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「第十一話 東京決死線 ~凶魔の右手~」

7章

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 桃子はあんなこと言ってたけど、七菜江にとっては恋愛はミュータントなどより何倍も手強い相手だった。
 巨大生物は努力すれば倒すことができる。でも、恋は何をどうがんばったら解決できるのか、よくわからない。
 桃子の言葉を胸に、今日のデートに臨んだ七菜江は、実は始終緊張していた。想いを、伝えねばならない、と。告白のタイミングはないかと。
 そんな折、突如訪れた、会話の流れ。いつになく高まった、場の雰囲気。
 密かに思い描いていたプランとはまるで異なるシチュエーションではあるが、今、告白の絶好のチャンスが訪れている。ウブな天真少女にも、その流れが寄せてきているのは確実にわかった。唐突で、予想外のタイミング。だが、互いの気持ちが昂ぶっているこのチャンスを、みすみす逃す手はない。

 告白しよう。
 吼介先輩に想いを伝えよう。フラれても、構わないから。好きであることを、ただ好きと伝えよう。
 そしてもし、許されるならば・・・
 この先、ふたりのことを、いろいろと夢見てしまっていいですか?

 すぅっと可憐な少女が息を深く吸う。意を決した少女が、言の葉を口に乗せようとする。

「待て」

 不意に吼介の足は止まっていた。丸い両肩に優しくふたつの掌を乗せて七菜江を引き寄せると、真正面からチャーミングなアイドルフェイスを見詰める。互いに紅潮する頬。濡れ揺らぎつつも、真剣な光を宿して交錯する眼差し。見上げる天使と見下ろす闘神。わずか数十cmに迫った鼻先の間で、想いが濃度を増していく。

「言うな・・・男のオレから、言わせてくれ」

 少女が秘めていた想いに、男は気付いていたのか。

 どくん・・・どくん・・・どくん・・・

 永遠と思える時間のなかで、七菜江は次に放たれる吼介の言葉をただひたすらに待った。

「七菜江・・・オレと・・・」

 ドンンンンッッッ!!!

 甘い蜜のごとき場の雰囲気が、瞬時に剣山のごとく尖り立ったのはその時であった。
 優しさに満ちた男臭い顔は、闘獣の名に相応しい峻厳なものに変わっている。ひと目でわかる、臨戦態勢。七菜江をすり抜け、背後に向けられた鋭利な視線。勘付くより速く、守護少女の肢体もまた、振り返っていた。

 七菜江の背後、50cm。
 手を伸ばせば触れるほどの距離に、紫のスーツで身を固めた男が立っている。
 太い首。どっしりと重厚感ある肉体。恐竜のTレックスを想起させる体型と、チンピラそのものといったファッションが、周囲から明らかに浮き上がっている。街行く人々を寄せ付けぬ、圧倒的な威圧。それを生み出す最たる箇所は、角刈りの下にある顔であった。
 無数に刻まれた、ケロイド状の傷跡。
 左眼や唇が崩れ歪むまでに、縦横に走った刃傷。壮絶とすら形容したい顔に、振り向いた七菜江がビクリと肩を揺らす。

 明らかな、その筋のひと。ヤクザ者。
 それもとびきり凶悪で、凶暴な――

 甘い気分など一気に吹き飛ばされたアスリート少女の内部で、警戒と緊張が一斉に爪の先まで配備される。
 見た目は可憐な女子高生でも、生来の運動神経と『エデン』に授けられた力とを持つ守護少女は、銀の女神に変身する前でも戦士と呼ぶに相応しい戦闘力を誇っている。その七菜江の背後を、こうも簡単に取るなんて・・・。外見通りの凄惨な殺気を今は吹き付けてくるが、吼介の視線に知らされるまで、七菜江はすぐ背後に迫ったヤクザ者の気配を感じることができなかったのだ。

「なんだ、小僧? なに見てやがる」

 低い声音のなかに凄みを含ませて、疵顔の男が言う。
 受け口から覗く黄色い歯は、口調とは裏腹にまるで笑っているかのように歪んでいる。

「いえ、別に。なんでもありません」

 応える吼介の口調は丁寧だが、その視線も雰囲気も、まるで警戒を解いてはいなかった。
 言いつつ、傍らの少女の腕を取り、自然な様子で引き寄せる。七菜江の半身は筋肉の鎧に隠される形となった。

「オレたちに、なにか用でしょうか?」

 ヤクザを前に、最強の高校生はたじろぎひとつせずに相対し続ける。

「スタイルいいネエチャンがいるから、ついケツを追っちまっただけだぜ」

 クックッと男――スカーフェイスのジョーの異名を取る流浪極道は笑う。対する吼介の意識が、ある一点に集中していることに気付いた七菜江はその意識の先に注目した。
 ギョッとした少女の全身の汗腺から、どっと冷たい汗が噴き出す。
 紫ジャケットのポケット。そこに無造作に突っ込まれた疵面の右手。
 特注らしいジャケットの、異様に大きなポケットが不自然に膨らんでいる。

「お似合いだぜ、おめえら」

 捨て台詞を残して疵面の恐竜は、肩で風を切りながら通り過ぎていった。
 あっさりと。思わず、拍子抜けしてしまいそうなほどに。

 ふう、という安堵の吐息が格闘獣の口から洩れる。
 そんな工藤吼介の姿を七菜江が見るのは、初めてのことだった。

「先輩、今のは・・・」

「さあな。目的があって近づいたのか、偶々か。オレを狙っていたのか、あるいは・・・お前だったのか。わからん。単なる思い過ごしかもしれん」

 疵面が放つ凄まじい殺気は、吼介がその存在に気付くまでは解放されてはいなかった。襲撃のために隠していた、とも思える。吼介に睨まれたために怒りに火がついた、とも思える。
 いずれにせよ。
 疵面のヤクザが持つ危険性は、その職業を度外視しても特筆すべきものであることは確かであった。

「先輩でも、ああいうひとたちを相手にするのは・・・怖いんですか?」

「そりゃそうさ。プロは組織で動くからな。下手に面子を潰すようなことしたら、命がいくつあっても足りねえよ。だが、今の男は、ちょっと違う」

「違う?」

「あいつ自身、相当危険な男だ。底知れない殺気を持ってるくせに、それを隠す技術も身につけていた。・・・次に出会うようなことがあったら、偶然とは思わない方が良さそうだな」

 言外に敵である可能性を仄めかした吼介の言葉に、七菜江はコクリと首を縦に振った。



「あれが青いファントムガール・・・ファントムガール・ナナの正体、藤木七菜江か」

 若いカップルから過ぎ去ること5分後、煙草の自動販売機に背をもたらせた城誠は、懐から取り出した2枚の写真を眺めていた。
 青のカラーリングが施された銀の女神と、セーラー服に身を包んだショートカットの少女。つい先程出会った少女の姿を思い出しながら、スカーフェイスは乾いた唇を赤い舌でペロリと舐め濡らす。

「いいボディガードつけてやがる。早速一匹、始末できると思ったんだがなあ」

 ポケットに突っ込んだまま、ジョーは右手に握ったモノをオモチャのように弄ぶ。
 短刀。
 いや、鍔がなく柄と鞘がピタリと合う形のそれは匕首、あるいはドスと呼ぶのが正解だろう。
 敢えてブカブカにしてある特注の紫スーツは、刃の長さ30cmある凶器を見事にポケットの内部に潜ませていた。数々の暗殺を成功させてきた、スカーフェイスの相棒。新たな犠牲者を血に染めることはできなくても、凶刃に住み着いた死神が愉悦に震えているのは、使い手のジョーにもよくわかる。

「グフフ・・・オレ様好みのエモノだぜえ、ファントムガール・ナナ・・・あのムチムチの肉体、切り刻むお楽しみはとっておくとするぜ」

 ナナと七菜江、重ねた2枚の写真に噛み付くや、凶悪なヤクザは首の部分から上を食い千切る。
 ムシャムシャと少女の写真を咀嚼しながら、下卑た笑みを貼り付けた疵面の男は、飛び避ける人々が作る、無人の道を闊歩していった。



 テナントを募る旨を知らせる張り紙が、通りに面した窓と入り口の扉とに張ってある。
 開発が進み、この地方で有数の繁華街となっているここ谷宿でも、全ての店が繁盛しているわけではない。寧ろひとが集まる分、その競争は激しく、店舗の移り変わりは常のことであった。クリーム色の壁に囲まれた、ガランとした空間。雑居ビルの4階にあるこの空き部屋も、次なる借主が現れるのを待っているひとつだ。

 「闇豹」の異名を持つコギャルが、昼間からこんな場所にいるのは、非常に不似合いな光景であった。
 壁とブラインドに閉ざされた窓とだけがある空間。華々しさと悪念濃厚な瘴気とを愛する神崎ちゆりには、もっとも掛け離れた場所とすら思える。だが、それ故に、彼女にとっては重要な役割を持つ場所でもあった。

 谷宿に無数にある、空き部屋。誰の手も及んでいない、誰の耳も存在しない無味な空間。
 あらゆるしがらみを断って、他の何者にも聞かれたくない密談をしたい時、神崎ちゆりはこういった場所を利用していた。
 スポンサーである裏世界の大物たちも、配下の不良たちも、周囲には存在していない。ただ話を交わす相手だけが、この部屋に招かれていた。

「日本"最凶"のヤクザと、凄腕の暗殺者・・・」

 呟く声にすら艶を含ませ、片倉響子は美貌を凍らせて言った。
 腰まで届くほどの黒髪と、西洋とのハーフを思わす彫りの深い美貌。大きな瞳と深紅のルージュに染まった唇とが、美神アフロディーテの降臨を錯覚させるが、指先すらからも発散される妖艶のエッセンスは、甘美のなかにも危険な香りを孕んでいる。視線を注ぐ全ての男を勃起させる美女。だが、一度抱くことと引き換えに、命すら奪ってしまいそうな魔性の妖華。「闇豹」とは別の意味で、不似合いなこの部屋に天才生物学者は立っていた。

 キメラ・ミュータントを創り出し、蜘蛛の化身シヴァとして魔人メフェレスの参謀格を務めてきた響子だが、悪の枢軸とは袂を分かって以来、連絡を途絶えていたはずだった。その響子が神崎ちゆりと共にいる・・・メフェレスの両輪として並んでいた当時から、格段仲が良いとも思われなかっただけに、妖女ふたりの邂逅は意外の感すらある。

「5人の子猫ちゃんたちと、その悪魔ふたりを知るちゆりの、正直な感想を聞きたいわね。闘えば、どちらが勝つのか?」

「頭のいいあんたらしくない質問だよねェ~」

 青のマニキュアで爪の手入れをしながら、ちゆりは面倒臭そうに答えた。

「『エデン』とか抜きで考えてみたらァ? 運動神経のいい女子高生と、日本トップの実力を持つ極道。殺し合いになったら、どっちが勝つか、考えなくてもわかるでしょォ~」

 響子の整えられた眉が、一瞬、わずかに歪む。

「間違いなく、子猫ちゃんたちは全滅だねェ~。それも地獄のなかで悶え苦しみながら惨殺~♪ 正義の味方も今回ばかりはオシマイじゃな~い?」

「彼女たちをあまり甘くみない方がいいんじゃないかしら? これまであと一歩まで追い詰めながら、痛い目を見てきたのはあなた自身のはずよ」

「ジョーはともかく、海堂一美はそんなヘマは有り得ないねェ~」

 ちゆりの語気は自然、強くなっていた。

「狙った獲物はどんな手を使ってでも、完璧に地獄に堕とす。それが"最凶の右手"海堂一美さ。戦闘力の高さだけじゃない、冷徹・冷酷な策略も兼ね備えているからねェ~。せいぜい対抗できるのは・・・里美くらいなものじゃなァ~い」

「・・・五十嵐里美、ねえ」

「それでも海堂の敵じゃないよォ~。ムカツクお嬢様も、ついに最期のときってわけェ~♪」

 クックッと肩を震わせて、「闇豹」は破顔した。その脳裏には、数々の因縁を残した守護天使5人の、哀れな末路が思い描かれているようであった。

「なぜ、わざわざ、私にこの話を知らせたのかしら?」

「あんたがファントムガールを死なせたくないのはバレバレよォ~♪」

 濃くマスカラを施した大きな眼を細め、ちゆりはケラケラと笑った。

「実際なにを考えてるのか知らないけどさァ~、あんたの目指す野望達成のためには、ファントムガールの存在が必要だってことは薄々わかってるんだよねェ~」

「・・・その場限りの快楽主義者の割りには、案外と鋭いのね」

 一瞬美貌を凍らせた響子は、妖艶の華を満開にして「闇豹」に微笑み返す。

「あはははは♪ ちりも舐められてたもんねェ~。七菜江をわざと殺さなかったり、瀕死の桃子にわざわざ『エデン』寄生させてるの見てれば、それくらいのことわかるわァ~~♪」

「正確には少し違うけれど・・・いいとこついてるのは認めるわ」

 邪悪な哄笑と妖艶な微笑。
 互いにしばし交し合った後、おもむろに響子は言葉を続けた。

「けど、そこまでわかっているのなら、尚更不思議ね? ちゆりは心底ファントムガールを抹殺したいとばかり思っていたけど。私に情報を知らせない方が好都合のはずよ」

「もちろんそうよォ~。あの正義面した小娘ども・・・地獄に堕としてヒイヒイ泣き喚かせたくて仕方ないわァ~。ただ、あんたがなにをしようとしてるのかも、面白そうなんだよねェ~」

「・・・ふうん」

「それに、あんたに話したところでェ~~、どうなることでもないしねェ~。子猫ちゃんたちの全滅は確実♪ あとはちりたちと、あのふたりの世界よォ~」

 微笑みを浮かべたまま、片倉響子は黙って「闇豹」の台詞に耳を傾けていた。

「あとはお好きにどうぞォ~♪ ちりはただ、この情報を知らせたかっただけだからァ~」

「・・・わかったわ。素直に礼をさせてもらおうかしら。あなたの真意がどこにあるのかわからないけど、私の役に立ったのは間違いないから」

 ポンと100万円の札束を、天才学者は無造作に投げ捨てる。バックに裏世界のスポンサーを抱えた神崎ちゆりも金銭に不自由などしていないが、ふたりの関係をよりドライに保つためには、こうした貸し借りを作らない作業は儀礼的に必要だった。これも無造作に札束を拾ったちゆりは、片手をひらひらと揺らしながら密会の終わった空き部屋を出て行く。

「どうやら、もう悠長なことはしていられないようね」

 ひとり残された美貌の女生物学者は、己に言い聞かせるように無人の部屋で呟いた。
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