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6、巨漢
しおりを挟むブオオオォォウウウッ!!!
亜梨沙の両手が力士体型の胸に触れる。と、突然唸りが聞こえて、巨体の肉が掻き分けられた。
健人にはすぐわかる。破妖師の少女が風の能力を駆使したのだと。
風船のように膨らんだ肉のなかから、亜梨沙の顔が現れた。瞳の焦点があっておらず、半開きの口から少し涎が垂れている。
「はぁっ、はぁっ・・・!! こ、のっ・・・!!」
動き出した電車のなかで、再びかすかな風の音を聞いたのは、隣の健人くらいだろう。
バシイイィッッ!! となにかを叩きつける音が、大男の顔で起こる。ニヤけていた表情に、数本の黒い線が刻まれる。
切った。健人は確信した。亜梨沙が風を使って、襲撃者の頭部を切り裂いた・・・
その認識が誤りであったことは、次の瞬間、悟ることになる。
「うっ!?」
驚愕の呻きは、亜梨沙と健人、ふたりから漏れていた。
力士然とした巨漢は、ニヤついたままだった。切れていない。それどころか大男の代わりに、周囲に吊り下げてある車内広告が、見えない鎌で切られたようにズタズタに裂かれる。
「うおおっ!?」「きゃあっ!?」「なんだ、突然に?」
ギュウギュウの車内で悲鳴がいくつか湧く。大半の者はキョトンとしている。
扉周辺で、小さな女子高生が相撲取りのような巨漢に押し潰されていることなど、誰も気付いていなかった。縦にも横にもデカイ肉の壁が、完全に視線を遮断している。
この風船のような大男は、亜梨沙の風を弾き飛ばした。
信じ難いことだが、健人はそう判断するしかなかった。ただの巨漢ではない、異常な能力の持ち主・・・恐らくは、亜梨沙が言っていた『アヤカシ』の類いに間違いない。
「こんな狭いところで風を使えば、周りの乗客たちまで切っちまうかもね」
健人の背後で、突如女の声がする。
「まあ、お前が本来の力を発揮できたとしても、そいつ・・・〝跳弾”の剛武を切ることはできないけどねぇ・・・ムダな足掻きはやめとくんだね、オメガカルラ」
亜梨沙の正体を、背後の女は知っている。
カルラという名前を知る者など、健人が想像する限り、2種類の存在だけだ。つまりは『水辺の者』とかいう亜梨沙が属する破妖師の組織か・・・その敵である妖化屍か。
「っ・・・〝妄執”の・・・縛姫・・・っ!!」
「半年前、あの教会で会って以来だねぇ・・・その生意気な顔、変身を解いていようと私の眼はごまかせないよ」
恐る恐る、背後の女の姿を、健人は覗き見る。
眼以外をほとんど隠した大きめのマスクが、まず視界に飛び込んだ。40代と思えるが、眼だけを見れば以前はかなりの美形であったことが窺われる。ゆったりとした白いドレスに、耳にはアクセサリー。銀座などが似合いそうな美魔女、というイメージが勝手に健人の脳裏に浮かんだ。
髪は毒々しいまでのオレンジ色で、ソバージュがかけられている。純然たる日本人ではなく、欧米の血が入っているようだ。
そのオレンジの髪が数本、束になって健人の首に巻き付いていた。
「〝軍神”の将威を殺ったのはお前だね? 切り刻まれたケガレどもの様子を見れば、すぐにわかったよ」
「・・・それでアリサが苦手にしそうな妖化屍を、連れてきたってわけ」
囁くようなボリュームでふたりは話し続けた。
どうやら亜梨沙も妖魔たちも、聴覚についても常人の何倍も鋭いらしい。3人に囲まれる形となった健人だけが、走る電車のなかで、かろうじて会話を聞き分けられた。
「お前たちオメガスレイヤーがいなくなれば、この世は私たち妖化屍の思い通りになる。弱体化している今こそ、殲滅するチャンスだからねぇ・・・」
マスクの下で、縛姫と呼ばれた妖女は顔を歪めて笑ったようだった。
「コイツ・・・〝跳弾”の剛武、っていったっけ? ゴムみたいな身体みたいだけどさ・・・だからって、アリサに勝てると思ってんの?」
圧迫の苦しみに襲われているはずなのに、押し潰されている少女は、ニヤリと不敵に笑い返した。
なんて精神力なんだ。健人は驚かずにはいられない。
変身前、普通の女子高生の姿。多くの一般人が乗った閉鎖空間。風の刃が効かない、ゴムの肉体を持つ敵。さらに現れたボスらしき女妖魔・・・どこをどう考えても、亜梨沙の窮地は明らかだ。数十分前、カルラの鮮やかな勝利を目の当たりにした健人でも、とても勝てないとわかる。
なのに亜梨沙自身は、カケラも強気の姿勢を崩そうとはしなかった。
ここまでいくと自信過剰というより、自信しか持てない頭の構造になっているかのようだ。
「勝てるさ。とはいえ、お前たちオメガスレイヤーのしぶとさもよく知っているからねぇ・・・そこで万一に備えての、人質ってわけさ」
キュッと、健人の首が絞めつけられる。
巻き付いた縛姫のオレンジ髪のせいだ、と気付くのに数秒を要した。このマスクの妖女は、髪を自在に操ることができるというのか。
「お前たちふたりが並んで歩いてるのは、少し前から観察させてもらったよ。ボーイフレンド、ってヤツかい? なにかと鼻持ちならない小娘だねぇ」
「ア、アリサさんッ! ・・・ボ、ボクのことは、気にしなくていいですから・・・ッ!!」
無意識のうちに健人は、声を出してしまっていた。
亜梨沙がもう助けない、と宣言したことは、しっかりと脳裏に刻まれている。健人がわざわざ断らなくても、きっと破妖師の少女は人質のことなど無視するだろう。
それでも、万が一にも亜梨沙の足を引っ張らないように、気丈に振る舞う必要があった。
「バーカ。こんなもやしっぽい年下クンが、アリサの彼氏なわけ、ないでしょ」
覚悟はしていたものの、突き放すような亜梨沙の言葉は、やはり健人には少々堪えた。
「でもね。弱っちいくせにアリサを守ろうとするのは・・・嫌いじゃないけどね。その優しさに免じて、今回は特別にあんたを守ってあげるわ。健人」
扉と巨漢に挟まれた美少女は、少年に向けてニッと微笑みかけてきた。
こんな状況下とは思えぬ穏やかな表情に、健人の心臓はドキリと鳴った。
なんだよ。
なんなんだよ、このひとは、もう。
特別、特別って言いながら・・・結局また、ボクを守ろうとするんじゃないか。
自分の方が、絶体絶命のピンチのくせに。
グチャアアアアアッッ!!!
赤く染まりかけた健人の頬が、肉の潰れる凄惨な音色に、蒼白に変わる。
巨大なゴム毬のような力士体型が、亜梨沙のスレンダーな肢体をさらに潰して薄くしていた。
「かはあ”ァ”っ・・・!! ア”っ・・・!!」
「グハハッ・・・!! おい、オメガカルラよォ・・・いい加減、その減らず口は閉じてもらおうじゃねえか」
〝跳弾”の剛武と呼ばれた巨漢が、初めて野太い声を出していた。
「知ってるぜ、変身前のてめえらは、10分の1も力を発揮できねえんだってな? そのちいせえ身体で、オレのプレスに耐えられるかァ?」
メリメリメリッ・・・ミシッ・・・ミチミチッ!!
健人は見た。剛武の巨体が、さらに風船のように膨らんでいくのを。
ただ全体が大きくなるのではない。身体の前面、胸と腹のみが、異様に前に突き出していく。必然的に、電車の扉との間に挟まれた白シャツの少女は、骨も肉も圧迫されることとなる。
「・・・がァ”っ・・・!! ・・・ァ”っ・・・!!」
「グフッ!! ウハハッ! ヘタに悲鳴あげると、周りの乗客どもに気付かれちまうぜェ。ま、そうなると騒がれるのは厄介だから、殺すしかなくなるがよォ」
瞳も口も大きく開いて、ポニーテールの女子高生は天を仰いだ。
〝跳弾”の剛武に指摘されずとも、周囲にこの事態がバレるのはマズイと、亜梨沙もわかっているようであった。懸命に悲鳴を抑えているのはそのためだ。
ただ自分が助かるだけなら、扉のガラスを破って逃げる、という方法もあっただろう。しかし走行中の満員電車でそれをすれば、大惨事になるのは確実だった。つまり亜梨沙は逃げることも容易にできない。
亜梨沙からすれば、人質に取られているのは健人だけではなく、乗客全員といってもいいのかもしれなかった。状況はあまりにも、破妖師の少女に不利だ。
「ホホホ・・・いいザマだねぇ。だが念には念を入れさせてもらうよ。骸頭からオメガスレイヤー殺しのために、いろいろと借りてきたからねぇ・・・」
マスクをした熟女が、ドレスの袖から小さな箱を取り出した。金属製の小箱は、見るからに密封性が高そうだ。
箱のなかから縛姫が出したものは、ピンポン玉ほどの鉱石が飾られたネックレスであった。
石は自ら、ほのかな緑色を発光している。
「くぅ”っ・・・!? ま・・・さかっ!!」
「〝オーヴ”の洗礼を浴びるのは初体験だったかい、オメガカルラ? あまり大きいとこちらにも影響しちまうからねぇ・・・このサイズにしてやるよ。もっとも」
明らかに動揺した亜梨沙の首に、緑石のネックレスが提げられる。
「う、うう”ぅ”っ!! ・・・ああ”っ・・・!! くっ、ぐぅ”っ!!」
「アンチ・オメガ・ウイルスの効果は、この大きさでも十分だけどねぇ。ホホホ、力が抜けていくだろう?」
亜梨沙が元々嵌めていたネックレス・・・黄金に光るリングのアクセサリーに、緑の鉱石が重なっていた。
切れ長の二重の瞳が、ピクピクと痙攣している。縛姫がいうように、亜梨沙の肢体は脱力に襲われているようであった。その原因が、〝オーヴ”と呼ばれた緑の鉱石にあるのは間違いない。
「なっ・・・こん、なっ・・・!? ・・・はぁっ、はぁっ・・・!! い、息、がぁ”っ・・・!!」
「オメガスレイヤーの力の源、オメガ粒子の活動を抑制するウイルス・・・ふふふ、胸の近くに飾られたら、肺も心臓も動きが鈍くなるってわけさ」
満員電車の片隅で、ひとりの女子高生が刻一刻と命を削られていることに、健人以外の誰も気付いていなかった。
しかもこのポニーテールの少女の正体は、不気味な亡者を退治する破妖師なのだ。
人知れず妖魔と闘うヒロインが、今、その敵に襲われ、成す術なく敗れようとしている。
「こちら側の扉は、あと4駅・・・15分は開かないようだよ。それまで、ただのお嬢ちゃん同然のお前を嬲り放題ってわけだねぇ・・・」
「くっ・・・!! アリサ、を・・・舐めない方が・・・いいわよっ・・・!!」
ミチミチと全身を軋ませながら顔を歪める少女を、健人は祈るような気持ちで見守るしかなかった。
「ホホホッ・・・!! 萌黄の風天使オメガカルラ・・・お前はもう、終わりだよ」
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