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36、最後のひとり(最終話)
しおりを挟む「・・・命拾い、したのう・・・ッ・・・」
身長130㎝足らずの皺だらけの老人が、吐き捨てるように言い放った。
地獄妖〝百識〟の骸頭がいるのは、相変わらず、西洋画に囲まれた一室であった。だが、飾られた作品は、人物を中心に描いたものが多い。恐らくは宗教画なのだろうが、オメガヴィーナスの遺体が保存された部屋とは、別室であるのは明らかだった。
国立西洋美術館。
上野駅周辺の数ある施設のなかで、骸頭が己の根拠地としたのが、この美術館だった。ほぼ直方体の箱のようなデザインは、簡素ながら洗練されている。他にも芸術に関する施設が多々あるなかで、1600歳を越える妖化屍がここを選んだのは、ひとえに建物の形が好みだったからだ。
「あの女狐めが。あてにならぬ情報ばかりではないかッ! たまにもたらす確実な話は、よからぬ内容ばかりじゃわいッ・・・」
今しがた、スマホ越しに届けられた〝輔星〟の翠蓮の言葉を、骸頭は思い出す。
悪夢のような、報告だった。
新たに光属性のオメガスレイヤーが現れた。それも、死んだはずの四乃宮郁美が、姉・天音の遺志を継いで。
オメガエンジェルと名乗る郁美の前に、人妖・縛姫と餓鬼妖・呪露は撃退され、九分九厘成功しかけていたオメガカルラとペガサスの抹殺は失敗に終わった。しかも消息不明となっていた、司具馬というかつてのオメガヴィーナスのサポート役も、郁美の側についているという。
「・・・おのれッ! おのれェッ! おのれェッ~~ッ!! 完全勝利、だったんじゃあッ!! ・・・オメガスレイヤーどもはッ・・・あと一歩で、殲滅できておったのにィッ!!」
まだ、死者の春を、謳歌できぬのか。
1600年待ち続けたというのに、いまだ理想郷は実現できないというのか。
ようやく捕まえた、と思えた幻の蝶は、骸頭の掌のなかで消えていった。
しかし、以前ならばそんなものはいない、と諦めていた蝶は、いまや確実に存在すると骸頭は知っている。しかも、少し背伸びすれば、届く位置まで近づいているのだ。
闇に隠れ、恐怖におびえ、それでもどこか、わずかな可能性に賭け続けた1600年間。
大手を振って世界を闊歩できる日々が、すぐそこまで迫っている以上、こんなところでへこたれている場合ではなかった。蝶は必ず、捕まえられる。長年の、長すぎる年月の努力は、きっと報われる。
妖化屍の唯一の脅威であるオメガスレイヤーは、六道妖が抹殺してみせる。
「グギョッ! ギャアアオッ!!」
甲高い怪鳥の鳴き声が、美術館にこだまする。
2mはあろうかという、漆黒の巨鳥だった。パッと見、カラスに似ている。しかしところどころ、ケロイド状に赤黒く爛れた地肌と、長く鋭い黄色の嘴が、このバケモノの脅威はただサイズだけに留まらないことを漂わせている。
畜生妖・〝骸憑〟の啄喰。
巨大な怪鳥がバサバサと翼をはためかせると、それなりに広いはずの展示場は随分手狭に思えた。
黒い羽毛が舞う中で、啄喰は落ち着かず騒いでいる。
「まさか・・・のう。来るはずのないヌシが現れた時には、心底驚かされたわい。女狐めは、しばらくは動けぬと、うそぶいておったが・・・」
巨鳥が落ち着かないのは、その目の前にいる、人物が原因のようであった。
足首にまで届こうかという長いケープが、背中でなびいている。
緑と青の、中間のような色。ターコイズブルー、あるいはターコイズグリーンと呼ばれる色味であろう。ワンピース型のスーツも同じ色で出来ていた。裾のフレアスカートはやけに短く、少し動けば中のショーツが見えてしまいそうだ。逆にオフホワイトのロングブーツは膝を覆うまでに長く、間にある、いわゆる絶対領域の生身の太ももがやけに艶めかしい。
背中にまで届く、ウェーブのかかった長い髪と、胸中央の紋章が、黄金色に輝いている。
紋章の『Ω』のマークを確認するまでもなく、その若き乙女の正体は明白であった。
「・・・深緑の地天使オメガフェアリーよッ・・・!! 関西におるはずのヌシが、よくぞここまでやってきたものじゃッ・・・!」
オメガスレイヤー最後のひとり。地の属性を持つ破妖師・オメガフェアリー。
涼しげな切れ長の瞳が、真っ直ぐに骸頭に向けられている。すっと高く通った鼻梁と、赤い厚めの唇。ひとつひとつが華やかなパーツを持った美貌は、モデルやレースクイーンなどの派手な仕事が似合いそうだった。
身長は決して高くなく、むしろ小柄な部類に入るだろうが、そのシャープな顔立ちとスレンダーな肢体のせいで、随分スタイルよく映る。
「ここにおる、ということは・・・翠蓮の予測を裏切る速さで、アチラの妖化屍を処理してきた、ということじゃな?」
骸頭の問いに、オメガフェアリーは答えない。
「ヌシがオメガスレイヤーどものリーダーを務めておる、という情報は正しいようじゃなぁ? どうじゃ? なんとか言うてみぃ!?」
長い睫毛も、整った柳眉も、深緑の地天使はピクリとも動かすことはなかった。
ギャアギャアと騒ぐ巨大カラスが飛び掛かろうとするのを、骸頭は制した。戦力としては大いに役立つ啄喰であるが、理性と知性に乏しいのが難点だった。御してやらねば、なにをしでかすか、わかったものではない。
「儂らの虚をつき、一気にアジトに乗り込んでくるとはのうッ! 恐れ入ったわい、オメガフェアリーよ。ここまで大胆に動いてくるとはッ・・・さすがにリーダーを務めるだけはあるのう」
ツツ・・・とターコイズグリーンのスーツを纏った肢体が、前方に傾く。
「わざと関西方面に・・・この場所を流布した甲斐があったわいッ!!」
どしゃああッ・・・!!
無言のまま、オメガフェアリーは受け身も取らずに、美術館の床に昏倒した。
その右胸と腹部に、杭でも穿たれたかのように、穴が開いている。巨大な嘴で、突き刺された痕だった。ドクドクと真っ赤な鮮血が、溢れて流れている。
両腕の付け根と、両脚の太もも部分。そして首との5箇所に、緑に光るリングが嵌められている。〝オーヴ〟製の拘束具。さらには拳大の魔鉱石を、ネックレス代わりに首からぶら下げたフェアリーは、うつ伏せに倒れたままヒクヒクと痙攣を繰り返す。
「ッ!! ・・・ヌシをここで始末しッ・・・全てのオメガスレイヤーは、根絶やしにできたはずだったんじゃあッ!! オメガエンジェルなどというッ・・・亡霊が現れなんだらのうッ!!」
骸頭の感情が、伝染したかのように。
深緑の地天使に飛び乗った怪鳥が、ガシガシと鉤爪のついた足で踏みつける。小柄でスレンダーな肢体に、見る間にザクザクと細かな傷が刻まれていく。
カラスのバケモノに足蹴にされるオメガフェアリーは、顔を踏まれても、胸を潰されても、なんの反応も示さなかった。
すでに深緑の地天使は、骸頭と啄喰の前に、敗北していた。
「ヌシを・・・むやみに殺すことは出来なくなったのうッ・・・!! このカラダッ、有効利用させてもらうぞッ!!」
胸中央の『Ω』のマークに、畜生妖の黄色の嘴が振り下ろされる。
ドシュウウゥッ!! と刺突の音がして、鋭い先端がフェアリーの胸の谷間に埋まった。
「・・・ふぐぅ”っ!!? ・・・ぅ”っ・・・!!」
一瞬瞳を見開き、呻きとともに鮮血を噴きだすオメガフェアリー。
再び意識を失い、ガクリと脱力するオメガスレイヤーのリーダーを、串刺しにしたまま〝骸憑〟が高々と掲げる。
「・・・地獄から、舞い戻ってきおったかッ、四乃宮郁美ッ!! いや、オメガエンジェルッ・・・!! どこまでも、いつまでも儂らの宿願を姉妹ともども邪魔するかァッ!!」
呪詛の台詞を吐き出す骸頭の額で、ブチブチと音色が響く。
限界まで歪んだ皺のなかで、怪老の肉体に巣食ったウジ虫が、何匹も潰れて緑の体液を飛び散らせた。
「防げるものなら防いでみィッ!! 儂ら妖化屍はッ・・・死者の群れは、生者の世界を奪い取るッ!! ヌシらオメガスレイヤーどもの亡骸がッ・・・我らが神への生贄となるのじゃあッ!!」
ウオオオオォォ・・・・・・ンンンッ・・・・・・!!!
骸頭の雄叫びに呼応するかのように、美術館の外で大地が鳴動した。
正確には大地そのものが音を発したのではなく、地を埋め尽くしたケガレの群れが咆哮したのであった。隙間もないほど群がった、リビングデッドの波。虚ろな表情で、骸頭の指示に合わせて動くだけのゾンビたちは、漂い流れるオメガフェアリーの血の匂いに、歓喜しているかのようだ。
総勢、約18万体。
それだけのケガレを、この半年で六道妖は、上野界隈で配下にしてきた。
殺せば殺すほど、妖化屍の忠実な下僕は増えていく。来るべき決戦に備え、さらに死者たちの兵隊を骸頭は増員するつもりだった。
究極の破妖師オメガスレイヤーと、対抗手段を手に入れた妖化屍集団・六道妖。
その本格的な開戦は、これからが本番だった――。
《第0話 破妖の天使 了》
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