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妃嬪の徴証

手蹟の悪戯①

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 庭園が見えてくると、そこにはまだ多くの野次馬が集まったままだった。
 衛兵が配置され庭園の中には入れなかったが、その前ではどこの宮付きの女官か下女かが口元に袖を当ててひそひそと何かささやきあっている。あまりいい感情を持って受け取れないその表情に、白狼の腹には黒いものがうごめきだす。
 庭師の宦官は仕事場を追い出されたのか、他の宦官と肩を竦めながら談笑しているのが見えた。人ひとり、いや毒見の下女を含めたら二人死んでいるというのに、なぜ笑っていられるのか。
 緊張感のない野次馬たちの態度に、白狼ははらわたが煮えくり返るような怒りを覚えた。
 しかしそれも仕方のないことなのだろう。
 後宮内では娯楽も少ない。権力争いや皇帝の寵愛をめぐっての人死になど珍しくないことだが、皇后に貴妃が毒を盛ったなどという衝撃的なネタであれば面白おかしく噂話にしてしまおうという者が居てもおかしくない。
 おかしくないが腹立たしい。いっそ力づくで黙らせてやりたいという衝動を堪えながら辺りを見回すと、人々の輪から少し離れたところで少女たちがひと固まりになっているのに気が付いた。
 近づいてみると青い衣を着た少女たちは肩を寄せ合ってしくしくと泣いていた。女官と言うにはまだ幼い。下女か、とよく見てみるとその中の一人には見覚えがあった。
「……君達、徳妃様のところの?」
「あぁ……白狼さん……!」

 先日、徳妃の宮に挨拶に行った折、燕と笑いあっていた一人だ。周りを宥めていた様子の彼女だが、白狼が声をかけると堪えきれなくなったように両の目から大粒の涙をこぼし始める。駆け寄って背をさすると、声をあげて泣き出してしまった。
 すると周りの少女たちも我慢が出来なくなったのだろう。おんおんと泣き出す子、歯を食いしばってぼろぼろと涙だけを流す子、地に伏して号泣する子という風に涙が連鎖する。白狼自身も鼻の奥がじわりと熱を持ち、視界が歪み始めそうだ。
「え、燕が……燕が……」
 最初に泣き出した少女は嗚咽を漏らしながら燕の名を口にする。それを聞いてしまうと、もう何を言って良いか分からなくなった。白狼は無言で少女を抱きしめた。
 しばらくそうしていると、遠目で少女たちを冷ややかに眺めていた野次馬の集団が割れた。人込みが二つに分かれ、中からひょろりとした背の高い宦官が出てくる。宦官は少女たちを見つけると、自らも泣き出しそうな顔をしながら駆け寄ってきた。

「やあ白狼君」

 いつも距離感が近すぎると思うほど馴れ馴れしい宦官の声も、心なしか張りがない。少女たちは宦官に気が付くとまたもや大きな声で泣き出した。
 
「えっと、柏様……」

 口を開いたものの言葉が出てこない。柏は静かに首を横に振った。
 その表情とそして少女たちの泣き声に、白狼は燕の件が嘘や噂ではなく本当のことなのだと納得せざるを得なくなる。

「すまないね、うちの子たちが世話になって……」
「いえ……でも、残念です……なんでこんなことに」

 白狼の肩に顔を埋めていた少女の背中がびくりと震えた。

「我々にも、何が何だかまださっぱりわからないんだ」
「燕がそんなことするなんて、私たちも信じられません!」
「小月は燕と得に仲が良かったからね。信じられないのも無理はない。私もまだ信じられない気持ちでいっぱいだよ」

 柏は泣いている下女の一人に手を伸ばした。駄々をこねるように首を振り続ける少女は、燕の件をまだ否定したくてたまらないのだろう。この下女たちより四つも五つも年上である白狼ですら、その気持ちは大いに分かる。
 しかしどれだけ否定しても、もう燕は戻ってこないのだ。
 彼女たちの上役でもある柏も、彼女たちの気持ちが痛いほどわかるのだろう。一人一人の頭を優しく撫で、少女たちが落ち着くのを辛抱強く待っているようだった。
 四半時もしないうちに少女たちは一人、また一人と泣き止みお互い支えあうようにして庭園を後にした。その後ろ姿を見送った白狼は、残った宦官を見上げた。
 この宦官は庭園の中から出てきた。おそらく徳妃の宮の代表として、燕の自害の状況を検分してきたのだろう。であれば、何か聞き出せることがあるかもしれない。

「柏様。燕に遺書があったと聞きました」

 柏も聞かれる覚悟があったということか、小さく頷いた。そして口元に人差し指を立て、目線で庭園とは反対方向の路地へと促される。内密の話ということらしい。白狼は黙って彼の後について歩いた。

「貴妃様と繋がりがあったらしい」

 しばらく歩き、人通りがなくなるとおもむろに柏は口を開いた。

「燕は人懐こい子だったから、あちこちの宮にお仕えしている女官や宦官にもかわいがられていてね……しかしまさか貴妃様の宮の方と繋がりがあるとは思わなかったよ」
「その話って……」
「私も半信半疑さ。しかも、貴妃様に言われて皇后様の食事に毒を盛ったなんて」
  
 眉間に深い皺を刻みながら語るその話に嘘はないのか。白狼は半歩前を歩く宦官の顔を見上げながら考える。
 宮付きでもないのに、妃嬪の配膳をする天幕に近寄れるものなのだろうか。どんな隙を縫っていくと、一介の下女がそんなところへ毒を持って忍び込めると言うのだろう。
 たとえ白狼が現役のスリであっても、警備の厳しい貴族の行列に仕事をしにはいかない。なにかことを為すには、油断している時が最適なのになぜ警戒されているところに行ったのか、いや行けたのか。
 本当に燕が毒を盛ったとしたら、内通者でもいたのかーー。
 ごくり、と喉が鳴った。
 
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