【完結】月華麗君とりかへばや物語~偽りの宦官が記す後宮事件帳~

葵一樹

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河西の離宮

スリの白狼②

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 昼前の定食屋は朝市にやってきた買い物客が遅い朝餉を取るために繁盛していた。くるくると良く働く女給に方々の卓から注文の声が飛び、厨房からはそれに応じる若衆のがなり声。それらがほどよい喧噪となって店内を活気で満たす。

 しかしそんな中。財布の重量にほくそえんでいた白狼は、定食屋の卓で中を改めあからさまに肩を落としていた。
 滑らかな手触りの財布はおそらく絹やそれに準じた上等な糸で編んであり、ふくらみ方も重さもいかにも「カネが入ってます」と言わんばかりだった。というのに実際に入っていたのは銅銭わずか十五枚と変わった形の草の実数個。
 これではたった今注文した鶏粥を食ったら今夜の宿代に足が出る。白狼は口をとがらせて手に持った財布を振った。

「……派手なもん持ってる割にシケてやがる」

 財布の織物自体は上等だからどこかで売っ払うかと、小間物屋の顔を思い浮かべていると目の前にどすんと椀が置かれた。立ち上るふくよかな湯気の向こうに、見知った店主の顔がのぞく。生やし始めた髭がちょっとちりちりしている大柄な男でこの店の若店主だ。

「鶏粥お待ちどおっ」

 ほんの一年前に代替わりした若店主は、その威勢のよさとざっくばらんな人柄で白狼も嫌いではない。つい最近父親になったばかりという彼とは、いつもであればちょいと世間話でもと思うが生憎今日はそんな気分ではなく白狼は無愛想に片手で代金を放った。

「……て、おいおいどうしたんだよ白狼。ご挨拶じゃねえか」
「うっせ」
「なんだなんだ、腹減ってんのか。とりあえず俺の粥をさっさと食いやがれ。もう一品追加するか? 腹がくちくなりゃ大概のことはどうでも良くなるもんだぜ。……お?」

 普段であれば軽口で返せる若店主の冗談も今の白狼にはうざったいだけだ。あっちに行けと手で追い払おうとしたが、若店主の視線が卓に注がれているのに気が付いた。

「なんだよ」
「いや、なんだよってお前そりゃこっちの台詞だよ。そこにあるのは八角じゃねえか。白狼、どうすんだそれ」

 若店主が指さしたのは、先ほど白狼が卓に広げた財布の中身――のうち、変わった形をした草の実の方だった。心なしか店主の声が弾んでいるように聞こえるのは気のせいか。

「どうすんだって、お前これ何か知ってんのか?」

 指でつまんで若店主の前に突き出せば、鼻を膨らませてあったりめえよと胸を張られる。

「これでも料理人の端くれだぜ? そいつはここよりちょっと南で取れる香辛料さ。うちの料理でもちょいちょい使ってるぜ? 棘も鋭いし香りもいいから古いもんじゃねえ。むしろ結構良いやつだな」
「へえ」

 ちょっと自慢げな口調に白狼は肩を竦めた。

「なんだ、知らねえのかよ」
「だって俺、料理しねえもん」
「じゃあなんだってそんなもん持ってんだよ」
「ん-、いやあ、商売相手が寄こしてくれたっつーか、そんなもんさ」

 人の好い若店主は不思議そうに八角と白狼を交互に見比べた。「商売」の詳細は語ったことはないが、世間話の一環を装えばこの若店主は納得するというのは経験で良く分かっている。
 案の定、若店主は入手経路にそれ以上の興味は示さず、宝の持ち腐れだなぁとにっこり笑っただけだった。そして卓に置かれた八角をつまみ上げると、白狼にそっと耳打ちをした。

「……なんだったら俺が買い取ってやろうか」

 白狼はにやりと口角を上げた。何の価値もないと思った草の実が銭になる。これは想定外だ。

「いくら出す?」

 逸る心を漏らすまいと、白狼の声も自然と小さくなる。別に悪いことをしているわけではないのに、二人は額を寄せるようにひそやかに商談に入った。

「いくらなら売る?」
「一個あたり銅銭五枚」
「そりゃちょっとぼったくり過ぎってもんだぜ」
「棘もしっかりしてて香りもいいんだろうがよ。嫌ならよそで売るぜ」
「ん-、じゃあ五個で銅銭十枚出す」
「ケチくせえな」
「おまけで今の鶏粥、タダにしてやるよ」

 お、と白狼の目が輝いた。注文した卵付き鶏粥は銅銭四枚。拾った草の実五個が実質銅銭十四枚。悪くない取引だ。

「よっしゃ、売った。ほらよ、もってけ」
「へへっ、商談成立だ。もらってくぜ」

 若店主は前掛けにぶら下げた袋から銅銭十枚を卓に出す。引き換えに八角をつまみ、鼻を近づけてその匂いを嗅いだ。その満足そうな表情に白狼も指についているだろう八角の匂いを確かめてみるが、枯れた草の匂いと同時にツンと鼻をつくような強い匂いがしてあまり好きなものではなかった。

 こんなもんを料理に入れて旨くなるもんかね、と疑問も浮かぶ。しかし若店主は満足そうに一人頷き、へへっと肩を揺らして白狼に意味深な笑みを投げてよこした。

「いやぁ、安い買い物しちまったなぁ」
「なんだと?」
「これ、料理以外にも風邪ひいたときやらの生薬としてもつかわれるって聞くぜ。あと乳の出が良くなるなんて話もあったからうちのカミさんも助かるってもんよ。薬屋持って行ったらいくらになるかなぁ。さぞかし高く売れたんだろうなぁ」
「てめ! だましやがったな!」

 がたっと音を立てて白狼が立ち上がる。しかし大柄な若店主は驚いた風もなく冗談冗談と片手を振った。

「良く出回ってる品物だしどこで売っても値段は大して変わらねぇよ。でもちょうどうちも在庫切らしてたんだ。早速使わせてもらうって。じゃな」
「あ、おいこら!」

 からかわれたと理解した白狼だが、こんな人目のある所であまり騒ぎを起こすわけにもいかない。くっそ、とは思うが湯気の向こうに上機嫌で去っていくその後姿を恨めしい気分で眺めるしかなく、乱暴に椅子に座り直した。

 腹立ちをごまかすように匙を粥に突っ込み音を立てて啜ると、ほのかに貝の出汁が利いた塩味がじわりと腹に染みた。現金なもので、腹が温まると苛立ちもすうっと消えていく。確かにもう一品追加してもいいかもしれない。

 そして店主が言った八角の効能とやらを反芻する。生薬として使われるならどこかの薬屋にでも売りに行った方がよさそうだ。また乳の出がよくなるとか言うのが本当なら、残ったこの草の実数個を故郷にいるはずの姉にでも届けてやろうかとも考え首を振った。

 もう何年も帰っていない。生きているかどうかも分からない姉にと考えるなど、今日は仕事も中途半端な結果だし何か調子が悪いのかもしれない。

「ったく……まあ鶏粥は、うめえ……」

 小さくつぶやいて、白狼はとりあえず鶏粥を食うことに専念するのだった。

★  ★  ★  ★  ★

 他愛のない日常のはずだった。
 昼の間は街をぶらついていた白狼は、その夜再び定食屋に顔を出した。旨い鶏粥をもう一度おごってもらおう、と思ったのはちょっとした自分への言い訳で、本音は若店主が八角をどんな料理に使うのか興味があったからだ。

「毎度ぉ……!?」

 人だかりができている暖簾をくぐって店に入った白狼は店内の様子に息を飲んだ。夕餉で繁盛しているはずの時間帯なのに、中は修羅場の真っ最中だったのだ。

 昼は活気に満ちていた店内が、今は食器が散乱し足の踏み場もない状態だった。その中で、卓に座って食事をしていただろう客が何人も泡を吹いて倒れている。中には卓に突っ伏して痙攣している者もいれば、既に白目を剝いている者も。
 吐しゃ物まみれになった女給は悲鳴を上げっぱなしで、薬師と医師を呼べと若衆同士ががなり散らす。訳も分からず連れが倒れたという客の怒声が外にも響き渡っていた。

「なんだこれ……どういうことだよ……」

 あまりのことに店先に立ち尽くした白狼を押しのけるように街の警吏が店内に飛び込んできた。はっとして奥の厨房に目をやると、呆然とした様子の若店主が警吏に羽交い絞めにされ縄で括られるのが見えた。

 何が起こっているのか若店主にも分からないのだろう、困惑しきった表情で視線を彷徨わせていた彼と白狼の目が交差した。その瞬間、若店主が恐ろしい形相で何か口を開きかけた。ざわっと白狼は全身の毛が逆立つような錯覚に陥る。
 これは、何か、やばい。

「……ちっ!」

 理解は全く追いつかない。しかし野生の勘か、一瞬で身の危険を察知した白狼はさっと踵を返すとごった返した野次馬の中に紛れ込んだのだった。
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