44 / 44
if おわりのむこうにあるおわり
しおりを挟む秋だから、秋刀魚が食べたい。
まだ夏の日差しのぎらついた感じが残っていて、けれど日が暮れるのは早くなった。
リナは珍しく会社を定時で上がって、駅のごった返す人並みをすり抜け、改札を飛び出す。
飛び込んだ戦場は夕市が始まってまさに客の興奮は最高潮。目玉の秋刀魚は一匹四八円。
昔はもっと安かっただとか、今年はましだといかいう奥様方の「ねえ」に「はぁ」と会釈して、リナはもみ合いの中から手を出してトングを掴む。
おいで! 秋の味覚!
「そんなにアンタ、秋刀魚好きだったの?」
「好きとかもう超越してるっていうか、食べなきゃでしょ! 秋なんだよ!」
煙のもうもうと立ちこめるアパートに帰ってきたなり、顔を顰めた相手にリナは頬を膨らませる。
彼はリナの幼い仕草に笑って、人差し指を突き出した。
「こら」
ぷくんとほっぺたを押されて、ぷっと突き出した唇にかすめるようにキス。
リナは足袋ックスを履いた足下に思わず視線を落とす。彼の足下は仕事のまま、黒い靴下だ。
学生時代から付き合いだして、なれ合いで同棲をして、それから。
「……で、食べるの? 食べないの」
「食べるよ、ありがとう」
スーツを脱いでブラシをかける。男にしては割と細身だが、貧弱な感じのない背中は、やはり頼りがいがあると思う。
皮肉屋で、意地悪で、いたずら好きで、そのくせ、リナをべったべたに甘やかして、とろけさせてしまう。
「……ずるい!」
「何が」
反論を封じるために、また一つキス。
塩を振って、一〇分経って、余計な水分を拭き取って、もう一回塩を振って、魚焼きグリルでできあがり。
大根は山盛りにおろしにおろして、職場のおばちゃんのお土産のかぼすも添える。
湯気を立てるご飯と、冷蔵庫に余っていた野菜をめためたに切り刻んでやって作った味噌汁、一汁一菜の食卓を二人で囲む。
「今日はどうだった?」
彼の質問に、思いつくままリナは答える。平凡を絵に描いたような、会社勤めの女の毎日に、そんなに珍妙なことは起こらない。
けれど、これがおもしろいもので、聞いてもらっていると、楽しいことが湧き出てくる。
「それは流石に作り話だろ」
「ちょっと盛っただけだもん!」
リナの赤い塗りの箸と、彼の黒い塗りの箸が秋刀魚の上で丁々発止する。
「どーだか。アンタは昔っからすぐぼーっとしちゃ妄想してにやにやしてるんだから。ほら、式の時、お義兄さんが言ってただろ、黒歴史ノートとか」
大根おろしがつんときちゃう。
「そ、それ以上言うと、ど、どうなるかわかっておろうな!?」
「リナって、ほんとバカ」
二人ですれば片付けは早く終わる。秋刀魚の匂いを風呂で代わりばんこに落として、ベッドに潜り込む。
明日からは連休だから、どこか遠出しようなんて話をしていると、彼がベッドを抜け出て、旅行雑誌と――随分年期を感じさせるノートを持って戻ってきた。
「……っ、ぎゃーっ!! 何で!? 何でこれあるの!?」
「だからアンタの兄だって。お義兄さんが妹をよろしくってこれを」
「み、見た!? 見たの!?」
「見たけど」
「ああああああああ」
ノートを奪い取り布団を被って丸くなったリナを、大きな手が布団越しにぽんぽんと叩きなだめる。
「アンタは? 黒歴史ノートの内容覚えてる?」
リナは布団の暗闇で、ぱちくりと瞬きをする。
中学生のリナが書き綴ったノートに広がる世界。騎士や竜、魔法が色鮮やかに、しかし、一瞬だけリナの脳裏を染めた。
リナは布団から勢いよく顔を出して、そのまま雪崩の勢いで、おそろいのパジャマ姿の彼に抱きついた。
「……どうした?」
リナはじっと自分を抱き返す彼の顔を見上げた。切れ長の黒い瞳が、凜々しい、若武者のように整っている。そこにセーラー服の幻を見て、リナは慌てて目を擦った。
「な、何か、いなくなっちゃいそうで」
「アンタって、ほんとバカ。俺がいなくなるわけないだろ」
「だ、だって、あたしを愛する一番最初の男だとか何とか言ってたのに」
「はぁ? 何それ、新手のお誘い?」
今度のキスは容赦がない。つつましく、ノートはページを閉じた。
抱きしめて、愛されて、愛されて、気だるい時間が訪れる。
夢うつつに、リナは冒険の世界に思いを馳せる。
「……ねえ、サクヤ、あたし世界を救ったの。褒めてくれる?」
言ってから、何て独り言だろうとリナは思う。世界を? 救う? リナが?
けれど彼は、――サクヤは笑わず、
「よくやったな、リナ」
と言った。リナはにんまりと笑った。
眠りが降ってくる。
大きな大きな木が、美しい葉を落としている。青々とした葉は、枝を離れ、風に翻るにつれ、赤や黄色に変わっていく。
降ってくる。世界が、眠りとともに。
眠りに落ちる間際に、リナは快く痺れた唇をむにゃむにゃとさせた。「だから、一緒に幸せになろうね」
力強い腕がリナを引き寄せる。リナはひな鳥のように、彼の胸に抱かれて、満足げにため息を漏らした。
思いは世界を救う、それから、青い鳥は追いかけて冒険するもので、青い魚は一緒においしく食べるものなのだった。
どんなときも、あなたと一緒に。幸せでありますように。
……いつまでも、幸せに暮らしましたとさ。
物語の最後はいつでも、そう終わる。
0
お気に入りに追加
400
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(2件)
あなたにおすすめの小説
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
異世界転生したら悪役令嬢じゃなくイケメン達に囲まれちゃいましたっ!!
杏仁豆腐
恋愛
17歳の女子高生が交通事故で即死。その後女神に天国か地獄か、それとも異世界に転生するかの選択肢を与えられたので、異世界を選択したら……イケメンだらけの世界に来ちゃいました。それも私って悪役令嬢!? いやそれはバッドエンドになるから勘弁してほしいわっ! 逆ハーレム生活をエンジョイしたいのっ!!
※不定期更新で申し訳ないです。順調に進めばアップしていく予定です。設定めちゃめちゃかもしれません……本当に御免なさい。とにかく考え付いたお話を書いていくつもりです。宜しくお願い致します。
※タイトル変更しました。3/31
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
明智さんちの旦那さんたちR
明智 颯茄
恋愛
あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。
奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。
ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。
*BL描写あり
毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
義弟の為に悪役令嬢になったけど何故か義弟がヒロインに会う前にヤンデレ化している件。
あの
恋愛
交通事故で死んだら、大好きな乙女ゲームの世界に転生してしまった。けど、、ヒロインじゃなくて攻略対象の義姉の悪役令嬢!?
ゲームで推しキャラだったヤンデレ義弟に嫌われるのは胸が痛いけど幸せになってもらうために悪役になろう!と思ったのだけれど
ヒロインに会う前にヤンデレ化してしまったのです。
※初めて書くので設定などごちゃごちゃかもしれませんが暖かく見守ってください。
旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハー異世界ラブコメ〜
ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉
転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!?
のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました……
イケメン山盛りの逆ハーです
前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります
小説家になろう、カクヨムに転載しています
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
さくや、かっこいいですー。
続き楽しみにしてます♪ヽ(*≧ω≦)ノ
楽しく読ませてもらってます(^^)続きが気になるのですが??更新しますよね?楽しみにしてます♪
わっ、ありがとうございます!
更新しますします!