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妃嬪の徴証

欺瞞の招宴②

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 宴が行われるのは後宮の庭園だった。四方を幕で覆った内側に、凹の字のように席が設けられ中心には舞踏や楽団の演奏の場である舞台が置かれている。
 徳妃は冷えてはいけないからと言って下座に設えた天幕の中、賢妃は不在、というほかは中位、下位の妃嬪が勢ぞろいだ。下座まで様々な色の衣を着た女で席が埋まっている。曹家の姫はどいつだ、と目を凝らすが下座の方にいるのだろうなということしか白狼には分からなかった。
 そして一の帝姫が皇帝の席である一番の上座から一段下がった席に着くと、あくまで皇后が主催する非公式なものではあるがついに笄礼の宴が始まった。主席宦官の昌健しょうけんが開宴を宣言すると、幕の外に控えていた後宮の女官たちが一斉に空の皿と杯が乗った膳を運んでくる。酒や食事はこれから配るのだろう。
 仕掛けてくるだろうか。白狼は皇帝を挟んで向かい側に座る皇后の顔を伺った。
 皇后は今日も豪奢な金と銀の糸をふんだんに使った衣装をまとい、頭には大きな冠をつけてゆったりと座っていた。相変わらず扇で顔の半分を隠し、傍らに立つ女官長らしき年増の女官や宦官たちになにやら言いつけている。言いつけられた彼らが退出すると舞台上には芸妓や楽団が並び、上座に一礼をした。舞踏の始まりのようだ。
 生憎白狼には踊りの演目も楽曲の意味も分からない。ただ目の前で繰り広げられるきらびやかな舞踏は確かに綺麗で、芸妓や楽師たちの質が高いことだけは分かった。皇后の隣、一段低い席では真っ赤な衣を羽織った貴妃がつまらなそうに舞台の上を眺めている。

「……妓楼や街にいる流しの芸人とは全然違うな」

 扇の影でつぶやくと、側に立つ翠明に背中を突かれた。

「宮廷に所属する楽師と踊り子たちですからね。芸歴も長い者が多く、稽古も厳しいと聞きますよ」

 そっか、と頷くが、皇帝や皇后に聞こえぬようほぼ口を開かずに説明する翠明の技量も大したものである。
 一演目終わるころ、また皇后が側近に何か伝えているのが見える。拱手して側近が下がるとしばらくして背後の幕の外に人の気配が行き来するのが分かった。食事が運ばれる時間らしい。それをみて、皇帝が主席宦官に目配せする。は、と小さく応じた昌健は音もなく幕の外へ下がっていった。
 ――そろそろかな。
 白狼は胸元を軽く押さえた。そこには銀月から万が一といって持たされた嘔吐剤の薬包が入っている。
 どの妃嬪の背後にも宮で雇われた毒見がいるが、白狼の後ろには尚食局から派遣された下女が毒見として座っていた。彼女が皇后や貴妃に何か言い含められていれば、毒見としては役に立つまい。むしろ下女に危険を冒させることなく自分が食って吐く、と言ったら銀月が渋い顔をして薬をくれたのだ。
 まあ、おそらくではあるが皇后は自分が主催した宴で仕掛けてくることはないだろうと白狼は踏んでいた。前の茶会もそうであったが、自分に責を負わされる可能性のある手を使ってくるとは考えにくい。やってくるとしたら、貴妃の方が濃厚だろう。
 しかし昌健が下がったという事はあれである。
 紅花の入宮の発表だ。発表すると同時に曹家と朱家の屋敷に知らせが届く手筈である、と聞いている。
 昌健はすぐに幕内に戻り、皇帝に小さく頷いた。いよいよである。

「さあて……。どんな面するか、拝ませてもらうぜ……?」

 白狼が扇の影で口角を上げると、翠明にすかさず背中を小突かれた。どうせ楽団の音がにぎやかで、皇帝にも皇后にも背後の下女にも聞こえない程度の声なのに、翠明ときたらとんだ地獄耳だ。
 しかし昌健が手を挙げると、それを合図に楽団の音がぴたりと止まった。芸妓たちは踊りをやめその場に座りこむ。末席にいる妃嬪も動きを止め、上座に注目が集まった。

「ご静粛に。これより陛下よりお言葉を賜ります」

 主席宦官が良く通る声で宣言した。その言葉に皇帝の顔が固まったのが見えたが、ここまで来たらもう覚悟してもらうしかない。予定にない主席宦官の動きに、皇后の眉が不快そうに吊り上がった。
 宦官に促されてゆっくり立ち上がった皇帝は、えへんとかうほんとか数回咳ばらいをした。ちらちらとこちらに視線を寄こされているような気もするが、ここに座っているのは銀月ではなく白狼である。助け船など出してやれるわけもなく素知らぬふりをしているとあからさまに皇帝の肩が落ちた。
 しかしそれ以上黙っているわけにもいかないと思ったのだろう。
 皇帝は並みいる妃嬪を見渡しておごそかに銀月の成人に関する祝いの言葉を述べると、誰にも口を挟ませないような早口で朱 紅花の懐妊と正二品、充媛じゅうえんへの昇格を告げたのだった。

 ――言った。

 白狼は膳の下で拳を作った。
 その宣言に宴は湧いた。羨望と嫉妬の入り混じった悲鳴のような妃嬪達の歓声に、楽師たちが奏でる祝いの音曲。幕の後ろでは本来静かにしていなければいけない下女たちの騒ぐ声も聞こえた。
 扇の縁から対面を伺うと、皇后が目を丸くしているのが見えた。今にも手に持った扇を落としそうなほど驚いているようだったが、さすがにそこは後宮一の権力者である。すぐさま姿勢を整え、燃えるような瞳で皇帝を睨みつけた。
 一方貴妃はといえばこれは目に見えて狼狽えていた。椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がり、側に立つ侍女に何事か怒鳴りつけている。

「朱充媛は只今懐妊中に付き、落ち着き次第宣旨を行うものとする」

 皇帝はそこまでいうと、額から噴き出る汗を袖で拭ったのだった。
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