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「第十一話 東京決死線 ~凶魔の右手~」
39章
しおりを挟む深夜の東京湾に突如降臨したツインテールの聖戦士、ファントムガール・アリス。
星明りさえ途絶えた暗闇のなかで、銀光を輝かせた守護天使が戦闘を開始してから、すでに40分近くが経過しようとしていた。
明治神宮に現れたという数匹の巨大生物、そして品川近郊の湾口を舞台に始まったこの聖戦で、首都に住む多くの人々が移動を開始していた。初めて目の当たりにする守護天使の美しさ、神々しさ。巨大生物の禍々しさと恐怖。正と邪の究極戦を前にしては、自分たちの命が木の葉のごとく軽くなるのを自覚した人類には、ただ舞台から離れることと祈ることしか許されない。
黄金の装甲を身につけた戦乙女アリスの敵が、二匹の触手獣たちから疵面の凶獣に変わったことを知るのは、ごくわずかな者しかいなかった。
肉食恐竜を想起させる頑強な肉体と、尖ったマンモスの牙が取り付けられたような腕。
暗黒の瘴気に当てられるのか、見るだけで震えが止まらなくなる凶獣と、クラゲの怪物を一撃で仕留めた鎧のファントムガールとの闘いが始まったのはつい数瞬前のこと――
逃げ遅れ、図らずもこの聖戦の観覧者となった人々の視界に飛び込んできたのは、衝撃的な光景であった。
「ぐッ・・・うぐうッ・・・あがッ・・・!!」
ギャンジョーの頭上で、腹部を貫かれ串刺しにされたファントムガール・アリス。
天を仰ぐ少女戦士の肢体が、高々と上げた右腕の凶槍に刺し貫かれている。アリスのお腹から生える、真紅に濡れた槍腕。モズの贄を思わせる残酷な光景に、東京湾全体が静まり返ったようだった。
「致命傷は免れやがったかァッ!! いいぜェッ、赤髪のねーちゃんッ! 少しは愉しませてもらわねえとなァッ!!」
凶刃が貫いたのは、アリスの右の脇腹であった。
背から表へ突き抜けた杭の激痛が、灼熱と麻痺とを伴ってクール少女を苦しめる。内臓の損傷は少ないものの、極太の槍で乙女の肉を裂き分けられる苦痛に、本来なら失神は免れないところだろう。『エデン』が与えた生命力と最新科学で強化された肉体、そして数多の悶絶地獄を潜り抜けてきた精神力を持つアリスだからこそ、意識を繋ぎとめられている。
“抜け出さ・・・なきゃッ・・・”
思考を呑み込まんと押し寄せる激痛の津波。闘いの運命を受け入れた戦乙女の闘志が、それを打ち破る。
痛みに悶えるより先に、アリスの脳裏を埋め尽くしたのはこの危地からの脱出であった。仰向けで高々と掲げられたこの体勢からは、反撃の手段は皆無。腹部を貫いた白槍は、引き抜くどころかアリス自身の重みでズブズブと徐々に深く埋まっていく。ギャンジョーからすれば、今のアリスはトドメを待つ絶好の標的でしかなかった。一刻も早い脱出、それが装甲天使がすべき最優先事項。
天才少女の脳裏を瞬時に駆け巡った考察は、正しかった。
腹部を貫かれつつ懸命にもがく天使を嘲笑うように、疵面獣の追撃が間髪入れずに放たれる。
余ったもう一本の腕槍。白く尖った杭が、串刺し天使の後頭部へ――
ズバアアアッッッ!!!
「へェ~~・・・」
アリスの端整な美形に、巨大な風穴を開けるつもりであったのか。
想像するのさえおぞましい一撃は、しかし、強引に串刺しから抜け出た装甲天使にかわされていた。
水飛沫と地響きをあげて海中に着地するツインテールの戦士。
ほとんど同時にギャンジョーの傍らで、ぼちゃりと何かが海面に落ちる。
「てめえで脇腹引き千切って、逃げやがったか。小娘にしちゃあ、いい度胸してるじゃねえかッ・・・」
ゆっくりと海底に沈んでいく銀と朱色の物体は、己の脇腹ごと串刺し刑から引き剥がれた、アリスの肉片であった。
ファイティングポーズを取りながらも、肩で荒い息を吐く守護少女。右脇腹に添えられた左手の下から、ドクドクと大量の鮮血が、腰を覆うプロテクターとオレンジ模様が描かれた太腿を染めていく。
「面白いな、てめえ。そうするのが一番手っ取り早いとわかってても、自分の身体傷つけるのは恐くてなかなかできねえもんだ。遊ぶ前から瀕死だったナナより、殺し甲斐がありそうだぜェッ」
「こうするしか方法がなかった、だけよ」
肩で呼吸しているとは思えぬ冷静な声で、アリスは応えた。
一瞬でも脱出方法を躊躇っていたら、顔面を貫かれてすでに絶命していたかもしれない。
実感として押し迫る“殺人者”の徹底ぶり。もちろん今までの闘いも死を賭したものではあった。だからこそ瀕死に追いやられたこと数知れず、また逆に敵を葬ってきたのだ。しかし殺人の専門家であるギャンジョーの攻撃は、その質がまるで違う。容赦の欠片もなく、戦慄するほどエゲツない。かつて闘いのなかで、「敗北」ではなく「死」をこれほどまでに濃厚に嗅ぎ分けたことがあっただろうか。
持ち得る全ての力を使って、闘わねばならぬ。
様子見はもちろんのこと、わずかでも気を緩めた瞬間、死の顎が乙女の生肌を食い破る。
元々アリスには、残された時間は限られている。20分弱を切った変身時間内で強敵を倒すには、力の温存など有り得なかった。ナナとの一戦を経験済みのギャンジョーにしても、条件は同じであろう。一日に2度目の巨大化は少なからぬ負担があるはず。早い決着は、凶獣にしても望むところだ。
全力を解放しての、早期決戦。
思惑が一致した聖少女と凶獣の間で、ピリピリと闘気の気圧が高まっていく。
“ヒート・キャノンを撃つにはまだ時間が必要・・・ならば!”
電子レンジの原理を応用したヒート・キャノンだけに、熱を造り出すのには時間が掛かる。高熱であればあるほど時間は必要であった。
右腕を真っ直ぐに突き出すアリス。サイボーグの腕に装着されたマシンガンが、一斉に火を噴く。
「ボケがッッ・・・!!」
巨体に似合わぬ超速度で、再びギャンジョーの肉体は突進していた。
着弾。弾丸のほとんどが茶褐色の体表を捉え、跳ね返される。強固を誇る凶獣の前に、マシンガンの攻撃はまるで効果はなかった。愚かとも言うべき天使の戦術に、暗殺者の心に呆れたような怒りが沸く。
慢心にも似た凶獣の怒りは、刹那に消えることになる。
突撃するギャンジョーの鼻先、整った美形のマスクが、赤髪のツインテールを揺らして現れる。
このガキッッ・・・てめえも突っ込んでやがったのかァッッ?!!
ぐしゃあああッッッ・・・!!
アリス渾身のアッパーブローが、疵面獣の硬い顎を下から上へと跳ね上げる。
マシンガンは弾幕であった。銃弾を囮にしてアリスが採った作戦は、至近距離での肉弾戦。ギャンジョーが恐らくもっとも得意とするフィールドで、敢えてクール少女は闘いを挑んだのだ。
“逃げ回っても勝ち目はないッ・・・むしろ・・・懐に飛び込んでこそ勝機は見えるはず!”
距離を置いての闘いは、一見安全策であるように見える。
だが逆だ。それは逆。敵を恐れ逃げ腰になるのは、ギャンジョーの思う壷だ。
必殺技のヒート・キャノンを除けば、アリスに有効的な遠距離からの技はない。距離を空けることは、攻撃を放棄するのも同じことだ。
そして凶獣のあのスピードを思えば、いかに距離を取ろうと仕留められるのは時間の問題。
活路を見出すには、いかに危険と解っていても敵の領域に飛び込むのがベストの選択であった。攻撃を繰り出し、ダメージを与える。何倍ものダメージを受ける恐怖に打ち克ち、死と隣り合わせの虎穴に入らねば、必殺技充填の時間など稼げるはずがない。
「ハァッ!!」
左のミドルキックがゴツゴツとした凶獣の体表、脇腹に叩き込まれる。
機械化された左足のパワーは、霧澤夕子の姿時でもプロのキックボクサーを上回る。格闘技においては素人のアリスであるが、この左ミドルのフォームは練習の跡を色濃く残した流麗さであった。脛に伝わってくる、硬い感触と肉にダメージを打ち込む重み。
「ナナに教えてもらった技よッ・・・借りは返すわ」
茶褐色の肉体がわずかに屈む。女子高生の細腕から放たれた打撃ならば、確かにこの生身の鎧を着込んだような怪物には通用しないかもしれない。だが、マシンを宿したアリスの攻撃は、パワーだけならファントムガール内においても群を抜いている。アッパーもミドルも手応えは十分、決して無傷とは思えない。
この機を逃してはならない。一気に、決める。
フルパワーを開放した右腕が、一直線の軌道を描いてギャンジョーの顔面に放たれる。
ガキンッッ!!
とても拳と腕とが激突したとは思えぬ固い響き。
アリスのストレートパンチは、凶悪な白い槍腕によって受け止められていた。
「小娘ェェッ~~ッッ・・・この程度でオレ様にッ・・・ッ!!」
喋りかけた疵面の口を蹴り潰す、シルバーのブーツ。
空手でいうところの前蹴り。真っ直ぐ正面に蹴り上げたアリスの左足が、ギャンジョーの顔面に埋没している。
単なる蹴りではない、機械の足に仕込まれたジェット装置。通常装甲天使が敵との間合いを詰めるために使用する噴射を、キックの瞬発に応用したのだ。その威力たるや、先の二発の比ではない。
にも関わらず。
「なッッ?!」
驚愕の声を挙げたのは美しき女神の方であった。
拳を握ったままの右腕が、ガッシリと捕獲されている。ギャンジョーの腕に。
杭先の如く尖った凶獣の腕が、何かを掴むことなど有り得ない。アリスの頭脳に入力されたデータは、この瞬間粉塵となって消し飛んだ。
変形している。ギャンジョーの腕が。
象牙を思わす長い槍はその先を更に長く伸ばし、美乙女の右腕に螺旋状になって絡み付いている。
杭のような極太の槍は、わずかな時間で一本の鞭へと変わっていたのだ。
「グハハハハアッッ!! バカな女だァッッ!! わざとやられてたとも知らずによォッ!!」
「・・・バカは、あんたよ」
破れたような怒声と、愛らしくも冷静な声が交錯する。
時が進むことを忘れたかのような一瞬の間。
カチャリという何かが外れる音は、サイボーグ少女の右肘付近で起きた。
稲妻迸る、電磁ソード。
避け得ぬ距離から疵面獣の頭頂目掛け、アリス必殺の電撃剣は、一気に振り落とされた。
キィィィィ・・・ンンンッッ!!
澄んだ調べは殺意と闘気渦巻く空間に、美しさすら伴って響いた。
振り下ろされた銀色の右腕。跳ね返る、稲妻のソード。
全てを断ち切るはずの電撃剣が、根元からポキリと折れて旋回しながら宙を舞う。
「うッッ?!!」
ギャンジョーのもう片方の腕。鞭に変形していない、右の角槍。
象牙の剣と言うべき白い腕は、迫る電磁ソードを頭上で受け止めていた。
激突の刹那。折れるアリスの剣、傷ひとつつかぬギャンジョーの腕。
必殺の武器とともに胸のなかで砕けた何かが、それまで途切れることなかった戦乙女の攻撃に空白の時を与える。
有り得ない。
鋼で出来た電磁ソードが腕で折られるなんて、有るわけがない!
ニヤァ・・・
天使の青い瞳に映る、醜く吊り上がるスカーフェイス。
肘から先を失った右腕。無防備な体勢。圧倒的不利に陥った守護天使が見たものは、己の顔面に殺到する白く鋭利な槍先―――
ドシュッッ!!
「クックックッ・・・」
鋭利な腕槍の切っ先は、端整な美少女の顔面、眉間の中央に突き刺さっていた。
ピシッ・・・銀色のマスクに亀裂が走る。こぼれ落ちる細かな欠片。
アリスの美貌を貫かんとした凶刃の刺突は、必死に掴んだ左手によって止められていた。
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