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5、満員電車

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「あのさ、年下クン。なんでアリサのあと、ついてくるわけ!?」

 駅へと続く道の途中。ポニーテールの少女は、不意に背後を振り返った。
 少し吊り気味の瞳に真っ直ぐ射抜かれて、相沢健人はビクリと全身を強張らせた。相手が150cmそこそこの小柄な女子高生であることを思えばビビリすぎに見えるだろうが、健人の立場からするとあながちオーバーでもない。
 
 なにしろ、この少女は常人離れした異能力を持つ、スーパーヒロインなのだから。
 
 黄色のマントとコスチュームを纏っていた少女は、いまやどこかの高校の制服に身を包んでいた。いつの間に着替えたのか、わからないほど一瞬の出来事だった。健人が数秒視線を外している間に、普通の女子高生の姿になっていたのだ。
 パリッとした白の半袖ブラウスに、やけに短いグリーンの格子柄プリーツスカート。ファッションに疎い健人はよくわからないが、こういう大きめの格子柄はタータンチェックというのだろう。胸元は赤いリボンで飾られていて、可憐な少女によく似合った。
 
「な、なんでと言われましても・・・ボクも帰り道、こっちなので・・・」

「もう一回確認しておくけど、今日見たことは全部忘れるのよ! いいっ!? それがあんたのためなんだからねっ!」
 
 腰に両手を添えて仁王立ちした姿は、アイドル活動でもしてそうな美少女としか思えないが、実際にはわずか数分前、彼女は200体ものゾンビを殲滅したばかりだった。
 
 あまりにも信じられないことが、いくつも健人の目の前で起こっていた。蘇った死者に襲われる、というだけでも衝撃的すぎるのに、風を操るマントのヒロインまで出現したのだ。
 常識外のことが立て続けに起こると、信じる信じないの問題ではなく、どうも常識そのものがぶっ壊れるらしい。もはや『妖魔を退治する破妖師の少女』を前にしても、健人はすんなりと彼女の存在を受け入れつつあった。夢や幻などではなく、あれは現実だったと今ではハッキリ断言できる。
 
「わ、わかってます・・・アリサさんのことは絶対誰にも言いませんし、ネットにも書き込みしません」

「当たり前よ。ヘンなことネットに書いたりしたら・・・って、あんた、なんでアリサの名前知ってるのよ!?」

 自分が言っている台詞のおかしさが、どうやら少女にはわかっていないらしい。
 チャキチャキとした行動の素早さを見ても、基本的に頭の回転は悪くなさそうだが、抜けているところがあるタイプのようだ。しばらくしてから、少女=アリサはみるみるうちに頬を赤く染め始めた。
 
「・・・くっ。アリサとしたことがなんてミスを・・・。ちょっと、年下クン! あんたも名前、教えなさいよ。このままじゃ不公平じゃない」

「え、ええッ!? 不公平って・・・か、勝手に自爆したんじゃないですか・・・」

「え? あんた、ホントに殺されたいの?」

「うわあああッ、やめてくださいって! ・・・あ、相沢健人、です・・・」

「四方堂亜梨沙よ。もしアリサの本名、どこかにバラしたりしたら、『水辺の者』の情報網使ってあんたの家、捜し出すからね。繰り返し忠告するけど、アリサを正義のヒロインとか思わない方が身のためよ」

 凛とした鋭い視線を向けられると、とても冗談の類いとは思えない。
 健人が本気で怯えていることを察したのか、再びくるりと背を向けると、制服姿の女子高生は駅への道を歩み始めた。
 
「・・・あの、アリサさん・・・ひとつ、質問していいですか?」

「ったく、あんたも懲りないわね・・・なによ?」

 振り返ることなく、歩きながら四方堂亜梨沙は言葉だけを返してくる。
 
「ケガレ、でしたっけ? あのゾンビの群れ・・・あのまま放っておいてもいいんですか? 工事現場、すごいことになってましたけど・・・」

 〝軍神”の将威ショウイに勝利したオメガカルラこと亜梨沙は、指令系統を失った死者たちを風で斬り刻んだ。
 元々死んでいる身であり、葬らねばやがて人間を襲いだす亡者だ。カルラの施した処置を、残酷だなどとは健人は言わない。しかし、半ば腐乱した亡骸が、合計200体もバラバラで発見されれば、大きな騒動に発展せずにはいられまい。
 
「それは『水辺の者』がなんとかするから、心配しなくていいわ」

「なんとかする、ですか・・・」

妖化屍アヤカシやケガレを征伐した後、いろんな意味で掃除するのも破妖師の組織の仕事なのよ」

「じゃあ、もうひとつだけ、聞いてもいいですか?」

「あんた、さっき質問はひとつって言ってなかったっけ?」

「あの・・・アリサさんは、彼氏とかいないんですか?」

 顔を真っ赤にしたポニーテール少女が、凄い勢いで背後の健人を振り返る。
 半ば無意識のうちに口を衝いた己の発言に気付き、健人もまた顔を染めた。アワアワしている亜梨沙の顔を、まともに見られないほど恥ずかしい。
 
「バ、バカっ! バっカ! バ~~カっ! なに聞いてんのよ、まったく! そんなのいるわけないでしょっ! あんた、見かけによらず図々しいわね!」

「ご、ごめんなさいッ! いやその、そんなにカワイイなら、彼氏くらいいるのかな、って・・・」

「あんまりフザけてると、ホントに切っちゃうからねっ! っとに、もう・・・!」

 耳たぶまで真っ赤に火照らせた少女は、前を向いてズンズンと大股で歩いていく。
 消え入りそうにつぶやく声が、急いで後を追う健人の耳に、かすかに聞こえたような気がした。
 
「・・・いつ死ぬかわからないのに・・・彼氏なんか、作れるわけないでしょっ・・・!」

 そのまま無言で、ふたりは駅のプラットフォームにまで辿り着いた。
 夕方の駅構内は、帰宅時のラッシュアワーを迎えてひとでごった返している。ふたりのような制服姿だけでなく、サラリーマンや買い物帰りの主婦、さらには相撲取りらしき浴衣の巨漢まで、電車の到着を待っていた。
 
「珍しいな、お相撲さんなんて・・・ちょんまげを結ってないってことは、まだ新人の力士なのかな」

 これからあの巨体と満員電車に乗り込むことを思うと、健人の心はげんなりする。ただでさえこの時間帯、車内はギュウギュウに詰まり、呼吸するのも息苦しいほどなのだ。
 
「ねえ、あんた、まだついてくる気なの?」

 久しぶりに口を開いた美少女は、こちらもまた、げんなりした様子を隠しもせずに言ってきた。
 
「す、すいません・・・でも、本当に帰るにはこの電車乗らないと・・・」

「はぁ。仕方ないけどさ・・・これからは赤の他人のフリしてよね。妖化屍がどこに潜んでいるか、わかんないから。万一あんたが襲われても、もうアリサは助けないからね。長生きしたけりゃ、もうアリサには関わらないことよ」

 前方をじっと見据えたまま、二度と少女は健人の方を向くつもりはないようだった。
 少し寂しいが、しょうがない、と健人も思う。亜梨沙が言うことはもっともだ。思い返してもおぞましいゾンビどもを相手に、破妖師の少女は闘っているのだ。素人の健人は足手まといでしかなく、生命の危険を冒してまで、亜梨沙が助ける義務などない。
 黄色のマントヒロインとの出逢いは、ボクのなかで永遠の記憶として残そう・・・健人が決意するのとほぼ同時に、電車が駅に滑り込んできた。
 
 ポニーテールの制服少女に続き、健人も車内に乗り込んでいく。すでに座席はすべて埋まっているため、あとはどこに立つのかを選択するだけだ。続々と乗ってくる人の波に押され、自然ふたりは反対側の扉に押し込まれていく形となった。
 毎日のことながら、キツイ。
 薄い胸板を潰されて、健人は苦悶する。気を紛らわすためにも、二度と会えなくなるかもしれないヒロインの顔を焼きつけようと、亜梨沙に視線を向けた。
 
「え?」

 健人の心拍数が、一気にはねあがる。
 外見はそのあたりの女子高生と同じなのに、今の四方堂亜梨沙は黄色のマントヒロインと重なって見えた。雰囲気が、気迫が違うのだ。くっきりとした二重が印象的な切れ長の瞳は、鋭く一点を凝視して動かない。
 
 肉親の仇を見つけたならば、あるいはこんな視線になるのかもしれなかった。
 
「ちょっとゴメン」

 ボソリと亜梨沙が呟いたのは、健人に向けてではなく、周囲の乗客へ断りを入れたのだろう。人でいっぱいに詰まった車内を、ポニーテール少女はさらに奥へと進んでいく。電車はまだ動いていなかった。元々スリムな体型と、秘めた怪力のゆえだろう、反対側の扉にまであっさりと亜梨沙は辿り着いた。
 慌てて健人も、制服少女のあとを追っていた。ほとんど無意識の反応だった。亜梨沙が道をこじ開けているので、思ったよりスムーズに満員電車のなかを移動できる。
 
『扉、閉まります』

 車掌のアナウンスが聞こえたときには、健人もまた、入ってきたのとは逆の扉にまで進んでいた。
 外が見える。反対方向のプラットフォームと線路。夕陽のオレンジ色が挿し込む景色のなかを、傍らの少女は変わらず厳しい表情で睨み続けている。
 
 それは、線路の中央にポツンと置かれた、異物だった。
 少なくとも健人には、異物としか表現できないものだった。
 
 白くて長いその物体は、健人には、切り取られた女性の左腕のように見えた。
 
「・・・・・・天音・・・っ!!」

 むろん亜梨沙が小さく吐き捨てた『アマネ』という言葉の意味も、健人にわかるはずもない。
 
六道妖リクドウヨウっ・・・!! フザけた・・・マネをっ!!」

 急に亜梨沙が反転する。このギュウギュウの人波を押し分けて、今から電車を降りようというのか。だが、いくらなんでもそれはムリだ。
 プシュー、という空気の抜ける音がして、今まさに扉が閉まりかけていた。先程の闘いで見せた、オメガカルラのスピードならあるいは、とも思う。しかし普通の女子高生の姿に戻った亜梨沙に、そこまでの身体能力があるのかどうか?
 電車の扉が完全に閉まるまで、ほんの数秒。
 傍で見ている健人の心臓も、ドキドキと高鳴った。まして亜梨沙本人に焦りがあったとしても、なんら不思議ではないだろう。
 
 だからこそふたりは、自分たちのすぐ後ろに、あの相撲取りらしき巨漢が迫っていることに、気付くのが遅れた。
 
「なっ!?」

 グシャアアアア”ア”ッ!!!
 
 振り返ったポニーテール少女の肢体に、ふたまわり以上は大きな力士体型が押し寄せた。
 傍目からは、満員電車のなかでのよくある光景、と映るかもしれない。ひとで詰まっているため、ぶつかってしまったのだろうと。ただ150kgくらいはありそうな巨体が、なんとも迷惑と思うくらいで。
 
 しかし、亜梨沙の隣にいた健人には、ハッキリとわかった。これは、ただ混雑によって密着しているのではない。
 廃業したばかりの相撲取り、とでもいった風情の浴衣の大男は、わざと小柄な女子高生を圧迫していた。もっと的確にいえば、亜梨沙を攻撃していた。
 その証拠に、膨れ上がった肉体と背後の扉との間で挟まれた制服姿は、本来の半分ほどの厚みにまで潰されてしまっている。横にいる健人からは、その哀れな様子がよくわかる。
 
「んぐっ!! ん”っ・・・!! んん”っ――っ!!」

 浴衣がほとんどはだけているため、筋肉と脂肪でパンパンに張った巨漢の素肌が、直接亜梨沙の全身を押し潰していた。身体の前面、顔を含めたほぼすべてが、巨体のなかに埋まってしまっている。
 バタバタと、亜梨沙の手足が激しくもがく。
 だがいくら大男の顔や胸を殴っても、脚の脛を蹴っても、ビクともしない。効いていない、というだけでなく、痛みすら感じていないようだった。
 
「ひいぃ”ッ・・・!! ア、アリサッ・・・さんッ!!」

 メリッ、メリメリッ・・・
 
 肉の軋む音色がわずかに響き、暴れる亜梨沙の両足が、完全に宙に浮く。
 身体が持ち上げられるほどの強い力で、ポニーテールの少女は圧迫されている証明だった。巨体の胸に顔が埋まっているので、このままでは呼吸も満足にできない。

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