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「第十話 桃子覚醒 ~怨念の呪縛~ 」
18章
しおりを挟むそんな、バカな。
どれほどの突風が起こったというのか。巨大台風並みの嵐。獲物を仕留めんと飛び掛った無数の妖糸を全て吹き散らすなど、穏やかな夏の風にできるわけがない。ならばこの豪風は、自然のものではなく意図的に作られたものということになる。
有り得ない。
台風並みの気流を作り出すなど、人間にできるわけがない。普通ならば。だが、片倉響子は知っている。その奇跡を呼び起こす、恐るべき男が実存することを。そして、その男は、今この場にいることを。
「ったく、おめーはひとりで思い込んで、勝手に話を進めんなっての」
いつの間に、そこに移動していたのか。
中段への正拳逆突きを打ったフォームで固まった工藤吼介が、硬直した超少女のすぐ背後にいた。そのまま、芸術的なS字の曲線を描いた小さな背中に向かって、筋肉の鎧をまとった男は語りかける。
「オレはな、お前が何者であろうと態度変える気はねえし、お前が血みどろになっても嫌いになんかならねえし、オレの代わりに闘ってもらう気もねえし、ましてやオレのために死んでもらうつもりはねえ」
膨張した筋肉に覆われた両腕で、吼介は背後から少女をそっと抱きしめた。
「たとえお前が闘う宿命を背負ったとしても、戦士としての生き方を選んだとしても、お前が藤木七菜江であることに変わりはねえ。だから死ぬな。オレのためにというなら、絶対に死ぬんじゃねえ」
少女の肩を抱える腕に、ぎゅっと力が込められる。
「オレはお前たちの仲間になることはできない。敵になる可能性がある以上、『エデン』とかいう宇宙生物を受け入れることはできない。人類の救世主となったお前たちは、本当はオレなんかとは違う場所に立っているのだろう。けどな、お前がファントムガール・ナナであっても、藤木七菜江である以上、オレはお前を守っていきたい。これからも、今まで通りに――」
言葉の端々に隠された想いが、少女の胸に伝わってくる。今は表立って言えない気持ち。どこか引き摺る感情が、口に出すのを躊躇わせる気持ち。だが、七菜江には構わなかった。男の心のどこかに長い髪の令嬢が住み着いていたとしても、今、アスリート少女に伝わる吼介の気持ちが本物であることに、間違いはないのだから。
肩にかかったゴツゴツした掌に、七菜江は己の手を重ねた。言葉がうまくでてこない。胸に渦巻くありったけの感謝を伝えるには、こうするしか思い浮かばなかった。
「だから、オレたちの関係が変わることはない。お前への気持ちが変わることもない。七菜江が人類の守護者として、闘う宿命を背負っていても」
「青春ごっこは、それまでにしてもらおうかしら?」
若いふたりの気持ちを切り裂くように、女教師の冷たい響きが割って入る。その白い額には、紛れもない汗が一筋滴っている。
「あなたこそ本当のバケモノのようね、工藤くん」
「そりゃどうも」
「まさか私の糸を、正拳の風圧で吹き飛ばしてしまうなんて。ろうそくの炎を消すなんて逸話は知ってたけど、素振りで暴風を生み出せる人間がいるとは思わなかったわ」
「いかに切れ味抜群でも、糸は糸。風の前には羽毛のようにそよぎもするさ」
超人技を見せつけた最強の男が、涼しげに言ってのける。一本ではなく、3桁に上る数の妖糸を吹き飛ばしているのだ。乱気流を生み出す突きがいかなる威力を誇るのか、想像するだけでさすがの沈着なる女教師も薄ら寒くなる。
「その力、ますます諦め難くなったわ」
「やめとけよ。今更あんたに勝ち目はないぜ」
「そうかしら?」
響子の台詞が終わるかという間際、他者には脇目もふらず避難地域に早駆ける人の群れから、ひとりの中年女性がなにかに引っ張られるようにふらふらと寄ってくる。
つんのめった女性は王にかしずく忠臣のごとく、赤いヒールの足先に四つん這いになった。疾走による汗と冷たい汗が混ざって浮かんだその顔には、なにが起こったかわからない、明らかな動揺が刻まれている。
「試してみる? あなたたちがここまで飛び掛ってくるのと、私が糸を操るの、どちらが早いか・・・」
警報を聞いて避難するだけだった中年女性は、己がもうひとつの危険な争いに巻き込まれたことを瞬時に理解していた。彼女の首には、ハッキリと食い込んだ斬糸の跡が浮かんでいる。運の悪さを恨むしかない小太りの女性は汗まみれの顔を蒼白にし、四つん這いになったまま地面の一点を凝視して硬直する。
一般人に正体を知られれば身の破滅に繋がることを十二分に悟っている響子は、本来ならばこのような暴挙には出ないであろう。避難中という緊急事態、誰もが己が生き残ることで精一杯という異常事態だからこそ敢行できる戦術であった。
「そんな見も知らないおばちゃんを人質にとって、効果があると思うのかい?」
「少なくとも、カワイイお嬢ちゃんにはあるようよ」
顔色ひとつ変えない吼介の前に立つ少女は、ショートカットを垂らして俯いたまま、黙り込んでしまっていた。
「あなたとは違って、正義の味方さんは一般人の命を見捨てることができないのよ。損な役回りよね、藤木七菜江?」
一点の曇りすらない七菜江の純粋な性格を、妖艶な女教師は知り尽くしていた。罪もない人間を死なせていいわけがない。それも自分が原因で。目の前で他者が危険に晒されたなら、身代わりになってでもそのひとを助けようとする少女。藤木七菜江は迷うことなく己を犠牲にできる少女であることを、冷酷な妖女はよく知っている。
勝利の予感に女教師は、深紅のルージュを吊り上げる。
だが、ゾクリとするほど完成された美貌に刻まれた微笑は、次の瞬間霧のように掻き消えていた。
「ガッカリさせるわね、工藤くん」
「なにがだ?」
「窮地に追い込まれ苦し紛れに笑うのは、2流のやることよ」
浅黒く焼けた格闘獣の頬に、ゆるやかな微笑みが浮かんでいる。
「おっと、苦し紛れじゃないぜ。こりゃあ自然にでた笑いだ」
「この状況で? この私を挑発しているつもりかしら?」
「いや、そういう訳じゃない。ただ・・・あまりに予想通りだったもんで」
ボンッッッ!!
アスファルトを弾く軽快な音が響く。
意識を格闘獣に向けていた妖女に向かって、一直線に弾丸と化した超少女がダッシュする。
従順な下僕となるはずだった真っ直ぐな少女の反抗は、人質を手中にした時点で、響子の頭にはまるで予想されていなかった。さしもの天才学者も虚を突かれて、瞬間パニック状態に陥る。
「七菜江を手っ取り速く倒そうとするなら、人質を取って、てのは誰もが考えつくだろうな。あいにくその対処法についてはとっくにレクチャー済みでね」
美貌の女教師は風を感じた。
まさに弾丸。10mほどあった距離を、「エデン」の少女は一気に縮めていた。殺到する威圧感。己に向かって真っ直ぐに飛んでくるマグマの塊に、響子は身体の内にある芯がすくむのを自覚する。
もし純粋なスピード勝負なら、七菜江の怒りの拳が悪女を砕くより早く、犠牲となった中年女性の首が飛んだであろう。だが次の瞬間、響子にもジ・エンドは訪れる。見も知らないおばちゃんと引き換えに破滅するのは響子の方になるのだ。そんなバカげた話を、神を自称する天才学者が許すわけがない。
いや、そこまで論理的に考えるまでもなく、我が身に迫る危険に対し、動物が本能的にとる行動は「身を守る」こと。
顎に迫る少女の拳を、片倉響子は糸の存在など忘れて必死に両手でブロックする。
バッチイイイインンンンンンンン!!
並みの人間なら、両手の粉砕骨折は免れなかったろう。
赤いスーツの美女が、立ち姿のまま地面を滑って飛んでいく。その距離8m。擦ったヒールがアスファルトに火花を散らす。
ビリビリと震える両手の痺れを味わいながら、女教師は凛と佇む少女戦士を見詰めた。
「人質を取られたときは・・・もう腹を括るしか、ない。一番いけないのは、迷ってしまうこと。一気に、素早く、一直線に敵を倒す・・・だったよね、吼介先輩」
「よくできました♪ 人間てのはたいしたもんでな、己の身にかかる危険を無視できないもんなのさ。ひとつ間違えば犠牲者を生んでしまう、そんな重圧を乗り越え、かつ敵のカウンターも恐れず飛び込む、勇気を持つ者だけに可能な戦法だがな」
ヨロヨロと長い髪の悪女があとずさる。両の掌に痛みと痺れはあれど、肉体的なダメージはほとんどない。しかし、逆転を賭けた作戦が失敗に終わった今、このまま闘い続けることが得策だとは、冷静な頭脳を持つ天才学者には思えなかった。
「どうやら、今日はここまでのようね」
「なに都合よく逃げようとしてんのよ」
「あなたにイキがってる余裕はあるのかしら? 藤木七菜江、お友達の救出を忘れたわけではないでしょうね」
グッとアスリート少女は白い歯を噛み締める。
もちろん忘れるはずなどなかった。今、七菜江がせねばならないことは赤い美女との決着をつけることではない。一刻も早く、死闘を繰り広げているであろう、桜宮桃子の助っ人に向かうこと。女教師自らこの場を去るというのならば、むしろそれは好都合であると言えた。
「工藤くんとは、また日を改めて話させてもらいましょう」
「まだ言ってんの?! 先輩はお前なんかに協力なんて――」
「早く行きなさい、七菜江。桜宮桃子、あの生まれながらのエスパーも、簡単に死なせてしまうのは惜しいわ」
「え?!」
敵であるはずの片倉響子の台詞に、瞬間七菜江の頭は混乱した。
「メフェレスが始末してなければいいけど・・・もう手遅れかもね」
言葉の意味を七菜江が問い質すより早く、うっとりするようなプロポーションを包んだ赤いスーツは、避難する人々の群れのなかに消えていった。
「こ、吼介先輩! あたし、あのッ・・・!」
「オレのことはいい。早くいってやれ」
振り返る守護少女と格闘獣の視線が絡む。それだけで幾千の言葉を越えた感情が、お互いの間を行き来した。
「うん!」
力強く頷き駆け出した健康的な少女の背中を、男は哀しげな眼でいつまでも見送るしかなかった。
20分後―――
桃色の天使と青銅の悪鬼が闘う戦地に、グラマラスなショートカットの少女の姿はあった。
「も、モモ・・・」
そこに繰り広げられたパノラマは、天使の公開処刑という名の地獄絵図であった。
七菜江が東区で展開されているファントムガール・サクラと魔人メフェレスとの死闘に駆けつけたとき、勝負はすでに決していた。桃色の天使の胸に光る青い水晶体は、弱々しく点滅を繰り返し、緑の光の輪によって捕らわれた肢体は大の字で空中に掲げられている。ぐったりと脱力した全身は闘う力などとうに無くしていることを物語り、噴き出した血が銀色の皮膚を鮮やかな深紅に染め上げている。
青銅の悪魔と、初めてみる座ったままのミイラのミュータント。
二匹の猛攻の前に、心優しき美貌のエスパー戦士は、さんざん苦しむ姿を満天下に晒した挙句、無惨に散らんとしていた。
「ひ、ヒドイ・・・くッ!・・・今、いま助けてあげるから!」
全身を埋め尽くした緑の光輪は、サクラの柔らかな肉を圧搾し、皮膚を切り刻み、さらに光のエネルギーすらも奪ってしまっているようだった。恐らくは新手のミイラ型ミュータントの技。憎悪に狂うメフェレスと、その悪鬼がサクラ抹殺のために引き連れてきた新たな敵・・・二匹を相手にアイドル顔負けの美少女戦士がいかなる仕打ちを受けたのか、七菜江にはその酷さが容易に想像できる。
悪魔どもが施した所業の極め付きは、サーモンピンクの内肉を晒し、ドロドロと闇に溶かされている腹部にあった。吐き気すら催すその惨状が、サクラ=桜宮桃子に襲い掛かっている苦痛の壮絶さを七菜江に教える。超能力がなければ普通の女子高生に過ぎない桃子にとって、その苦しみは想像を絶しているだろう。あまりの激痛に、もはや桃子の意識は混濁し、苦悶に飲み込まれて弾け飛んでいるはずだった。
「ダッッ・・・・・・メッッ・・・・・・!!」
突然の出来事だった。
煉獄の苦痛に意識を奪われ、喋ることなど到底できないと思われた桃色の天使が、ハッキリと意味ある言葉を口にする。
「来ちゃ・・・ダッ・・・メェッ・・・・・・あたし・・・はッ・・・・・・もうッ・・・・・・」
あたしに、言ってるんだ―――!!
聞き間違いでも、偶然でもない。確かに瀕死のエスパー少女が放った台詞は、彼女を救いに来たショートカットの親友に向けられていた。
聖なるエナジーを限界まで奪い取られ、決して耐久力の高くない肉体を弄ばれるように蹂躙されて尚、戦士としてはあまりに甘い美少女は、駆けつけた友の身を案じているのだ。この場に来ないように・・・たとえ我が身を滅ばされようとも・・・
「食らえいッッ!!」
三日月に笑う悪魔の絶叫と同時に、闇を結集させた暗黒弾が、サクラの右胸を直撃する。
凄まじい破裂音が響き、涙に歪む視界の奥で、七菜江は銀と桃色の皮膚が弾け飛び、美しき守護天使の血塊と肉片がボトボトと大地に降り注ぐのを見た。
「モモォォッッッ~~~ッッッ!!!」
悲痛な少女の叫びを掻き消す悪魔の哄笑が、ファントムガール・サクラが消え去った処刑の空に、いつまでも地獄の鐘のごとくこだましていった。
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