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29、停戦
しおりを挟む激闘が終わった体育館のなか。聖司具馬は、ふぅ、とわずかに安堵の吐息をついた。
間もなく『水辺の者』の救護班が、駆け付けるだろう。カルラとペガサス、ふたりへの救命措置とともに、学校側への根回しもしてくれるはずだった。体育館の修繕費用は数百万単位にのぼるだろうが、古くより退魔稼業を営んできた『水辺の者』の金庫が相当に潤っていることを司具馬は知っている。
黄色と紫、ふたりのオメガスレイヤーへの応急処置はとりあえず済ませた。水城菜緒も含め酷い状態ではあるが、生命の危機は脱したといっていい。床に直接寝かせた3人の少女たちを、相沢健人が介抱している。
薄暗い体育館のなか、立っているのは司具馬と、白銀と深紅のコスチュームを纏ったオメガエンジェルだけであった。妖化屍どもの姿は、全ては悪夢であったかのように消え去っている。
「本当に、大丈夫なのか?」
手当する、という司具馬の申し出を頑なに断り、自分自身の手で胸の傷を治療した光天使は無言でコクリとうなずいた。
金色の『Ω』の紋章が、こびりついた血で汚れている。胸の中央と背中には、紫水晶で刺された際の穴が開いていた。出血はすでに止まっているようだが、二十歳そこそこの乙女が傷を受けたと思うとやはり痛々しい。
「完勝、と呼ぶには抵抗がある・・・それなりに手痛いダメージを受けたはずなんだがな」
「平気。オメガ粒子で回復力もあがってるからね。ちょっと刺されたくらいじゃ、別に・・・」
台詞の途中で、プラチナブロンドの美乙女はガクンと膝から崩れ落ちる。
意地っ張りめ、やっぱりそうか――危惧した通りの展開に、司具馬の脚は素早く反応していた。
床に昏倒しかけたオメガエンジェルの肢体を、黒スーツの男はがっしりと胸で抱き止めた。
「・・・ご、ごめん。・・・ありがと」
「ったく、困ったコだな。全然平気じゃないようだが」
「へ、平気だってば。ちょっとクラっときただけっていうか・・・貧血? そう、貧血みたいなものよ」
「バカがつくほど正直なくせに、こういう時だけはウソをつく。包帯を巻くのだって、自分ではやりにくかっただろうに」
「だってシグマにやってもらうわけにはいかないでしょ? ・・・その・・・む、胸がほら・・・み、見えちゃうじゃない!」
ハグをするかのように。真正面から抱き合った姿勢で、オメガエンジェルと司具馬は話し続ける。
傍目から見れば、それだけでもただならぬ関係に映るというのに、光天使の透き通るような頬には赤みまで挿してきた。
「あ、あの~・・・おふたりは付き合っているんですか?」
健人が思わず口を挟んでしまったのも無理はない。
「え? あはは。イヤだな、そんなわけ、ないじゃない」
柔らかな微笑を浮かべたオメガエンジェルが、パッと司具馬の胸から離れる。
つい十数分前に妖化屍に見せていた凛々しさとは、打って変わった表情だった。あの時はゾッとするほど美しかったが、今はキュートとか可憐とか、もっと身近なカワイらしさに満ちている。
ただその笑い声がやけに乾いて聞こえたために、健人はわずかな違和感を覚えた。
「そんなわけ、ないでしょ。シグマにはとっくに、永遠の愛を誓った相手がいるから」
「少年、健人くんといったな。ひとつ、頼みがあるのだが」
オメガエンジェルとは対照的に顔色ひとつ変えない司具馬が、今思い出した、とでもいった様子を口調に含めて言う。
「ペガサスの股間に埋まった緑色の鉱石を、抜き取ってくれないか。その石のせいで、彼女の回復が覚束なくなっている」
「え、ええ~ッ!? こ、このなかのッ・・・をですかぁッ!? 男のボクがッ?」
「仕方ないだろう。極力、郁美に〝オーヴ〟を触れさせたくはないのでね。大丈夫だ、萌音くんも意識を失っている。秘所に指を入れられたところで、気付きなどしないさ」
それなら自分がやればいいのに・・・
口を突きそうになる不満を、健人はなんとか飲み込んだ。格別身体が大きい、というわけでもないのに、葬儀屋のような格好をした男からは、言いしれぬ圧力が感じられる。
ドキドキと申し訳なさとが混ざった異様な緊張のなか、健人は横たわるオメガペガサスの股間に右手を伸ばす。
脳が茹で上がってしまいそうだった。作業を開始する健人の耳には、近くにいるはずの光天使と司具馬の会話が、ほとんど素通りして出ていく。
「・・・一気に天音の仇を取れるかと思ったんだけどな。結局六道妖のヤツらは倒せなかったね。残念」
「いや、初陣としては上出来だった。天音も初めてオメガヴィーナスになった時には、慣れぬ戦闘で苦戦を強いられたものだ。妖化屍のひとりを葬り、カルラとペガサスを救出できたのは十分以上の成果だろう」
オリジナルの必殺技〝didit〟で剛武を消滅させた後、オメガエンジェルはガクガクと震える人妖・縛姫に歩み寄っていった。
狙われた瞬間、『撃ち終わっている』。そんな〝didit〟の威力に、縛姫は恐れを為したに違いなかった。もうひとりの六道妖、餓鬼妖・呪露もいまだバラバラに分散したままで、とても光天使を襲えそうにない。実力の差を目の当たりにし、〝妄執〟の女妖化屍も死を覚悟したことだろう。
「ま、〝didit〟は発射の段階に入ったら無敵だけど・・・一発撃つのに時間がかかっちゃうのよね。確かにあのとき縛姫を倒すのは、ホントは簡単なことじゃなかったんだけど」
「なにしろ君は戦闘に関してはズブの素人だ。リロードできたのは〝didit〟と〝威吹〟、それに〝ホーリー・ビジョン〟だけで、あとはただパワーとスピードに任せて暴れるだけだからな。まともにやりあえば、恐らく危険は免れなかった」
最強である光属性のオメガ粒子を、確かに四乃宮郁美は受け継いだ。
しかしオメガエンジェルとしては覚醒したばかりで、決してその闘い方は安心して見られるものではない。単純にいえば、怪力と超スピードと鋼鉄の肉体を持っているだけで、郁美はほとんど普通の女子大生と変わらないのだ。
だから司具馬は、まずは妖化屍の連中を驚愕させることに主眼を置いて、今回の戦闘プランを郁美に与えていた。脆さが露呈する前に、測り知れない強さがあると印象づけるために。
結果的に、司具馬の策は見事に嵌り、注意すべき初めての戦闘をオメガエンジェルは乗り切ることができたのだ。
「時間があれば、君はもっと闘いに慣れ、リロードする能力も増える。オメガエンジェルが本当に強くなるのはこれからだ」
「・・・翠蓮さん・・・ううん、〝輔星〟の翠蓮が現れたのも、私たちにとってはラッキーだったってことになるのかな」
縛姫に近づくオメガエンジェルの前に、体育館の上窓を破って飛び込んできたのは、かつて『水辺の者』に所属していた裏切者であった。
ハーフアップにした髪も大きく丸い瞳も花弁のような唇も・・・全ての色素が白色人種のように薄い。にも関わらず、そのスレンダーな肢体を包むのは、淡いすみれ色の和服だった。
幽玄の美が漂う女妖化屍は、体育館の床に着地すると同時に、分厚い空気の壁をオメガエンジェルとの間に作り上げていた。空気を自在に固めるのが、〝輔星〟の翠蓮の特技なのだ。
壁の存在を瞬時に察したオメガエンジェルは、歩みを止めて、かつての仲間と見つめあった。
『お久しゅう御座います、郁美さま。まさかいまだ息災であったとは・・・翠蓮も嬉しく存じます』
才色兼備を地でいく女妖魔は、緩やかに微笑んだ。
本心からの言葉か、ある種の宣戦布告であるのかは、駆け引きが得意とはいえない光天使にはわからなかった。
『骸頭さまが憂慮されておられたので、様子を伺いに参ったのですが・・・よいものを拝見できました。よもや天音さまの妹君が、光のオメガスレイヤーを後継されるとは。虎狼さまに無理をいって、足を延ばした甲斐が御座いました』
『・・・邪魔する気なの? 〝輔星〟の翠蓮』
和服美女に向けるオメガエンジェルの視線が、鋭くなる。
まだ人間であったころの翠蓮とは、郁美も面識がないわけではない。『水辺の者』を構成する『征門二十七家』のなかでも名門の出身で、京大卒業の紛れもない才媛。それでいてひとをたらしこむような柔らかい雰囲気に、エリートとはかけ離れた親近感を感じたものだった。
油断ならないひとだ、とは思ったものの、嫌悪感は不思議となかった。
そんな相手と敵として闘わねば・・・厳密にいえば、命の奪い合いをしなければならなくなることは、21歳になるまで普通に暮らしてきた郁美にとって決して容易な決断ではない。
『この場は引かせて頂きます。風と空、ふたりのオメガスレイヤーを始末寸前で見逃すのは少々惜しくは御座いますが・・・縛姫さまや呪露さまの御命には代えられませぬ』
『翠蓮ッ!! てめえッ、虎狼の性処理袋がでしゃばるんじゃあないよッ!!』
ハーフと見紛う美女に罵声を飛ばしたのは、助けられた側の女妖化屍だった。
『縛姫さま、ここは退散するのが上策で御座います。光のオメガスレイヤーは最強の破妖師であるのが常・・・人妖ともあろう御方が、危うい橋を渡る必要は御座いません』
『てめえごときにッ・・・借りを作りたくないって言ってんだよォッ、この女狐めッ!!』
『それにオメガカルラはともかく・・・紫雲の空天使オメガペガサスのような未熟者は、いつでも容易く抹殺できましょう。我が妹である事実が恥ずかしくなる欠陥品ですから』
縛姫の怒号を柳のように受け流し、翠蓮は青みがかった瞳で床に転がるオメガペガサスを見下ろした。
『あなたのごとき未熟な弱者が、おいそれと顔を出すべき闘いではありませんわ、モネ』
眼を閉じたままの空天使に、実姉の声が聞こえたかどうかは定かではない。
だが、その声に含まれた冷たさと、一切の感情が見えぬ凍えた視線に、やりとりを見つめる郁美の方が思わず戦慄した。
闇に飲まれてゆくふたりの女妖化屍を、オメガエンジェルは追わなかった。
気が付けば、周囲に浮遊していた汚泥の飛沫も、跡形なく消え去っている。〝流塵〟の呪露もまた、退散を選択したのだろう。
翠蓮の登場が救ったのは、六道妖であったか、オメガスレイヤーであったかはわからないが、こうして白銀の光天使の初めての闘いは、終わりを告げたのであった。
「・・・少なくとも、〝無双〟の虎狼がともに現れなかったのは僥倖だろうな。今の郁美があの怪物とやりあうのは危険が過ぎる」
「そういや、天音はアイツといきなり闘うハメになってたっけ」
5年前の記憶を思い返し、オメガエンジェルは姉の雄姿を脳裏に浮かべた。
眩い白銀のスーツに、醒めるような紺青のケープとミニスカート。色は青から深紅へと変わったものの・・・あの神々しいまでのヒロインと同じコスチュームを、郁美は今、その身に纏っている。
「あの・・・ね。どうかな? 似合ってる・・・かな?」
自覚できるほど頬を桃色に染めて、ミニスカートの裾をオメガエンジェルは左右の指でつまみ上げた。
ひらり、と真っ赤な生地が揺れる。なかのアンダースコートが見えそうなギリギリまで、美乙女の白い太ももが露わになった。
「このスカート・・・やっぱり短すぎるよね。ボディスーツも身体のラインが浮いちゃってるし・・・闘う衣装としては、ちょっとアレだよね?」
プラチナブロンドのセミロングを揺らし、光天使は俯く。元々陶磁器のように白い美貌が、桜が色づくように紅潮した。
「似合ってるよ。とても」
普段は感情に乏しい司具馬の声が、やけに優しく郁美には聞こえた。
「似合わないわけ、ないだろう。君は天音の、妹なんだから」
きっと司具馬は、郁美を、オメガエンジェルを、褒めるためにその台詞を吐いたに違いなかった。あるいは、勇気づけるような意味合いもあったかもしれない。
その優しさが痛いほど伝わるから、オメガヴィーナスの遺志を継いだ妹の笑顔はぎこちなくなった。
「・・・そうだよね。私、天音の妹だもんね」
〝代わり〟扱いをされて、プライドが傷つくのは人間も妖化屍も変わらない。
そしてもちろん、オメガスレイヤーにおいても、誰かの〝代わり〟とされるのは虚しいことに違いなかった。
「そうか。似合ってるんだ。じゃあいいや」
可憐と美麗を併せ持った美貌の持ち主は、爽やかに微笑んだ。虚しさなど、欠片も見せずに。
オメガエンジェルであり続ける限り、きっと郁美は偉大な姉の後継者と呼ばれることだろう。それで構わなかった。父と母、そして天音の仇を討つためならば、21歳の乙女は己の全てを差し出すつもりだった。
かつての姉の恋人が、いつまでも姉の影を自分に見ようと、郁美は受け入れる覚悟があった。
「私はオメガエンジェルとして・・・六道妖を必ず滅ぼすわ。この命と引き換えにしても、必ず、ね」
白銀の光天使と六道妖。究極破妖師と妖魔の潰しあいは、これからが本格的な始まりであった――。
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