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「第九話 夕子抹殺 ~復讐の機龍~ 」
22章
しおりを挟む天海島に来てから3日目、南の島への小旅行もいよいよ今日と明日とを残すのみ。
朝から降り続く亜熱帯特有の激しい雨を、うらめしそうに工藤吼介は窓越しに睨む。この手の雨はすぐに止むと聞くが、亜熱帯と温帯の狭間に位置するこの島では、俗にいうスコールとはやや趣が異なるらしい。もう昼飯時を迎えようかというのに、一向に天からの恵みは止む気配を見せなかった。
「こりゃあダメだな。シトシトって感じになってきやがった。今日は一日中降りそうだぜ」
本来なら宿泊客が合同で朝食をともにする、広い食堂の椅子にひとり腰掛けた藤木七菜江は、頬杖をつきながら気のない返事を返した。ふゥ、と無意識に吐かれる溜め息には、疲労と苦悩の色が滲んでいる。
ぐっすりと朝まで寝ていた吼介は知らないだろうが・・・昨夜浜辺で繰り広げられた、伝説の怪物との闘いのダメージで、七菜江のはちきれんばかりの若い肉体は、眼に見えない傷と疲れで覆い尽くされていた。七菜江だけではない、無論里美も、また桃子の身体にも戦闘のダメージは残っている。できるならば今日一日しっかり休みたいのが、少女戦士たちの偽らざる本音であろう。
しかし、といって3人の少女たちが一斉に具合が悪くなるのは、いくらなんでも不自然と言えた。しかも、吼介には夜のうちに嵐が来たと言ってあるが、美しいリゾート地の海岸は、昨夜の戦闘のせいですっかりデコボコになってしまっている。少しでも妙な勘繰りをされないためには、何事もなかったかのように元気な姿を見せるのが一番なのだ。
今朝早く、そう五十嵐里美に指示されたのに・・・しかしながら今この場で吼介に元気そうな姿を示しているのは、七菜江だけという有り様であった。
「なんだァ? もっとガッカリするかと思ったが、あんまり残念そうじゃないな。昨日遊び疲れたか?」
「う、うん・・・昨日たくさん泳いだから・・・雨でちょうど良かったかな」
実際のところ、今日の雨はまさしく恵みの雨であった。口実なくとも身体を休められるのだから。ただひまわりのような少女が雨を喜ぶ姿は、彼女をよく知る吼介でなくとも違和感を覚えたことだろう。
「ふーん、らしくないな」
「な、なんですか? そりゃああたしだって、疲れることくらいありますよ」
「どうも朝から元気ねえなと思ったが、それは疲れのせいなのか? なんか悩みでも抱えてそうな気もするんだがな」
デカイ図体に似合わぬ繊細な洞察力に、七菜江の胸がドクンと波打つ。
その一方で、吼介が自分のことをしっかりと見ていてくれたことが、乙女心をちょっぴり温かくもする。
「図星か? なんだ、なに悩んでんだ?」
「べ、べつに悩んでなんて・・・」
「顔が赤いからすぐわかるんだよ」
慌ててショートカットの少女は両手で己の顔を隠す。そのこと自体がなによりも雄弁な図星のシグナルになってしまっていることに、天真爛漫な少女はまるで気付いていなかった。
「相変わらずわかりやすいヤツだな・・・なんの悩みだ、言ってみろよ。桃子が心配なのか?」
「そ、そりゃあもちろん桃子は心配だけど・・・今は里美さんが付いてるし・・・」
「じゃあなんだよ?」
俯いた七菜江の脳裏に、この島に来てから起きたいろいろな出来事が浮かび上がっていく。
里美と吼介の睦まじき姿・・・桃子との突然のキス・・・神秘的なウミガメの産卵・・・ウミヌシとの死闘・・・完全に必殺技を破られての敗北・・・濃密な時間を思い返し、胸に去来する様々な想いを少女は噛み締めていく。どれもこれも、いろんな意味で印象的なことばかり。しかし、今の七菜江にもっとも重くのしかかっていることは、ただひとつのことしかなかった。
猫タイプのキュートな顔を振り上げた少女は、椅子から立ち上がるとタタッと窓際の男のもとまで駆けていく。
頬を真っ赤に染めた元気少女は、キョロキョロと恥ずかしそうに周囲を見回す。どこにも人影のないことを確認して、藤木七菜江は吊り気味の瞳を潤ませながら、真っ直ぐに最強の男を見上げた。
「あ、あの・・・吼介先輩!」
「なッ、なんだよ・・・?」
少女の柔らかな両手がすっと伸び、無防備な固い右手を包み込む。祈りにも似た、握手。ボッと火が点いたように顔が紅潮するのを、筋肉に覆われた格闘獣は自覚した。
「一時間後、裏の林で待ってます・・・あの・・・ひとりで来てください・・・」
言う方も聞く方も真っ赤になって、ふたりの高校生は密かな約束を交わす。
「じゃあ、必ず来てくださいね!」
手を離したアスリート少女は、弾けるように瞬発力を見せつけて走り去っていった。
雨音のなか、いつまでも紅潮したままの男は、呆然と少女が消え去った方角を見詰め続けた。
握られた右手は、固まったようにずっと同じ形のままだった。
「食べないつもりなの?」
3人の女子高生たちに割り当てられた民宿の一室。6畳の和室の中央に敷かれた布団の傍ら、凛とした佇まいで正座した五十嵐里美は、枕元に置かれたスープの皿に視線を落とす。詰問ではなく、優しい問い掛け。だが、頭まで布団をかぶって横になっている人物からは、答えは返ってこない。
「食べないと元気が出ないわよ。ただでさえ体力を消耗してるんだから・・・」
茶髪のストレートだけを布団から覗かせた少女は、顔を見せることなくずっと押し黙っている。沈黙は今朝からずっと。桜宮桃子は貝のように布団のなかに引きこもっていた。
最強の防御を誇るウミヌシとの死闘から一夜が明けて、3人の守護天使のなかでもっとも深いダメージを負っていたのは、超能力を限界まで使い切った桃子であった。激しい疲労に襲われたエスパー少女は、朝から一度も床に伏せたまま起き上がってこないでいた。
「スープ、冷めてしまったけれど・・・一口でもいいから飲んでね。ナナちゃんが桃子のために作ったのよ。きっと力が湧いてくると思うわ」
それでも布団にくるまった少女からの返事はない。
憂いを帯びた切れ長の瞳をやや曇らせ、正座姿すらも気品に溢れた少女は桃色の唇を軽く噛む。
「・・・今回のことは・・・桃子はなにも悪くないのよ」
白く長い指を、里美は布団の上からそっとエスパー少女の胸に重ねた。
「時々・・・思うの。闘うことが嫌いな桃子を、本当にファントムガールにしていいのかって。桃子は自分の意思で『エデン』と融合したわけじゃないのに。だから今回のことでも、ウミヌシと闘えなかったことを責めるつもりなんてまるでないの。むしろこんな目に遭わせてしまって・・・本当に申し訳ないと思ってる」
南の島に現れるという怪獣の伝説を聞き、旅行を口実にした怪物退治を思い至ったとき、里美の脳裏に同時によぎったのは、闘うことにいまだ戸惑いを隠せない桃子の存在であった。
いい意味でも悪い意味でも、桃子は普通の少女であった。七菜江やユリ、夕子らがいざという折に割り切って戦闘に接することができるのと比べ、超能力がなければただの少女である桃子は、闘いそのものへの免疫が圧倒的に弱かった。日々の特訓で指導役を務める里美には、優しさを捨て切れない桃子の特性がよく見えていたのだ。
だから、試した。今回の闘いで、里美と七菜江が満足に動けない状況で、どう動くかを。
結果、母親カメが正体であるウミヌシに、桃子は闘いを挑むことはできなかった。そのこと自体は里美の予想通りではあったが・・・ウミヌシの想定外の強さに、窮地に追い込まれたことをくノ一少女は自覚していた。
「・・・ごめんなさい」
布団のなかから鈴のように愛らしい声が洩れてくる。今日、初めて喋った、桃子の言葉であった。
「あたしが・・・悪いんです。初めからちゃんと闘ってればァ・・・里美さんもナナもケガしなくて済んだのに・・・」
「ううん、いいのよ。ウミヌシは強いわ。ヤツの力を侮った私がいけないのよ」
「・・・なんで里美さんが・・・こんなあたしを連れてきたのか、わかりました」
布団にくるまったまま、桃子は言葉を繋いだ。
「ウミヌシを倒せるのは・・・あたししかいない、ってことですよねェ・・・?」
「・・・」
「今、特訓してる『デス』なら・・・スラム・ショットすら効かなかったウミヌシを倒せる。だからあたしを・・・この島に連れてきたんですよね?」
月のように美しい少女が、今度は押し黙る番になった。
ネーミングからして恐ろしい、桃子の新必殺技「デス」。数日前から練習をしているこの技ならば、確かに理論上、強固な甲羅に守られている巨大ガメといえど葬ることができるだろう。しかし、この究極ともいえる超能力戦士の切り札は、いまだ成功したことがない未完成の技なのだ。
「あたしがワガママいったからいけないんです・・・ちゃんと闘ってたら・・・」
「もう、いいのよ。桃子はゆっくり休むことだけ考えて」
「で、でもォ・・・ウミヌシを倒すには『デス』しか・・・」
「ウミヌシを殺すことが、桃子にはできるの?」
無感情に言い放った里美の台詞が、横になった少女の口を塞ぐ。
一度も成功したことがない「デス」を本番の戦闘で使えるかどうか以上に、その恐るべき技をウミヌシに向けられるかが問題であると里美は気付いていた。なんとか海棲の巨獣を退けたものの、実際桃子=サクラはなにひとつ傷を負わせてはいない。闘うことすら躊躇する少女に、まして罪もない生物を殺すことなどできるのだろうか?
「そ、それは・・・」
「桃子が責任を感じることはないわ。何も考えないで、ウミヌシのことは忘れて」
「そ、そんなァッ・・・だって、今夜またウミヌシは来るんでしょ?!」
ガバリと布団をはねのけ、美貌を外気に晒した少女は、泣きそうな表情で傍らに座る麗しき少女を見詰める。
そう、産卵を目指す巨大カメは、今夜もまたこの島の海岸に必ずやってくる。そして滞在時間が限られた聖少女たちにとって、伝説の怪物を倒すにはそのときが最後のチャンスなのだ。
島民の安全を考えれば、逃げるわけにはいかない。倒さねば。まるで手も足も出ず完敗した相手に、今夜こそ勝利を収めてみせねばならないのだ。
「私が、倒すわ」
イマドキのアイドル顔負けの超美少女を慈しむように見詰め返し、玲瓏たる月すら及ばぬ幽玄を醸した令嬢少女は静かに言い放った。
「だから桃子は、気にしなくていいの。ウミヌシは、今夜私が倒してみせるわ」
作戦も、勝算もないけれど。
どこまでも優しく、儚くさえある微笑みを刻んで、五十嵐里美は床から不安げな視線を投げかけてくる美少女にニコリと笑いかけてみせた。
ごめんね、桃子。でも、責任を取らなくちゃいけないのは、やっぱり私だから――
リーダーである少女の微笑に勝利を感じたのか、桃子の顔に安堵の様子が広がる。よもや里美がまるで勝ち目のない闘いに挑もうとしているなど、気付くわけもなく・・・。完璧なるくノ一の演技を披露して、少女戦士はひとり死を賭した決意を心の奥に秘めていった。
決戦は、今夜―――。
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