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「第十一話 東京決死線 ~凶魔の右手~」
34章
しおりを挟む日付も変わろうかという時間帯にも関わらず、首都東京は突如現れた巨大生物によってかつてない混乱に陥っていた。
明治神宮に出現した4体のミュータントと、ほぼ同時に東京湾に現れた一匹。もちろん、偶然ではないだろう。首領格であるメフェレスが直接参戦していることも考え合わせれば、なんらかの意図を持って東京襲撃が行なわれているのは確実であった。政治・経済を始め日本の中枢機能が集まったこの地を、悪魔どもは完全支配、あるいは破滅させようとしている可能性すらある。極論すれば、日本という国の存亡が懸かった危機、と言ってもいい。
山の手界隈の大部分の人々が、自主的に避難を開始していた。
ただ巨大なだけの動物が暴れているのではない。高度な知能を持った生物が、邪悪な目的に従って破壊をしているのだ。危険度は自然災害の比ではない。
新幹線を始めとする公共の運送手段がストップした今、首都を離れる人々を乗せた車で高速も一般道も埋め尽くされていた。東北方面、あるいは中部方面へ伸びるテールランプの帯が、毒々しい赤い蛇となって夜闇に浮かび上がっている。
渋滞とは無縁の反対車線を、一台のスポーツカーが闇を巻いて唸り飛んでいた。
流線型のフォルムと重厚な色調。現在国産車のなかで最高クラスの馬力を誇るシルバーの最新GT-Rは、ゆうに時速200kmを越えていた。通常なら出し得ないこのスピードも、他に一台の車も走っていないがため。東京へ向かっていた車両の全てがUターンを決めたなか、単騎、高速道路を占有して疾走を続ける。
「ファントムガール・ナナが敗れたというのに、随分冷静なのね」
車中に流れたのは、妖艶が染み付いた女の声であった。
深紅のスーツを身に纏った、長い黒髪の美女。
GT-Rのエンジン音だけが響く車中に、後部座席から放った片倉響子の呟きは鋭さを伴って聞こえた。
「海堂一美と城誠。あの二人をひとりで相手するのは無謀すぎたわ。あの様子ではタフな藤木七菜江といえど・・・」
「ナナちゃんは、死んでいないわ」
響子の隣りで毅然とした声が応える。
聖愛学院の制服に身を包んだ五十嵐里美は、手元の資料に目を通しながら凛とした姿勢を崩していなかった。
“最凶の右手”海堂一美とスカーフェイスのジョー。現代日本における最も凶悪なヤクザと暗殺者に関する資料は、警視庁より比較的簡単に取り寄せることができた。とはいえそこに載る情報は、凶魔と凶獣が『エデン』を寄生させる以前のもの。凶暴性にしろ、身体能力にしろ、更なるパワーアップを遂げていることは考慮せねばなるまい。
相楽魅紀が命と引き換えに残したメッセージ。東京にいる少女戦士たちに迫った危機を知らされ、里美の行動は迅速を極めた。
新幹線の運行が終わり、自衛隊の協力も要請しにくい段階で、考え得る最速手段は乗用車しかない。五十嵐家に6台常備された車のうち、最速を誇るGT-Rが選ばれたのだが、それでも東京までの距離はあまりに遠かった。里美が持つノートパソコンに送信されたナナ敗北の動画は、移動する車中のなかで無言で受け入れる以外になかった。
ミュータントが実際に現れ特別警報が発令された段階で、自衛隊への要請は通りやすい状況になっている。これからならヘリコプターや戦闘機での東京入りも十分可能であろう。しかし、関東圏に突入した今、乗り換えや待ち合わせの時間、そして空いた道路状況を考えれば、このままGT-Rで進むのがもっとも素早く、かつ確実であった。空からの移動は確かに速いが、敵に見つかりやすいのもまた確か。相手は無知な巨大生物ではない、人間の知能を持った悪魔なのだ。最悪の場合、撃ち落される可能性も決して低くはない。すでに後手を踏んでいるファントムガール陣営にとって、救援の手が東京入りしたことを悟られるのは、できる限り避けたい事態であった。
「ハッキリと断定するのね。しかし、たとえ変身を解いて難を逃れたとしても」
「ナナちゃんは死んでいない。死なせなど、しないわ」
聡明な里美の言葉の拠り所が、具体的な根拠などではなく彼女自身の強い信頼に懸かっていることを響子は知る。
「あなたこそ、ナナちゃんは大事な『実験体』ではなかったの? あなたの言い方は、まるで私たちの生死に無頓着のように聞こえるわ」
切れ長の瞳に強い光を灯し、初めて里美は傍らに座る薔薇のような美女に視線を向ける。
「もちろん大事な存在よ。あのコだけでなく、あなたたちもね。ただ感傷的な気分を持ち出す対象ではないことは、理解しておいてもらいたいわね」
彫りの深い瞳と真っ赤なルージュを歪ませて創った微笑は、取りようによっては挑発的と見えなくもないものであった。
魔人メフェレスの参謀であった妖女・片倉響子。
二匹の凶獣を打倒する目的で一致したとはいえ、先日まで聖少女たちを苦しめてきたこの天才生物学者に完全な信頼を寄せるのは、里美でなくとも難しい作業であった。
車中の配置ひとつ取っても、両者の微妙な関係は浮き彫りになっている。
ドライバーを務める安藤の後ろに里美が座り、その横に響子という配置。ドライバーからは極力遠ざけ、妖女が不穏な動きをすればすぐに里美が対処できるよう、考えられたものであった。心底から信用などはしていない――車中を支配する張り詰めた空気は、互いの心情をなによりも物語るように思われた。
一体・・・あなたはなにを考えているの? 片倉響子
フフフ、意地でも信用しないって顔ね、五十嵐里美
闇に沈んだ妖女の本音を見透かそうとする守護女神と、はぐらかす天才生物学者。
到底相容れぬと思われるふたりだが、ひとつだけ共通していることがあった。
今はともに、互いの力がどうしても必要だということ――。
「さて、東京入りしたらどうするつもり? メフェレスやあのふたりが現れた明治神宮に向かうか、品川付近の東京湾で交戦中のアリスを助けにいくか。二手に分かれるという方法もあるけど」
防衛省から送られてくる情報により、霧澤夕子=ファントムガール・アリスが現在東京湾にて、クラゲのミュータントと闘っている最中であることは数分前に判明していた。
七菜江と夕子、携帯の繋がらないふたりに覚えた悪い予感は、図らずも的中してしまったことになる。そして唯一繋がった桃子にしても、七菜江の救出に彼女が向かった以上、危険と無縁であるとは到底思われない。
「あなたには私と一緒に行動してもらうわ」
「フフ、それはそうよね。まだ私を信用しているわけじゃないんですもの」
「それもある。けれど、私たちが手を組む理由は、あの恐るべき凶魔二匹を倒すためのはずよ。海堂とジョー、ふたりの前に立たなければ意味はない」
一切の迷いのない口調で、美しき女子高生は言い切った。
「明治神宮に向かうわ。ナナちゃんを救い、同時にメフェレス、マヴェルともども悪魔二匹を葬る」
感情を秘すくノ一少女にはらしからぬほど、切れ長の瞳には強い決意が滲んでいた。
聞いた響子が一瞬たじろぐ。一見何気ない宣戦布告だが、その裏に秘められた想いは悪の参謀を務めていた女がドキリとするほど深い。
里美の言葉をそのまま受け取れば、この憂いを帯びた美少女は響子とふたりで4人の尋常ならざる悪魔たちと闘うつもりなのだ。
圧倒的不利はもちろん否めない。しかも、もし響子が裏切るような事態があれば、令嬢戦士の命脈は確実に途絶えることになる。
ある意味で七菜江以上の無謀。そこに気付かぬ里美であるわけがない。それでも彼女が逡巡を見せないのは、昂ぶる感情とそれなりの勝算があるからこそだ。
抑えきれないのだ。七菜江が倒された悔しさと、救出したい熱意を。
信用しているのだ。隣に座る、謎を秘めたかつての悪女を。
「メフェレスやマヴェルまで倒すなんて、私は言ってないわよ?」
「ゲドゥーとギャンジョー、あの二匹を倒すまでの協力で構わない。あとは私ひとでいいわ」
「姿を消した彼らが、いまだに明治神宮に残っているとは限らないけど?」
「わかっているわ。けれども、確かな情報がない以上、そこに向かうしかない。付近にいるはずの桃子のことも心配だし」
現時点で存在する災害怪獣はクラゲのミュータントのみ、ということを考慮すれば、アリスの救援に向かうのが巨大生物対策としては正解だろう。
しかし、ナナとアリス、両者に仕向けられた敵を見れば、悪の中枢がどちらにあるかは明白だ。本命はナナ抹殺であり、アリスは足止めを受けているに過ぎぬ。今後事態を深刻化させずに済ませるには、侵略者の主戦力を叩かねばならない。夕子には酷だがひとりで戦闘を制してもらい、その間に闇の首領を粉砕する・・・戦力と現況を冷静に見極めたうえでの里美の結論がそれであった。
「他の連中はともかく、メフェレスはナナちゃんとの闘いで少なからずダメージを受けているわ。桃子と合流することができれば、こちらもあちらも3対3の同条件。決して勝てない闘いとは思わない」
「・・・あのひとを連れてくれば、もう少し有利な闘いにできたでしょうに」
「ユリちゃんのことなら最初から頭に入れていないわ。まともに闘えない今のあのコには荷が重過ぎる」
「しらばくれないで頂戴。今こそ最強の格闘獣を解き放すべき時なのに」
言葉を出しかけて桜色の唇を噛む美少女に代わって、絶妙のタイミングで運転手の執事が話をはぐらかす。
「都内の一般道路は乗り捨てられた車で埋まっているようです。首都高速でいけるところまで明治神宮に近付いてみますが・・・そこから先はおふたりとも徒歩での移動をお願いします」
「・・・承知のうえよ。私たちを降ろしたら、安藤、あなたも少しでも遠く現場から離れるのよ」
「在京の特殊国家保安員のものたちと行動をともにするよう、手はずは整えてあります。常人の老いぼれにはお嬢様の近くに寄り添うことはできませんが・・・彼らとともに出来る限りのサポートは尽くす所存です」
「ありがとう。でも・・・私のことよりあなた自身の命を大切に考えて。約束よ」
伊賀忍者で構成された御庭番衆が形を変えて防衛省に組み込まれた組織、特殊国家保安部隊は“最凶の右手”に散った相楽魅紀が所属していた部隊でもある。その本拠地は、防衛省のお膝元であるここ東京に当然のようにあった。
激しい戦闘のあとは睡魔に襲われる『エデン』の戦士にとって、サポート部隊の存在は実に心強いものであった。 最悪、勝てなくても・・・60分という時間制限を闘い抜くことができれば、敵も味方も眠りに落ちるのだ。そうなれば国家が背景にある守護天使陣営の方が圧倒的に有利となる。苦戦必至の決戦であっても、引き分けなら勝ちという事実は、正義の少女たちにとっては一縷の望みとなるだろう。
「間もなく・・・都内に入ります」
乾いた老執事の呟きを振り千切り、銀の弾丸と化したGT-Rは、闇に仄めくネオンの都市へと疾走していった。
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