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「第十話 桃子覚醒 ~怨念の呪縛~ 」

13章

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 「もう一度聞くわ。『エデン』を飼う気はないのね、工藤くん?」

 トップ・シークレットである宇宙生物の名前が片倉響子の口から洩れ、心臓を高鳴らせるアスリート少女の前で、筋肉を膨張させた高校生は顔色ひとつ変えずに答えを返す。
 本気モードに入った最強の高校生・工藤吼介と天才的頭脳を誇る悪華・片倉響子。そして傍観者・藤木七菜江。激突寸前の緊迫した空気が、華やかな谷宿の街に張り詰めている。

 「言ったろ。どんな崇高な思想より、オレには大事なものがある」

 無関心が当たり前の若者の街でも、美女と美少女と野獣、奇妙な三角関係は目を引く。とはいえ夏休み、中高生らがファッションやゲームに興じるストリートの一角で、人類の未来を左右しかねぬ対話がされているなど、誰が気付いただろう。

 「あんたの考えはよくわかった。残酷だし、無茶苦茶だが・・・あながち間違いでもないかもしれない」

 「・・・わかってくれて、嬉しいわ」

 「今のあんたは悪党だが、もしかしたら百年後の未来には、英雄として教科書に載っているかもしれないな」

 「そこまで理解してくれながら、なぜ私に力を貸してくれないのかしら? あなたもその英雄になれるチャンスなのよ」

 「だから、言ってるじゃねえか。オレにはもっと大事なものがあるって」

 いつ闘いが始まってもおかしくない場面で、吼介ははにかむような微笑を浮かべた。

 「オレには人類の未来より、純粋で、真っ直ぐで、バカみたいにころっと騙されて、能天気で、どんな状況でも諦めることなく明るくて、他の誰かのために闘って、傷ついて、それでもまた立ち上がってくるような・・・そんな女を守る方が、よっぽど大事なんだよ」

 傍らでキョトンとしながら見守っていた七菜江の顔が、しばらくしてから赤くなっていく。

 「せ、先輩・・・そ、それって・・・・・・」

 「センセイの壮大な計画には、正直すげえと思うところもあるさ。でもな、オレはそんなピンとこない未来より、今身近にある幸せを守っていきたい」

 「・・・『エデン』と融合すれば、今以上にその幸せを守れるかもしれないのよ?」

 「かもな。だが、そうじゃないかもしれない。巨大な力を手に入れるより、自分が自分じゃなくなることの方が遥かに怖いんでね」

 グググ・・・
 右足を引いた格闘獣が、ゆっくりと腰を沈めていく。
 不動で佇んでいた男が、ようやく見せる"構え"。わずかな動きだというのに、全筋力を解放した吼介は攻撃準備を完了させていた。

 「てことで、どうしてもあんたの願いは聞けないぜ、片倉センセ。それが許せないっていうんなら、ケジメをつけないとな」

 深紅のスーツを身に纏った女教師は、無表情のまま押し黙る。
 ふたりの間にかつてどんな遣り取りがされてきたのか、七菜江にはわからない。だが、吼介の宣言が、響子との決別を意味することだけは理解できた。美貌と知性であらゆるものを手中にしてきた天才学者の胸には、激しい怒りが渦巻いていることだろう。
 だが、片倉響子が見せた反応は、七菜江が予想したものとは若干趣が異なっていた。

 「許せない、なんて言わないわ」

 首をかすかに横に振る女教師の顔には、怒りよりも困惑が浮き出ていた。

 「だけど、工藤くんには私の思い通りになってもらわねばならない。私にはどうしてもあなたが必要なのよ。イヤというなら、力づくでも従わせるしかないわね」

 くっきりとした切れ長の瞳が、青い光を放つのを吼介は見逃さなかった。
 ミュータントのなかには、変身後の能力を変身前にも有するものが存在する。例えば、神崎ちゆりのように。
 この片倉響子も同タイプ。蜘蛛の化身・シヴァに巨大化変身する妖艶な美女は、人間の姿のままでも異能の力を発揮できる。最強を冠する男を前に、その超常の能力を解放しつつあるのは確実であった。
 『エデン』寄生者の身体能力を遥かに凌ぐ超肉体vs妖糸を操る蜘蛛女。
 想像不能な"異種"格闘技戦に、さらに事態を混乱させる要素が加わる。

 「な、七菜江ッ?!!」

 逆三角形の筋肉獣をかばうように、大の字で立ち塞がったのは、グラマラスな女子高生であった。

 「ジャマよ、おバカな子猫ちゃん。負け犬は引っ込んでいなさい」

 「どいてろ、七菜江。お前には関係ないって言っただろ」

 キッと女教師を睨む少女戦士の脚がガクガクと震える。目の前にいる敵は、ただの敵ではない。数ヶ月前、完膚なきまでに惨敗した相手。泣き叫び、命乞いまでさせられた怨敵。おびただしい汗が額に浮き出るのは、夏の暑さのせいでも、戦闘の緊張感によるものでもない。
 心臓が、恐怖で張り裂けそうなのに。
 蘇る金色の糸の激痛が、細胞をすくませるのに。
 それでも頑として、ショートカットの少女は、戦闘の場から離れようとはしなかった。

 「関係ないこと、ないよ」

 声が震える。だが、強い意志を秘めた、はっきりと響く声。

 「好きな男のためなら、命を賭けて守るって? カワイイわね、ナナ。けど、相変わらず頭が悪すぎるわ。工藤くんの足手まといになってるって、なぜ気付かないの? 虫けらは虫けららしく、黙って這いつくばってなさい!」

 「わかってる・・・わかってるよ、あたしより先輩の方が強いことくらい。でもッ・・・そんなこと、問題じゃないッ!」

 吊り気味の少女の瞳が強い光を放つ。確固たる闘う視線。恐怖を内に秘めつつ、それでも真っ直ぐな守護天使は宿敵に向かって吼えた。

 「あたしはッ・・・ナナだからッ!! ファントムガール・ナナだからッ!! ミュータントがひとを襲うのを、見過ごすわけにはいかないもんッッ!!」

 「・・・七菜江・・・」

 己の正体をはっきりと口にした少女の背中を、男は静かに見詰めた。

 そうだな、いつもお前はそうだ。
 どんなに強い敵でも。絶望的な状況でも。
 正体がバレたとしても。それで大切な何かを失うかもしれなくても。
 いつもお前は真っ直ぐ前を向いて闘う。自分の信じた道を、真っ直ぐにみつめて。
 そんなバカがつくぐらい真っ正直なお前だから。
 オレはお前を―――

 自分より遥かに小さなはずの少女の背中が、吼介にはやけに大きく映る。
 お前に、守ってもらうのもいいかもしれないな。だがやはり。
 盾代わりに間に立ったはずの七菜江の存在が、逆に格闘の化身を燃え上がらせる。互いが互いを支え、かばいあう男と女。対する深紅の美女の心には、計算外の少女の出現によって必要以上に感情が昂ぶっていく。
 激突寸前。いつ火花が交錯してもおかしくない、極限の飽和状態。
 その、間隙を縫って―――
 混乱した状況の隙を突くように、甲高い音を発したのは、七菜江の腰にぶら下がった携帯電話であった。

 『もしもし・・・もしもしナナちゃん、聞こえてるッ?!』

 洗練された空気に染み渡るような琴のごとき響き。声音にすら気品が漂う電話先の相手は、場にいる3人が3人とも緊張するに十分な相手だった。
 ファントムガールを束ねる少女、五十嵐里美。
 冷静さを失わない彼女には珍しい切迫した声が、無言を貫く3人の間に流れていく。

 『サクラがメフェレスと闘っているわ! すぐに応援に行って。ここからでは遠すぎる、私とユリちゃんが向かっても間に合わないの!』



 昼下がりの夏の陽光を跳ね返して、巨大な魔人が青銅色に輝いている。
 鋭さと、不気味さを併せ持つおぞましい姿であった。
 西洋の騎士が着るような鎧がそのまま身体になったような姿。だが各関節を補強するように繋がった無数の管が、油圧で動く機械を連想させる。頭頂をはじめ、肩や膝・肘につけられた鋭利な角。その全てが青銅色なのに、マスクをしたような顔だけが黄金色に輝いている。
 黄金のマスクに浮かぶのは、三日月をイメージさせる笑顔。
 目も口も、三日月のようなカーブを描いて歪んでいる。醜い、おぞましい笑顔。人間の腐った部分を、抽出して抜き取ったような。

 人類が忘れようにも忘れられない戦慄の魔人・メフェレス。
 世界制覇を声高に叫ぶ、悪魔の申し子が、今再びこの地に戻ってきたのだ。

 そして、青銅の悪魔の前に立つ、もうひとつの巨大な影。
 厳かで、華やかで、この世のものとは思えぬ輝きを放つ銀色の皮膚。眩いばかりの体表に鮮やかな桃色の模様が描かれている。肩甲骨にまでかかるストレートのロングヘアーも、心安らぐような桜の色。瞳、そして胸の中央と下腹部に光る青い水晶体とあいまって、春のような優しさと爽やかさを薫らせた巨大な少女。
 丸みを帯びた肢体が幼さを残す反面、完成された美貌が惹き込むような色香を放つ守護天使、ファントムガール・サクラが単身、恐るべき魔人に対峙している。
 雑誌グラビアを飾るアイドルと比べてもまるで遜色ない容姿は、巨大化変身した今でも、色濃くサクラに面影を残していた。真実を見透かすような深い瞳と、ボリュームと柔らかさを誇る厚めの唇。すっと通った高い鼻とともに、美神の手で並べられたバランスいいルックスは、まさに神懸かった美の域に達している。

 突如として始まった、残酷な青銅の悪魔と、銀とピンクの美しき天使の闘い。
 だが始まって数分もしないうちに、形勢は一方的に傾き始めた。

 「うあああああッッッ?!!!」

 垂直に振り下ろされたメフェレスの青銅の剣が、サクラの目前で空を切る。
 確かに剣は桃色の戦士に触れてはいない。ただその風圧の衝撃が、縦にサクラを叩くのみ。
 それだけだというのに、次の瞬間、エスパー戦士の両の太腿は縦に切り裂かれ、真っ赤な鮮血が迸る。
 遠巻きに見守る人々からすれば、それは不思議な光景であった。だが、真実を知る者からすれば、なんということはない、当たり前の事態。
 なにしろ、この闘いが始まる前から、ファントムガール・サクラ=桜宮桃子は、すでにボロボロになっているのだから。

 登場した折の光に満ち溢れた姿は、かりそめの姿に過ぎない。わずかな衝撃を受ければ、それだけで本来の疲弊し切った肉体が現出してしまう。眩しいばかりの銀の皮膚は痣がついたように黒く汚れ、ほのかに盛り上がった乳房や腹部には槍で突かれたような黒い窪みができている。両脚の太腿には縦一文字に切創が走り、裂かれた皮膚からボトボトと深紅の血潮が溢れていた。
 これは闘いなどではない、事実上の公開処刑。
 とっくに限界を迎えているエスパー少女を、人類の環視のなかで蹂躙する。そのために桃子はサクラに変身させられたのだ。
 闘いの場となった東区は、特に目立った建物もない、なだらかな平野部。50m近い巨大生物同士の闘いは、遠目からでもよく見ることができる。無数のギャラリーがいるなかで、魔人メフェレスは守護天使が無惨に散る様を見せつけるつもりなのだ。

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