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「第十話 桃子覚醒 ~怨念の呪縛~ 」

23章

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 「どこへ行くつもりなの?」

 まだ強さを残した陽射しが木々の緑に跳ね返る、五十嵐邸の庭園。
 敷き詰められた白石の先には、西洋建築を象徴するような鋼鉄製の門扉があった。正門よりやや小さい造りのそれは、五十嵐家の裏門。白い小道は、瀟洒なお屋敷から門の外にまで曲がりくねりながら続いている。芝生のキャンバスに描かれた、白と緑のコントラスト。夏の陽光に浮かび上がった絵画のなかに、藤木七菜江は立っていた。

 優しく、だが毅然とした声の呼び掛けに、ショートカットを揺らして少女は振り返る。
 深く、憂いを帯びた漆黒の瞳が、本来は元気が売りの少女を待っていた。

 「里美さん・・・」

 「ナナちゃんは、本当にわかりやすいコよね」

 静寂が、タイプの違うふたりの美少女に訪れる。間をすり抜ける爽やかな風が、少し茶色のはいった長い髪と、黒のショートを優しく撫でていく。
 俯き加減のアスリート少女は、桜のような唇を噛み締めたまま動かなかった。全てを見透かすような切れ長の瞳の前で、言葉がでてこない。際限ない慈愛と、強い意志を秘めた瞳。同姓から見ても酔うほどの美しさと凛々しさを兼ね備えた令嬢に見詰められ、七菜江は己が圧倒的な雰囲気に飲まれていくのを自覚した。

 「あ、あの・・・その・・・」

 「まずはその、握った拳をほどいたら?」

 無意識の内に気負っていた事実を指摘され、七菜江は慌てて肩の力を抜く。

 「ダメよ、ナナちゃん」

 五十嵐里美の台詞は、ズバリと七菜江の懐を抉った。

 「ひとりでは、行かせないわ。久慈仁紀と、いいえ、魔人メフェレスと決着をつけるのは私がしなければいけないこと。ナナちゃんひとりを闘いにいかせは、しない」

 「で、でもッ! モモがあんなことになったのは、あたしに責任があるからッ・・・」

 顔をあげた少女の吊り気味の瞳は、怒りと哀しみに揺れていた。

 「あたしがもっと早く、助けに向かっていたら・・・あんな・・・あんな酷い目にモモが遭うことはなかった! あたしのせいでモモは・・・」

 「それは違うわ。あの時ナナちゃんがどれだけ早く現場に急行したとしても、恐らく結果は変わらなかったと思う。敵は桃子を倒すために、はじめから周到な罠を用意していた。サクラに変身する前から、すでに勝負は決まっていたのよ」

 ファントムガール・サクラが公開処刑同然に敗れ、汚辱され切った桜宮桃子が発見されてから2日が過ぎていた。
 容姿に敏感な女子高生たちが一様に憧れるカリスマ的美少女は、穴という穴に異臭漂う白濁液を詰められ、あらゆる己の体液で薄汚れた、見るも無惨な姿で救出された。死という最悪のケースも十分に予想されたなか、肉体的なダメージは見た目の凄惨さほど酷くなかったのは不幸中の幸いだったが、目を閉じたままの桃子はいまだに意識を取り戻してはいなかった。
 いや、眠ったままの今のほうが、ことによると幸せなのかもしれない。
 もし意識と同時に地獄のような陵辱の記憶が蘇れば・・・桃子が以前と同じ桃子でいられる保証はなかった。精神的ショックがいかなる影響を及ぼしているのか、残酷な予感に襲われ、想像することさえためらわれる。

 「子供たちを人質に取られ、複数の敵が待つなかに誘い出されれば、力無きひとたちを助けるために生きているような優しい桃子に反撃などできるわけがない。加えてジュバクと名乗るミイラのミュータント・・・桃子と同等の力を持つエスパーがいるなんて思えないのだけれど、奴がサクラのチカラを封じ込めていたのは疑いようがないわ」

 「ッントに・・・卑怯なヤツらッ!」

 噛み締める唇から血が滲む。今にも駆け出しそうな七菜江の腕を、水仙のような少女はそっと押さえた。

 「そうよ。卑怯なヤツら。でも私たちがしている闘いはそういうものだって、もうナナちゃんも気付いているでしょ?」

 静寂に沈む湖底のような。どこまでも深い切れ長の瞳が、ある意志を込めて勝ち気な瞳を射抜く。アスリート少女は、もう気圧されはしなかった。
 静かな、だが力強い里美の宣言が、蝉の声の合間に響く。

 「ヤツらを、倒しに行くわ」

 ショートカットがコクリと縦に揺れる。

 「久慈はどんな手段を使ってでも私たちを抹殺しようとしている。ならばこちらも、全力で立ち向かわなければならない。アジトに乗り込み、殲滅するほどの気持ちで」

 「もう我慢できないよ。モモの仇は、あたしが取る」

 ふたりの美少女は、世界でもっとも信頼するパートナーを互いに見詰めた。
 魔人の正体を悟っても、積極的に聖少女たちが闘いを仕掛けることはこれまでになかった。巨大な戦闘は被害も大きい。また、平和に時が進むのならば、守護天使にとってはなによりのことだ。後手に回る不利は否めないが、それを差し引いてでも守備に重きを置いたのはそのためだった。
 だが、もっとも闘いを嫌う優しいエスパー少女への無慈悲な仕打ちが、少女戦士たちの制御心を完全に取り払っていた。許せない。許せなかった。単純といわれる七菜江だけではない、冷静な判断力を誇るはずの里美ですら、燃え上がった炎を抑える術を知らなかった。

 恐らく桃子は、ふたりの子供たちを守りたい一心で、己の身を悪魔どもに捧げたのだろう。
 その結果、衆人環視のなか悲痛な絶叫をあげ、守るべき者の前で恥辱にまみれた姿を晒すことになっても。我が身をボロ雑巾のように汚されながら、ただ守るべき者のために、サクラは散ったのだ。

 今、乗り込むことで勝利の確証はないことを里美は知っていた。それでも桃子のことを思えば、向かわずにはいられなかった。
 誰よりも屈辱を晴らしたいのは桃子自身であることを七菜江はわかっていた。それでも握った拳は思い切り振り下ろさねば、渦巻く怒りは納まりそうになかった。

 「覚悟はできてる? ナナちゃん」

 「もちろんです。何人が相手でも、この手で必ず・・・」

 「サクラにも勝利の可能性はゼロではなかった。あのとき、『デス』を繰り出すのを躊躇わなければ、魔人メフェレスは今頃地獄の底だったかもしれないわ。桃子の優しさが最期まで彼女のネックになってしまった・・・」

 「・・・里美さん」

 しばしの沈黙のあと、七菜江は心の底につっかかっていた想いを口にする。

 「モモはもう・・・闘えないのかな・・・?」

 「それは、わからないわ。でも、私たちが強制的にあのコを闘わせるわけにはいかない。決めるのはあくまであのコ自身よ。もし・・・桃子が私たちと離れることを決めたのなら、笑顔で送り出さなきゃ、って思ってる」

 「もし、もしも、モモが私たちと一緒に闘いたいって言ってきたら、一緒に連れて行きますか?・・・」

 心に受けた深い傷は自分の手でなければ癒せないことを、本当に闘わねばならないのは誰であるかを、己自身苦い経験を持つ里美にも当然わかっていた。
 しかし、一瞬月のような美貌を曇らせたくノ一戦士は、フルフルと首を横に振る。

 「残念だけれど、この闘いには桃子を連れて行くことはできないわ」

 「それはやっぱりケガが・・・」

 「ううん。それよりもあのジュバクがいる限り、サクラはまともに闘うことはできない。私が見る限りサクラにとっては天敵のような相手よ。メフェレスが本気でサクラを抹殺するために用意した、恐ろしい刺客だわ。どういう風回しだったのかわからないけれど・・・桃子が殺されていなかったのは、奇跡のような話よ」

 穏やかではあるが迷いのない生徒会長の言葉に、ある程度予測していつつも太陽のような少女は眉を曇らせて押し黙る。
 悪魔の仕打ちを受けて尚、優しきエスパー少女が戦士であることを選ぶのか、里美にも七菜江にもわからなかった。超能力という神から与えられた異能さえなければ、桃子は普通に渋谷を歩く女子高生となんら変わりない少女なのだ。獣どもに嬲られ、魂ごと穢されて、それでもまた立ち上がることを期待するのはあまりに酷な話かもしれない。しかし、もし桃子が守護天使の道を全うしようというのなら、敗北を喫した敵には、自らの手でケジメをつけるのが理想的といえた。事実、七菜江もユリも夕子も、そして里美自身も、苦杯を舐めた仇敵には己の手でリベンジを果たしている。

 だが・・・今回ばかりはそうもいかないことを、分析に疎い天然少女も薄々覚悟していた。
 本当ならば、桃子自身の手で恥辱に貶めた宿敵を倒して欲しい。そう願いつつも、桃子=サクラがあのジュバクに勝てるとは到底思えなかった。何度闘っても、人質などいなくても、サクラはミイラの怪物に勝てない・・・戦士としてのカンが鋭く七菜江の胸に突き刺さってくる。
 桃子抹殺を前提としていたはずの久慈が、なぜ瀕死の少女を生かしたまま放置したのかは謎だが、命があっただけ幸運と思わねばならないのかもしれぬ。それほど今回の敵ジュバクは、超能力戦士にとっては分の悪い相手に思えた。

 「・・・ユリちゃん?」

 突然屋敷から飛び出してきた華奢な少女が、一直線にこちらに向かってくる。全速力で駆けてくる武道少女のただならぬ様子に、会話を中断した里美は西条ユリが駆けつけるのを待った。

 「どうしたの?」

 「さ、里美さん・・・大変です・・・」

 呼吸法の上手い天才柔術少女が、ハアハアと荒い息を吐きながら言葉を搾り出す。起こった事態の切迫さが自然里美にも七菜江にも伝わってくる。

 「何か、あったのね?」

 鋭さを増した視線で愛らしい年下の少女を見詰めながら、くノ一戦士は静かな声で訊いた。

 「あの・・・桃子さんが・・・」

 「桃子が?!」

 「いなく・・・なりました」
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