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「第十話 桃子覚醒 ~怨念の呪縛~ 」
17章
しおりを挟む華やかなメインストリートに、けたたましいサイレンが鳴り響く。
流行に敏感なショップが立ち並ぶオシャレな世界を、緊迫した現実が瞬時にして打ち破る。
遊びに食に興じる街・谷宿に流れるのは、巨大生物が現れたことを知らせる警報の音。夏の陽射しに火照る若者たちの身体を、心臓を鷲掴みにする危機感が一気に冷やしていく。音のパターンから警戒レベルが3つあるうちの第二段階であることがわかっても、人々の心に湧きあがる緊迫感はMAXから下がることはなかった。普段は肩で風切って往来を歩く少年たちも、公道を我が物顔で占拠する少女たちも、一様に怯えた表情を浮かべ、バタバタと慌てて指定の避難区域に駆け出していく。
人類の敵となる巨大生物の出現は、ファッションも遊びも、全てが空々しく映るほどに鮮明な恐怖となって、若者たちの心を飲み込んでいた。硬直した表情のなかに真摯な眼差しを宿して、少年少女が懸命に安全を求めて走り出す。この場にいる者のほとんどは、親類や知人の誰かを巨大生物による破壊で失っていた。染み付いた恐怖が、怒りが、普段とは違う若者たちの必死な姿を呼び起こしている。
怒涛のごとき人の流れのなかで、巌のように留まった点が3つ。
小麦色の肌を輝かせる健康的な少女と、筋肉の鎧を纏った男。そして、対峙する深紅のスーツに身を包んだ妖艶な美女。
「さて、ギャラリーがいなくなるのは都合がいいのか、悪いのか・・・どちらかしら?」
片倉響子が誰に言うでもなく呟く。
どんな奇抜なものでも馴染んでしまう谷宿にあっても、目立たずにはおれない三角関係。足を止め、注目をし始めた野次馬たちは、とっくに3人を残して逃げていった。今彼女たちの周りにいるのは、少しでも危険区域から離れようと逃走する人の波しかない。必死で避難する人々の目には、まるで動こうとしない不可思議な3人の姿など、映りはしなかった。逃げ惑う多くの若者たちに囲まれながら、響子と藤木七菜江、そして工藤吼介の3人は周囲とは異なる空間に孤立している。
「いつまでそうして私と工藤くんのジャマをしている気なの、藤木七菜江? 生徒会長さんの指示通り、早くここを離れた方がいいんじゃなくて?」
つい先程、七菜江の携帯を通じて流れてきた、五十嵐里美の声。ファントムガールのリーダーが話す、巨大な正邪の闘いの開戦。
この谷宿からは距離を置いた東区において、青銅の悪魔と桃色のファントムガールが闘っている。今のところ、1vs1で。勝利のためには手段を厭わぬ悪魔が、このまま潔くフェアな闘いを続けるとは思えなかった。加勢に向かうには、距離的に一番近い七菜江が駆けつけるのがベストであった。
だがしかし、確実に指令を受けたはずの七菜江は、凍りついたようにこの場を動こうとはしなかった。
女教師の冷たい視線を受け、ショートカットの少女は最強の男をかばったまま唇を噛む。
「桜宮桃子がひとりで闘っているらしいわね。お友達を死なせる前に、早く助けにいったらどう?」
「うるさいッ! お前の指図なんか、受けないッ!!」
「おやおや、相変わらずの頭の悪さね。冷静に状況を判断すれば、自分がなにをすべきかすぐにわかるでしょうに」
吐き捨てるような響子の言葉が、七菜江の心に怒りよりも痛みを湧き上がらせる。
宿敵に指摘されずとも、己がどう動くべきか、今この場にいることがいかに誤った判断であるかは、単純と呼ばれる少女にもよくわかっていた。
目の前で愛する男と魔性の美女が激突寸前である一方、彼方の地でかけがえのない親友は、敵の総大将と単独で死闘を始めている・・・一見、両天秤。究極の選択を強いられるような状態。だが実際には、ズバ抜けた身体能力を持つ少女が、どちらに救援の手を伸ばすべきかは明白であった。
七菜江のジレンマに追い打ちを掛けるように、響子が続けて言う。
「これは忠告として言っておくわ。あなたが後悔しないようにね」
知性を漂わせた漆黒の瞳には、策略家らしい計算高さではなく、寧ろ真剣な光が宿っていた。
「あのろくに闘いもできない桃子では、メフェレスには勝てない。罠に嵌められ、いいように弄ばれた挙句惨殺されるのがオチよ。悪いことは言わない。すぐに救出にいきなさい。仲間を失いたくなければね」
闘いには不向きと思われる優しき少女と、憎しみを露わにする悪鬼。その闘いがいかに危険であるかは七菜江にも十分すぎるほどわかっていた。
しかも今のメフェレスこと久慈は、なりふり構わず光の少女戦士たちを抹殺にかかっている。すでに桃子の盾代わりとなって、霧澤夕子が瀕死に追い込まれたばかりだ。優しきエスパーが元恋人に対してだけは本気になれるといっても、戦闘での不安は尽きない。
対して工藤吼介は「エデン」を持ちはしないものの、圧倒的戦力を誇る男。響子の恐ろしさを身に染みて知る七菜江といえど、正直吼介が負けるとは・・・思えなかった。まして先程の会話から、妖女が吼介の命までを狙っているわけではないのは確実である。桃子と吼介、どちらに救いの手を伸ばすべきかは、七菜江にもよく理解できていた。
だが・・・それでも、できない。
"一般人"の吼介をおいてこの場を去るなど、純粋なる少女戦士にはどうしてもできなかった。
「七菜江」
背後から男が呼びかけてくる。戦闘前であることを考えると、それは不釣合いなまでに低く、落ち着いた声であった。
「まさか、このオレがお前に守られるときがくるなんてな」
小さな少女の背中を見ながら、どこか嬉しいような響きを含めて、最強の男は言葉を紡いだ。
「だがな、片倉センセに不覚を取るようなオレじゃねえよ。盾になるのはお前の役目じゃない、オレだ」
「わかってます、先輩があのムカツク女より強いことぐらい」
両手を広げ、背中で吼介をかばいながら、ショートカットの少女は闘いの最前線から離れようとはしなかった。
「先輩が負けるなんて想像できないです・・・いくらあの女がバケモノでも。けど、それは"このまま闘ったら"って話。あの女が蜘蛛の怪物に変身できると知ってて、ここを離れることはできないんです!」
「あいつは、んなことしねえよ。自分がここで正体バラすのがいかに危険なことか、ちゃんとわかってるさ」
「それもわかってます、変身なんてするはずないって。でも、でも、その可能性がゼロでない限り、あたしは先輩を闘わせるわけにはいかないんです!」
肩越しに、やや吊り上がった瞳で、七菜江は愛する男を振り返った。
「『エデン』と融合した敵とは、『エデン』の寄生者が闘わなきゃいけないんです!」
己に課せられた使命を、はっきりと宣言する少女戦士にできた間隙。
片倉響子から視線を外したその瞬間、狡猾な妖女は攻撃を繰り出していた。
わずかに動く右手の人差し指。常人には不可視の極細の糸が螺旋を描いて絡まり、束なった妖糸が透明な槍を形成する。
夏の光を乱反射した糸の槍は、空間をドリルと化して切り裂き、一直線に後ろを振り返った隙だらけの猫顔美少女へと殺到していく。
「なッ!!」
少女の名を叫びかけた男の前で、藤木七菜江は残像が起こるほどの超速度で肢体を沈ませていた。
読んでいたのか、智謀に富んだ悪華の攻撃を!
ドシュリュリュリュ・・・ッ!!
斬糸でできた透明な龍が少女の頭上を過ぎ、空気とともに切断したショートヘアの切れ端を舞わせる。空振り。悪女に伝わる手ごたえの無さ。
沈んだと思われた健康的な肢体が浮き上がってくる。回転しながら。左手、手刀の形。沈む速度が神速ならば、浮き上がる速さもまた神の領域に達していた。胴ごと回転しながらのチョップが、ターゲットを失い伸びきった斬糸の槍に叩き込まれる。
ザクン! という軽やかな音を残してアスファルトに落ちたのは、七菜江の手ではなく、束ねた極細糸の塊だった。
「あんたの卑怯ぶりは、とっくにお見通しなんだから!」
「触れるだけで鋼鉄を裁断する特殊合成糸、以前も素手で切ったけど・・・今ではまとめてぶった切ってしまうなんてね! 面白い、大した成長だわ」
仕留め損なった悔しさではなく、少女戦士の技術の高さと成長ぶりに片倉響子は素直な感嘆を表した。ランと輝く悪女の瞳は、子供のごとき無邪気さに溢れているようにも見える。
「忠告を無視するならそれでも構わないわ。久しぶりにあなたと遊ぶのも、楽しいかもしれない。それとも工藤くんとふたりでかかってくるつもりかしら?」
「先輩を闘わせたりなんかしないって、何度も言わせないでよ! モモはあたしが助けにいく。ここでとっととあんたを倒してからね!」
見得を切ったアスリート少女は、真っ直ぐに赤いスーツの女教師を睨んだ。そこに立ちすくむのは、運動神経抜群の女子高生ではない。未来を守るための、戦士。守護天使の名に恥じぬ凛々しき少女が、そこにはいた。
「七菜江、お前・・・」
「先輩・・・もう全部、知ってるんだよね?」
今度は背後を振り返ることなく、少女戦士は呟いた。
「全部話せるようになって・・・隠し事がなくなって、嬉しいです・・・ホントは"普通の人間じゃない"って知られるの、ちょっと恐かったんだけど。でも、こうしてあたしの全てを見せれて、ファントムガール・ナナの正体を教えることができて、良かったと思ってます。たとえこれで嫌われたって、これがホントのあたしだから・・・」
天性の運動能力を誇る少女の肩は、やけに小さく吼介には見えた。
「血みどろで闘ってる女なんて、嫌になっちゃうでしょ? 大勢のひとたちの前でボコボコにされたり、恥ずかしい姿見られちゃったり・・・挙句の果てに、人間じゃなくなっちゃたり。あたし女のコとして最低ですよね。でも、それでも、後悔なんかしてません。自分で選んだ道だもん」
「・・・七菜江・・・」
「先輩がナナの正体を知ってて、普通に接してくれたの、嬉しかったです。あたし、こんなんだけど・・・闘い続けなきゃいけないけど・・・できたら、これからも今まで通りでいてくれると嬉しい、な」
ゾワリ・・・
研ぎ澄まされた感覚だけが読み取れる悪意が、七菜江の周囲で湧き上がる。
じっくりと、誰に気付かれることなく張り巡らされていた蜘蛛の巣。光の反射がなければまず存在に気付くことない特殊繊維の糸を、人知れず周囲に張り巡らせて己の領域を完成させるのは、片倉響子の十八番とも言える技であった。ビュッという擦過音がするや、前から、後ろから、右から、左から、上から、下から・・・四方八方、あらゆる方角から放たれた魔糸が、同時のタイミングで中央の守護天使に襲い掛かる。
呼気、一閃――。
吼えた少女は独楽のように健康的な肢体を高速で回転させていた。次の瞬間、七菜江の足元にパラパラと切断された妖糸が落ちていく。
「ふ、フフフ・・・あなたを仕留めるには、もはや拳銃ですら不可能と思ってしまいそう。拳法の達人は一瞬で4発の打撃を繰り出せると聞いたことがあるけど・・・都合12本。12の方向から一斉に放った糸を、全て打ち落としてしまうなんてね」
「ヘヘン、工藤吼介の一番弟子を舐めないでよね」
ニッとピンクの唇を綻ばせる七菜江。
その小麦色の額に透明な雫が数滴浮かぶ。息こそあがっていないものの、よく見れば少女戦士の丸い肩は微妙に上下していた。超速度の体術を見せるアスリート少女だが、人間の範疇を越えた動きは、肉体に過度の負担を与える。爆発的な運動は、その引き換えに大幅な体力を格闘天使から奪っていた。
「そのバケモノじみた動き、いつまでできるか見物ね」
ズザザザーという何かが高速で地を這いずる音が七菜江の耳に届いてくる。同時にダラリと垂らした女教師の両腕と赤いスーツの間から、キラキラと反射する糸が洪水のごとくアスファルトに流れていくのが、守護少女の視界に映る。
「くッ!」
「12本は切り落とした。ならば、100本ではどうかしら?」
グラマラスな女子高生を中心に、無数の極細の魔糸が二重三重に包囲網を完成させていた。まるで湖面に描かれた波紋。花崗岩をプリンのようにさっくりと切断する特殊合成糸に囲まれ、超人的運動神経を持つ少女に逃げ場はない。もしこの無数の妖糸が一斉に殺到してきたらどうなるか・・・細切れとなる己の姿が七菜江の脳裏によぎって消える。
「愚かな小娘。工藤くんの代わりに闘うなんてバカなことを考えるから、命を落とすことになるのよ。さすがの運動自慢も、この量の糸を避け切ることも打ち落とすこともできないでしょう?」
「・・・勝利宣言は、あたしの心臓が止まってからにしてよ」
「フフ、くすぐるわね、その強気な態度。もっとも身体は正直みたいだけど」
猫顔少女の尖った顎から、ボトボトと大量の冷たい汗が垂れ落ちる。
異常なほど大きく響く鼓動を、七菜江は見事なボリュームを誇る胸の内で聞いていた。足元を円周状に囲んだ魔糸の渦。片倉響子が指一本動かせば、誇張ではなく100本以上の斬糸が七菜江に踊りかかってくるだろう。
「死ぬのは恐いかしら? 藤木七菜江」
「・・・恐いよ。でも、後悔なんかしない」
やや吊り気味の瞳を真っ直ぐ見開いたまま、少女はニコリと微笑んでみせた。真摯で、緊迫感溢れて、それでいて愛くるしい表情で。
「ナナになったあの日から、死ぬときは誰かのためにって思ってた。その誰かが吼介先輩なんだから、あたしは良かったって心の底から思える」
表情を変えないまま、妖艶な女教師が10本の指を一斉に閉じる。
寄せる津波の飛沫のように、無数の煌く妖糸が、はち切れんばかりの肉感的な肢体に怒涛となって飛び掛る。
ブオオオッッ!!
轟風が佇む七菜江の耳朶を叩いたのは、そのときであった。
斬糸に貫かれ、血まみれの肉塊と化すはずであった少女戦士の周囲に、勢いを失った妖糸の束がハラハラと舞い落ちていく。100本以上、怒涛と化して七菜江を襲った鋭利な合成糸は、突如巻き起こった乱気流に飲み込まれ、その全てが守護少女を襲うだけの力を失って墜落していったのだ。
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