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妃嬪の徴証

追憶の面影③

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 解かれると思った縄は一層きつく縛り直され、乱暴にするなと懇願する徳妃を柏が連れて行きどれほど時間が経ったことだろう。ご丁寧にさるぐつわまで噛まされていてはなすすべもなく、白狼は暗闇の中でただ時間が経つのを待っていた。

 自らの失態のせいで銀月をこんな宮まで呼び出されるハメになるとは、とんだ間抜けである。何かあれば自分ひとりが罰を受けるだけだと考えていた己の甘さで、言い訳ができる余地もない。歯ぎしりしたいほどの自己嫌悪に陥りながらも、さるぐつわのせいでそれすら叶わなかった。
 銀月が今まで生き延びてきたのは、側近の手腕もさることながら目立たずひっそりと、病弱で無害な姫を装っていたからだ。降りかかる火の粉を払い落とすことに専念し、後宮の争いごとに首を突っ込まずにいたから、母親を殺された後も皇后やほかの妃嬪から直接手を下されることなく生きることができたのだろう。

 それを今、自分が脅かしている。

 皇后が毒を盛られたことなど、実際のところ銀月の命に直接かかわりがないことなのだ。謀殺を貴妃が本当に企んでいたかどうかも、燕がそれにどうかかわっていたかということも、銀月をはじめとする承乾宮には関係がない。公的な発表をただ受け入れればよかっただけだ。
 知りたい、はっきりさせたいというのは白狼個人の欲求である。その個人的な欲求を優先させた結果、銀月の危機を招いている。燕のために動きたいと思ったことは後悔がないが、そのためにはもっと考えるべきだった。
 考えなしに飛び込んだせいで、懐に隠し持っていた燕の「手紙」も、忍び込んで手当たり次第に突っ込んだ下女たちの手習いも、全て取り上げられているのだから世話がない。ここまでされれば柏が燕の手蹟について何らかの関係があると言っているも同然だが、証拠となるものは何もなくなってしまった。
 くそう、と白狼は呻いた。
 物置は窓もしっかりと閉じられ、外の灯りなども入らない。暗い中、そして体の自由が利かない状態では時間の感覚などとうに失われている。ただ自分の無鉄砲さに後悔が募っていく。
 呼び出されたという銀月が、この宮に来ているのかどうかも分からない。ひょっとしたら、いや用心深い銀月や翠明のことだ。黒花あたりを身代わりに仕立ててよこしているかもしれない。「主」の身を危険に晒した自分が言う事ではないが、白狼はそうであることを願わずにいられなかった。
 いっそ寝てしまおうか、体力温存だと開き直ろうとしてみたものの焦りに似た気持ちが胸をじりじりと締め付けるようで眠れない。
 くそう、と白狼はまた呻いた。
 そんな頃、がたりと物置の扉が開く音がして室内に光が差し込んだ。縛り上げられた時はまだ深夜だったのに、既に外がうっすらと明るい。久方ぶりの灯りに目を瞬かせていると、やあやあと緊張感のない声とともに柏が顔を出した。

「すっかりお待たせしてしまってね」
「ぐっ……」
「すまなかったねぇ。そんなさるぐつわまでして、さぞ苦しかったことだろう」

 柏はそう言って近づくと、白狼の口からさるぐつわを外し体を柱に括りつけている麻縄に手をかけた。
 銀月は、と言いかけて白狼は口を噤む。聞きたいことはいろいろあるが、下手に口を開くと何を話してしまうか分からない。代わりに白狼はありったけの力を込めてひょろ長い宦官を睨みつけた。
 しかし柏は全く意に介していないように涼しい顔でそれを受け流した。微塵も堪えていないのだろう。随分と厚い面の皮をしているようだ。
 まあ、そうでもなければ後宮で謀など企むこともできまい。良い人だと思って騙された自分が悪いのだ。
 縄を解かれ自由になった腕を見ると、がっつりと縄目の跡が肌に残っている。きつく縛りやがって、と白狼はこれ見よがしに肩や腕をぐるぐると回して見せた。

「長く縛っていたが、痛みはないかい?」
「あるに決まってんだろ」
「それはそうだ。まあ、首がつながっていてよかったと思ってもらえるとありがたいね」

 飄々としている宦官に白狼は舌打ちをした。

「さて、承乾宮の帝姫様と話はついたよ」
「へえ」

 何が、とは聞かない。下手にしゃべるより相手に話してもらうほうがいい。銀月はもう帰ったのか、それともどこかで待っているのか、それくらいは確かめたかったが、あえて黙った。そんな白狼の思惑を察したのか、それとも気にしていないのか、柏は切れた麻縄をくるくるとまとめている。
 そんな柏が、これみよがしにため息を吐いた。

「姫君自らお越しになったのでね。僭越ながら私が少しお話をさせてもらったよ。ほら、うちの徳妃様は身重でお休みならないといけなかったからね」
「……昨夜は随分と遅くまで起きていらっしゃったしな」
「大きなねずみに驚かれたようで大層興奮されていたからね。お心を休める薬を飲まれて今もゆっくりお眠りになっているよ」
「そりゃあ良かった」
「宮の者もね。昨晩はよく眠れる香を焚いておいたせいかな。まだまだ誰も起きる気配がない。おかげで私が働きづめだよ」

 姫君自ら、と聞いて白狼の心がざわついた。本当に銀月が自分で来たのか、それとも身代わりか。柏の言葉だけでは分からない。しらじらしく相槌を打っているのは、自分を落ち着かせるためでもあった。
 
「まあそんなことでね。徳妃様の身の回りのお世話をする侍女を充実させたい、と帝姫様にご相談したんだ」
「……は?」

 話が見えず、白狼は思わずぞんざいに聞き返した。柏の口もとがにやりと持ち上がる。下卑た、そして悪辣な含み笑いだ。いつものらりくらりとした風でいるこの宦官の底知れぬ闇が垣間見えたようで、白狼は総毛だった。
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