71 / 97
妃嬪の徴証
欺瞞の招宴④
しおりを挟む白狼にせっせと貢物をしていた燕が自害したという話は、承乾宮の者たちに少なからず衝撃を与えた。しかも皇后に毒を盛ったという一大事件を起こした張本人として、貴妃に命令されたという遺書まで残している。
尚宮付の後宮宦官から情報を聞き出してきた周が宮の者にそれを話すやいなや、白狼は抱えていた塵箱を投げ捨てた。
「嘘だろ!」
床にぶちまけられた塵を見つめていた小葉が嗚咽を漏らす。なんだかんだ言いつつも、毎日のように白狼に会いに来ていた下女をほほえましく見ていたのだろう。黒花が小葉の肩を抱き、周に話の続きを促した。
「詳細はまだ不明です。徳妃の宮ではなく、庭園の隅で首を吊っていたそうで遺書は足元にきちんと畳まれていたと……」
「なんでだよ! なんで燕が皇后に毒なんて盛るんだよ! あいつがそんなことするわけ、いやできるわけないだろ!」
「貴妃に命令されたらしいが、まだそこまでしか分からんのだ」
「だったら貴妃捕まえればいいだろ!」
「落ち着け白狼。周に怒鳴り散らしてどうする」
どうしようもないことは分かっている。しかし腹の中から湧き上がる怒りが収まらない。白狼は強く唇を噛んだ。前歯が食い込み、その隙間から赤いものが滲む。口の中に流れ込んだそれは金属の味がした。
苦々しい思いで主を睨めば、当の本人は落ち着き払った様子で椅子に座り腕を組んでいた。その冷静さが腹立たしく、白狼は拳を握った。
「それにしても、遺書と言うのが気になる」
「はい。私もそれが気になり聞いてみたのですが、どうやら徳妃の宮は下女に手習いもさせていたとかで」
「なるほど、面倒見が良い。それで書けたのか……」
銀月は目を伏せながら唇に人差し指を当てた。
「とはいえ、燕とかいう下女は徳妃付きになってまだ半年も経っていなかったのでは? それを遺書が書けるほど、しかも貴妃の陰謀であると告発できるほどの文章を書けるものだろうか……」
帝姫の疑問はもっともな事だ。自分の言いたいことをきちんとした文章にして書くということはある意味特殊能力に近い。
この国全体で見れば識字率はそこまで高くない。街に住む商売人はそれなりに読み書きができるものが多いが、農村地帯に行けば文字のやり取りがほとんど必要ないので識字率がぐっと下がるためだ。後宮に下女として働きに来る者は多くが貧しい農村の娘なので、燕が読み書きができなったとしても不思議ではない。
それに対しはじめは驚かれたが白狼は文字が読める。スリ稼業を行う上で物の相場を知る事は大切だったし、「商売相手」がどういう商売をしているのかを持っている手紙や帳面から推測するために必要だったからだ。
半面、字を書く事は不得手である。書けなくはないが、改めて習ったことがないため決して美しい文字にはならないし、文章となるとからっきしだった。「わたしはさけがすきです」程度の簡単な言葉を組み合わせた短文がせいぜいだ。
銀月は白狼と目を合わせた。
「燕とやらが読み書きを習っていたとして、半年に満たぬ程度の手習いでどの程度書けるようになると思う?」
悠長な問いかけに白狼は奥歯をぎりっと噛み締める。
「……単語は、書けるだろう」
「文章にはなるか?」
「分からねえ。単語を組み合わせて並べることはできる。けど、」
難しい文章となると無理だろう。おそらく、言葉を繋げる言葉を上手く使いこなせないはずだ。そして難しい単語になればまだ文字として書くこともできないに違いない。
答えながら、白狼は銀月が考え込んでいるその内容を察した。
「……誰かが、燕がやったことにした……!」
「……確証がある話ではない」
聞こえるかどうかも危うい呟きを銀月が拾って頷いた。
燕は巻き込まれただけかもしれない。誰に、と言うのはまだ分からない。あの騒ぎの中、貴妃の様子はどうだったか。割と軽率な女だ。あり得ないと断言はできないが、かといって絶対やるだろうとも言えない。皇后と毒見の女に気を取られ、しかも白狼自身も嘔吐剤の影響ではっきりとは見ていなかったのが悔やまれる。
ちっと舌打ちをすると、銀月も小さく首を振った。
「確証がある話ではないし、あくまで私の憶測だ。ただ、調べてみる価値はあるかもしれん」
「姫様、余計な動きをしては、皇后にこちらもいたくない腹を探られかねません」
「分かっている」
主思いの翠明が眉をひそめたが銀月はそれを遮る。
「あくまで憶測と言っている。どちらにせよ、皇后と貴妃、そして徳妃がお互いに潰しあってくれればこちらも都合がいい。それぞれの宮の動きを調べておけ」
側近たちが了承の意を込めて頭を下げた。
が、白狼はおとなしく調べを待つつもりはない。投げ捨てた塵箱にさっと塵をかき集めると、それを抱えて宮の外に出た。行先は焼却場――ではなく庭園だ。
にこにこしながら毎日おやつを差し入れに来てくれた燕が自害したなど、まだ信じられない気持ちである。周が仕入れた情報も、どこまで本当かもわからない、もしかしたら聞いた名前も違ったりするかもしれない、とわずかな希望、いや願望を胸に白狼は走った。
0
お気に入りに追加
108
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
君は妾の子だから、次男がちょうどいい
月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

【完結】元妃は多くを望まない
つくも茄子
恋愛
シャーロット・カールストン侯爵令嬢は、元上級妃。
このたび、めでたく(?)国王陛下の信頼厚い側近に下賜された。
花嫁は下賜された翌日に一人の侍女を伴って郵便局に赴いたのだ。理由はお世話になった人達にある書類を郵送するために。
その足で実家に出戻ったシャーロット。
実はこの下賜、王命でのものだった。
それもシャーロットを公の場で断罪したうえでの下賜。
断罪理由は「寵妃の悪質な嫌がらせ」だった。
シャーロットには全く覚えのないモノ。当然、これは冤罪。
私は、あなたたちに「誠意」を求めます。
誠意ある対応。
彼女が求めるのは微々たるもの。
果たしてその結果は如何に!?
僕は君を思うと吐き気がする
月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。
廃妃の再婚
束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの
父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。
ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。
それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。
身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。
あの時助けた青年は、国王になっていたのである。
「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは
結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。
帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。
カトルはイルサナを寵愛しはじめる。
王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。
ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。
引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。
ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。
だがユリシアスは何かを隠しているようだ。
それはカトルの抱える、真実だった──。
十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!
翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。
「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。
そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。
死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。
どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。
その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない!
そして死なない!!
そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、
何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?!
「殿下!私、死にたくありません!」
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
※他サイトより転載した作品です。
【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~
塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます!
2.23完結しました!
ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。
相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。
ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。
幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。
好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。
そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。
それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……?
妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話
切なめ恋愛ファンタジー
皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる
えくれあ
恋愛
丞相の娘として生まれながら、蔡 重華は生まれ持った髪の色によりそれを認められず使用人のような扱いを受けて育った。
一方、母違いの妹である蔡 鈴麗は父親の愛情を一身に受け、何不自由なく育った。そんな鈴麗は、破格の待遇での皇帝への輿入れが決まる。
しかし、わがまま放題で育った鈴麗は輿入れ当日、後先を考えることなく逃げ出してしまった。困った父は、こんな時だけ重華を娘扱いし、鈴麗が見つかるまで身代わりを務めるように命じる。
皇帝である李 晧月は、後宮の妃嬪たちに全く興味を示さないことで有名だ。きっと重華にも興味は示さず、身代わりだと気づかれることなくやり過ごせると思っていたのだが……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる