ファントムガール ~白銀の守護女神~

草宗

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「第十一話 東京決死線 ~凶魔の右手~」

8章

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 聖愛学院2年生、修学旅行東京の旅。
 出発の朝は慌しく過ぎていった。いつも遅刻ギリギリ、眠そうな眼をこすって起きてくる藤木七菜江は、その日に限って早朝からエンジン全開であった。きっと遠足の日には興奮して目が醒めてしまう性質なのだろう。いつも通り朝からきちんと身支度している里美も、いまだ寝ぼけた様子の桃子も、圧倒する勢いではしゃぎまくった元気少女は、予定の一時間近くも早く五十嵐の屋敷を飛び出していった。聞けば夕子と一緒に集合場所である駅に向かうのだという。バタバタと荷繕いした少女は危ういところで忘れ物を二度も里美に指摘されたが、それでも里美と執事の安藤に、欲しいお土産を尋ねるのだけは忘れなかった。

 七菜江台風が去った後で、ゆっくりと登校準備を終えた里美は、学校の違う桃子とは駅へ向かう途中の道で別れた。その桃子とも、今日から数日は会えなくなる。今日、金曜日の授業が終わったあとで、七菜江たちを追って桃子が上京するプランは以前から聞かされていたことだった。週末を東京の空の下で過ごそうという同級生3人組。少しでも高校生らしい青春を味わって欲しいと心底願う里美は、反対するどころか進んで桃子を東京へ送り出した。

 今頃、ナナちゃんたち、都庁でも見学中かしら?
 朗らかな秋の陽光を浴びながら、数学の難問を誰よりも早く解き終えた里美は、授業中の空をふと眺め、遠く東京に想いを馳せてみたりする。
 こうして秋の一日は、穏やかに過ぎていった。

「こういうときに限って、時間ができたりするのよね」

 オリンピックの強化選手に選ばれるほどとなった新体操こそとうにやめてしまっているが、生徒会長であり、名門五十嵐家の次代を担う令嬢であり、人類を守るファントムガールのリーダーである里美の日常は多忙を極める。やらねばならぬ細かい作業をいくつも同時に抱えているが、ときには余暇が生まれることも月に何度かはあった。その数少ないチャンスに限って、七菜江や桃子といった愛する後輩たちがいないのを、里美は少し恨みたくなる。ホントなら、ナナちゃんと約束してた古着屋さん、行くところなんだけどな・・・主役の七菜江がいなければ、行く意味がなかった。最近七菜江が購入した服は、そのどれもが里美か桃子の意見を取り入れたものばかりだった。

 ふらりと夕方の街に繰り出した里美は、あてもなくウインドショッピングを楽しむことにした。
 本屋に入って立ち読みしてみる。どこか他の高校の女子高生たちが、青いセーラー姿の里美を遠巻きに指差してなにか言っているようだが、美少女は気にも留めなかった。料理本をペラペラめくっていると、おいしそうな栗ご飯が目に飛び込んできた。そういえば今夜は久しぶりに安藤とふたりきりのディナーになるのだった。たまには私がお夕飯、作ろうかな? いつも世話になっている執事に、ささやかなお礼をしてみたくなる。料理本と英語の参考書を買った里美は、本屋をでたところで先程の女子高生たちにサインをせがまれて困ってしまった。

・・・明日は、ユリちゃんたちを招いて、ささやかな食事会でもしようかしら?

 以前は安藤とふたり、あるいはひとりきりでの食事が当たり前だったのに、いつの間にか賑やかな食卓に慣れてしまった己に里美は気付く。ユリや姉のエリとは立場上よく会うが、腕白小僧がそのまま大きくなったような父親の剛史や、清楚で控えめな雰囲気が好感を抱かせるユリたちの母親にも、里美は会いたくなってきた。ナナちゃんたちだけ楽しむなんてズルいもの、私たちだって、いいわよね? そうと決めた秀麗な美少女のなかで計画が次々と進んでいく。栗を多めに買って、モンブランでも作ろうかな・・・この前の夕子の誕生パーティーのときにはフルーツタルトが好評だったけど、今回も喜んでもらえるかしら?・・・

 桜色の唇を緩やかに綻ばせた美少女の足は、その時、不意に立ち止った。

 街角からヒョイと折れ曲がって現れた人物。
 聖愛学院の男子制服である白シャツをはだけた内で、大胸筋が黒のTシャツを異様に盛り上げている。
 逆三角形の見事な筋肉美と、男臭い顔、仄かに漂う獣性。古くから知っているその顔を、里美が忘れるわけがない。

 工藤吼介と、まさかこんな街角で偶然出会うなんて。

 数mの距離を隔てて向き合ったふたりは、互いに驚きの表情を浮かべて固まった。
 以前は当然のように側にいたふたり、ここしばらくは無意識のうちに避けるように、会っていなかったのに・・・
 数秒の沈黙は、数時間の空白に思われた。

 くるりと、憂いを帯びた美少女は背中を向ける。
 駆け出そうとした白い腕を、骨太な手が掴んでいた。

「待てよ」

 走りかけた里美の脚が止まる。そのまま美少女は、静かに立ち尽くした。

「なんで・・・逃げんだよ」

「・・・逃げなんか、しないわ」

 俯いて話す令嬢の脳裏に、先日の夕子の言葉が蘇ってくる。

 ――七菜江がいない間に、『エデン』を工藤に融合させるつもりじゃない?――

「違うわ。しないわ、そんなこと」

 誰かに向かって言い聞かせるように、里美は語気を少し強めた。

「・・・じゃあ、こっち向けよ」

 しばしの沈黙の後、神秘的なまでに美しい長い髪の少女は、ゆっくりと筋肉の鎧に包まれた幼馴染を見詰める。

「久しぶり、だな」

「そうね」

「元気にしてたか」

「おかげさまで。吼介も、元気だった?」

「ああ。ピンピンしてらあ」

 なぜ、こんな取りとめもない話をしているのだろう?
 互いに不思議に思いながら、ふたりは話を進めていく。

「ナナちゃんとは、うまくやってるの?」

「え? あ、ああ、それなりに、な」

「大事にしなきゃダメよ、あんなに素直なコ、滅多にいないんだから」

「わ、わかってるよ、んなこた」

「もしナナちゃんを泣かせたりしたら・・・許さないからね」

 切れ長の瞳をすっと細めて、美麗なる生徒会長は微笑んでみせた。
 その笑顔に仄かに潜んだ感情を、吼介が感じ取ったのは勘違いか、否か――

"・・・・・・里美、お前・・・・・・"

 辛い、のか?

「じゃあ、さようなら」

「お、おい! 待てって!! どうしてそんなにオレを避けるんだ?!」

「嫌なの!」

 叫ぶような里美の声に、最強と呼ばれる男は凍りついた。

「ナナちゃんがいない時にあなたと会うのは・・・嫌なの! 自分がたまらなく卑劣に思えて、辛いのよ!」

「里美・・・」

「あのコは真っ向から私と競いたいと言ってるのに、その気持ちを裏切るようなことはできない、したくない・・・私とあなたが結ばれないのは決まっていることだけど、それでもあなたを惑わすような行動はしたくないの。あのコに卑怯な人間とは、思われたくないの」

「・・・やめろよ」

 ぐっと唇を噛み締めた男は、静かにスレンダーな両肩を抱いた。

「そんなふうに自分を責めるなよ。一番卑怯なのは、オレじゃねえか。お前にそんな顔されたら、オレだって・・・」

「違うの」

 フルフルと長い髪を揺らして、里美はかぶりを振った。

「私のどこかで、あなたに会えて喜んでいる自分がいるの・・・ナナちゃんが横にいないあなたと会えて、ドキリとしている私がいるの。思わず、負けてしまいそうだから・・・だから、ナナちゃんが近くにいないときは、特にあなたとは会いたくない。本当は卑怯な私を、認めてしまいたくはない」

 秘めた想いを吐き出した里美の言葉が、深々と吼介の心を貫く。
 そうだ。それはわかっていたことではなかったのか。
 愛する気持ちを、生涯を懸けようとした誓いを、無理矢理に奪われたのは、吼介ひとりのことではなかったではないか。
 ショートカットの少女と過ごした無邪気な日々が、悔恨の念とともに男の胸を流れていく。

 オレには、七菜江がいる。里美とのことを忘れさせてくれそうな、無垢で純粋な少女が。
 だが、里美には・・・里美には、誰がいるのだ?
 あまりに重い使命を背負った孤独な令嬢を、誰が支えてやれるのだ?
 抱え込んだ重責を、己ひとりで背負おうとする少女。悲痛な運命を、甘んじて受け入れようとする少女。偶然出会った吼介に思わず洩らした本音の想いは、おそらく、吼介だからこそ吐けた言葉。吼介への本当の想いなど、他の誰にも、仲間の守護少女たちにも絶対に言おうなどとはしないだろう。
 弱気な告白を、真の感情を、吼介にしか発散できない孤高の美少女を救えるのは、この世にただひとりしか、いない―――

"オレが七菜江と遊んでいる間、お前はひとり、苦しみ続けていたのか・・・"

 オレは、自分が恥ずかしい。

 里美への痛恨の想いが、格闘獣の心を満たしていく。ダメだ。やはりオレには、できない。孤独なお前を見捨てて、ひとり幸せを掴むなんてマネはできない。七菜江、すまねえ。だけどオレには、どうしてもこのひとを、里美を救えずには前に進めない。オレが、このオレが悲壮な想いで生きている、麗しき守護戦士を支えてやらないと―――

 偶然の邂逅が予期せぬものであっただけに、突発的に生まれた感情の嵐。
 激しく揺れ動く若いふたりの前に、偶然と呼ぶには最悪すぎるタイミングで、その男は現れた。

「お取り組み中、申し訳ないが」

 すらりと伸びた長身に、三つ揃いの白のスーツ。
 長方形のサングラスがサイボーグのひとつ目を思わせる、鋭い印象の男は、落ち着いた声で憂いの美少女と逆三角形の筋肉獣の前に立った。

「お前が、五十嵐里美だな」

 "最凶の右手"海堂一美、参上。
 日本で今もっとも怖れられている極道世界の怪物は、守護天使のリーダーと最強を誇る高校生との前に、臆することなく現れていた。
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