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後宮の偽女官

真実の行方③

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 昼過ぎに徳妃に陣痛が訪れたという情報は瞬く間に後宮全体に広まった。
 慌てて駆け付けた侍医の指示のもと、侍女や下女は互いに協力して徳妃の出産に付き従った。二十をとうに超えており、町娘であれば既に子が数人いてもおかしくない年齢の徳妃であったが、その年齢での初産だったせいかお産はなかなか進まなかった。
 産室として用意した部屋は侍医と助手、そして最側近の女官数名以外は立ち入り禁止とされた。
 身分の低い下女や新入り侍女の白狼はもちろん部屋へは入れない。外で待機する役目を言いつけられた。
 意外なことに柏も部屋からは出ていた。着替えに食事、就寝時などあれだけいつも徳妃に付き従っていたのにおかしなことだ、と白狼は思った。しかし当の柏は他人の目など気にする余裕がないかのように取り乱していた。
 顔色はずっと青く、ともすれば徳妃よりもひどい汗を浮かべているように見えた。また部屋から徳妃の呻き声が漏れ聞こえれば立ち上がり、扉の前をうろうろと所在なく歩き回ったり手を合わせて天に祈りを捧げていたりする様は、まるで夫か父親のようだった。
 心配しすぎ、と言ってやりたいが白狼にも出産の経験はないし、出産に立ち会った経験もない。そんな自分が何を言ったところで気休めにもならないだろうし、そもそも発言は禁じられているので声をかけるわけにもいかない。
 仕方なく白狼は周りの侍女たちとともに、赤子の衣や徳妃の身体を拭うお湯の準備などのために走った。

 そして徳妃や侍医が産室にこもって四刻も過ぎたころだろうか。夜も更けて普段であれば皆が眠る時間帯になったときにその瞬間がやってきた。
 ぎゃあ、という小さな猫のような泣き声が扉の向こうから聞こえると、宮の者たちはいっせいに立ち上がった。中でも一番先に、転ばんばかりの勢いで立ち上がったのは柏であった。
 生まれて初めて出産というものに立ち合った白狼は、はじめその泣き声が何かの動物のものかと驚いた。しかし周りの反応からそれが赤子のものであると察すると、何やら腹の中から熱いものがこみ上げてくるように感じた。
 赤子は無事に生まれた。となると次はその性別と、母親である徳妃の無事を確認したくなるものである。
 真っ先に立ち上がった柏は足をもつれさせるように扉へと駆け寄った。あまりにおぼつかない足取りだったため転ぶのでは、と思ったがその前に産室の扉がゆっくりと開かれた。

「おお、皆さんお揃いでしたな」

 銀月の宮にも往診にくる人の好さそうな爺医官だ。侍医は頭と口元を覆っていた白布を解きながら出てくると、辺りを見渡してにっこりと微笑んだ。

「お、御子は……!」

 心配のしすぎか、それとも興奮しているのか、柏は珍しくどもりながら侍医の胸に縋るように尋ねた。
 それに対し、訝しむ様子もなく侍医は大きく頷いて答えた。

「ご立派な男御子でございました。長くかかりましたが徳妃様もご無事です。お見事でございました」
「おお、男御子でございますか! おお!」
「陛下に急ぎお知らせくださいませ。これは国を挙げたお祝いになりましょう」

 それを聞いた侍女が一人、部屋から駆け出して行った。柏の指示はないが皇帝へ知らせに行くのだろう。下女たちもきゃあきゃあと喜びの声をあげているなか、本来なら指示を出し女官たちを取りまとめる立場である柏は呆けた顔をして産室の扉を見ていた。
 お手柄ですぞ、と侍医はぼうっと立つ柏の肩を叩く。普段の飄々とした距離感のおかしい宦官・柏ならばそれを微笑んで受け取っただろう。しかし今の柏は違った。
 肩を叩かれた瞬間、何か堰が切れたように柏の両の目から涙がこぼれたのだ。瞬きひとつせずにぼろぼろと涙を落とすその顔は、先ほどまでの落ち着かない様子からは一変してもはや心ここにあらずと言った風である。
 感動なのか、喜びなのか、今の柏の頭を占めている感情が何なのかは全く分からない。が、おそらくこの宮、いやこの後宮で今夜一番徳妃の身を案じていたのは柏だろう。それだけは白狼にも伝わった。

 それから宮にいる女官たちは大忙しとなった。
 下女たちは汚れものを全て引き上げ夜だというのに洗濯に走り、侍女は徳妃の身を清め休ませる間に食事の支度を行ったり、赤子を清潔なおくるみと衣に包み保温をしたり、来訪するであろう皇帝を出迎える準備をしたりと、上へ下への大騒ぎである。
 白狼は徳妃のそばで彼女が水を飲みたがる時に水差しを持ち上げる係になった。
 陣痛が始まって四刻というのは初産にしてはそれなりに安産の部類だと聞かされたが、徳妃の消耗具合を見ると喜ぶ気にはならない。息をするのも、目を開けるのもしんどいようだし、時折眉間にしわを寄せて痛みをこらえる様子もある。
 侍医によれば赤子を出した後も腹からは月事のように後産と呼ばれるものが出るらしい。痛みを伴うとのことで、白狼は侍女の一人が持ってきた温石をそうっと徳妃の腹の近くにおいてやった。
 ありがとう、と小さな声で徳妃が微笑んだ。そして傍らの籠に納められている小さな生き物に目をやる。赤子はしわくちゃの顔で、目を閉じて眠っているらしい。徳妃はその赤子をじっと見つめ、そして目を逸らした。
 それは小さな違和感だった。
 念願の男御子を産んだはずの徳妃なのに、ちっとも嬉しそうに見えなかったのだ。

「お水を……」

 徳妃に請われ白狼は水差しを口元に差し出した。その徳妃の顔の向こういる赤子がふっと目に入る。真っ赤とも、赤黒いとも言えない顔色で、顔中しわしわの猿のようで、生まれたばかりの赤子はちっともかわいくない。
 人間、赤子のころから面影というものがあるはずだが、これがいつの日か銀月ような美形に育つのだろうか。正直、全然似ていないと思った。
 母親が違う人間なので本当の兄弟ほどに似るわけではないだろう。しかし賢妃は銀月のように美しかったと聞くし、徳妃も決してそれに負けない美しさと言って良いだろう。であれば、この赤子も美形になるはず。
 けれどどう見ても似ていない気がする。おでこも間延びした感じだし、目も見た感じ細めなようでこれが銀月のようなきりっとした大きな目になるとは考えられなかった。
 うーん、と白狼は首をひねった。
 そして何か赤子の顔に既視感を覚えた。なんだ、と記憶を漁るが思い当たらず、白狼はまた首をひねる。その間、白狼は徳妃が小さなため息を漏らしていたことに気が付かなかった。
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