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32、最強2体
しおりを挟む美貌に張り付く長い茶髪を、オメガセイレーンはしきりに振り払っていた。
冷たい汗が顔いっぱいに浮かんでいるため、髪がまとわりついてくる。やや垂れがちな瞳は、いつもより大きく見開かれていた。普段なら、26歳という年齢以上に落ち着いたセイレーンだが、今は明らかに余裕を失っている。
己の『城』と呼ぶキャバクラ『シーサイド』のなかで、スーツもミニスカもケープも青で統一された蒼碧の水天使は、脚を止めて動けなくなっていた。
ただ、首だけを前後に向ける。
正面にいるのは、おかっぱ頭の少年。そして背後には、筋肉に覆われた弁髪の武人。
六道妖のなかでも、最強と目される天妖・絶斗と修羅妖・虎狼に、オメガセイレーンは前後を挟まれていた。
この二体を相手に、たったひとりで立ち向かう・・・それはあまりに苛酷すぎる闘いであった。
セイレーンは絶体絶命の窮地に陥った、と表現するのが妥当であっただろう。
(・・・活路が、見いだせない・・・まさか〝覇王〟絶斗がここまでの強さだったなんて・・・ッ・・・)
視線を素早く前後に動かしつつ、セイレーンの脳は打開策を探ろうと懸命に働いていた。
小学生高学年ほど、に見える子供と、いかにも屈強で、武具まで手にした巨漢。
普通ならば、どちらに突破口があるか、考えるまでもなく判断できるだろう。出入り口が武人のすぐ後ろにあると見えていても、迷うことなく少年に向かって死地を抜けようとする。
だが、オメガセイレーンはつい先ほど、この少年妖化屍・絶斗と拳を交えて圧倒されたばかりであった。
病み上がりの体調、という面を差し引いても、純粋な戦闘力で絶斗は蒼碧の水天使を上回っている。自身の能力を過信しないセイレーンは、その現実を飲み込めている。
1対1でも危ういというのに、絶斗と遜色ない強さを持つとされる〝無双〟の虎狼が現れた・・・己の生命が風前の灯火であることを、否応でもセイレーンは自覚せざるを得ない。
半年前の闘いで、最強のオメガスレイヤーであったオメガヴィーナスも、炎の属性を持つオメガフェニックスも虎狼には敗北したと聞いている。これまでに総勢、1000名もの破妖師が修羅妖・虎狼に殺害されているのだ。
セイレーンに限らず、この二体と同時に闘って勝てるオメガスレイヤーなど存在しないだろう。生き延びることができれば、御の字だ。
しかし、水の能力を遺憾なく発揮できるよう建築した『我が家』にいることが、皮肉にもセイレーンこと藤村絵里奈にこの場からの脱出を難しくさせていた。
(・・・『シーサイド』は、あのコたちにとっても自分の『城』・・・簡単に壊すわけには、いかない・・・わよね・・・)
この店の経営者である絵里奈だが、自分を慕って集まってくれた後輩キャバ嬢にとっても、ここが『我が家』であることを理解している。
壊れたら、また直せばいい・・・というモノではない。そんな言葉は、ここにしか居場所がない絵里奈には、到底吐くことなどできない。
どうしても守りたいものが、絵里奈にはある。
『我が家』であるこの『城』は、恐らく仲間のオメガスレイヤーたちの命と、変わらぬほどに尊い。
『シーサイド』を守るために闘っている絵里奈が、自分の命可愛さに店を壊してしまったら、本末転倒であった。
建築時、『シーサイド』の床や天井、壁面にはパイプを張り巡らせ常に水が流れるようにしてある。蒼碧の水天使が近くにいる限り、そのオメガ粒子の余波で店舗の強度は飛躍的に高まるのだ。
だから、セイレーンと六道妖が全力で激突しても、容易に店内は壊れやしない。
その代わり、蒼碧の水天使はこの窮地から脱出しずらくなっている。自ら作った堅牢な檻のなかに、入っているようなものだ。
(戟の穂先が緑色・・・〝オーヴ〟を利用しているのね・・・・・・ということは・・・虎狼は、遊ぶつもりのようね・・・・・・)
弁髪の武人が握った武具の先端を見つめながら、スレンダーな美女は溜め息を漏らしかけた。
もし戟の穂先が紫色、つまり紫水晶を使っているのなら、虎狼の一閃でオメガセイレーンは死を迎えることになるだろう。
しかしそうではなく、緑。
オメガスレイヤーの鋼鉄の肌をあっさりと傷つける紫水晶ではなく、反オメガ粒子の〝オーヴ〟。ということは・・・修羅妖の武人は、じっくり時間をかけてセイレーンを嬲り殺すつもりであることが窺える。
「ねぇ。もう一回だけ、言っておくけどさー。負けを認めてボクの奴隷になるなら、命だけは助けてあげるよ? ボクが飽きるまでは、ね。お姉さんみたいなキレイなひと、簡単に殺すのはやっぱりもったいないもんね」
糸のような両目をさらに細めて、正面に立つおかっぱ頭の少年が笑う。
「縛姫のババアたちが、萌黄の風天使だっけ? 他のオメガスレイヤーを殺しにいってるみたいだしね。となると絶滅危惧種、ってヤツだよね、お前たちって。貴重な遊び相手だからさー、素直に奴隷になるなら、しばらくは生かしておいてもいいぜ?」
優位に立つ悪が、正義のミカタに対して理不尽な服従を迫る。
ドラマや漫画で何度も見たことのある、おなじみの光景。普段のセイレーンならば、一笑に付して即座に拒否したことだろう。
だが、笑って済ますことができない現状であることを、水天使は理解してしまっている。
「・・・それは、私の願いをひとつ、叶えてくれるって解釈していいのかしら?」
妖艶な美女が呟いた言葉は、天妖・絶斗を驚かせたようであった。
それまで一筋の線になっていた目を、丸くする。
「ん? どういうこと?」
「命乞いなんてするつもりはないけど・・・ひとつだけ、私の頼みを聞いてくれるのなら・・・今の話、考えてもいいわ」
汗に濡れたセイレーンの美貌には、真剣な眼差しが光っていた。
「・・・へー。意外だったな。まさか本当に、降伏してくれるとはね」
「降伏するとは言っていないわ。あくまで、私がいう条件を守ってくれるのなら・・・」
「ふーん。つまり命よりも大切なことが、お姉さんにはあるってことか。いいよ。その条件っての、言ってみなよ」
「このお店、『シーサイド』とここで働くみんなに手を出さないと約束してくれる? それなら・・・」
「それなら?」
「・・・あなたの奴隷になっても、構わないわ。飽きて殺されても、構わない」
明らかに顔色を変えたのは、筋骨隆々の武人であった。
修羅妖・虎狼は純粋に闘争を好むと聞いている。闘うことを放棄し、敗北を自ら認めたと受け取れるセイレーンの発言に、怒気を発するのも当然だろう。
そんな武人を制したのは、おかっぱ頭の少年だった。
「店とここのひとたちに何もしなければ、奴隷になってくれるんだ?」
「・・・ええ」
「そう。じゃあ・・・」
パカリと、真っ赤な口腔を覗かせて絶斗は口を開けた。
「お前が守りたいっていう、この店もひとも。みんな壊してやるよ。それが嫌なら、ボクたちに勝つんだね」
ゲラゲラと笑いながら、一直線に少年妖化屍がセイレーンに突っ込む。
対する青色のスーパーヒロインは、朱鷺色の唇をわずかに歪めて、真横へと飛びすさった。
「やっぱりね。そんなことだろうとは、わかっていたけど」
「ギャハハハ! バーカ! なんでお前の願いなんてきかなくちゃいけないのさ? こっちは元々、力づくで何でもできるんだぜ!? お前が一番嫌がるっていうなら、それをやってやるよ!」
セイレーンが横へ逃げたのは、背後の虎狼とも距離を置くためだった。
水天使と天妖と修羅妖。その三者が、ちょうど正三角形を描いたような配置となる。だがそれも一瞬。キャバクラとしては広いフロアも、ひとの範疇を越えた3人には狭すぎる。嘲笑う少年妖化屍と、戟を構えた武人が、一気に殺到する。
「くうッ!」
まともに闘っては、勝機はない。
わかっているから、蒼碧の水天使は回避に集中した。
加速を乗せたパンチと、突き出される〝オーヴ〟の穂先。真っ直ぐ向かってくる2つの攻撃を、回り込んで避けた。避けることができた。
背後で、強化されている壁が、ガキンッ! と硬質な音を奏でる。
唯一、セイレーンの希望となっているのは、大量の水が足元にあることだった。
先程のスプリンクラーからの放水により、くるぶしほどの高さまで床には水が溜まっている。これならば、最大の一撃を放つことも可能だった。
だが。その前に、まず。
「〝雨の橋立〟ッ!!」
ドオンッ!! ドドドオオォッ!!
床から天井に向かって。
無数の水柱が、突き出される槍のように立ち昇る。天妖・絶斗も修羅妖・虎狼も包み込む。
この〝雨の橋立〟がオメガセイレーン最強の必殺技、というわけではなかった。しかし2体の妖化屍を同時に攻撃し、なおかつその視界を遮断できるというのは、現状ではなにより有難い。
最大の一撃=〝水砕龍〟を放つには、まだ機は熟していない。それがセイレーンの見立てであった。
まずは水柱のカーテンで消耗させる。あるいは、あわよくばこのまま逃げ切ってしまう。
絶斗は店を壊すなどと、うそぶいているが、本当に興味があるのは「遊び相手」であるオメガスレイヤーだけだとわかりきっている。また、水の力で補強された『シーサイド』は、セイレーンの能力が及ぶ限りは容易に壊れぬはずだった。
・・・いけるわ。彼らの視界を奪っている間に、外へ――。
見渡す限りの水流の壁のなか、青のヒロインは出入り口へとジリジリ移動した。
「無駄だ。オメガセイレーン」
立ち昇る水柱の、その奥。
轟音を割って届いたのは、〝無双〟の虎狼の声だった。
と同時に緑色の十字状の刃が、水のカーテンを破って、真っ直ぐセイレーンに突き出された。
「あッ!?」
ドボオオオォォッ!!!
黄金に輝く『Ω』の紋章。胸中央のマークを、正確に〝オーヴ〟の戟は直撃した。
「ふぐぅッ!! ・・・う”ッ!!・・・どうし、てッ・・・!?」
「貴様の動きなど、手に取るようにわかる。修練が足りぬようだなッ、蒼碧の水天使よッ!」
胸の紋章は、オメガ粒子の集積地であることを示すものだ。反オメガ粒子である〝オーヴ〟の凶器を撃ち込まれれば、深刻なダメージを受けるのは必然。
ザアアア、と無数に昇っていた〝雨の橋立〟が一斉に崩れる。よろめく脚で、懸命に後ずさるオメガセイレーン。
その口元から、ゴボリと鮮血の塊がこぼれでる。
「攻防、両面を兼ね備えた技、なかなかに面白い。しかしこの虎狼には通じんぞッ!」
瀑布となって落ちる水の壁の向こうに、戟を構えた弁髪の武人は現れた。鎧のごとき筋肉には、いくつかの血の痕が滲んでいる。
水流の槍で斃せる、などとは思っていなかったが、やはり武芸の粋を極めた修羅妖には、〝雨の橋立〟ではかすり傷を負わせるのが精一杯だった。
マズイ。早く態勢を、立て直さないと。
黒煙をあげる『Ω』のマークを両手で押さえ、セイレーンは可能な限り距離を開けようとする。後方へと跳ぶ。
許されなかった。
〝覇王〟絶斗が、懐に飛び込んでくる。左右の拳を無造作に、しかし恐るべき威力と速度で、連続で放ってくる。
「くぅッ!! ううぅッ!!」
バズーカ砲をマシンガンの連射で、至近距離から撃ち込まれているようなものだった。
両腕でガードし、脚は全力で下がり続ける。そうすることでかろうじて、セイレーンは深刻な一打を避けた。肉を削るかのような絶斗の連打を、必死に耐える。
カッ、と青いブーツのかかとが、なにかにぶつかった。
気が付けば、蒼碧の水天使は壁際まで押し込まれていた。
「ッ!! しまっ・・・」
「なかなか頑張るじゃん。ボクのパンチをここまで防ぐとは驚きだ。でもさ」
「もう逃げ場はないぞ、オメガセイレーン」
〝無双〟の虎狼が、真っ直ぐに突っ込んでくる。
危機が迫るのを、当然セイレーンは察知している。しかし、どうすることもできない。背後は強化された壁。正面左側から攻め込んでくるのは、圧倒的な攻撃力を誇る〝覇王〟絶斗。筋骨隆々の武人が向かってきているとわかっていても、右方向へ動くしかなかった。
「はッ、はあああッ!!」
戟を突き出す、弁髪の巨漢に対して。
青のコスチュームを纏ったスーパーヒロインは、渾身の力で右ストレートを放った。カウンターの一撃。スレンダーな肢体から撃ち込むその威力は、暴走する10tトラックをも止めることができる――。
だが、スピードもパワーも超人的な一打を、虎狼は半身を捻って容易く避けた。
「フンッ! 腰の引けた・・・女の打撃よッ!」
上半身を捻りつつ、右手の戟を〝無双〟が撃ち込む。右ストレートを放った姿勢の、オメガセイレーンの右胸へ。
結果的に、カウンターを喰らわせたのは、修羅妖の武人となった。
グボオオオォォッッ!!!
緑色の十字状の穂先が、半ばまでCカップの乳房に埋まり込んだ。
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