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リナ、迫られる

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(夢を見ているんだ)

 リナは目を開ける。ニスのハゲかけた茶色い木の板。
 視野は広がる。
 これは古い、毎年座る誰かの変わる席。その机と椅子。
 リナは顔を上げる。黒板、剥がし忘れた掲示物。後ろに整然と口を開けて並んでいるロッカー。

(教室)

 リナの上履きのゴムの爪先は赤い色をしていた。
 窓の向こうは薄暗い。薄ぼんやりとうつるリナの姿は、高校の制服を纏っている。ブレザーと、プリーツの入ったスカート。
 顔はよく見えない。

 リナは席を立つ。誰の気配もなく、リナは頭を巡らせる。

 リーンゴーン、リーンゴーン

 リナは机の上を爪先でこする。
 古居 莉那は社会人となっていたけれど、大人になっていたかは自信がない。

(高校生の頃からずっと、変わってないみたいな)

 幼い頃思っていたほど、大人は大人ではない。それは、リナとして生きていても変わらない。

(前世の記憶があったって、あたしだけじゃどうしようもない……どうしようもないから……)

 誰かが廊下を歩いてくる。
 からりと教室のドアが開いて、リナはあっと息を飲んだ。

「リナ」

 ブレザーの――男物の――制服を来た、男子生徒である。
 若木のような凜々しさと、清々しい額のあたりの高潔さ。
 意地悪そうに片方の頬に笑みを浮かべた男子生徒に、リナは震える声で呼びかけた。

「……サクヤ!? サクヤなの……」

 リナは男子生徒に駆け寄ろうとした拍子、机の脚に足を引っかけてしまう。

「あっ!」

 倒れ込んだリナを、男子生徒が抱き留める。リナは彼の胸元をぎゅっと握りしめた。

「サクヤ! サクヤだよね! ……消えてなんか、いないよね!?」
「そうだよ、リナ。俺はここにいる」

 サクヤがリナの肘を掴む。その瞬間、教室の床が抜けた。

「きゃぁあああっ!」
「リナ、よく見て」

 床は透明になり、下階が透ける。深くなるほどに、暗くなっている。
 その底の方が、青白く光っている。

「……あれは?」

 リナの身体はサクヤに支えられている。落下の恐怖を免れて、リナはサクヤに尋ねた。

「リナも知ってるだろう。封印の牢獄。リナならあれを壊せるはずだ」
「壊す……でも、そうしたら」
「リナしかいないんだ。俺を助けてくれ」

 サクヤの手が離れる。
 途端に、教室の枠組みは霧散して、リナは目を覚ました。

「……っはぁっ……はぁっ……また、同じ……夢……」

 リナは祈りの塔の与えられた部屋の寝台に身体を起こした。
 朝の光がうっすらと差し込んでくる部屋の中で、リナは一人きりだ。

「……助けろって、どうしたらいいの……」

 リナは自分が賢いとは思わないが、夢の内容を検討するだけの能力は持ち合わせていた。

「これって、あれだよね、本当は夢のサクヤはサクヤじゃなくて……騙されてヒロインが封印を解いて、最悪の事態を引き起こすって言う流れ……」

 あは、とリナは乾いた笑い声を漏らして、寝台の上で膝を抱えて丸くなった。

「……でもさ、この夢が、罠ってことは、認めることになるんだよね……。サクヤが、もういないってこと」

 リナは身体を起き上がりこぼしのように揺らす。

「きゅ、きゅー! きゅー!」
「きゅーちゃん……」

 寝起きを共にしている竜の幼生が、リナの背中によじ登ってくる。

「きゅ、きゅきゅ! きゅ!」

 幼生の大きな金色の目には、まったく邪気がない。
 リナは幼生のつやつやした身体を背中から腹側に回して、ぎゅっと抱きしめた。

「きゅー! きゅきゅっ! きゅー!」
「きゅーちゃん。そうだよね、ひとりで悩んでも何ともならない……相談しよう、そうしようだね」
「きゅーっきゅきゅっきゅー! きゅーっきゅきゅー!」

 リナが節をつけて言うと、竜の幼生は嬉しそうに小さな羽を羽ばたかせた。





 リナが繰り返す夢に対して、ひとつの答えを出した、その明くる日、会議に招集されたのは、旅の仲間達であった。
 いつかの円卓に、仲間達が座る。
 リナも手近な席に座る。

(何の話をするんだろう。多分、サクヤのことなんだろうけど……)

 リナは自然と俯いてしまう。膝の上に乗せた竜の幼生が、気遣わしげにリナの頬に鱗のぴかぴかと光る前足を伸ばす。

「きゅーちゃん……、あたし、がんばるから」
「きゅっ!」

 他の者たちもそれぞれ席に着く。

「リナ」

 リナが座る隣の椅子を、オーランド王子が引いた。
 椅子に座る瞬間、リナの肩を、彼の肘がかすめた。

「こ、こんにちは……オーリさま」
「やあ、リナ。今日は会えて嬉しいよ」

 不意にオーランド王子との距離が近づいて、どぎまぎするリナに、オーランド王子は苦笑する。
 椅子に座ると、ふっと息を吐いて、それから、きりりと顔を引き締めた。リナは瞬きを忘れる。

「リナ、君には、辛いことも議題にのぼるだろうが、どうか、最後までここにいて欲しい」

 リナの空想の世界で、金髪碧眼の理想の王子様であったオーランド王子が、生きて息をしている。これほどに精悍な、研ぎ澄まされた刃のような気迫を放つ王子。
 リナを逞しい腕で抱きしめ、息もできないほどの激しさで唇を奪った王子。
 リナは気圧されながらも、果敢にオーランド王子を見返した。

「……はい。あたしも、皆に相談したいことがあるんです」
「そうか。では、始めよう」

 オーランド王子の合図を受けて、ドラコスが立ち上がった。

「さて、皆も知っているだろうが、ここのところ、朝の国では不作によって国民達が大きな被害を被っている」
「えっ、知らないよ!?」
「フロリナねーさん、しーっ」

 一番騒ぎそうなゾーイに諫められて、リナは肩を竦める。

「不作というだけであれば、問題はないのだ」

 ドラコスは、主にリナに向かって説明を始めた。

「中の国は大なり小なり、戦争が絶えず起こっている。この争いに、朝の国が、巻き込まれないのは、なぜだと思う? フロリナ」
「明けの川があるから?」

 ドラコスは頷く。彼の顔の傷は、中の国の争いを平定する騎士団の活動の際についたものだとリナは聞いている。

「……それだけではない。中の国の人間が喉から欲しがるような、鉱山資源が朝の国にはある。川なら越えもしよう。しかし、朝の国には竜の加護がある」

 リナは膝の上の竜の幼生を抱きしめた。

「竜……」
「朝の国に手出しをすれば、竜達が敵を滅ぼす。その証が竜騎士なんだ」

 ルドルフが口を挟む。

「竜騎士は、生きた契約なんじゃ。それ自体がひとつの古い魔法。だかあら、竜騎士の力は強大じゃ。竜を友とし、時に竜を従え、竜を狩る」
「契約……」

 ひとりの人間が背負うには、あまりにも――重い。

 水を打ったような静寂に、ゾーイがひびを入れる。
 いつも軽薄でお調子者の彼が、喉から声を絞り出す。

「俺は……もう、争いはいやなんです。また争いが増えたら、うちのちび達みたいな子供が増えることになる。やっと、魔王が片付いて、落ち着いてきたと思ったのに、朝の国が攻め込まれるってなったら……」

 争いが起これば、残してきたゾーイの仲間達も、戦渦を免れまい。

「話を元に戻そう。作物の不作は、すなわち竜の加護、朝の国における世界樹の力が弱まっていることを指す。それは、中の国の戦好きな国々にとって、絶好の好機になる」

 国の内側からは、闇の力が、国の外側からは、人間の欲望が、この国を蝕もうとしている。
 リナはぞっと寒気を感じて、自分の肩を抱いた。リナの肩の大きさは、かつて、日本で高校生をしていた頃とちっとも変わっていない。

「……どうしたって、魔王は倒さないと……サクヤを消さないといけないってこと?」

 ちっとも変わっていない。

「朝の国ができたのは、竜の加護のおかげなんでしょ!? それって、カロリナのおかげってことでしょ? カロリナと……エルフのアリステアのおかげ……。カロリナとアリステアの子孫が、オーリさまじゃない! それなのに、魔王を……アリステアを滅ぼさなきゃいけないの!? それっておかしいよ!」

 魔道士パーシモンが立ち上がって、眼鏡のブリッジを押し上げる。

「フロリナ、サクヤの召喚は間違いでした。やはりサクヤはどこにもいないのです。地下に封じられているのは、サクヤでも、ましてやアリステアでもありません。魔王その人です。残虐非道の王、人間を魔物に変えて支配する暴君」

 リナはガクガクと震えながら頭を振る。

「サクヤは……いるもん」
「フロリナ、わかっているのでしょう」

 痛ましげに、しかし決然とした口調で、美貌の神官リーナスはリナを諭す。

「……それとも、あなたは、私達よりも、そのサクヤたったひとりの方が、大切なのですか?」

 はっとしてリナは顔を上げる。誰ひとりとして、リナを責める者はいなかった。
 彼らが共有する確かな親愛の情を読み取って、リナは言の穂を継ぐことができなくなる。

「……みんな、大事だよ……。でも、サクヤは……」

 全て包み隠さずに離せば、理解して貰えるだろうか。
 リナは異世界から過去の自分の黒歴史の世界に転生したと、それを知って、自分を支えてくれたのがサクヤだったと言えば。

 リナを幸せにするために泡沫のように生まれ消えていった彼が、あまりにも悲しいのだと。

 リナの頬を涙が一筋流れ落ちる。

(あたし……サクヤは消えたって…消えたって、本当はそう……)

『助けて』なんて嘘ばっかり。絶対に、サクヤはリナにだけは助けを求めない。
 だからあれはサクヤではない。

 誰かがいなくなることは、悲しすぎて、認めることは辛すぎた。
 きっと、リナが死んだ時の、父母や兄も同じ思いをして――リナが、幸せになることだけを願って――リナが幸せに生きられる世界があればと、強く祈って――。

「聖女フロリナ、神官リーナスが願い奉る。どうぞ、この国の人々の平和な日々を、慎ましやかに生きる命を、お守り下さい」

 朝の国の人々、中の国で魔王軍に滅ぼされた街、魔物と化した住人、ゾーイの養い子達。当たり前の幸せが続くことが、どんなに幸福か。

 リナの涙は顎から、竜の幼生の額に落ちる。
 竜の幼生は「きゅ」と鳴いた。

「精霊の加護を持つ者たち。あなた達にも私は」
「おやめなさい、神官リーナス。僕もルドルフも、やっと力を振るうに足る場所を得たんです。……誰かを守るという仕事をね」

 パーシモンは円卓の周りをゆっくりと歩き始めた。

「大魔道士の僕には見える……魔王めがけて、闇の力は流入し、朝の国は弱っていく。争いが近づいてくる……魔王をどうにかしなくてはいけない。けれど、魔王を滅ぼすためには、力が足りない。フロリナ、君の助力が必要なんだよ」

「……あたし……?」

「最大限に君の力を引き出すために……世界樹の力を、この場にいる者たちの中で、最も大きな力を持つ者に、与えて欲しい」

「ごめん、もうちょっと、わかりやすく……?」

「言い方を変えます。つまりはこういうことです。魔王を滅ぼすために、竜騎士に力を与えて下さい」

 リナの耳元にサクヤの声が甦る。

 身も、心も、捧げること。

「契るのです。竜騎士と……オーランド王子と」

 リナは思わずオーランド王子を見た。
 オーランド王子は静かな表情を崩さずに、伏せていた目を上げる。
 目が合って、その瞳のあまりの青さに、リナは魅入られる。

 もう、君の逃げ場サクヤはないんだよ。
 そう瞳が囁いた気がした。
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