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「第十話 桃子覚醒 ~怨念の呪縛~ 」

10章

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 「ぼんやりしちゃっていいのォ~? これから大事な決戦って前にィ」

 揶揄するとも心配するとも取れぬ声が、助手席に座った神崎ちゆりから届いてくる。
 大型ワゴンの広い後部座席を独り占めしていた桜宮桃子は、その言葉で我に返った。

 「ちょっと、昔のこと思い出してただけだよ」

 「ほらァ、もう着いたよォ~」

 昼下がりの陽光の下、Tシャツにデニムのミニを合わせたラフな格好の美少女と、派手なファージャケットを着込んだコギャルを残して、ショウゴの運転するワゴンは立ち去っていった。詳しい説明は聞いてなくとも、長年「闇豹」の側にいるショウゴには、これから先起こる出来事が、己には踏み込むことのできない領域であることがわかる。ワゴンはあっという間に桃子の視界から消えていった。
 午前中、こっそりと五十嵐のお屋敷を抜け出したときには、まさかこんな事態になろうとは予想だにしていなかった。
 谷宿で神崎ちゆりに会う、そう決めたときから確かに万が一のことは考えていた。殺されてしまうかもしれない、嬲り者にされるかもしれない・・・それでも真の敵は久慈仁紀ただひとりと信じる桃子は、「闇豹」の根城に飛び込んでいった。
 それがまさか、いきなりその真の敵と、一騎打ちのチャンスを迎えることになろうとは。

 「メフェレスはねェ~、もう終わりだねェ~・・・」

 ワゴンのなかで行われた、ちゆりとの会話が蘇る。

 「ウサギちゃんの言う通り、ちりとメフェレスは元々仲間なんかじゃないさァ~。ただ一緒にいるほうが都合いいってだけェ~。でも負けちゃってから、メフェレスはすっかり変わっちまったねェ~」

 「変わった?」

 「あいつはもう、クズさァ~。ぜ~んぜん使えな~~い。あいつに手ェ貸すのはァ~、ちりはもうコリゴリ~~」

 吐き捨てるように言う「闇豹」のサングラスの奥には、明らかな侮蔑の色が浮かんでいる。
 久慈仁紀が工藤吼介に完膚無きまでに敗れたらしいという話は桃子も知っていた。またつい先日、伊豆の小さな町で西条ユリの姉・エリにも敗れたことも。
 ふたりとも『エデン』を持たぬ一般人であるにも関わらず遅れを取ったのが本当ならば、プライドの高い久慈がどれほど衝撃を受けているか、かつて近くにいた桃子には手に取るようにわかる。
 坂道を転げ落ちるように堕ちていった首領に、部下が愛想を尽かすのはよくある話だ。まして久慈とちゆり、あるいは片倉響子との関係は元から微妙なものだったように思える。求心力を失った久慈に、自由奔放な女豹がいつまでも付いている方が不自然かもしれない。

 「ちり・・・あたし、ヒトキを倒す。そんでもう、この闘いを終わりにするよ」

 「あはははは♪ ま~だそんなこと言ってるのォ~? ちりはメスブタどもを殺すって・・・」

 「みんなにはあたしが土下座して、ちりと仲直りしてもらうよ。だからちりも謝って、ね」
 
 しばし絶句した豹柄の少女は、舌打ちの音を残してそっぽを向いた。

 「ったくどこまで甘ちゃんなのか・・・今度そんなこと言ったらァ~、殺すよ~」

 車内に静寂が訪れ、以降、誰も話さないまま目的地に辿りついたのであった。

 "ヒトキ・・・あたし決着をつけるよ・・・もう誰も悲しませたくなんかない!"

 胸の内で沸騰する想いが今にも爆発しそうになっている。
 あの日、サッカー部の先輩に振られて以来、二度と恋をしないと誓った桃子に安らぎを与えた男。その安らぎがニセモノだったと知ったときの絶望を、美しき少女は永遠に忘れることはないだろう。殺されかけた事実・・・背中に刻まれた侮辱の言葉・・・そんな仕打ちですら霞むほど、男の裏切りはエスパー少女を抉っていた。己のくだらない欲望のために、あたしを、みんなを踏み躙る男・久慈仁紀。この悪鬼だけは、許しておくわけにはいかない!

 「あたしが、生きてきたのは・・・チカラを授かったのは、多分あいつを倒すため。そのためにあたしは今日まで生きてきたんだって、やっとわかった気がするよ」

 誰に向けられたわけでもない言葉が、潤んだ桜色の唇から洩れて出る。
 美神から生まれたとしか思えぬ少女が口にするには、あまりに哀しい台詞は、そよぐ夏風に吹かれ、ほどけて消えた。

 「メフェレスはこの中にいるよォ~。存分に闘ってくるがいいさァ~」

 顎をしゃくって「闇豹」が、目的の建物を指し示す。

 「・・・え?!」

 ようやく桃子は、自分がどこに連れられてきたのかを理解した。
 車という慣れない移動手段で運ばれたため、気付かなかった。極度の緊張で周囲を見る余裕もなかったのだろう。
 2階建てのベージュ色の建物。鮮やかなピンクの門扉。幼稚園を連想させるブランコなどの遊具施設。
 『たけのこ園』―――桃子がバイト先に選んだ、障害を持った子供たちを預かる福祉施設が目の前には建っていた。

 「こ、これってどういう・・・?」

 「ニッブイねェ~・・・まァ~だ、わかんないのォ~?」

 魅惑的な瞳を大きく開いた美少女の顔が、見る間に青くなっていく。

 「あんたがムカついて仕方なかったようにィ~~、メフェレスもまた、あんたのことを始末しようと思ってたわけよォ」

 アスファルトを蹴る音が、清閑な街並みに響く。
 デニムのミニがひらりと舞う。軽々とピンクの門扉を飛び越える小柄な身体。ガラス細工のような輝きを放つ美貌に、怒りの朱色が挿している。見えざる力で推進力をつけたエスパー少女の身体が、飛燕の速度で建物に向かってダッシュする。

 「アディオ~ス、ウサギちゃん♪」

 唇を歪め、手を振るちゆりの声は、もはや桃子には届いていなかった。
 運動神経は並の少女の域を出ないはずの美戦士の肢体は、大地の上をロケットで飛んでいるかのようなスピードで建物内に突入していく。

 汚い。なんて汚い男―――
 見る者を癒す桜のような笑顔が似合う美少女が、氷の表情で疾走する。ゾクリとするほどに美しい端整なマスク。小さな桃子の身体が、熱くマグマのように内側からたぎっている。

 人質を、取ったのだ。
 
 戦士としては致命的なまでに優しい、エスパー少女。その命を狙うのならば、もっとも効率的かつ効果的な作戦は、人質を取ること―――。誰もが考えそうでいて、しかしながら実行されることはなかった卑劣な方法を、ついに久慈仁紀は発動させたのだ。
 今までにも五十嵐里美が捕まったり、ファントムガールの仲間たちが人質として扱われたことは何度かある。だがこの場所に久慈が来ているのならば、悪鬼がしようとしているのは、なにも関係のない人物を利用することだ。ある意味、紳士的なまでに守護天使と闘ってきたメフェレスにとって、それはかつてない蛮行と言える。

 "堕ちたのね、ヒトキッ・・・!!"

 超スピードで駆ける美少女の瞳に涙が浮かぶ。
絶対的な自信に溢れ、強者のプライドで揺るぐことのなかった以前の久慈ならば、有り得ない作戦。確かに桃子を裏切った悪鬼は、己以外の存在をゴミ扱いする尊大な男であった。傷ついた桃子がボロボロに壊されていくのを見て、心底愉快そうに笑う悪党であった。だが畜生以下の所業に手を出してまで勝利を求めるような、卑劣な男ではなかった。どんなに策を労そうとも、ある一線を越えることはない、気高さを誇った男であった。
 敗北が、柳生の血を継ぐ男を、地の底まで蹴落とした。
 敗北の痛みに耐え切れなかった男は、自らを狂気に走らせたのだ。痛みから逃れるために。他者を踏み躙り、常に痛めつける側にいた御曹司は、痛みを受ける耐性がなかったのかもしれない。

 "あたしを・・・あたしを殺すために、関係のないひとたちを巻き添えにするなんて・・・許せないッ・・・ゼッタイに許さないッッ!!"

 「ヒトキィィィッッッ!!!」

 そこはレクレーション室。わずかな遊具が置いてあるだけの、広い部屋。本来は子供たちが自由に遊ぶ部屋。
 部屋の壁際に、黒づくめの男はいた。
 麻縄で縛られた少年を、足元に転がして。

 「来たか、桃子」

 「リョウタくんをッ・・・離せェェッッッ!!!」

 ボコボコボコボコッッ!!!

 フローリングの床がへこむ。巨大な鉄球を落とされているように。
 肩をいからせた少女が放つ、サイコのエネルギー。怒りによって暴発した超能力が、桃子の周囲を円周状に破壊していく。
 エスパー少女の身体が、立ち昇る闘気によって霞むようだった。
 惹き込まれそうな魅惑の瞳は吊り上がり、濡れ光る唇から覗く白い歯はきつく噛み締められている。透明感ある雪肌には、青い血管が透けてみえた。頬を染める憤怒の朱色。完璧なる美形を燃え盛る情感が覆い、本来持っている色香が隠れ味として増幅している。
 戦慄するほど美しく、蕩けるほどに威圧的で、どこか艶かしい破壊の天使。
 今の桃子は心優しい守護天使ではない。神罰に猛る堕天使。許容を超えた怒りが、美しくも厳格な少女戦士を誕生させていた。

 「クハハハハ! 学習能力のないメスだ! 貴様がいくら怒ろうと無駄なことは、先日証明済みのッ・・・?!!」

 ドンンンッッッ!!!

 笑う久慈の口が塞ぐより速く、小柄なエスパー少女の肢体が一気に懐に飛び込んでくる。
 人質を使う間など一糸与えぬ速攻。油断しきっていた悪鬼が、慌てて背中に隠し持った日本刀を取り出す。

 「桃子、いつかあなたも、一般人を人質に取られての闘いを強いられる日が、きっと来ると思うわ」

 夏休みに入って以来、日課となった五十嵐里美との特訓。
 人質を取られた折の闘いのレクチャーを、桃子はとっくに里美から教えられていた。

 「特に桃子は優しいから・・・大切なひとを囚われて、という場面は多いかもしれないわね」

 「そ、そんなときはどうすればいいんですかァ?」

 里美や七菜江を囚われ、あたふたするしかない己を想像しながら、桃子は動揺も露わに質問する。

 「一番大事なのは、闘う姿勢を崩さないことよ。人質を取っても無意味だって、敵に思わせなければならない。それは今後、二度と被害者を出さないためにも重要なことなの」

 「てことはァ・・・捕虜のひとに構わず闘えってことですかァ?」

 「そういうことになるわね」

 「そんなァ! そんなこと、できないですよ! 誰かを犠牲にするなんて、それじゃあなんのために闘うのかわかんないよ! だったらあたしが代わりにッ・・・」

 「待って、桃子。決して見捨てろ、なんて意味じゃないの。もちろん囚われたひとを助けるのが最優先よ。ただね、人質を取られたことによって私たちが迷うのがもっともしてはいけないことであり、敵の狙いなの。迷わずに闘う、これが一番大切な秘訣なのよ」

 「迷わずに、闘う・・・」

 「そう。人質を取られた時点で、私たちの不利は否めない。ならイチかバチか・・・というと言葉が適当ではないのだけれど・・・一気に敵を倒しにいく。なるべく速く。一直線に。敵の本来の目的が私たちにあれば、突っ込んでくる私たちを無視できないものよ」

 「ホントに? そんなもんですかァ?」

 「目の前に凶器を持った敵が襲ってきてるのに、それを無視はできないでしょう? 人間の本能は己を守ることを最優先させるものなの。ただし、迷ってはダメよ。考える時間や余裕を与えず一気に攻めるほど、成功の確率は増えるわ」

 人質を取った優位。桃子との実力差。美戦士はなにもできないだろうという読み。
 油断する材料を山と抱えた魔人が、まさかの急襲に備えられないのは当然であった。可愛がっているバイト先の子供を人質に取られ、反撃すら不可能だと思っていた桃子が、まるで躊躇なく飛び掛ってくるなど誰が想像しえよう? しかも、この場に現れてすぐ速攻で――
 光る凶刃は足元の少年に向かうことなく、迫る美少女を迎撃する。

 「刃の錆びとなれッッ!! 桃子ッッ!!」

 構える愛刀。速い。白い美貌が、もう目前にまで。(そうか、念動力で加速をあげているのだな)己の中心線を守る。大丈夫。切れ味抜群の真剣。美少女の、憤怒の表情。ハハ。貴様では、なにも攻撃できまいよ。真っ二つ。そう、真っ二つにして斬り殺してくれる。構えて。守って。斬る。斬り刻む。桃子、我が刃に散れ。

 衝撃が、久慈の全身を襲った。
 ダンプカーに轢かれたような、巨大な衝撃。全身、指先から頭頂まで、余すことなく波濤のごとき叩きつける衝撃波に、大の字のまま漆黒の男が弾き飛んでいく。
 バラエティー番組で見るパイ投げのように。猛スピードで吹き飛ぶ久慈の痩身が、破裂音を響かせてバチンッッと壁に激突する。真っ赤な血がブシュリと口から噴霧される。

 己を動かした推進力を、そのまま敵にぶつける桃子の念動力。美戦士の脳裏に想像されていたのは、スペースシャトルを打ち上げるロケットであった。超能力が生み出した、透明で触れることのできない弾丸ロケット。犠牲者の血を吸い続けた凶刃といえど、防ぎようはない。惨めに吹き飛んだ久慈の身体が、壁に張り付いたままズルズルと沈んでいく。

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