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後宮の偽女官

銀箔の謀りごと

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 永和宮の火事は未明になってようやく鎮火した、と寝室にやってきた周が告げた。
 出火元は贈り物の倉にしていた一室だった。正房を丸ごと焼いた火事とはいえ夕餉時からまだ時間が経っていなかったため、起きて働いていた宮の者は皆無事だったらしい。ただし産後間もない徳妃と生まれたばかりの赤子、そして火元の部屋で泥酔していた柏は逃げ遅れたということだった。
 宮から飛び出した侍女たちから、三人がまだ残っていると聞いた宦官たちは必死に助けに入ろうとしたが火の勢いが強く断念したという。鎮火後に宮の検分に入った宦官がいうには、侍女の言う通り柏は火元近くで倒れていて徳妃と赤子は寝室のあたりで丸くなって亡くなっていたらしい。
 伝聞ばかりのその知らせを、寝台に腰掛けた白狼は項垂れながら聞いた。傍らでは椅子に座った銀月が腕を組んで目を伏せている。

「皇帝、皇后の両陛下はお心を痛め、火事の原因を調べよとお命じになられました。しかし、おそらくは柏の不注意による失火ということで片付けられることになるかと」
「孫家はどう出るかな」
「徳妃様が皇子を御生みになった直後ですから、皇后やほかの妃嬪の差し金と思われるかもしれません。ただ、調べで実のご子息による失火とされれば、あまり大きな声は出せなくなるでしょう」
「……それも徳妃の置き土産かもしれんな」
「御意」

 周が頭を下げて出て行くと、銀月は大きなため息を吐いた。

「聞いた通りだ。おそらく今回の火事は柏の過失として処理される。徳妃の言っていたことを父上に報告しても、国として後宮で不義があったことを認めることはないだろう。権威に関わるからな」
「……ん」
「孫家も自分たちの企みが公になることは阻止したいはずだ。はっきりした沙汰があるまでは分からないが、そちらもお咎め無しということになる可能性が高い」
「うん」
「ただ、燕という下女の名誉だけは回復してやりたいと思う。皇后もあの一件の罪が柏にあるとすることに反対しないと思う」
「うん」

 ぽつぽつと語る銀月に、白狼はあいまいな相槌を打っていた。聞いていないわけではない。そして徳妃――姉の明玲とその子どもが亡くなったという事に悲しみがないわけでもない。
 しかし悲しんで立ち止まってしまうのは、明玲の覚悟を無駄にするようで嫌だった。
 一の帝姫を排除しようという柏の企み自体は潰していない。首謀格は失っても配下の者が役目を放棄するかどうかは分からないからだ。しかももうすぐ笄礼の儀を経て輿入れすることが決まっており、その行く先は皇后の息がかかっている貴族の家である。
 まだ銀月の命の危険は取り除かれていないと言って良い。
 少なくとも一回なら白狼が身代わりになることができる。しかしそれ以降は守れない。そして後宮から出たとしても、一生姫君として生きて行くなど現実的とは言い難い。今までは子どもだったから何とかなっていただけだ。

「なあ、銀月」
「ん?」
「紅花さんも、更迭されたんだよな?」

 反応が鈍い白狼を心配げに見つめていた銀月は、はっとして頷いた。

「父上が証しとなる宝玉を渡せなかったからな。あれを持っていない以上、腹の子が皇帝の子であるとは言えぬと皇后が言い出して、すぐに冷宮送りとなった」
「それってさ、もう覆らないのか?」
「後宮の人事を差配するのは、もともと皇后に権限があることだ。房事の記録にも書かれていない以上、紅花が父上の子を身ごもっている証拠になるものがなにもないからな」
「そっか」

 ん、と銀月が首を傾げた。

「怒らないのか?」
「うん」
「あんなに紅花の肩をもっていたではないか」
「うん、まあ、そうなんだけどさ。もとはと言えば、俺が紅花さんの持ってたやつをスったのが悪かったんだし」
「それを返すという話か? 紅花は既に冷宮に入れられているぞ。どうやって返すつもりだ」
「いや、そうじゃなくて」

 白狼は顔を上げた。

「貴妃も、徳妃も、その子どもたちも後宮からいなくなった。これから生まれてくるはずの紅花さんの子も、このままなら皇子や帝姫としては認められないんだろ? ってことは、この国にいる皇帝の子はお前と皇后のところの姫だけってことだよな」
「……ああ」

 暗い顔をしたまま銀月が頷く。

「皇后してみりゃ、一気に敵が減って邪魔者は残すところお前だけだ。成人を迎える姫とまだ幼い姫。女にも継承権をどうのこうのって話が出て、幼い姫に帝位を継がせたいからどうしたって早々にお前を殺そうする」
「そうだな。言い出したのは貴妃だったか。徳妃のところの皇子が死んだ以上、女の帝位継承の話が具体的になるだろうし」
「で、お前はこのままだとどっかの貴族のうちに嫁にいって、そこで男とバレて殺されるか、あるいは道中で消されるかってところだ。どうするのか、翠明さんたちと算段は付いてるのかよ」
「……それは」

 銀月は言葉に詰まった。以前なら躊躇いもなく「お前を身代わりにする」とでも言い放っただろう。もともとそういう捨て駒にするつもりで自分を拾ったはずの銀月だ。
 しかしいつの間にか側近同様、いや勘違いでなければ白狼を側近より近しいところに置き気にかけてくるようになった主である。白狼の影響か、燕の名誉まで回復するように考えてくれるようにもなった。
 そんな銀月が、白狼を捨て駒にして逃げる手段を躊躇っている。嬉しく思う反面、それではいけないと思った。

「そこで一つ提案だ」

 にやりと白狼は口角を吊り上げた。

「俺は今、皇帝の子だって証拠の宝玉を一個持ってる」
「紅花からスったものだな」
「名前が書いてあるわけじゃねえ。けど、見る奴が見れば皇帝の特注品ってことが分かる希代の名品ってやつだ。つまりあれさえあれば、皇帝の子を名乗れる」
「それがどうした」
「お前、それ持って堂々と帰ってこいよ」
「は?」
「皇子様のご帰還だ、ってな」

 首を傾げていた銀月の目が丸くなる。そして言っていることが飲み込めたのだろう、すぐさま形の良い眉が吊り上がった。しかし白狼は反論を許さない。びしっと銀月の鼻先目掛けて人差し指を突き出した。

「輿入れの時でもいいし、その前にちょっと何か皇帝に呼び出ししてもらうとかしてお前、後宮から宝玉持って出ろよ。んで、素知らぬ顔して宝玉掲げて戻ってくれば万事解決だ」
「お前、何を言っているんだ。そんなことをできるわけな……」
「承乾宮の帝姫は、ほら。ここに居るしよ。皇帝がどっかの女に産ませた落し胤でございってやっちゃえばいいんじゃねえの? お前の母親の実家に頼むとか、なんか細かいとこはお前がいいように考えてくれればいいけどさ」

 どうよ、と白狼は胸を反らした。これが白狼なりに考えついた策だった。
 男である銀月を「姫」として嫁がせるわけにはいかないが、輿入れの件だけを考えれば自分だけであれば何とか逃げおおせる可能性もあるし、女の身体を持っている白狼であれば本当の帝姫のふりを続けることだってできる。
 もちろん銀月は反論してくるだろう。しかし他者を蹴落とすことに躊躇がない皇后や、そんな皇后に逆らえない弱腰の皇帝より、目の前の聡明な少年が皇帝になる道が開けるならそれでいいと思った。少なくとも今の白狼に寄り添おうとしてくれる銀月ならば、平民にとっても悪いことにはならないと思える。
 自信満々な白狼に毒気が抜けたのか、銀月は目を泳がせながら浮かせかけた腰を落とした。数拍、思索を巡らせる表情を浮かべ、そしてまた白狼を見上げた。

「……万が一、その策がうまくいったとしてお前はどうする?」
「んなもん、俺一人ならどうとでもなるって。貴族の嫁として贅沢三昧やってやってもいいし、危なくなりゃケツまくって逃げりゃいい」
「そんな悠長なことを言っていられないかもしれないぞ。それこそ道中で事故でも装われたら」
「俺がそんなのにやられると思うのかよ。むしろ事故が起きてくれた方がありがてえよ。騒ぎに乗じて逃げるだけさ」

 ううん、と銀月は唸った。荒唐無稽だと一蹴されないところを見ると、どうやらこの策には考える余地があるらしい。銀月はその形の良い唇に人差し指を当て、なにやらぶつぶつと呟きながら考え込んでいる。
 白狼は誇らしい気持ちになって銀月を見つめた。思慮深く、そしてそれなりに優しいところのあるこの少年は陽の当たる場所で生きるべきだという思いを新たにしていると、銀月が顔を上げた。その拍子にお互いの視線がぶつかる。
 何か思いついたのか。白狼はなんだ、と話を促した。

「お前、何もなければ本当に身代わりとして班王家に嫁ぐつもりか?」
「そりゃ、身代わりだからな?」
「それ、私は物凄く嫌だな」

 何が、と聞くことはできなかった。少し拗ねたような声音と表情を浮かべた銀月が、すぐさま立ち上がったからだ。

「よし、決めた」
「何を?」
「策に乗ろう。しかしお前を危険に晒すのも、むざむざよそにくれてやるのも気が進まん」
「でも身代わりは必要だろ?」
「私が戻るまでならな。であれば帰還が早まればお前も手元から放さずに済む。笄礼やら輿入れやらの前に後宮を出て全部終わらせるぞ」

 ん、と何か引っかかる言葉があった気がしたが、それを問い直すより先に銀月が戸口に向かって侍女を呼ぶための手を叩いた。
 いくらもしないうちに求めに応じる翠明の声がして扉が開く。すぐさま皇帝への面会を申し入れるよう伝えた銀月は、侍女が去っていくのを見送ると白狼に向き直った。
 しばらく見ることができなかった、強気な銀月の表情だった。まだ目の下にはクマが浮かんでいるが失意や諦め、焦燥感はない。白狼の策にはきっと穴があるが、銀月が本気を出して考えればその穴も埋まるだろう。
 うまく行きますように、と白狼は祈る。その姿が姫君の装束を身に着けているせいで本当の乙女の様に見えたことなど、本人には知る由もないことであった。
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