29 / 97
偽宦官の立ち位置
承乾宮の失せ物②
しおりを挟む 小葉ら侍女の私室は銀月の居室がある正房から裏手に伸びた渡り廊下の先、後罩房にある。翠明、黒花も同じ房に部屋があり、一番若い小葉は渡り廊下から一番遠い一室を与えられていた。
「だから、昨夜仕事が終わって下がらせてもらってから、耳飾りも簪も外してこの卓に置いておいたのよ」
そういって彼女は部屋の隅に置かれた卓を指さした。藍色の敷物に乗った猫足の卓上には小さな鏡が立てられていて、飾り物を並べる小皿もある。白狼も見た事がある帯飾りと小ぶりな簪が二本、大切そうに並べられていた。小葉は若い割には衣裳道楽にはあまり興味がなく、給金の多くを食材やら調理用具に使っていると聞いたが本当らしい。
ぞろぞろと付いてきた銀月とその側近たちを背に、ふうん、と白狼は鼻を鳴らした。この騒動をどうしたものかと思案している翠明や黒花、訝し気にしている周、興味深げな銀月。それぞれの視線が背に刺さるが、白狼はお構いなしにあたりをきょろきょろと伺った。
有能な銀月の側近たちだが、ともに暮らすうちにそれぞれの個性が分かって来ていた。
護衛宦官の周はとんでもなく単細胞である。過去に何があったかは知らないが忠誠を誓っている銀月の命令は彼にとって絶対らしい。本当に宦官かと思うほどに立派な体躯をしており、剣技を振るえばそこらの兵など相手にならないのではないかと思う。ただし、頭脳戦はからっきしらしく、周には銀月の囲碁の相手は務まらないと白狼が知ったのはつい最近である。
礼儀作法に厳しい侍女頭の翠明は、後宮内外に情報網を張り巡らせており銀月の頭脳面での片腕である。几帳面で老獪な糞婆という一面もあるが、逆に情が深く面倒見が良い。なんだかんだいって白狼に対して立ち居振る舞いの教育を諦めないのだから、すごい人である。銀月の乳母を勤めたとあれば銀月が逆らえないのも当然であった。
黒花はすらりとした細身の美女だ。外見に似合わず気安い質で、白狼の砕けた物言いにもひるまず軽口を返してくる女だった。また白狼ほどではないが身が軽く体術に優れているので周が居ない際には護衛も買って出る。しかし腕力がない。小柄な白狼に腕相撲で負ける程度に。
そして小葉。一番若い侍女で炊事、洗濯、掃除など雑用ならなんでもござれという、実は銀月の宮ではとても貴重な家事専門の働き者だった。宮廷作法に忠実な動きをしながらも掃除と洗濯の合間に自ら厨房にこもりおやつを作るという、白狼にはおよそ信じられない行動を見せる。
働き者の小葉のおかげで宮の内部はいつもきれいに整頓されており、中庭にも枯れ葉一枚落ちていない。掃除後に塵捨てを言いつけられる白狼は、その細かい塵の量にいつもびっくりさせられていた。
しかしこれは表から見える所の話である。
帝姫である銀月の宮には皇帝をはじめ皇后の使者など、いつ何時来客があるか分からない。わずかな気のゆるみがで足元をすくわれる可能性がある。翠明に叩き込まれた作法で必死に仕事をこなす小葉も、自室がある裏に帰ればその反動が出てしまうこともあるらしい。
白狼は卓と反対側の壁際に目をやった。そこにはやや乱雑に寝具が畳まれた寝台がある。朝の支度に手間取ったのか、とりあえずといった畳み方だ。表では決して許されない作法だが、自室ならという油断もあろう。
――つまり自室での小葉は、若干、いやかなり気を抜いてしまうのだ。
「昨夜、小葉さんが戻ってきたのは何時頃だっけ?」
「何時ごろだったかしら、夕餉の後片付けをしてそのあとちょっと厨房のお掃除をしてだから……」
「まあつまり、いつもみたいに遅かったってわけだよな」
「そうね」
であればいつもと同じ程度に疲れて部屋に戻ってきたに違いない。さて、と白狼は卓の下に潜り込んだ。明り取りの窓はあるが卓の下は薄暗い。目視できない壁と卓の間や、敷物の裏、板の目の隙間などに指を這わせることほんの数呼吸。
敷物の端にある房飾りの一つで、指先に固い突起が触れた。そうっと絡む糸をほぐすと、中からころんとした小さな珠が付いた耳飾りが出てくる。暗がりで見ればくすんだ色合いの珠だが、珊瑚とか言っていたはずなのでおそらくこれだろう。
やっぱりな、と白狼は肩を竦めた。
仕事が終わって一息ついた小葉は、いつも通り気が抜けた状態で簪や耳飾りを外して着替えを行ったのだろうが、その時自分が思っているより幾分乱暴に動いたのだろう。外して皿においたはずみで落ちたか、それとも衣を脱いだ時に皿に当たったのかは分からないが、何らかの拍子に落ちた耳飾りは敷物の房飾りに紛れて上手く見つからなかったらしい。
「これじゃねえの?」
立ち上がった白狼は手の中の耳飾りを小葉に見せた。明るいところで見れば珠は濃い桃色で、まろい光を帯びている。小葉の表情が、あ、というものに変わった。
「これ……私の耳飾り……」
「だろ? 敷物の中に紛れてた」
「え? でも、私も朝起きてそこは探したのに」
「敷物の房飾りに絡まってたんだよ。暗いし、朝はあわただしいし、小葉さん慌てて細かく見てなかったんじゃねえの?」
「……そうかも」
「見たとこ珊瑚に欠けもなさそうだし、これでいいよな?」
「う、うん…そう、ね」
「そうね、ではありません。小葉、白狼に謝りなさい」
手渡された耳飾りを見て、小葉がしょんぼりと肩を落とす。白狼として嫌疑が晴れればそれでよいのだが、そこは厳しい翠明がぴしゃりと叱りつけたのだった。
「だから、昨夜仕事が終わって下がらせてもらってから、耳飾りも簪も外してこの卓に置いておいたのよ」
そういって彼女は部屋の隅に置かれた卓を指さした。藍色の敷物に乗った猫足の卓上には小さな鏡が立てられていて、飾り物を並べる小皿もある。白狼も見た事がある帯飾りと小ぶりな簪が二本、大切そうに並べられていた。小葉は若い割には衣裳道楽にはあまり興味がなく、給金の多くを食材やら調理用具に使っていると聞いたが本当らしい。
ぞろぞろと付いてきた銀月とその側近たちを背に、ふうん、と白狼は鼻を鳴らした。この騒動をどうしたものかと思案している翠明や黒花、訝し気にしている周、興味深げな銀月。それぞれの視線が背に刺さるが、白狼はお構いなしにあたりをきょろきょろと伺った。
有能な銀月の側近たちだが、ともに暮らすうちにそれぞれの個性が分かって来ていた。
護衛宦官の周はとんでもなく単細胞である。過去に何があったかは知らないが忠誠を誓っている銀月の命令は彼にとって絶対らしい。本当に宦官かと思うほどに立派な体躯をしており、剣技を振るえばそこらの兵など相手にならないのではないかと思う。ただし、頭脳戦はからっきしらしく、周には銀月の囲碁の相手は務まらないと白狼が知ったのはつい最近である。
礼儀作法に厳しい侍女頭の翠明は、後宮内外に情報網を張り巡らせており銀月の頭脳面での片腕である。几帳面で老獪な糞婆という一面もあるが、逆に情が深く面倒見が良い。なんだかんだいって白狼に対して立ち居振る舞いの教育を諦めないのだから、すごい人である。銀月の乳母を勤めたとあれば銀月が逆らえないのも当然であった。
黒花はすらりとした細身の美女だ。外見に似合わず気安い質で、白狼の砕けた物言いにもひるまず軽口を返してくる女だった。また白狼ほどではないが身が軽く体術に優れているので周が居ない際には護衛も買って出る。しかし腕力がない。小柄な白狼に腕相撲で負ける程度に。
そして小葉。一番若い侍女で炊事、洗濯、掃除など雑用ならなんでもござれという、実は銀月の宮ではとても貴重な家事専門の働き者だった。宮廷作法に忠実な動きをしながらも掃除と洗濯の合間に自ら厨房にこもりおやつを作るという、白狼にはおよそ信じられない行動を見せる。
働き者の小葉のおかげで宮の内部はいつもきれいに整頓されており、中庭にも枯れ葉一枚落ちていない。掃除後に塵捨てを言いつけられる白狼は、その細かい塵の量にいつもびっくりさせられていた。
しかしこれは表から見える所の話である。
帝姫である銀月の宮には皇帝をはじめ皇后の使者など、いつ何時来客があるか分からない。わずかな気のゆるみがで足元をすくわれる可能性がある。翠明に叩き込まれた作法で必死に仕事をこなす小葉も、自室がある裏に帰ればその反動が出てしまうこともあるらしい。
白狼は卓と反対側の壁際に目をやった。そこにはやや乱雑に寝具が畳まれた寝台がある。朝の支度に手間取ったのか、とりあえずといった畳み方だ。表では決して許されない作法だが、自室ならという油断もあろう。
――つまり自室での小葉は、若干、いやかなり気を抜いてしまうのだ。
「昨夜、小葉さんが戻ってきたのは何時頃だっけ?」
「何時ごろだったかしら、夕餉の後片付けをしてそのあとちょっと厨房のお掃除をしてだから……」
「まあつまり、いつもみたいに遅かったってわけだよな」
「そうね」
であればいつもと同じ程度に疲れて部屋に戻ってきたに違いない。さて、と白狼は卓の下に潜り込んだ。明り取りの窓はあるが卓の下は薄暗い。目視できない壁と卓の間や、敷物の裏、板の目の隙間などに指を這わせることほんの数呼吸。
敷物の端にある房飾りの一つで、指先に固い突起が触れた。そうっと絡む糸をほぐすと、中からころんとした小さな珠が付いた耳飾りが出てくる。暗がりで見ればくすんだ色合いの珠だが、珊瑚とか言っていたはずなのでおそらくこれだろう。
やっぱりな、と白狼は肩を竦めた。
仕事が終わって一息ついた小葉は、いつも通り気が抜けた状態で簪や耳飾りを外して着替えを行ったのだろうが、その時自分が思っているより幾分乱暴に動いたのだろう。外して皿においたはずみで落ちたか、それとも衣を脱いだ時に皿に当たったのかは分からないが、何らかの拍子に落ちた耳飾りは敷物の房飾りに紛れて上手く見つからなかったらしい。
「これじゃねえの?」
立ち上がった白狼は手の中の耳飾りを小葉に見せた。明るいところで見れば珠は濃い桃色で、まろい光を帯びている。小葉の表情が、あ、というものに変わった。
「これ……私の耳飾り……」
「だろ? 敷物の中に紛れてた」
「え? でも、私も朝起きてそこは探したのに」
「敷物の房飾りに絡まってたんだよ。暗いし、朝はあわただしいし、小葉さん慌てて細かく見てなかったんじゃねえの?」
「……そうかも」
「見たとこ珊瑚に欠けもなさそうだし、これでいいよな?」
「う、うん…そう、ね」
「そうね、ではありません。小葉、白狼に謝りなさい」
手渡された耳飾りを見て、小葉がしょんぼりと肩を落とす。白狼として嫌疑が晴れればそれでよいのだが、そこは厳しい翠明がぴしゃりと叱りつけたのだった。
0
お気に入りに追加
108
あなたにおすすめの小説
皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる
えくれあ
恋愛
丞相の娘として生まれながら、蔡 重華は生まれ持った髪の色によりそれを認められず使用人のような扱いを受けて育った。
一方、母違いの妹である蔡 鈴麗は父親の愛情を一身に受け、何不自由なく育った。そんな鈴麗は、破格の待遇での皇帝への輿入れが決まる。
しかし、わがまま放題で育った鈴麗は輿入れ当日、後先を考えることなく逃げ出してしまった。困った父は、こんな時だけ重華を娘扱いし、鈴麗が見つかるまで身代わりを務めるように命じる。
皇帝である李 晧月は、後宮の妃嬪たちに全く興味を示さないことで有名だ。きっと重華にも興味は示さず、身代わりだと気づかれることなくやり過ごせると思っていたのだが……
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
若奥様は緑の手 ~ お世話した花壇が聖域化してました。嫁入り先でめいっぱい役立てます!
古森真朝
恋愛
意地悪な遠縁のおばの邸で暮らすユーフェミアは、ある日いきなり『明後日に輿入れが決まったから荷物をまとめろ』と言い渡される。いろいろ思うところはありつつ、これは邸から出て自立するチャンス!と大急ぎで支度して出立することに。嫁入り道具兼手土産として、唯一の財産でもある裏庭の花壇(四畳サイズ)を『持参』したのだが――実はこのプチ庭園、長年手塩にかけた彼女の魔力によって、神域霊域レベルのレア植物生息地となっていた。
そうとは知らないまま、輿入れ初日にボロボロになって帰ってきた結婚相手・クライヴを救ったのを皮切りに、彼の実家エヴァンス邸、勤め先である王城、さらにお世話になっている賢者様が司る大神殿と、次々に起こる事件を『あ、それならありますよ!』とプチ庭園でしれっと解決していくユーフェミア。果たして嫁ぎ先で平穏を手に入れられるのか。そして根っから世話好きで、何くれとなく構ってくれるクライヴVS自立したい甘えベタの若奥様の勝負の行方は?
*カクヨム様で先行掲載しております
廃妃の再婚
束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの
父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。
ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。
それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。
身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。
あの時助けた青年は、国王になっていたのである。
「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは
結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。
帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。
カトルはイルサナを寵愛しはじめる。
王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。
ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。
引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。
ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。
だがユリシアスは何かを隠しているようだ。
それはカトルの抱える、真実だった──。
君は妾の子だから、次男がちょうどいい
月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。
僕は君を思うと吐き気がする
月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。
【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~
塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます!
2.23完結しました!
ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。
相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。
ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。
幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。
好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。
そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。
それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……?
妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話
切なめ恋愛ファンタジー

【完結】元妃は多くを望まない
つくも茄子
恋愛
シャーロット・カールストン侯爵令嬢は、元上級妃。
このたび、めでたく(?)国王陛下の信頼厚い側近に下賜された。
花嫁は下賜された翌日に一人の侍女を伴って郵便局に赴いたのだ。理由はお世話になった人達にある書類を郵送するために。
その足で実家に出戻ったシャーロット。
実はこの下賜、王命でのものだった。
それもシャーロットを公の場で断罪したうえでの下賜。
断罪理由は「寵妃の悪質な嫌がらせ」だった。
シャーロットには全く覚えのないモノ。当然、これは冤罪。
私は、あなたたちに「誠意」を求めます。
誠意ある対応。
彼女が求めるのは微々たるもの。
果たしてその結果は如何に!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる