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白狼の憂鬱

昼、宦官は甘味の罠を知る①

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 今上皇帝の後宮奥深くある承乾宮じょうかんきゅう
 朝餉の後片付けも一段落し、そろそろお茶の時間という頃合いだった。

「白狼! ちょっとこっち来なさい!」

 日頃は落ち着き払った立ち居振る舞いをする黒花こくかの怒鳴り声が宮に響き渡った。
 呼ばれた白狼が正房せいぼうに顔をだすと、すぐさましゅうに首根っこを掴まれ正座をさせられる。ぐるりと自分の周りを取り囲む侍女と宦官、そして宮の主たる帝姫の姿に既視感を覚えながら、白狼はその真ん中で首を傾げた。
 目の前で仁王立ちをしているのはこの宮で二番目に長くいる侍女、黒花だ。すらりとした美女が頬を真っ赤にして眉を吊り上げている。美人はどんな顔をしていても美人だな、と場にそぐわない感想が浮かぶがすぐに飲み込む。今、それを口にできる状況ではない。

「弁明があるなら聞くわ」
「あの……黒花さん?」
「今ならまだ怒らないから素直に白状なさい?」

 怒らないと言いつつも、両の拳を腰に当てた黒花の声は既にもうこれ以上ないほどに怒っている。ええ、と白狼は宮の主を見上げて説明を求めた。

「……いや、私は違うだろうと言ったのだがな」
「だから、なんなんだよ」
「しらばっくれるんじゃないわよ。白狼、あんた盗み食いしたでしょう!」

 主の言葉を待たずに黒花の一喝が飛ぶ。日頃はさばさばしている彼女の珍しく荒ぶったその剣幕に、小葉しょうようなどはびくりと肩を震わせた。自身が叱られた時のような恐ろしさなのだろう。白狼も思わず首を縮めさせた。

「中秋節でお供えされた宮餅が昨日、各宮に下げ渡されたのは知ってんでしょ?」
「へ?」
「今日からお茶の時間に切って食べようと思って厨房に置いておいたのに、さっき見に行ったら数がどう見ても減ってるのよ」

 あんた、と黒花の目が細くなった。その目力に、白狼は背中へ冷たいものが走る錯覚を覚えた。やばい、本気だ。これは本気で怒っている。

「食べたでしょう」
「お、俺じゃないよ……!」
「みんな知らないって言ってるの、あんた以外に誰がいるのよ」
「いや、俺じゃないって」

 何とかしなければ、と思うもののここで何か言っても保身と思われるだけだろう。これはまずい。白狼はひたすら首を横に振り続けた。
 あまりの剣幕に周も翠明も黒花を抑えようと何か声をかけているが、普段とは違う勢いの黒花の耳には届いていないらしい。その取り乱しようを見ていた銀月がおもむろに口を開いた。
 
「黒花、お前の主張は分かったが白狼も知らぬと言っている。小葉の失せ物の一件もそうだが、何かあるとすぐに白狼のせいにするのはよくない」

 助かった。白狼は救いの神のごとく仲裁に出た銀月に、心の中で手を合わせた。しかし止められた黒花は、相手が自分の主と知ってやや口調を落ち着かせたがそれでも白狼から目を離さない。

「確かに白狼の手癖は悪い。しかしいつもくすねるのは金目のものに限られるではないか」
「でも姫様」
「そ、そうだよ。俺じゃないよ。金にならないもん要らないよ、菓子だろ?」
「じゃあなんで無くなってるのよ」

 銀月を前にしても白狼が口を出せばすぐに黒花の怒りが再燃した。きっと鋭い目で睨まれると、その圧力に仰け反りそうになる。でもここが勝負どきだ、と白狼は踏ん張った。
 毎度毎度こういうことで疑われていてはここで働きにくい。どうせ銀月の秘密を知ってしまっている以上、おいそれと市井しせいの生活に戻ることは叶わないのだ。職場の環境が良いに越したことはない。

「知らないって。そもそも本当にそんなものあったのかよ」
「あったはずだわ。だって毎年あれが楽しみで、お遣いから受けとってすぐに厨房に置きに行ったの私だもの」

 悔しそうな黒花に、銀月はふむと呟いて細い人差し指を唇に当てた。

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