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「第十一話 東京決死線 ~凶魔の右手~」

18章

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 JR山手線池袋駅から電車に飛び乗って約15分、自ら発光しているのかと錯覚するほど鮮やかな金髪の女は窓の外、滑り込んでくるプラットホームに視線を移す。
 ひどく目立つ、女であった。
 髪と同じゴールドのルージュと毒々しいまでのメイク、そして視線を奪う豹柄のファッション。首都・東京で異彩を放つ輩は掃いて捨てるほどいるが、パステルカラーのキャンバスにこぼした墨汁のごとく、女の存在感は6割方埋まった車内でも際立っていた。塗り重なった派手な化粧のせいで気付きにくいが、よくよく見れば女といってもまだ女子高生と思しきコギャル。肌の艶などは明らかに十代であるのに、纏った雰囲気や仕草は夜の女のそれだ。体躯としては華奢な部類に入るであろうが、巨大な漆黒の皮袋を肩に背負った姿は異様ですらある。
 都会のジャングルで嗅覚を研ぎ澄まされた人々にはわかる。
 この種のタイプの人間には、関わってはならないと。
 残業帰りのサラリーマンたちの心を、佇まいだけで更に消耗させた女豹が電車を降りた瞬間、山手線の車内を包み込んだのは、誰からともなく洩れた安堵の溜め息だった。
 
 時計の針が11時を回る頃、「闇豹」神崎ちゆりが降り立ったのはJR山手線原宿駅の構内であった。
 ひと昔前には流行発信基地の代表格であった原宿の名も、最近は他の地名に押され気味であるが、とはいえ若者文化の中枢を担う重要区域の一端であることに変わりは無い。真夜中と呼んでも差し支えない時間帯であるにも関わらず、通りには垢抜けた若者たちで溢れている。地元では若者の街の異名を取る谷宿の歌姫にとって、この地の水は実に馴染み深いものに違いなかった。
 
 夜とは思えぬ活気に満ちたその区域は、表参道、青山と続く、首都においても最大のファッションゾーン。地方に住む者でも、名前だけは聞いたことがあるという地名が連なっている。少し頑張れば徒歩でも回れる狭い地域にキラ星のごとく有名テナントが集まっているだけに、人々を寄せ付ける求心力が高いのも当然と言えた。通り行く女性たちの装いにどこか優雅さを感じるのも、決して気のせいとは断定できまい。
 漂う妖気は誤魔化せぬとはいえ、ブランド品で身を固めたちゆりにとっては、この東京の地のなかで最も肌に合う場所がこの原宿界隈なのかもしれない。
 まるでサンタクロースのように肩で背負った巨大な黒い皮袋だけは「らしくない」が、ド派手なコギャルが表参道へと続く左側の雑踏に消えるのは時間の問題・・・誰もがそう思うことだろう。
 
 予想は、見事に裏切られることになる。
 「闇豹」が向かったのは、右側。青山方面の喧騒が嘘のように静まり返った、漆黒の森が広がる広大な土地。
 
 明治神宮。
 
 初詣となれば日本一の参拝客が訪れるその名を、知らぬ日本人はほとんどいないだろう。明治天皇が祀られたその宮には、毎年300万人もの人々が正月に足を運ぶ。関東、いや日本を代表する神社のひとつと言える明治神宮であるが、その場所があるのは夜も喧騒に包まれるファッショナブルな区域とはわずか通り一本隔てただけだ。最先端の流行と文化が創造される熱風地帯に、寂として広がる静なる森。あまりに見事なコントラストは、訪れる者にワンダーランドにでも踏み入ったかのような錯覚を引き起こす。多様な人間の情熱と欲望が湧き立つ混沌の街で、憩いと癒しを授ける森林地帯は、まさにすっぽりと切り抜かれた異空間と呼ぶに相応しかった。
 
 神社には凡そ似つかわしくない豹柄のコギャルは、躊躇することなく森が造る漆黒の闇に足を進めていった。生い茂ったこの森、所謂「神宮の森」が、計画的に造られた人工的なものであるとは今となってはとても見えない。うっそうと茂る樹々と、その間に広がる白砂の道。都会の中心とは思えぬ自然が目の前に展開されている。闇に包まれた静寂のなか、砂を踏むヒールの音だけが響く。深夜と呼んでも差し支えない時間帯、派手な豹女が他に人影のない参拝路を進むのは、不気味な光景だと言えた。
 
 南北に長い「神宮の森」は山手線の一区間分、原宿駅から代々木駅にまで相当するほど伸びている。
 そのほぼ真ん中、本殿に向かう途中の開けた空間で、神崎ちゆりの足は止まった。
 
「いるんでしょォ~。でてきなよォ」

 間延びした声に対応したのは、言葉ではなく圧倒的な気配であった。
 
 グオオオ・・・ゴゴゴ・・・ゴゴ・・・
 
 闇が凝縮する音を、本来この世には存在するはずのない音を、ちゆりは確かに聞き取った。
 
「・・・意外だったな」

 久慈仁紀。魔人メフェレス。
 いつの間に、いたのか。濃密な暗黒から吐き出されるようにして、痩身の悪鬼は神前の庭に姿を現していた。
 引き締まった肉体を包む、漆黒のシャツと漆黒のスラックス。
 少し離れた表の通りを歩けば、注目を集めるであろう端整な甘いマスクは、しかし近距離で覗いて見れば凶気に彩られていることがわかる。
 野獣の眼。血を欲する眼。
 うっかり1m以内に入れば臓物を抉り抜かれてしまうのではないか? そんな悪寒があながち外れていないと思えるほど、ヤサ男の相は憎悪と悪意に染まっている。
 
 久慈仁紀と神崎ちゆり。悪鬼と「闇豹」。魔人メフェレスと豹女マヴェル。
 この国の存続を今もっとも脅かす逆賊2名が、神聖なる明治神宮の地を我が物顔で踏みしめているのは、現在の危機的状況を象徴する構図であった。
 
「よもやお前ひとりでカタが付くとは」

「ちょっとォ~~、あんまりちりを舐めないでよねェ~」

 肩に担いでいた巨大な皮袋を、無造作に「闇豹」が投げ捨てる。細身の肢体からは想像できぬ、物凄い力。
 数m離れた久慈の足元に、漆黒の皮袋はドサリと落ちた。
 
「我らの計画を邪魔する可能性があるならば・・・こいつぐらいだと思ったのだが」

「人質さえあれば、ちょろいもんよォ~♪ てんで手応えなかったわァ~~」

「フン。無様なメスブタがッ・・・」

 サッカーボールを蹴るかのように、久慈は足元の皮袋を思い切り蹴り抜く。
 なにかが潰れる音を残して宙を飛ぶ漆黒の袋。勢いで袋の口から中身の物体が飛び出し、重力に引かれてドシャリと砂利に落ちる。
 
 切り裂かれた青のセーラー服を纏った物体は、肉感的な少女の形をしていた。
 腫れあがり、青黒く変色した守護天使・藤木七菜江。
 制服から覗く生肌のほとんどを痣で覆い尽くしたショートカットの少女戦士は、豊かな曲線を描くグラマラスなボディを二度バウンドさせて、仰向けに転がった。
 数十発に及ぶ殴打と、戯れのように刻まれた刃の痕。
 「闇豹」の手による壮絶なリンチを、ピクリとも動かぬ超少女の惨状は語っていた。
 
「こいつの並外れた戦闘能力は要注意だと考え、真っ先に始末しに来たが・・・こうもあっさり潰せるとはな。くだらん」

 黒の革靴でチャーミングという響きが似合う少女の顔を、久慈が踏み躙る。苦しげな呻きとともに砂利の擦れる音が、深夜の森林に流れていく。
 洗練されたファッションで夜の原宿を闊歩する者たちはいくらでもいるが、よもやすぐ隣りの明治神宮で、人類の希望である守護少女がボロボロの姿で悪の足元に平伏しているなどとは、考えてもいないだろう。
 
「これでひとりめェ~、ファントムガール・ナナは終わったねェ~。さァて、どうするぅ~? こいつ利用して機械女とウサギちゃんを誘き出すのォ~?」

「・・・最初はそのつもりだったが」

 どこに隠していたのか?
 天に向かって差し上げられた久慈の右手には、禍々しい銀光を放つ日本刀が握られている。
 鈍い光が語りかけてくる。欲しい、と。
 藤木七菜江の血と首が、欲しいと。
 
「ちょッ・・・なによォ~、いきなり殺っちまうつもりィ~~?」

「ファントムガールは殺す。このオレの手で、全員根絶やしにしてくれる」

「作戦が狂っちゃうじゃな~い。クソ女神さまたちを全滅させるためにまずナナを捕獲するってのは、あんたが言い出したことでしょォ~~?」

「作戦はやめだ。こいつは・・・ファントムガール・ナナは今この場で処刑する」

 たじろぐ「闇豹」の丸い瞳が、急に方向転換をした魔人の顔を映す。
 凶相。血走った眼光。
 本来端整なマスクは狂気に彩られ、殺意と憎悪を霞のごとく噴き出している。
 そこにいるのは傲岸不遜な闇の王ではなく、血に飢えて狂騒する殺人鬼と呼ぶのに近かった。
 
 無駄だ。
 ひと目見て、闇の世界を生き抜いてきた豹女は悟る。今の久慈になにを言っても無駄なことを。
 仇とする守護少女のひとりを目の前にして、暴走する魔人を誰も止めることなどできぬ。
 高々と上げた日本刀を、痩身の悪鬼は一気に七菜江の首に振り落とす。
 
 迸る銀光。闇を切り裂く刀身が、稲妻と化す。
 神速で降ろされた凶刃は、アスリート少女の細首を一撃で断絶し、可憐さの残る猫顔の頭部を血風とともに宙空に舞い踊らせる。
 ―――はずであった。
 
「なにィッッ?!」

 足元で踏み潰していたはずの豊満な肢体は、なかった。
 日本刀が叩いたのは、白砂の大地。
 カキーンという甲高い衝撃音が、瞬間自失する久慈の耳を突き刺す。
 
「残念でしたー!!」

 死に体であったはずの藤木七菜江の肢体は、振り落とした久慈の右腕に絡まっていた。
 まるで天に伸びる瑞々しい大樹。
 久慈の手首を両手で掴み、頭を下にした逆さ体勢のまま、腕に絡まり伸びきった七菜江の脚は、漆黒の魔人の首と胴とに掛かっている。
 格闘技用語で説明すれば、下からの体勢の逆十字固め。
 殺意にたぎっていた魔人の脳裏を、腕の筋肉と神経が引き伸ばされていく激痛が、津波となって覆いつくしていく。
 
「グオオッッ?!! きッ、貴様ァァ~~ッッ!!!」

「あんたになんか、そう簡単に殺されませんよーだ!」

 全身の筋力を使って腕一本を引き伸ばす逆十字は、比較的簡単に決まりやすい関節技だ。
 腕一本の筋力と背筋や太腿を含めた全身の筋力、どちらが強いかはあまりに明白である。久慈の細身の肉体が、見た目を裏切る巨大な筋力を内包していようとも、だ。七菜江に極められた右肘はギシギシと音をあげ始め、握られた必殺の日本刀がその手から今にも落ちそうにグラつく。
 右腕ごと、久慈はムッチリとした美少女の肉体を地面に叩きつけた。
 頭から白砂利に落とされる七菜江。だが、衝撃で右腕を激痛から解放しようとした久慈の目論見は、見事に失敗に終わる。
 右腕に絡まったアスリート少女は、一瞬たりとも力を抜きはしなかった。
 七菜江の背筋と脚とが生む引き伸ばす力、つまり上へのベクトルの力が、叩きつける久慈の下へのベクトルを随分と和らげていたのだ。ほとんどダメージを受けずに済んだショートカットの少女は、一気に腕を破壊すべく全身に力を込める。
 
 吊り気味の少女の瞳に映ったものは、真っ直ぐに飛んでくる二本の指であった。
 目潰し。眼球を、抉り刺すつもり?!!
 絡まっていた瑞々しいボディが、弾かれたように魔人の腕を離れて飛んでいく。
 目標を失った久慈の左手の人差し指と中指は、砂利道に根元までズボリと突き刺さった。
 
「久しぶりじゃん、久慈仁紀! やっぱりちゆりの背後にいたのはあんただったのね!」

「藤木七菜江ッ、貴様ァァ~~ッ・・・“死んだフリ”とはやってくれるではないかッ!」

「ふふん、みんなあたしのことバカだ、単純だって言ってくれるけど・・・たまにはできるトコも見せとかないとね! 「闇豹」にやられたフリしとけば、きっと黒幕に会えると思ったよ」

 ギリギリという歯軋りが、魔人と「闇豹」、双方から聞こえてくる。
 神崎ちゆりの攻撃から殺意が欠けていることを見抜いた七菜江は、敢えて一方的に攻撃を受け続けたのだ。必ずこの後「闇豹」が、自分を捕虜として誰かの元に連れて行くことを確信して。
 もちろんそこには、宿を共にしているクラスメイトを危険に晒したくないという願いと、手を抜いたちゆりの攻撃なら、致命傷を負うことはないという自信が隠されている。
 
「子猫ちゃんのくせにちりを騙すとはァッ~~ッッ・・・覚悟はできてんだろうなァッ、クソブタがアアアッッーーッ!!」

「それはこっちの台詞だって! よくもやりたい放題痛めつけてくれたじゃん。さすがに痛かったァ~! 今度はあたしがお返しする番だからね!」

「黒幕に会えるだと・・・?! クズの分際で、ひとりで我らを倒せるとでも言うつもりではないだろうなアアッッ、藤木七菜江ェェェッッ~~~ッッッ?!!」

 久慈の怒号は、地獄から届いたように怨嗟の響きに満ちていた。
 七菜江の言葉が本当ならば、少女戦士自らがこの場を望んだことになる。
 それはつまり、黒幕=久慈と、神崎ちゆり、ふたりを相手にして勝てるという、明確な自信があってこそ。
 守護天使抹殺を狙う久慈にとっては、これ以上ない屈辱の所作。
 
「そうだよ。あたしひとりで、あんたたちふたりを倒してみせる」

「・・・この・・・思いあがりの・・・ウジ虫がァッ・・・・・・ぶち殺してくれるわアアアッッ―ーーッッ、ファントムガール・ナナァッッ!!!」

「決着をつけよう、メフェレス、マヴェル」

 吊り気味の瞳に決意の光を滲ませた可憐な少女の肢体が、白い光に包まれる。
 逆立つショートカット。渦を巻き天に昇る、聖なる光の奔流。
 それは銀と青の守護天使がこの地に降臨する前触れであった。
 
「この闘いは、あたしが・・・ファントムガール・ナナが終わらせてみせる!」
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