない」
 その言葉に、フェイはある一点を見据えた。
 勇者の武器である剣は、芝生の上に寝かされたまま微動だにしていない。むしろ、誰からも触れられずに鞘に納まっている。
「『魔王』じゃない奴を殺したって意味がない。……なあ、もう少し足掻あがいてみないか?」
「ハッ、無駄なことを」
 ヤンジの手が動く。しかしそれは、煙草に火を点けるためではない。その証拠に、ビングの手も同時に動いていた。
 互いが互いの得物を構え、突き付けていた。
 ビングは勇者の証である剣を、ヤンジは魔力を固形化して放つ魔弾銃を。
 首筋にやいばが触れようとも、銃口がひたいに突き付けられようとも、互いの主張は得物と共に下がることはない。
「まだ時間はある。足掻あがくことだってできるはずだ」
「無駄に決まってんだろう。親父達が散々足掻あがいたのに、それでもできなかったんだぞ。これ以上何をしようってんだ?」
 それ以前に、と呟きながら、ヤンジに向けていた銃口を降ろした。
「もう時間がないのは、お前が・・・一番よく分かってんだろ」
 それだけ言い残すと、ヤンジは銃を仕舞い、そのまま立ち上がって歩き出している。ビングが手を降ろして剣を鞘に仕舞う頃には、もうその背中を見ることは叶わなかった。
「やっぱり……」
「……どういうこと?」
 フェイはビングに視線を移している。すると彼も立ち上がり、剣を腰に差してから手を差し伸べた。
「……送るよ」
 この日、ビングの笑顔が乾いていたことにフェイは気づいていたが、これ以上何かを言うことはできなかった。



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「そういえば小道具のさ、あの銃……誰が作ったんだよ」
「あれ、私が用意しました」
 その言葉に、蒼葉は思わず升水の方を向いた。しかし当の本人は、舞台照明の制御盤から視線をらそうとしない。
「……例の太客パパから?」
「この手の工作が趣味の人がいまして……男って、いくつになっても子供ですよね」
「それは否定しないが……その人達は大人でもあるだろ?」
 蒼葉はBGMをゆっくりと流していく。舞台上では夜、ヤンジ役の演劇部員が帰路についている光景を演出していた。
「いや……何かを作りたいのに、大人も子供もないな。時間があるかないか、手段があるかないか、評価されるかされないか、その程度の違いしかないんだ。創作者クリエイターなんてものはな」
「……つまり、何が言いたいんですか?」
「単純な話だよ……」
『もう、どうしようもねえな……』
 舞台から役者の台詞が聞こえてくる。
 もうすぐ劇の山場だ。蒼葉は一つ気合を入れてから、台本のページをめくった。
「……作りたいから作る。理由はなんであれ、単純なんだよ……人間、ってのはな」



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「もう、どうしようもねえな……」
 自らの国へと帰る道すがら、ヤンジはノワール公国の方を振り返った。
 煙草に火を点け、警戒も兼ねて抜いた魔弾銃をもてあそびながら。この辺りは野生の獣や人肉を喰らう魔獣達がうろついているため、いつ襲われてもおかしくはない。逆に言えば、その危険な道を、彼は何度も往復していた。
 それは煙草のためなのか、それとも友人達と会うためなのか。
「時間がない。しかし解決する足掛かりすらない…………もう、諦めるしかないのか?」
 軽く紫煙を撒き散らしてから、ヤンジは再び前を向き、己が国へと帰っていった。



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「……なんか、展開が読めてきた」
 舞台をながめながら、稲穂は肘掛けを土台にして、頬杖をついてそう呟いた。
「大方、三人がその役割とやらにあらがってうまくいくとか、結局うまくいかずに全員で殺し合ったか。そんなところでしょう……」
 世の中で求められているものはハッピーエンドかバッドエンドだ。大抵の物語は、そのどちらかに収束されていく。
 何故なら、人生にとっての結末はそのまま死に直結している。しかし、死ぬということは、もう引き返せないことと同義だ。
 けれども、人間は結果を、結末を求めたがる。本来ならばその結末の後にも、人生が続くというのに。
 だから人は、物語を描いているのだろう。偽りの結末を持って、死から目を逸らすために。神やその手合いが存在するかは、稲穂には分からない。しかし、彼女はこう考えている。もしかしたら神話の類も、彼の者の存在の有無に関わらず、読む者の目を生に向けさせるために用意されたものかもしれない。
 その真偽は不明だが、これだけは分かる。
「……選択肢は限られている。どう足掻あがいても、それを増やすことなんて、できるわけがない」
 もしかしたら人はそれを、『運命は変えられない』と言うのかもしれない。
 限りある選択肢で後悔のないように人生を全うする。それが人としての義務なのだろうと、稲穂は考えていた。
「『運命は変えられない』。たとえ、この場で宝くじが当たる幸運を得られたとしても……それもまた運命ね」
 自分は拾われた子供。血縁関係のない、金融会社の社長令嬢。家族で残っているのは義理の兄貴という父親だけ。
 それ以外は必要ない。たとえ……唯一の肉親だとしても。
「こういうのを何て言ったかしらね? ああ、そうそう……『釈迦の掌の上』」



 人は……その掌の上からは逃れられない。
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